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2009年6月18日 (木)

日本三名園、サイエンス(科学)のふるさと、兼六園内の藩校と遺跡、兼六園の歴史、東京大学の赤門のルーツ、とは(2009.6.18)

 兼六園(けんろくえん、六勝を兼備、金沢)は、偕楽園(かいらくえん、人皆楽しむ、水戸)、後楽園(こうらくえん、先憂後楽、岡山)と共に日本三名園と呼ばれています。別格の名園として、栗林公園(りつりんこうえん、もと栗林、香川)を挙げる人もいます。

 兼六園は、江戸時代の代表的な回遊林泉式の庭園で、1676年(延宝4年)、加賀藩5代藩主前田綱紀(まえだつなのり、1643~1724)が、蓮池御殿(れんちごてん)を建てた頃から本格的な作庭をはじめ、金沢城の外庭として発展してきました。

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前田斉広(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E6%96%89%E5%BA%83

 1822年(文政5年)、江戸において、加賀藩12代藩主前田斉広(まえだなりなが、1782~1824)からこの園の命名を頼まれた白川楽翁(しらかわらくおう)、こと松平定信(1759~1829)は、金沢に足を運ぶことなく、宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい、静かで奥深い)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ、古びた趣)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)の六勝が兼ね備わっているという、中国の名園、湖園(こえん)に与えられた評価(宋の李格非、落陽名園記)に因んで、加賀百万石150年ほど歴史ある大庭園を、兼六園命名し、誉めたたえました。

松平定信(ウィキペディア、陸奥白川藩、福島):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E4%BF%A1

洛陽市(らくようし、ウィキペディア、中国)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9B%E9%99%BD%E5%B8%82

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金沢城と兼六園(園内の地図、金沢、石川) 

兼六園(ホームページ、丸の内、金沢、石川): http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/.

 ところで、江戸幕府は、1853年(嘉永6年)ペリーの来航によって鎖国の眠りから覚まされ、幕末から明治維新にかけて、各藩は西洋の進んだ文明を取り入れました。加賀藩の最後の14代藩主、前田慶寧(まえだよしやす)は、兼六園内に洋学と近代科学の学校として、1870年(明治3年)、鉱山学所(巽御殿、成巽閣内)と中学東校(成巽閣と金沢神社の中間地点)、1871年(明治4年)、理科学校(高之亭、時雨亭跡)を設立しましたが、これらは郷土の近代医学、科学、教育、産業の発展の源となりました。

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兼六園内の藩校と遺跡の位置([    ]は現存(移築含む)、(  )は現存しない、金沢、石川)

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旧金沢医学館(兼六園管理事務所の裏側、津田玄蕃邸 ; 医学館、1923年(大正12年)、仙石町より移築、兼六園、金沢、石川); 金沢大学医学部の歴史(旧医学館含む、金沢、石川): http://www.kikin.kanazawa-u.ac.jp/kikin_med150/other/history.html.

(解説) 旧金沢医学館の前庭には、1844年(天保15年)の頃より、犀川(8km上流)から辰巳用水(たつみようすい)を流れ、兼六園の霞が池を経て、逆サイホンの原理で、水を金沢城内に引き入れ(防火、水堀)たときに使った石菅(直径約30cm、長さ約1m、角柱状、松ヤニで接着、木管取り替え)が展示されています。また、水圧を測るために造られたと思われる、日本最古と呼ばれる噴水が、今も時雨亭跡の前で水を勢いよく、噴き上げています。その高さは、霞が池の水面と同じで、金沢城の二の丸の高さに相当するものです。 辰巳用水と兼六園石菅含む、石川新情報書府、金沢): http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/rokusho/suisen/d01.html.

 1869年(明治2年)にイギリスで創刊されたNature(ネイチャー、自然)の1872年(明治5年)9月19日号に、日本には大阪、加賀、静岡、福井に四つの化学実験所があり、やがて5番目のものが江戸にできると書かれています。

 兼六園内の学校では、お雇い外国人のドイツ人、デッケン(鉱山学、地質学、鉱山学所)、オランダ人、スロイス(物理、化学、薬学、医学館附属理科学校)が、生徒たちにサイエンス(科学)を教えていました。学校は1年ほどの命でしたが、藩の歴史における近代科学教育のルーツとして、重要なものでした。

 兼六園は、当初は藩主の散策場であったため、一般人は言うに及ばず、藩士でも容易に立ち入ることが出来ませんでした。しかし、1792年(寛政4年)に明倫堂、経武館の文武二つの藩校が建てられ、明治初期には洋学校もでき、その教師や生徒が出入りすることになりました。そして、加賀藩、金沢藩、1871年(明治4年)の廃藩置県、金沢県、石川県と県域が目まぐるしく変わった後、1872年(明治5年)3月3日から約40日間、一般人に縦覧を許したのが園内開放の始まりで、同年5月から期限も撤廃されました。その後は無料開放されていましたが、1976年(昭和51年)以来、保存整備のため有料化され、1985年(昭和60年)に、特別名勝の庭園として指定され、現在に至っています。 

(参考文献) 石川県公園事務所編: 兼六園全史、兼六園観光協会(1976); 本浄高治、中西孝、兼六園とサイエンスー名園のもう一つの顔-、化学、40巻7号(1985); 下郷稔、兼六園の今昔ー加賀百万石の庭-、中日新聞社(1999).

(追加説明) ○ 藩校 江戸時代、藩数は約300、藩校は約270とされています。藩校とは、江戸時代から明治初期にかけ、各地の藩が藩士やその子弟、領民、他藩の武士のために設立した文武両道の教育機関で、国元の城内、城下や江戸藩邸などにつくられました。特に江戸時代中期以降、各藩は藩政改革の一環として、藩政を担う人材の育成のために教育に力を入れ、後期には下級武士や庶民にも広がりました。

 藩校教育の中心は、社会における人々の役割を説いた中国古来の政治・道徳の学問である儒学(じゅがく)でした。藩校では儒学の基本書「四書五経(ししょぎょこう)」が使われ、校名の多くもここからとられました。儒学の中にも朱子学(しゅしがく、上下の秩序を重んじたため江戸幕府や多数の藩校が採用)、徂徠学(そらいがく、儒者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)が提唱、儒家の祖である孔子(こうし)の教えを古い文章などで直接研究)、折衷学派(せっちゅうがくは、先行各派の諸説を折衷)などがあり、各藩は教育方針や時代に応じて採用しました。

 藩校では、社会秩序や主従関係を重んじる儒学(漢学)が当初から教科のの中心でしたが、江戸時代中期以降国学(和学、皇学)をとり入れる藩校も増加、また後期には算学や洋学、医学、兵学、天文学など実用的な教科が増え、時代で教科も変化しました。

 1792年(寛政4年)に設立された加賀藩・明倫堂(めいりんどう、金沢市、石川県)では、設立時から庶民の入学を許可、学科目が多種多彩で幕末維新期には西洋科学技術の研究も盛んに行われました。(北陸中日新聞(世界と日本 大図解シリーズ): 故きを温ねてー藩校マップ、2009年(平成21年)9月20日(日)、朝刊より) 藩校(社会実情データ図録、本川裕): http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3998a.html.

○ 金沢神社由緒(もと藩校、明倫堂の鎮守社) 

 加賀藩第11代藩主前田治脩(まえだはるなが、1745~1810)が、1794年(寛政6年)、兼六園の現在梅林の地に藩校明倫堂を建てられ、その鎮守社として金城霊沢のほとりに、学問の神であり、前田家の先祖でもある菅原道真(すがわらみちざね、845~903)の御舎利を奉斉する金沢神社を創建しました。

 その後、兼六園が整備されるにあたり、藩校、明倫堂は、1822年(文政5年)、仙石町に移されましたが、金沢神社第12代藩主前田斉広(まえだなりなが、1782~1824)のときに建てられた竹沢御殿の鎮守社として、災難除けの神、家業繁栄の神、交通安全の神をあわせ祭り、朝夕兼六園を散策された藩公が領内の平和と繁栄を祈願されたという。一般の人々が自由に神社へ参拝できるようになったのは、1874年(明治7年)5月7日、兼六園が一般に公開されてからです。(金沢神社発行、金沢神社由緒、より) 竹沢御殿(石川新情報書府、兼六園、金沢): http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/castle/yomoya/kenrokuen_03.htm. 竹沢御殿の規模(石川新情報書府、兼六園、金沢): http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/rekishi/period_d/d01.html.

○ 東京大学の俗称となっている赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷御守殿門で、1827年(文政10年)、第13代藩主前田斉泰(まえだなりやす、1811~1884)が第11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり、1773~1841)の娘溶姫を迎えるときに造られました。 東大赤門(東京大学赤門のページ): http://www.aalab.com/cg/cgamt01j.htm

 加賀藩邸跡の東大本郷キャンパス(東京都文京区)の発掘調査で、加賀藩主前田斉泰の夫と十一代徳川家斉将軍の娘・溶姫(1813~68年)の妻は、27年に結婚した際、本宅とは別に、溶姫のための独立した御殿が造営され、別々の御殿に暮らし、食文化も出入り業者も異なっていたことが具体的に分かってきました。

 中山道(現在の本郷通り)に面した約一万七千㎡のこの御殿に、溶姫と将軍家の女中約60人らが暮らしていました。御殿の正門が国指定重要文化財の赤門で、現在の位置より約15m東にありました。住居の周辺には、約二千人の家臣団などが暮らす長屋がありました。

 ごみ穴から見つかった魚の骨の種類は、本宅は日本海のタラやブリがあったが、御殿は江戸前の魚が中心だった。とくりにくぎで書かれた酒屋の屋号も、本宅と御殿では異なっていた。本宅と御殿で共用する台所はあったが、御殿のごみ穴から見つかった食器類には、御殿の詰め所の名が記されており、詰め所ごとに食器類が管理されていたとみられる。御殿は徳川将軍家の生活様式が反映された、溶姫のための住空間であったと考えられています。(2017年(平成29年)5月3日(水)北陸中日新聞朝刊より)

〇 幕末に加賀藩が設置した洋学校壮猶館

 壮猶館(そうゆうかん)は、幕末の日本に欧米列強の脅威が迫っていた1854年(安政元年)、加賀藩13代藩主の前田斉泰の下で海岸防衛のために創設された。ここでは、整列行進など当時の日本人になじまなかった西洋式の軍事訓練のほか、洋書の翻訳、講読、火薬、砲術といった科学の研究がされていました。

○ 兼六園の銅像日本武尊の像):http://www.kenrokuen.com/kenrokuen/area-chitosedai/yamatozo.html

○ 兼六園の中の湧水、金沢の名の由来となった金城霊沢、曲水の玉石に付着した藻類による水質浄化、兼六園周辺の湧き水と鉄バクテリアによる環境浄化について

兼六園の中の名水、金城霊沢と金沢神社の手水舎の水、金沢市内の湧水の水質(ヘキサダイヤグラム)、とは(2009.6.7): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-b450.html

兼六園の曲水中の玉石、尾小屋鉱山下の梯川(小松、石川)水中の礫石に付着した藻による水質浄化、うまい鮎(アユ)は日本のどこの川にいるのか、とは(2009.7.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/ken-2.html

兼六園の周辺の湧き水と鉄バクテリア(赤褐色代謝分泌物)による水質浄化、とは(2009.7.15): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/ken.html

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