カテゴリー「● 民俗(衣食住、信仰、語源、遺跡、芸能)」の27件の記事

2014年10月17日 (金)

盤持石(ばんもちいし、力石とも)、神社や寺院に置かれた楕円形の重い石で、古代、持ち上げて吉凶や願い事の成就を占い、江戸から明治では娯楽や鍛錬の力試し石、戸水八幡神社(金沢市)の盤持石、とは(2014.10.17)

 昨日(10月16日)、県庁の北東近く、戸水八幡神社(とみずはちまんじんじゃ)を訪ねました。鳥居門のそばに、盤持石(ばんもちいし、力石とも)の立て札があり、大きな楕円形の石が目につきました。 以前に、尾山神社(おやまじんじゃ)や誉田神社(ほんだじんじゃ)でも同じような楕円形の石盤持ち石、さし石、力石とも)と云われの立て札を見たことがあり、お参りした後、その光景をデジカメに収めました。

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盤持石(ばんもちいし、戸水八幡神社、戸水町、金沢市、2014年10月16日撮影)  https://www.facebook.com/honjo1003

(解説) 盤持石(ばんもちいし)は、 古代、神社や寺院に置かれた重い石で、持ち上げて吉凶や願い事の成就を占うものでした。が、江戸から明治の頃は、生活において腕力を必要とすることが多かったことから、一般男子娯楽鍛錬のための力試し石(ちからだめしいし)となりました。 

 普通は石を肩にあげたり、あるいは頭上に差し上げたりするもので、石には一俵石、五斗石、一石などと種々のものがありました。自分の持ち上げることも出来ない石に対しては、腰を掛けるなどの不作法は厳しく戒められていました。 

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991).

(参考資料) ○ 戸水八幡神社(石川県神社庁): http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/search/detail.php?e7a59ee7a4be4944=303

 力石と力餅にまつわる歴史伝承、神社や寺院での力比べ(信仰に通じた体力の養成)、尾山神社のさし石(金沢、石川)、兼仲公の力石(上板、德島)、とは(2010.9.13): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/122.html

○ 秋、10月のはじめ、示野中橋から眺めたわが家、犀川のシラサギ、近くの誉田神社(示野中町)の盤持ち石(力石)、とは(2010.10.1): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/126.html

(追加説明) 

盤石(ばんじゃく、ばんせきとも)は、広辞苑によると、①大きな岩。いわお。-の重み ②極めて堅固なこと。 -の備え

○ 味郷神社(白山市福留町)は、2016年春、「盤持ち石」「目標の松の木」を整備し、説明版を置きました。(2016.4.29、北陸中日新聞、朝刊より

 

2014年6月 1日 (日)

ニシンの漢字、鰊とか鯡の語源、鰊(れん)の字は中国では「小魚の名」、鯡(ひ)の字は「フナに似た魚の名」、または「魚卵」、アイヌ語では「数の子(かずのこ)」、とは(2014.6.1)

 ニシン漢字とかと書きます。その語源として、(れん)の字は中国では「小魚の名」、(ひ)の字は「フナに似た魚の名」、または「魚卵」のことです。

 アイヌ語ニシンのことを「カド」といい、ニシンの卵を「数の子(かずのこ)」といいます。これは「カドの子」がなまったものです。現在でも東北地方ではニシンをカドといっています。

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ニシン鯡・鰊、Google画像) ニシン鯡・鰊、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%B3

(解説) ニシン(鯡・鰊)は、広辞苑によれば、ニシン科の寒流性回遊魚。地方名は、カド、カドイワシ、青魚、春告魚など。かずのこ(数の子)はその卵。体長約35cm。北太平洋に分布し、北海道・サハリン(樺太)西海岸に多い。食用・肥料・鯡油(にしんあぶら)・魚蝋(ぎょろう)の原料など用途が広い。

 ところで、江戸時代松前(まつまえ)のは、「ニシンは魚に非(あら)ず、松前の米成(こめなり)。故に魚偏に非と書いてニシン(鯡)という」と唱(とな)えたという。

 また、ある語源考によると、「親を二つに裂いて乾す故に二身(にしん)、即ち二つ身なり」と説明されています。この「裂いて乾すニシン」を「身欠ニシン」といっています。

 その製法は、アイヌサツ・チェップ(サツは乾く、チェップは魚)に由来しています。アイヌは、もと狩猟民族で、塩を持っておらず、魚を貯える手段に素干しを活用していました。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑〈第4版)、p.1954 にしん(鯡・鰊)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.301 ニシンの語源、三宝出版(1994).

2014年5月29日 (木)

ひょんな言葉の語源、けりがつく、へっぴりごし、てんやわんや、たたら踏む、とは(2014.5.29)

 日本語には、ひょんな(意外な、とんでもない、妙なの意)ことから生まれた言葉があります。ここでは、そういった言葉をいくつか紹介しました。

○ けりがつく 

 この「けり」というのは、昔、和歌や俳句の終わりに「---けり」と助動詞をつけるのが定形だったところから、結末がつく、終結する、おしまいにする、などを意味するようになりました。

 へっぴりごし(屁っ放り腰、およびごし、及び腰とも)

 落ち着きや自信のない腰つきを意味しています。身体をかがめて後ろへ尻(しり)をつき出した腰つきにその形が似ていることに由来しています。また、及び腰は、「及」という字にその形が似ているところから出たものです。

○ てんやわんや

 「てんや」は、手に手に、各自勝手に、また、「わんや」は、「わや」「わやく」の由来で、無茶苦茶(むちゃくちゃ、めちゃくちゃとも)を意味し、この二つの言葉がくっついたものです。われがち(我勝ち)に騒ぎ立てるさま、互いに先を争って混乱するさま、てんでんかって、などを意味しています。

○ たたらを踏む

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たたら踏みふいご、Google画像)  たたら考 (MeMeNet) http://www2.memenet.or.jp/kinugawa/hp/hp670.htm

(解説) たたらは、大きな「ふいご」のことですが、砂鉄と木炭を原料とした和鉄製錬法では、これを足で踏んで空気を吹き送ります。この時、勢い込むと、力が余って前のめりになり、から足を踏むことになる、などを意味しています。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑〈第4版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.295 ことばの雑学、三宝出版(1994).

(参考資料) 語源遺産、のろま(佐渡、越後、新潟)、ごり押し(金沢、加賀、石川)、うだつが上がらない(脇町、阿波、徳島)、ひとりずもう(今治、伊予、愛媛)、とは(2012.5.14):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/249.html

2014年5月26日 (月)

くすり(薬)の語源、くすし(奇し)、古代、病気は神の祟(たた)りとする神気(かみのけ)と呼び、神気をはらう薬は、くすし(奇し、霊妙な)力があると信じられていました、近世、富山の売薬の起源、とは(2014.5.26)

  くすり()とは、広辞苑によれば、病気や傷を治療するために服用、または塗布・注射するもの。その語源については、一説に、くすし(奇し)と同じか、と説明されています。 また、くすし(奇し)とは、人知でははかり知れない、不可思議である、霊妙である、人間離れしている、などと説明されています。

 くすり(薬)の語源

  古代、古墳から平安時代、医療と呪術(じゅじゅつ)が密接に関係していた時、疫病(えきびょう)は神の意志によるもので、どんな神でも、人間が神を犯すようなことがあれば、祟(たた)って病が起きると信じられていました

 病気神の祟(たた)りであるとするところから、神気かみのけ)と呼んでいたという事実もあります。 神気(かみのけ)をはらう薬は、やはりくすし(奇し、霊妙な)力があると信じられていました。 

 薬物(やくぶつ)という文字は、553年(欽明天皇14年)、日本書紀のところに「ヌト書、暦本、種々の薬物、付送れ」とあるのが最初です。

 江戸中期の国語学者・谷川士清(たにがわことすが、1709~1776、津、三重)は、その著書「日本書記通證」の中で、「久須利(くすり)とよむ、奇験をもって名を得たらしいが、また一説には草作(くさす)の意味もある。 薬(和漢薬など)には草類(薬草)が多いからだろう」と解説しています。 谷川士清(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%A3%AB%E6%B8%85

○ 富山の売薬の起源

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檀那場廻(だんなばまわり、檀配札活動に出向く衆徒立山山麓、富山、google画像)

(解説) 富山の売薬起源は、近世江戸時代立山信仰に基づく修験者山伏)の檀那場廻(だんなばまわり、檀家の布教など)、諸国配札(しょこくくばりふだ、お札の配付など)だとも言われています。

 立山修験者が行っていた、先用後利(せんようこうり、配置家庭薬)という商売方法に、薬(和漢薬など)安定生産が加わることによって、富山売薬は盛んになりました。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑〈第4版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.291 「くすり」の語源、三宝出版(1994).

(参考資料) 富山の売薬にまつわる歴史伝承、反魂丹(腹痛薬)、先用後利(配置家庭薬)、おまけ(土産、進物)、とは(2010.4.14): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/70.html

2013年12月 1日 (日)

世界文化遺産、富士山(山梨、静岡)、諺 一富士二鷹三茄子、唱歌 ふじの山 富士は日本一の山、浮世絵風景画 富嶽三十六景  赤富士、山岳信仰 日本三名山の富士山、とは(2013.12.1) 

 富士山(山梨、静岡両県)が、2013年(平成25年)6月22日、ユネスコの世界遺産委員会により、「信仰の対象と芸術の源泉」と評価され、世界文化遺産として登録されることになりました。

 そこで、改めて、富士山にまつわる歴史伝承など、思いつくまま、調べて見ました。

 諺 一富士二鷹三茄子

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一富士二鷹三茄子(初夢、チューさんの今昔ばなし、Google画像);http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore1/43nasubi.htm

 言葉、一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)は、江戸時代の諺で、初夢に見ると、縁起のよいとされているものを順に挙げた句という。 さらに、四扇五煙草六座頭(しせんごたばころくざとう)と続きます。

 富士は日本一の山、は百鳥の王、茄子は名を成す(縁起語呂合わせ説)、は小道具、煙草は嗜好品、座頭は盲目の琵琶法師などの他、諸説(徳川家康説、駿河名物説、三大仇討ち説など)があります。 

初夢一富士二鷹三茄子、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%A2.

文献(四扇五煙草六座頭、山梨県立図書館):http://www.lib.pref.yamanashi.jp/cgi-bin/refjirei/refs.cgi?c=common&n=10.

〇 唱歌 ふじの山

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ふじの山(世界文化遺産登録と文部省唱歌、Google画像)

1.あたまを雲の 上に出し  四方の山を 見おろして   かみなりさまを 下にきく        ふじは日本一の山

2.青ぞら高く そびえたち   からだに雪の きものきて   かすみのすそを とおくひく
ふじは日本一の山

 この曲は、作詞 巖谷小波(いわやさざなみ、1870~1933) 作曲 不詳ですが、1910年(明治43年)に尋常小学読本唱歌に入れられました。

 この歌では、ふじ(富士)は日本一の山となっています。が、1895年(明治28年)~1945年(昭和20年)、日本台湾を植民地として統治していた時には、台湾には富士山3776m)より高い玉山(ぎょくざん、3952m)があり、明治天皇によって新高山(にいたかやま)の名付けられ、日本最高峰として知られていました。

ふじの山、YouTube(tk152008): http://www.youtube.com/watch?v=g1Ehepc4nU8.

ふじの山(日本の童謡、唱歌): http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/fuji.htm

玉山(ぎょくざん、Google画像検索):https://www.google.co.jp/search?q=%E7%8E%89%E5%B1%B1&sa=N&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=T3WWUtWYDIP-iAfhmIGQCA&ved=0CCgQsAQ4Cg&biw=1366&bih=588

〇 浮世絵風景画 富嶽三十六景  

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冨嶽三十六景 凱風快晴赤富士浮世絵風景画葛飾北斎、Google画像

 富嶽三十六景冨嶽三十六景ともふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎(1760~1849)の作成した代表的な浮世絵風景画で、1823(文政6年)~1835年(天保4年)頃にかけて刊行されています。

富嶽三十六景(Google画像検索): https://www.google.co.jp/search?q=%E5%AF%8C%E5%B6%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%99%AF&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=EumVUuPYHsL1kQXaw4DwBw&ved=0CDgQsAQ&biw=1366&bih=588

 山岳信仰 日本三名山の富士山

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浅間大社(せんげんたいしゃ、富士山本宮、富士宮市、静岡、Google画像)

 古くから、日本三名山とか、三霊山と呼ばれるのは、伝統的に山岳信仰の対象となってきた富士山(ふじさん、3776m、静岡)、立山(たてやま、3015m、富山)、白山(はくさん、2702m、石川、福井、岐阜、富山)です。

 山頂上に、富士山には浅間大社(せんげんたいしゃ)、立山には雄山神社(おやまじんじゃ)、白山には白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)があります。

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E6%B5%85%E9%96%93%E5%A4%A7%E7%A4%BE

富士山本宮浅間神社(ホームページ、富士宮市、静岡): http://fuji-hongu.or.jp/sengen/hongu/index.html

 私はマイカーで、1982年(昭和57年)8月11日、白糸の滝(富士宮市)を見学した後、富士スバルラインをドライブし、雨まじりの富士山の五合目(標高2305m)を訪れたことがあります。

(参考文献) 村田了阿偏: 俚言集覧上巻、名著刊行会(1965); 朝日新聞: うたの旅人、唱歌ふじ山」、望郷の思い託して、be on Saturday, song, 2010年(平成22年)7月31日(土)朝刊; 朝日新聞&北陸中日新聞: 富士山 世界遺産に登録 三保松原も一転含める、ユネスコ世界遺産委員会決定、2013年(平成25年)6月23日(日)朝刊.

(参考資料) 〇 富士山世界文化遺産(2013年(平成25年)6月22日登録、山梨県事務局、静岡県事務局): http://www.fujisan-3776.jp/

 白山にまつわる伝説と説話、わらじ伝説(富士山と背比べ)、日本最高峰(50年間、新高山、玉山とも、台湾)、泰澄(白山開山)弟子、臥行者の飛鉢の法力(信貴山縁起と類似)、富士山世界文化遺産、とは(2010.8.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/kagakufudoki118.html

(追加説明) 初夢

○ 七福神宝船と回文歌

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七福神宝船絵初夢用、江戸東京博物館蔵、東京、google画像)

(解説) 宝船(たからぶね)は、正月の初夢を見るために枕の下に敷いた縁起物です。御宝(おたから)でもあり、多くは、米俵、宝貨を積んだ帆掛船、宝船の絵に七福神を描き、回文歌(かいぶんうた)、「ながきよの とをのねぶりの みな めざめ なみ のりぶねのおと のよきかな(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」などを書き添えました。この歌の出典は、室町時代、運歩色葉集(うんぽいろはしゅう、著者未詳)、1548年(天文17年)成立、という。

〇 世界遺産は、1978年(昭和53年)、国連教育科学文化機関(ウネスコ)により、世界の文化や自然を保護する目的で始まりました。

 そのきっかけは、エジプトのアブ・シンベル神殿などの遺跡をダム工事から守るためでした。 2013年(平成25年)6月までに、世界中で981件が登録されています。

 世界遺産は、自然(自然遺産)や建物、遺跡(文化遺産)など形のあるものが中心ですが、2006年(平成18年)、ユネスコは、伝統文化(無形文化遺産)などを登録し始めました。

 

2013年7月23日 (火)

アイシャドー、古代エジプト(5000年前)では、まぶたに青い孔雀石(塩基性炭酸銅、有毒)の粉を塗っていましたが、これは美しく見せるためとか日除けよりも蠅(はえ)除けのためだった、とは(2013.7.23)

 アイシャドー(eye shadow)は、ご存知のように、まぶたや目じりを青色や灰色などに塗り、目もとに陰影をつけ、美しく見せるための化粧品です。無害の色素を油脂、蝋(ろう)、香料などと練り合わせたもので、固形、クリーム、棒状があります。かっては職業婦人のしるしと考えられていました。

 アイシャドーの歴史は古く、今から5000年も前の古代エジプトの頃からあり、そこでは化粧術が早くから発達し、紅、香油、かつらなどを使い、髪も染めていたそうです。

 古代エジプトの人々が使用したアイシャドーは、おもに孔雀石(くじゃくいし)をすりつぶした青い粉で、それをまぶたに塗っていました。しかし、これはもともと濃艶(のうえん)な美的効果をねらった化粧法というより、もっと実用的な目的を持っていました。

 まぶたを青く塗ることは、強烈なエジプトの日射しをやわらげる働きもありました。が、それ以上に重要だったのは、(はえ)除けになることでした。また、目から悪霊が入るのを防ぐためとも言われています。

 というのは、孔雀石には強い毒性があり、殺虫剤にも使われている炭酸銅を含むからです。ところで、孔雀石は、銅の炭酸塩鉱物ですが、組成はCuCO3・Cu(OH)2(塩基性炭酸銅、緑青(ろくしょう)と同じ、有毒!)、緑色または黒緑色の半透明の結晶で、装飾用、銅鉱石などに利用されています。

 アフリカには今でも人間の分泌物を好む蠅がいて、人の目のふちにとまると、眼病を伝染させます。そこで、孔雀石の粉をまぶたに塗ると、蠅がとまることや眼病の伝染を防ぐことができました。 

 現在、アイシャドーは、美的効果を高めるため、黒、茶、青、緑、白、金、銀などいろいろな色のものが使われています。日本には、明治の頃に西欧から入ってきましたが、女性一般に浸透したのは遅く、昭和になってからだという。

(参考文献) 下中国邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑〈第4版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.403 アイシャドー事始め、三宝出版(1994).

(参考資料) アイシャドー(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%89%E3%83%BC

2013年4月27日 (土)

石敢当(いしがんとう)、辻やT字型道路の突き当りや屋敷の外に向け石敢当と刻んで建ててある悪魔よけの石碑、とは(2013.4.27)

 

 石敢当(いしがんとう、せきかんとう、とも)は、広辞苑によると、おもに沖縄や九州南部地方で、道路の突き当りや屋敷の外に向け石敢当の三字を刻んで建ててある石碑のことです。中国伝来の民俗で、悪魔よけの一種という。

 辻やT字型道路の突き当りは悪鬼が横行するところで、この石を立てることにより、屋敷内へ侵入する悪鬼を払いのけることができると信じられています。

 この言葉は、一説には、中国の五代の頃(907~960年)の武人の名前に由来し、この人は武勇に勝(すぐ)れたばかりでなく、平常凶事に逢うと、苦心努力してこれを吉事にかえ、危険を未然に防ぐ不思議な力をもっていたと言われました。

 そこで、後世、彼の名前を書いて立てておくと、一家または村の災難を防ぐことが出来るという信仰が生まれました。石敢当(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%95%A2%E7%95%B6

 中国(福建省、唐代)から日本に伝来したもので、石敢当は、沖縄本島とその周辺諸島に最も多く、九州地方(鹿児島、宮崎、大分、佐賀)にも広く分布しています。

 その他、四国地方(徳島、愛媛)、中国地方(山口、広島、兵庫、岡山)、近畿地方(京都、大阪、奈良、滋賀、和歌山)、関東地方(東京、神奈川、千葉、埼玉、栃木)、東北地方(秋田、山形、宮城、青森)、北海道(函館)など、全国29都道府県で確認されています。が、山陰地方、北陸地方、越後の日本海側には、どういうわけか全く見当たらないという。

石敢當と文化交渉ー奄美諸島を中心としてー(高橋誠一、PDF): http://www.icis.kansai-u.ac.jp/data/journal01-v1/journal01-15-takahashi.pdf

石敢当(google画像検索):http://www.google.co.jp/search?aq=hts&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&q=%E7%9F%B3%E6%95%A2%E5%BD%93&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=fmp7UenIBcH0kQX77YGQBQ&biw=1366&bih=588&sei=hmp7UaTROMGzkgX_moDwBQ

 日本では普通、四角い石の柱の表面に、石敢当とだけ刻んだものが多く、かって村の入口や、道路の辻に建てて、魔除け、悪魔払いとされてきました。地蔵尊庚申碑似た性格のものと考えられます。大きさは一定しないが、大体高さ1m内外のものが多いようです。

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石敢当(せきかんとう、駅路寺瑞雲寺門前にあったもの、板野郡誌、引野、松島村、板野郡、徳島県)

(解説) 板野郡誌に、「松島村、のち上板町、瑞雲寺、のち安楽寺(六番)大門付近四つ辻に、石敢当なる建碑一個所あり、これは方除として造りしものと称すーーー云々」とあります。

 私の郷里(引野、上板町、徳島県)の、石敢当ですが、引野の古老の話では、戦時中頃までは、たしかに六番さん(四国6番札所、安楽寺)の入り口の処にありました。が、その後、道路工事か何かの折に取り除かれ、現在行方不明になっているとのことです。

(参考文献)児島光一: 上板昔読本、教育出版センター(1978); 新村出編:広辞苑(第四版)、岩波書店(1995); 大島、佐藤、松崎、宮内、宮田編著: 図説 民俗探訪事典(1版19刷)、山川出版社(2005).

(追加説明)○ 上板町 発足の経過

1869年(明治2年)6月17日 版籍奉還により、阿波藩が廃止され、徳島藩が置かれました。現在の上板町は、当時、板野郡の七条村、鍛冶屋原村、引野村、泉谷村、神宅村、西分村、椎本村、及び名西郡の瀬部村、高瀬村、高磯村、上六条村、下六条村、佐藤塚村、第十新田(第十村)の十四ヶ村に分かれていました。

1871年(明治4年)7月14日 廃藩置県により、徳島藩を廃し、徳島県が置かれました。徳島県には、従来の阿波と淡路が含まれていました。

1889年(明治22年) 町村制により、徳島県下は、一市(徳島市)、十郡、二町(撫養町、脇町)、百三十七ヶ村となりました。そして、七条ほか三村が合併して、松島村、西分ほか二村が合併して大山村、瀬部ほか五村は合併して、高志村となりました。

1947年(昭和22年)11月3日 松島村町制により、松島町となりました。

1955年(昭和30年)3月31日 板野郡松島町大山村、及び名西郡高志村の三ヶ町村が合併して、上板町が発足し、現在に至っています。

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児島光一: 上板昔読本、教育出版センター(1978).

2012年8月29日 (水)

神道(しんとう、民俗神道、神社神道、教派神道)、鎮守社(仏寺・神宮寺の鎮守、神仏分離で廃絶あるいは独立!)、鎮守の森(神木、植生遷移の極相!)、とは(2012.8.29)

   神道(しんとう)とは広辞苑によれば、もと、自然の理法、神のはたらきの意。古来、わが国固有の民族信仰。祖先神への尊崇(そんすう)を中心とする。これは家庭や個人によって営まれる民俗神道のことです。古来、人の心のよりどころ、神道、鎮守の森について、改めて調べて見ました。

 古来、人々は、山や海、川から恵みを得て生活していく中で、災害もある自然を畏怖(いふ)し、自然そのものを神(山の神、海の神、田の神など)として崇拝(すうはい)していました(自然崇拝)。その後、田畑の開墾(かいこん)が広がると、祖先霊を水をもたらす山の神、イネ(稲)の豊作をもたらす田の神と信じました(祖先崇拝)。氏神(うじがみ)は、本来は氏族の祖先の霊を神として祀(まつ)りましたが、現在では土地守護神として祀られていて、産土(うぶすな)鎮守(ちんじゅ)とも呼ばれています。

 また、古来の民族信仰が外来思想である仏教・儒教の影響を受けつつ成立し理論化されたものに、神社を中心とする神社神道(神社中心に構成。宗教法人の神社約8万。祭神は八百万神と多彩、神宮と呼ばれる神社のほとんどは、皇室に縁の深い天つ神を祀る)があります。

 神社(じんじゃ)とは、日本固有の民族的信仰に基づき、神(天神地祇、祖神、崇敬神、天皇、皇族、その他の人霊、人格神)をまつる一定の様式を持った建築物(拝殿、本殿、幣殿など)と、それを中心とする祭祀(さいし)、儀礼、信仰の組織を言います。

 その他、幕末以降創設された教派(きょうは)神道(明治時代に公認宗教神道教派とされた13派とその系譜を引く教派神道系教団、新教派、教派神道系には、富士山、木曽御嶽山などの霊峰を信仰する諸集団の山岳信仰系、黒住教、金光教などの純教祖系、禊ぎ系、儒教系、復古神道系など)があります。

○ 鎮守の社、鎮守社

 鎮守(ちんじゅ)とは、広辞苑によれば、そのを鎮(しず)め守る、また、その(やしろ)のことです。 鎮守の神(ちんじゅのかみ)は、一国・王城・院・城内・土地・寺院・邸宅・氏などを鎮護(ちんご)するのことです。鎮守の社(ちんじゅのやしろ)は、土地の鎮守の神を祀(まつ)った社です。

 なお、鎮守社(ちんじゅしゃ)は、仏寺の鎮守のために建てた神社のことです。仏寺・神宮寺(じんぐうじ)は、奈良時代、気比神宮寺、伊勢大神宮寺、多度神宮寺など、神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏習合とも、わが国固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和すること)のあらわれとして、神社に付属して置かれた寺院の称です。

 平安時代には神仏習合・本地垂迹(ほんじすいじゃく)があらわれ、両部神道・山王一実神道が成立、中世には伊勢神道・吉田神道などが起り、江戸時代には垂加神道・吉田神道などが流行しました。明治維新以後神仏分離によって廃絶(はいぜつ)あるいは独立した、宮寺、神供寺、神護寺、神宮院、神願寺、別当寺などの寺院です。

 神仏分離は、明治時代、1868年(慶応4年)3月、維新政府(いしんせいふ)が祭政一致(政教一致とも、神祇の祭祀と国家の政治とが一致するという思想並びに政治形態)の方針に基づき、神仏習合を廃止した政策です。神社の社僧・別当は還俗し、権現(ごんげん)・明神(みょうじん)・菩薩(ぼさつ)などの神号は廃せられ、神社から仏像・僧像・経巻などが取り払われました。さらにこの政策は過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動へと展開しました。

 神社神道は、太平洋戦争終了まで政府の大きな保護を受けましたが、戦後、国家の保護を離れ民族的信仰を基盤に存続しています。

○ 鎮守の森 

 神木(しんぼく、勧請木、神依木とも)とは、神社の境内にあって、その神社に縁故のあるものとして特に祭られる樹木。注連(しめ)を引き柵(さく)を設けなどする。あるいはこれを神体とするものもあります。また、広く、神社境内の樹木の総称のことです。普通は老齢の巨木に「注連(しめ)」を張り、また柵(さく)などをめぐらし、神の降臨する木と信じられています。熊野の竹柏(なぎ)、稲荷の験(しるし)の杉(すぎ)、太宰府天満宮の飛梅(とびうめ)、春日神社の榊(さかき)などがそれです。

 鎮守の森について、昔から日本の人々は新しい集落に必ず「土地本来のふるさとの木による、ふるさとの森」をつくってきた、という。おろか者に破壊させないために、神社や寺ををつくり、この森を切ったら罰があたる、というふうに守ってきました。それらの森は、地震、台風、火事などの災害の時には逃げ場所になりました。(宮脇昭、国際生態学センター研究所長、「都市の植生のゆくえ」、朝日新聞、天声人語、1993年(平成5年)4月30日、朝刊より)

 また、神社の本殿などを取り囲み「うっそうとした」「手つかずの」 と形容される鎮守の森の多くが、明治時代初期頃までは、常緑広葉樹ではなくマツやスギなど針葉樹中心だったことが明らかにされました。(小椋純一京都精華大教授(植生史)の調査、著書「森と草原の歴史」(古今書院)、朝日新聞、2012年(平成24年)4月19日、朝刊より)

 当時は、日常的に低木は伐採されたり、燃料に使う落ち葉がかき集められたりしていました。が、明治政府が境内の森林利用を厳しく制限すると、低木が生い茂り、徐々にシイカシなどの広葉樹置き換わったと見られています。小椋教授は「高度成長期に多くの自然が失われるなか「昔から手つかずだった」という誤解を生んだのではないか」と説明しています。

  社寺境内は、その性格上、伐採されず自然な状態で大事にされ、平地や低山地にあっては、比較的人手の加えられていない森です。この社寺林樹種を調べることで、ある程度その土地の植生遷移の最終段階である極相林構成樹種及び、その土地気候(特に気温と降水量)を知ることができます。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); (財)自然保護協会編集・監修: 指標生物 自然をみるものさし、p.68~70、社寺林の樹種と気候、平凡社(1994); 北陸中日新聞: 日本の神々、中日サンデー版、世界と日本 大図解シリーズ No.670、2005年(平成17年)2月13日(日)朝刊.

2012年8月10日 (金)

散髪屋(西洋床とも)、断髪(散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする、明治天皇が散髪!)、理容店の看板(有平棒、赤は動脈、青は静脈、白は包帯)、とは(2012.8.10)

   散髪屋(さんぱつや、理髪店、床屋、とこやとも)は、初めの頃、西洋床と言われていました。最初の西洋床は、1869年(明治2年)、横浜の南京町と東京の銀座に開店しました。横浜で開業したのは小倉虎吉(おぐらとらきち)という人です。また、東京で有名な理髪師として、「天下の黒市」と呼ばれた奥村市蔵(おくむらいちぞう)がいました。

 1871年(明治4年)8月9日、断髪脱刀勝手令(だんぱつだっとうかってれい、断髪令とも)という、「丁髷(ちょんまげ)を切るべし」という法令が出ました。その頃市中で、こんな歌が流行(はやり)ました。「半髪(はんぱつ)頭を叩(たた)いてみれば、因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする。総髪(そうはつ)頭を叩(たた)いてみれば、王政復古(おうせいふっこ)の音がする。散切り(ざんぎり)頭を叩(たた)いてみれば、文明開化(ぶんめいかいか)の音がする

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明治天皇(めいじてんのう、散髪!、1873年(明治6年)、22才、google画像)  明治天皇(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87

(解説) 一般の人たちが、散切り(ざんぎり)になったのは、1873年(明治6年)3月1日、第122代明治天皇(1852~1812)が散髪してから後のことでした。1887年(明治20年)頃には、散切り(ざんぎり)頭は国民の98%に及んだという。 用具も、従来の和剃刀(わかみそり)から西洋剃刀(せいようかみそり、レーザー)やバリカン、鋏(はさみ)となり、大正期には電気バリカンも出現しました。

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理容店の看板サインポール有平棒(アルヘイ棒)、バーバーポールとも、google画像) サインポール(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB

(解説) 日本では、今も理髪店の店先に見られる、白、藍、赤のラセン状の看板は、1871年(明治4年)、有平棒(あるへいぼう)と呼ばれ、東京の庄司辰五郎(しょうじたつごろう)という人が初めて使いました。これは西洋のまねで、他の理髪店もこれに習(なら)いました。南蛮風のねじり飴(あめ)を有平糖(あるへいとう)といったところから、形が似ているのでこの名がついたものです。

 西洋では、中世には理髪師外科医を兼ねていました。当時の高級外科医は、青と白に縁どった棒に赤旗と薬壺(くすりつぼ)をつけて看板にしましたが、理髪外科医青と白の棒だけでした。

 1540年パリの理髪外科医メヤーナキール赤白青の縞(しま)の棒を用いたのが今日の理髪店看板のもととなりました。赤は動脈(どうみゃく)、青は静脈(じょうみゃく)、白は包帯(ほうたい)の象徴という。 

 私は小学生の子供の頃、自宅で親父の手動式バリカンで丸刈りしてもらっていました。少し切れ味が悪く、時々頭の髪が引っ張られて痛かったことを覚えています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.457、理髪店の歴史、三宝出版(1994).

(参考資料) 理容の歴史(全理連ホームページ): http://www.riyo.or.jp/zenri_ren/alacarte.html

2012年6月18日 (月)

妖怪(ようかい、あらゆる自然の神と裏表の存在)、幽霊(ゆうれい、特定の人の亡霊の出現)、怪獣(鵺)と霊獣(白澤、龍)の姿、とは(2012.6.18)

   昔の人々は、この世にあるすべてのものに霊魂が宿る(アニミズム)とし、あらゆる自然に神の存在を認めていました。そして、その霊魂が荒れて怪異現象(かいいげんしょう)が起きると妖怪(ようかい)の仕業(しわざ)と考え、神としてまつり、鎮(しず)めました。 ということで、妖怪裏表の存在で、人知を越える力への畏怖(いふ)が、妖怪を生みました。

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○ 妖怪(ようかい)

妖怪(ようかい、グラフィック、前川明子、The Asahi Shimbun, 2011年(平成23年)8月8日)

{解説) 妖怪(ようかい)とは、恐ろしさをそそる人知では解明できない超自然的な怪奇な現象、または異様な物体。化物(ばけもの)。 御化け(おばけ)。変化(へんげ)。妖怪(ようかい)は、幽霊と違って、特定の人を選ばず特定の場所や時間に現れる化物(ばけもの)です。

 妖怪には、山の怪(山人、天狗)、海の怪(海坊主、船幽霊)、家の怪(座敷童子、納戸婆)、雪の怪(雪女)、火の怪(鬼火)、音の怪(山彦)、家を訪れる怪(一目小僧)、木の怪(沖縄のきじむん、木霊)、動物の怪(河童、鵺、ぬえ)、道の怪(そで引小僧、送り狼)など種類が多く、民俗学では信仰の普遍性が失われ零落(れいらく)した神々の姿という。 

日本の妖怪一覧(Wikipedia, ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A6%96%E6%80%AA%E4%B8%80%E8%A6%A7.

 鬼火(おにび)とは、湿地に小雨の降る闇夜などに燃え出て、空中に浮遊する青火です。燐化水素の燃焼との説もありますが、不明です。また、陰火、幽霊火(ゆうれいび)、狐火(きつねび)、火の玉などともいう。

  動物霊による憑依(ひょうい、霊などがのりうつること)は、神がかり霊寄せ(れいよせ)と同じ信仰に属しています。人間に憑(つ)くとされる動物霊は、キツネ(狐)・イヌガミ(犬神)・ヘビ(蛇)・サル(猿)・カッパ(河童)などです。 一般に、憑(つ)きものは、急速に財をなして成り上がったものへの制裁として考えられ、憑(つ)きものもちのレッテルを彼らに貼りつけることによって社会から隔離し、秩序を保とうとしたものと理解されています。

 このことに関し、私たちは日常の会話で、「今日はついている」、「ものにつかれたようにガムシャラに働く」などといった言い方をすることがあります。

 室町時代以前は、 怪異現象は人々の間で語り継がれ、やがて姿や名前を与えられて絵巻物などに登場しました。が、限られた人しか見られませんでした。このころ発達したお伽草子(おとぎぞうし、短編の挿絵入り物語)の中には、「天狗の内裏」「酒呑童子」「「藤袋草子」など、異類の物語と絵巻があります。 

日本の鬼の交流博物館(ホームページ、酒呑童子伝説含む、福知山市、京都府): http://www.city.fukuchiyama.kyoto.jp/onihaku/index.html.

 江戸時代、妖怪のキャラクター化、大衆化が進んでいます。江戸時代後期には、政権に不満を持つ庶民の代弁者として、浮世絵にも登場しました。 

怪異・妖怪伝承データベース(小松和彦監修、国際日本文化研究センター): http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB/index.html.

 明治、昭和、現在では、新聞錦絵、紙芝居、マンガ、映画、テレビなど新しいメディアが生まれるたびに、妖怪ものは人気のコンテンツになって行きました。

 1908年(明治41年)、日本民俗学の父と称される柳田国男(1875~1962)は、遠野(秋田)出身で文学を志して上京中の佐々木喜善(1886~1933)の話を、主に市谷加賀町(東京)の自宅で聞き取る形で、遠野物語が生まれました。初版はわずか350部、妖怪を含む民間伝承、全部で119話が収められました。

 その世界には、河童、神隠し、山の神、ザシキワラシ、オシラサマ、マヨイガなど、人間以外のものと共存することで得られた豊かさがありました。が、柳田国男がこの世を去り、日本が高度経済成長期に入り、日本人は神を忘れ、妖怪を忌み、獣たちを遠ざけてきました。 

遠野の語り部、YuTube(遠野、秋田): http://www.youtube.com/watch?v=96rY_9SQEWE.

 現代の妖怪イメージは、1960年(昭和35年)代末の「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される妖怪ブームです。「鬼太郎」の作者、水木しげるさん(1922~ 、鳥取)は、戦後の日本は電気の明るさで妖怪を消してきた」という。 水木しげる記念館(ホームページ、本町、境港市、鳥取県): http://mizuki.sakaiminato.net/.

 ということで、近年の大地震、大津波など、自然の猛威を目の当たりにして、遠野物語の妖怪たちは、私たちが失った大切なものは何かなど、現代人に生きるのに大切なメッセージを送ってきているという! 

○ 幽霊(ゆうれい)

 幽霊(ゆうれい)とは、広辞苑によれば、①死んだ人の魂。亡霊。②死者が成仏し得ないで、この世に姿を現したたもの。亡者(もうじゃ)。 妖怪と共に化物の一種。死者の霊が生前の姿で出現する現象です。 幽霊(Wikipedia, ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BD%E9%9C%8A.

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幽霊(ゆうれい、お菊番町皿屋敷、月岡芳年作、1890(明治23年)、google画像)

(解説) 日本の幽霊は、「四谷怪談(よつやかいだん、お岩の亡霊」「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき、お菊の亡霊)「牡丹灯籠(ぼたんどうろう、お露の亡霊)」などの怪談に語られ、丑(うし)三つどき柳の影に髪をふり乱して両手をたれ、足がないのに草履(ぞうり)の音がする姿に類型化されました。

 西洋の幽霊は、生前の姿、骸骨(がいこつ)、頭のない人間、半透明な幻(まぼろし)として出現、ドアをノックし音楽や雷鳴を伴い、一番鶏が鳴くと消え失せました。

 中国では死霊を鬼と呼び、横死(おうし)したり供養(くよう)を忘れた死霊は、幽鬼(ゆうき)となって出現、また、経書、剣、桃などは、幽鬼退散に効力があるとされました。 

 私は、小さい子供のころ、どこともなく、郷里の四国霊場第6番札所、安楽寺(真言宗)の焼失前の本堂の北側(お地蔵さんの小さなお堂、墓地?)付近から、闇夜によく火の玉が出るとか、宮川内谷川の堤防の大きな老木と祠(ほこら)のある付近、闇夜にそこを通ったとき、人がタヌキ(狸)やキツネ(狐)に化かされることなど、地元の人からよく聞いたことがあります。現在の安楽寺の本堂は、1957年(昭和32年)火事で焼失、1963年(昭和38年)鉄筋コンクリート造りに再建されました。

 また、阿波狸合戦の「金長狸(きんちょうだぬき)」の活躍のほか、高知県には、昔から「シバテン(芝天狗とも」と呼ばれる相撲好きの河童に似た妖怪がいて、人がよく相撲にさそわれ、負かされるなど、聞いたことがあります。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973);  新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 大島、佐藤、松崎、宮内、宮田編著: 図説 民俗探訪事典(1版19刷)、山川出版社(2005); 宗教民族研究所編: ニッポン神さま図鑑、祥伝社(2003); 宮本常一: 絵巻物に見る日本庶民生活誌(26版)、p.210~212、百鬼夜行の世界、中央公論新社(2007); 北陸中日新聞: 日本民俗学の金字塔、遠野物語、著者、柳田国男、2010年(平成22年)7月4日(日)、朝刊より; 朝日新聞: 小川雪、はじめての妖怪、神様と裏表 江戸期にキャラ化、2011年(平成23年)8月8日(月)、朝刊より.

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(追加説明) ○  アニミズムとは、あらゆる事物や現象に霊魂、精霊が宿ると信ずることに基づく原始的宗教観念。animismは、ラテン語のanima(気息、霊魂)に由来。タイラー(1832~1917、進化論的人類学者、英国)の弟子マレット(1866~1943、人類学者、英国)によって、タイラーのアニミズム(宗教の原始的形態)を修正し、プレアニミズム(呪術と宗教の一元論)として唱えられました。

○ (ぬえ)は、平家物語などに見えます。その姿は、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ていたという伝説上の怪獣です。(ぬえ、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%BA.

○ 白澤(はくたく、白沢とも)は、中国で、想像上の神獣の名。よく人語を話し、有徳な王者の治世に出現するという。 

 その姿は、諸説あり、牛のような体に人面、顎髭を蓄え、顔に3つ、胴体に6つの目、額に2本、胴体に4本の角を持つ姿で書き表されることが多い。また、獅子や竜のような体のものや虎の顔のものなどがあります。 白澤(はくたく、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%BE%A4.

○ 干支(えと)の「龍(竜とも)」、中国で3000年以上も昔から麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)と並ぶ神獣霊獣とも)に数えられてきました。中国では、仏教渡来以前から崇拝され、国家建設や皇帝誕生などの瑞兆(ずいちょう)に用いられた結果、後漢の頃にそのイメージがほぼ固まりました。

 その姿は、頭がラクダ、角が鹿、目が鬼(またはウサギ)、耳は牛、項(うなじ)は蛇、腹は蜃(しん、大蛇に似た想像上の動物、ミズチの一種)、鱗(うろこ)はコイ、爪はタカ、手は虎と、9種の動物合体です。これにインド仏教に出てくる仏法守護の水神イメージ(水を治め天翔る聖獣!)が乗って日本に伝わり、古墳壁画にも描かれています。(たつ、りゅう、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C. (北陸中日新聞: ことしは辰年、竜の世界、サンデー版、大図解シリーズ、荒俣宏、造形に隠された暗号、2012年(平成24年)1月15日(日)朝刊より

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