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2009年7月 6日 (月)

室生犀星(金沢出身の作家)にまつわる歴史実話、ふるさとは(小景異情)、山のあなたの(カール・ブッセ、上田敏訳、海潮音)、桃源郷(陶淵明、宏村、中国)、とは(2009.7.6)

  人の頭脳は、右脳(感性、知恵)と左脳(理性、知識)の働きの役割が異なり、特に、俳句、詩、小説、絵画、囲碁、将棋、音楽、スポーツなどは、主に幼児の頃からの右脳の発達に深い関係があると言われています。

 また、過度の知識の詰め込みは、左脳を発達させるものの、感受性の欠如した人間が育つ傾向があり、右脳を適切に発達させる環境が大切であると言われています。

 どのような分野であれ、苦悩の中から生まれた作品は、どこか美しく、時を越えて、人の心を打つものがあるようです。

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室生犀星(野町尋常小学校卒、金沢): http://cms.kanazawa-city.ed.jp/izumi-e/view.php?pageId=1106 

 室生犀星(むろうさいせい、1889年(明治22年)~1962年(昭和37年)、詩人、作家、千日町、金沢)は、加賀藩士の父(小畠弥左衛門吉種)とハルと呼ばれていた女性の子として生まれ、生後ほどなく、近くの寺、雨宝院(真言宗)、室生真乗、内縁の赤井ハツに貰われて育ちました。

 小学校にも満足に通えず、裁判所の給仕から登記所に勤めた時、職場の先輩と俳句、詩などを親しむようになり、句作、詩作、小品文も書き、1919年(大正8年)、30才の時、中央公論に、私小説、幼年時代、性に眼覚める頃、或る少女の死までなど発表し、作家の道を歩み始めています。

 有名な、ふるさとは遠きにありて思ふもので始まる詩は、1918年(大正7年)、犀星29才の頃の詩集、抒情(じょじょう)小曲集の一編その二の中に小景異情として出ています。

 私は、1969年(昭和44年)4月、金沢大学に赴任した頃、犀星の詩については、ふるさとは遠きにありて思ふもの、一行だけしか知らず、ふるさと(故郷)を離れて生活し、何か苦しくて辛いとき、ふと、ふるさとはいいなあ、ありがたいなあ、と懐かしむ心(望郷の念、郷愁の思い)を詩に託しているものと思っていました。

 その後、そしてに続く文章を知るにつれ、犀星が、東京での作家生活に夢破れて、ふるさとの金沢に帰ってきたものの、どうにもならなくて、再びみやこ(東京)に帰って、作家として再起しようとする思いを、この詩に託しているようような感じがして、ホロッとしました。事実、その後、作家としての犀星の創作活動は目覚ましく、著書も150冊を超え、文豪と呼ばれるようになりました。 

 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや

(解説) 犀星がふるさとの詩を書いたのは、1912年(明治45年)、23才の頃で、金沢から東京に出て打ちのめされて帰郷した、失意の底でこの詩が生まれたものと言われています。 また、幼少の頃、寂しい思いをした逆境の雨宝院での生活、そのそばを流れる犀川を、うつくしき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ、と詩(うた)っています。

 犀星、1918年(大正7年)、29才の頃に刊行された、これらの詩を含む抒情小曲集の序文には、素直な心で読み味わってもらえばうれしい。人間にはきっと、この美しい抒情詩を愛する時代があるように、だれしも通る道であるように、と述べています。

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犀川(望郷アルバム、大正期、室生犀星記念館資料より)  室生犀星記念館(ホームページ、千日町、金沢、石川): http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/.

 また、犀星は、金沢の学校(中村町小、金石町小、野町小、菊川町小、金沢大附属小、小将町中、金沢大附属高、金沢大、金沢美術工芸大)の求めに応じて、ふるさとの思いを込め、多くの校歌の作詞をしています。 

 犀星は、1941年(昭和16年)、52才の頃 菊池寛賞を取り、同年3月に帰郷し、尾山娯楽部で、文学者と郷土、と題して講演しています。それ以後は、金沢の土を踏むことなく、1962年(昭和37年)3月、73才、東京で死去しました。翌年10月には、ふるさと、金沢の野田山墓地に、家族と共に、永遠の眠りについています。

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室生犀星の墓地

 私は、1969年(昭和44年)4月、金沢大学(理学部、城内キャンパス)に勤務し始めてから10月まで、犀星が貰われ育った宝雨院の近く、犀川対岸の犀川神社から歩いて数分、中央通り町で下宿(米沢様方、木羽教授に依頼、事務の山田氏の紹介による)したことがあります。

 そこから歩いて、金沢の中心街(長町、片町、香林坊)を横切り、金沢大学城内キャンパス(金沢城址)に通ずる宮守坂をのぼり、さらに城内を横切り、理学部化学教室(鉄筋4階建ての3階、黒門のすぐ前)に通いました。金沢は戦災にあわなかったので、街中は迷路(袋小路、七曲がり、甲州兵法!)となっており、時々道に迷いました。 

(参考文献) 乃村工藝社、博文堂、スピーク編: 犀星-室生犀星記念館ー、金沢市室生犀星記念館(2002); 中坊公平: 山のあなたー「幸せはこんなもん」って、何や、朝日新聞、朝刊、2000年(平成12年)10月9日(月); 川村二郎、企画報道部: 室生犀星「抒情小曲集 小景異情」、ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたうもの、be on Saturday、2003年(平成15年)11月8日(土); NHK編: 世界遺産、中国、2009年(平成21年)5月11日(月).

(参考資料) ○ 室生犀星(google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%AE%A4%E7%94%9F%E7%8A%80%E6%98%9F&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi. 

○ 室生犀星(金沢出身の詩人、作家)にまつわる歴史実話、犀川神社(御影大橋の近く)、雨宝院(犀川大橋の近く、幼少期を過ごした真言宗の古刹)、性に目覚める頃(自叙伝風の私小説)、とは(2010.9.23): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/128.html

(追加説明) ○ 室生犀星もよく口ずさみ、ふるさとの詩に影響を与えたと思われる、カール・プッセ作(Carl Busse、1872~1918)、上田敏訳(うえだびん、1874年(明治7年)~ 1916年(大正5年)、1905年(明治38年)、海潮音)の有名な詩、山のあなた、を思い出します。

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上田敏(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%95%8F

 山のあなたの空遠く 幸(さいわい)住むと人のいふ 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて 涙さしぐみ かへりきぬ 山のあなたになほ遠く 幸住むと人のいふ

(解説) 幸せは彼方に(かなた)にあると聞き、求めて行ったが、むなしく泣いて帰ってきた。それでもなお遠くに幸せはある、と人は言う。そういう嘆きですが、この詩が人の胸に呼び起こすものは、それだけなのか。

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中坊公平氏(1929年(昭和4年)~2013年(平成25年)、弁護士)は、敗戦後の3年目、1948年(昭和23年)頃、農作業を終えて家路につくある家族連れの姿を見て、何気なく父が、公平、幸せっていうものは、こんなもんかもしれんな、とつぶやき、どうゆうことやと考え、ハッと思いついたのが、自分が幼い頃から母がつぶやいていた詩、山のあなたが胸に浮かび上がり、自分の目を開かせてくれたとのことです。

 幸せは、彼方にあるのではなく、人が気づこうが気づくまいが、実は日々の暮らしに、何げなく添うておるのやないか。幸せは身近なところに、それを感じられる人の胸の中に、と中坊公平氏は述懐しています。 中坊公平(2013.5.5. 逝去、日本経済新聞): http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0502X_V00C13A5CC1000/

 ○ 山のあなたの詩で思い出すのは、2009年(平成21年)5月、NHK放送、中国安徽省(あんきしょう)南部、2000年(平成12年)世界遺産の中で、桃源郷(とうげんきょう)の伝説の村、宏村(こうそん)、人々が自然と共存した生活を営んでいる、ふるさとの映像を思い出します。

 NHKの取材班が、宏村を離れる朝、旅の終わりに、王道根(おうどうこん)さん(76才)に聞いておきたいことがありました。おじいちゃんにとっての理想ふるさとはどんなとこですか、と尋ねたところ、お茶畑にいた、おじいちゃんの答えは、そんなこと考えたことないね、毎日畑に出て家族と暮らす。ただそれだけ。でも充分満足している、と天地人をからだに感じて生活している姿でした。

 中国桃源郷(理想郷)と呼ばれる宏村について、中国の詩人、陶淵明(とうえんめい、365年(興寧3年) ~427年(元嘉3年)、の有名な詩、心遠地自偏心遠ければ地おのずからなり)があります。

 その意味は、どこで暮らしていようと、心の持ち様で、そこは自分にとっての理想のすみかとなる。それに気づいた時、理想のふるさと、桃源郷への入り口は、もう見つかっているかもしれないとのことです。この詩は、山のあなたの詩に通ずるものがある、と思いました。

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陶淵明(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8E

○ 五木寛之氏(作家)が、姜尚中氏(政治学者)との対談、「鬱(うつ)の時代(日本は経済面でも心の面でも、すっぽりと(不安)という厚い雲に覆われている!)を生き抜く 文学の可能性の中で、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」のことばの中味について次のように述べています。

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五木寛之(コトバンク、Kotobank):http://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E6%9C%A8%E5%AF%9B%E4%B9%8B

 五木 人間に一生つきまとうのは、幼年期の記憶ではないかと思います。戦後、僕は何度も平壌(ピョンヤン)に来ないかと誘われましたが、ずっと断ってきたのです。いまの平壌の姿が、自分のなかのイメージとぜんぜん違うんじゃないかと。室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」ということばは、しがらみがあるというだけでなく、自分の記憶のなかの幻像を壊したくないという気持ちが強かったでしょう。 

 姜 そうですね。 僕はなまじっか熊本に帰れるもんだから、生まれた場所がすっかり変わってしまったのを見たわけですから。(週刊朝日、2011. 1.7ー14、p.162、より)

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