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2009年7月 3日 (金)

加賀の千代女(加賀國松任の俳人)にまつわる歴史逸話、朝顔に(朝かほに、句屏風、俳画)、鬼瓦、蚊帳のなか、朝鮮通信使、とは(2009.7.3)

  加賀の千代女(かがのちよじょ、加賀千代とも)、1703年(元禄16年)~1775年(安永4年、松任(まつとう、金沢の西南約12キロ、のち白山市)の出身で、江戸中期に活躍した女流俳人です。

 加賀國松任の表具師(ひょうぐし)で俳諧をたしなむ父福増屋六兵衛と、その向かいの家、村井屋の母つるの長女として生まれました。幼名はつ、1754年(宝暦4年)ごろ剃髪、素園と号す。句風は理知的で平俗な作風で親しまれる。著「千代尼句集」「松の声」。

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千代女像

加賀の千代女(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E5%8D%83%E4%BB%A3%E5%A5%B3. 

 千代女は、1714年(正徳4年)、12才の頃、岸屋弥左衛門(きしやざえもん、本吉の肝煎、19才年上)に弟子入りし、俳諧の手ほどきを受けたと言われています。

 1719年(享保4年)、千代女、17才の時、松尾芭蕉の門下の一人、各務支考(かがみしこう)の訪問を受け、、支考の面前で「行春(ゆくはる)の 尾やそのままに かきつばた」、「稲妻の 裾(すそ)をぬらすや 水の上」の2句を詠(よ)み上げ、「あたまからふしぎの名人」と讃えられて、日本全国に名が知れ渡りました。

 一生涯に詠んだ約1700の句は、どれも自然に対する畏敬の念(恐れ敬う心)、優しさ(思いやり)、感謝(ありがたい思い)に満ち溢れています。

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  朝かほに 釣瓶(つるべ)とられて もらひ水 (左の句屏風)

  百生(ひゃくなり)や つるひとすじの 心より (右の句屏風)

  千代尼(署名の号)

  句屏風俳画、松任市立博物館資料より)

(解説) 「朝かほ(顔)に 釣瓶(つるべ)とられて もらひ水」の有名な句屏風(句そのものは若いときの作!)は、名古屋の内藤東甫(東圃、とうほ、1728年(享保13年)~1788年(天明8年)、尾張藩士、画人)の画に一句書き入れたものです。

 これは、東甫が朝顔の絵を屏風に描き、これに句をつけること(俳画)を望んで、千代女に送ったものに、千代女が賛を書いて(屏風の絵画を誉め、一句書き入れる、画賛)東甫に送り返したもので、1761年(宝暦11年)、千代女59才の頃の作品、と言われています。朝顔に、ではなく、朝顔や、となった真蹟もあります。

  また、もう一つの俳画の句、「百生(ひゃくなり)や つるひとじの 心より」(天台宗の観法の一つ、一念の心に三千の諸法を具すを詠み込む、25才のころ永平寺へ参拝したとき、禅師からの「三界唯心」句作の頼みによる)は、千代女が最も好きな作品と言われています。

 百生は、ひょうたんが一本のつるに、大小さまざまな実を付けること。 千代女は、百生といわれる、数多くのひょうたん一つ一つを見れば、大きさ、形はさまざまである。そのことから、つる一すじの心から、鬼も生まれ、仏も生まれる。心が何よりも大切である、と詠み込んでいる。

 百生千成瓢箪とも)の句は、千代が25歳ごろ、越前国永平寺を詣で、禅僧と問答したことから生まれた句。前書き、三界唯心は、欲界、色界、無色界の三界に存在するものは全て心によって認識されるもので、心を離れては何も存在しない、という仏教用語である。

 なお、署名(ごう)が千代尼となっているのは、1754年(宝暦4年)、52才で剃髪して尼になっていたからです。その時から、素園(そえん)とも名乗っています。

 加賀の千代女歴史的逸話として、1970年(昭和45年)の頃、金沢の市内観光ツアーの時、女性のバスガイドさんから聞いたお話ですが、今なお心に残る、加賀のお殿様と千代女にまつわる、次のような面白い逸話があり、なつかしく思い出されます。

 ある日のこと、加賀のお殿様((第10代藩主前田重教?)が、女流俳人として名高い千代女の噂を耳にして、金沢城に召し出させたときのことですが、お殿様のお出ましがあり、御殿の大広間で平伏していた千代女が、「お面(も)てを上げてもよい」とのことで、お面てを上げたところ、「加賀の千代とやら 何にたとえよう  鬼瓦(おにがわら)」とおっしゃったので、千代女はすかさず「鬼瓦 天守閣をも 下に見る」、(江戸しぐさの中にも出ている)、とやり返したそうです(千代女、71才のときの自画像は、しとやかな品のある尼の姿です)。

 そこで、お殿様は千代女の俳人としての才能をためそうと、「一句のなかに四角と三角と丸を詠(よ)み込んで見よ」、と難問をお出しになったところ、千代女は一呼吸おいて「蚊帳のなか(□) ひと角はずして(△) 月をみる(○)」、(蚊帳の環一つはずして月見かな、禅林世語集(ぜんりんせごしゅう)に出ている)、と詠み上げ、お殿様は千代女の当意即妙な受け答えに感嘆の声を上げたそうです。

 1763年(宝暦13年)、第10代加賀藩主前田重教の命を受け、千代女61才のときの第11次朝鮮通信史来日の時の献上句(扇子や軸に21句)は、加賀の千代女の名を全国に轟かせ、その後の逸話、俗説、口伝などが生まれる基になりました。これは、日本の俳句が海外に伝えられた初めての例とされています。

 千代尼、73才、辞世(じせい)の句は、「月も見て 我はこの世を かしく哉(かな)」でした。

 千代女の約1700種の俳句集の中には見られないが、古くから広く世人に好まれ、話題となり、知れ渡っている作品には、次のような句があります。 

 ほととぎすほととぎすとて明けにけり、起きて見つ寝てみつ蚊帳の広さ哉、とんぼつり今日(けふ)はどこまでいったやら、破る子のなくて障子の寒さ哉 畸人伝、奇人談より)

 これらは全て彼女の盛名を当て込み、あとから付会されていった逸話という

(参考文献) 三熊花顛(みくまかてん)、伴萵蹊(ばんこうけい)補、中野三敏(なかのみとし)校注: 続近世畸人伝、加賀千代女、中央公論新社、巻之3、p.183-184(2006)、原本、1798年(寛政10年); 山根公: 松任の俳人、千代女、松任市役所(2002); 松任市立博物館(編集): 千代女生誕300年祭記念特別展、千代女の生涯、千代女の芸術・心、松任市立博物館(2003): 山根公著: 桂新書12 千代女の謎、p.90~91、千代女を有名にした句は、桂書房(2012). 

(参考資料) 加賀の千代女(google画像): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8A%A0%E8%B3%80%E3%81%AE%E5%8D%83%E4%BB%A3%E5%A5%B3&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

江戸しぐさ(市民大学): http://meintagebuch.blog3.fc2.com/blog-entry-592.html; 

禅林世語集(ぜんりんせごしゅう):http://kaizenji.org/sonota/sego.html

千代女の里俳句館: http://haikukan.city.hakusan.ishikawa.jp/index.html

(追加説明)

○ 千代女の里俳句館の案内役、俳文学会員、山根公さん(66才)は、「朝顔やつるべとられてもらひ水」の句碑について、「千代女は若いころは「朝顔に」、35才を過ぎてからは「朝顔や」と書いたと解説、「わずか一字でも違いは大きく、愛好家の好みも分かれている」と説明しています。(2011年(平成23年)6月4日(土)、北陸中日新聞、朝刊より)

 紙本墨書の「朝顔や」は句切れ、句の姿とすると「」という小休止があると格調高く本格的なのだが、釣瓶が誰にとられたのか分からない。「朝顔に」にして「句切れ」をなくすると、釣瓶を取ったのが朝顔だと因果関係がはっきりする。

 句の意味は、「早朝、水をくみに井戸端に出てみると、朝顔が釣瓶にからみついている。朝顔のつるを切るに忍びず、近所にもらい水に行った」。(山根公著: 桂新書12 千代女の謎、p.22~231、最も知られている句は、桂書房(2012)より) 

○ 「朝顔やつるべ取られてもらい水」と詠まれた千代女の句の井戸について

 当時の白山市の松任は水の便が悪く、深井戸は40軒から50軒に1本程度で数は少ない。飲み水を犠牲にして詠まれた井戸は、松任にはなかったのではないか? 創作の一句か、あるいは本吉(美川)の井戸か、幼なじみの和田希因(わだきいん、1700~1750)の家にでもあったのだろうか? 希因が他界すると、ほどなくして千代は髪をおろしている。

 千代女の所縁の品々がある聖興寺(しょうこうじ)は、松任の街中にある。境内にある遺芳館には千代女自筆の書画が収まる。実家の福増屋は旧北陸道に面して寺からほど近い。聖興寺(しょうこうじ、白山市):http://www.city.hakusan.lg.jp/kyouiku/bunkazaihogo/contents_list/jinjabukaku/syokoji.html 

聖興寺(しょうこうじ、白山市中町)、真宗大谷派、お寺、加賀、能登、越中、信仰の里を歩く、2010年(平成22年)4月11日(月)、北陸中日新聞朝刊より)

 千代女四季の画賛

春の句 花にさへ出ほしむあしをわかなかな

夏の句 清水には裏も表もなかりけり

秋の句 百生やつるひとすじの心より

冬の句 髪を結ぶ手の隙あけてこたつかな

絵に千代女の句を添えた画賛軸、冬の句は剃髪した時の心情を詠んだとされる。夏と冬の句は白山市指定文化財。ともに71歳の時の千代女が描かれ、写実的な描写の夏の句は浮世絵師、冬の句は千代女自身が絵を描いたという。どちらも片膝をついて座った構図で、見比べると興味深い内容となっています。

また、若菜の絵が添えられた新年・春の句、ヒョウタンが描かれた秋の句は、県立歴史博物館の所蔵品になっています。

 北陸の女性3俳人、千代女、珈涼、哥川

 江戸時代中期に活躍し、専門家から北陸を代表する女性三俳人と呼ばれる三人が書いたと見られる懐紙(かいし)三点が同時に見つかった。そこには三人の署名とと句が記載されている。屏風に三点セットで貼り付けてあったと見られる。

 同時代に生きた蕉風俳諧の再興に寄与した千代女(1703~75年)、珈涼(1696~1771)、哥川(生年不詳~1776年)の3人の女性をさす。珈涼は金沢から富山まで歩いて句を詠んだ紀行文「渡り鳥」で知られる。千代女と親交があり、一緒に京都を訪れている。

哥川は、越前国三国で遊女を経て滝谷寺近くに庵(いのり)を建てて俳諧に親しんだ。千代女、珈涼と比べて存命中は有名ではなかったが、死後に発刊された江戸時代の本で千代女と共に紹介され、知名度を上げた。

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女性3俳人、千代女(加賀国松任、現石川県白山市出身)、珈涼(金沢出身)、遊女哥川(越前国三国、現福井県坂井市出身)、懐紙同時に発見 屏風に貼付か

千代女の句  明ぼのの うそにつまづく 桜かな、たってばかり 見て行人や桃の花

珈涼の句   恋しらぬ 身にはひまなき 暑哉、今朝ふかき 道も出来たり 秋の艸

哥川の句   まだ後の たよりたがへの 月に雁

(2017年7月14日(金)、谷大平、女性3俳人、アイドル級!? 北陸中日新聞より)

 千代女 よみがえる147句 白山の俳文会員 新たに発見 流行に敏感? 人事句増える

 石川県白山市出身の俳人、「加賀の千代女」(1703~1775)が詠んだとされる147句が、新たに見つかった。発見した俳文学会員山根公(ただし)さん(72、白山市倉光)は、「人々の日常を素直に詠んだ句が目立つ。千代女の人物像に迫る発見になりうる」と話している。

 女子(おなご)さへ月へ月へとおどり哉(かな)、中秋の名月を背景に楽しく踊っている女性を詠んだ。

 玉まへりふるいなみだもこぼれけり、お盆の時期に亡くなった人を思い涙を流す様子を表した。

 山根さんは、2014年にも167句を発見している。今回と合わせ314句のうち、4割は人事句になるという。清泉女学院の玉城司客員教授は「千代女が亡くなる前後に人々の生活などを表現した川柳が流行した。今回の発見は、千代女が流行に敏感だった可能性を示す資料になるかもしれない」と分析する。(北陸中日新聞、2017.8.31)

〇 朝鮮通信使

 朝鮮通信使に関する記録が「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されることが決まった。日韓両国の市民団体が「平和の遺産」として共同申請したことが評価されたもので、素直に喜びたい。

 見出しにある「誠信交隣」(誠実と信頼の交際、国際交流の基本は互いに欺かず争わず、真実を以って交わる!)は、通信使に随行した対馬藩の儒学者雨森芳洲(あめのもりほうしゅう、1668~1755)が重視した言葉である。それを実践した朝鮮通信使は、平和外交の模範と言える。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の事業である記憶遺産への登録が決まったのは、「朝鮮通信使に関する記録」計333点で、両国に残る外交文書、絵巻などが含まれる。

 朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で途絶えた朝鮮と日本の関係改善が狙いだった。朝鮮国王が徳川将軍家に派遣し、江戸時代の約200年間に計12回実施された。500人にも及ぶ大使節団は、釜山から日本の対馬に渡り、大阪、名古屋、静岡などを経て、江戸で国王の書簡「国書」を手渡した。

 宿所には日本の学者らが競って訪れ、学問論議を交わした。庶民も異国情緒あふれる行列を楽しみ、その姿は今も各地に絵図や人形として残っている。朝鮮側も、沿道で出迎える人々の礼儀正しさを知って、日本への警戒心を和らげたと伝えられる。(北陸中日新聞: 朝鮮通信使、「誠信交隣」に学びたい、2017.11.6)

〇 文化の扉、歴史編、民衆が熱狂 朝鮮通信使 500人規模、先々で交流 接待役の藩は大出費、(朝日新聞、2018.1.21):https://www.asahi.com/articles/DA3S13323270.html

 近世日本と朝鮮王朝を橋渡しした朝鮮通信使。昨秋、関係資料が国連教育科学文化機関ユネスコ)の「世界の記憶」に登録された。文化交流の花形としても大歓迎を受けた一行だが、迎える側には少なからぬ苦労もあったようです。

 

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