« 碁の名手(本因坊秀哉)の引退碁にまつわる歴史対局、本因坊秀哉、木谷実、名人(小説、川端康成)、とは(2009.12.23) | トップページ | サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題(2010.1.1.迎春、年賀、犀川の雪景色) »

2009年12月28日 (月)

法然(浄土宗、開祖)の流刑(土佐、讃岐に変更)にまつわる歴史実話、専修念仏、建永(承元とも)の法難、とは(2009.12.28)

  中世(鎌倉時代)、1207年(建永2年、承元元年)、75才、法然(ほうねん)の専修念仏弾圧事件建永の法難承元の法難とも)が起こりました。法然四国土佐、実際は讃岐、香川)に、弟子の親鸞(しんらん)は越後(新潟)に流罪、また、安楽、住蓮含む弟子4名が死罪となりました。

250pxtakanobunomiei1

法然(藤原隆信作、京都・知恩院 所蔵、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6

 法然、1133年(長承2年)~1212年(建暦2年)、鎌倉初期の僧、浄土宗開祖、諱(いみな)は源空、勅諡(ちょくし)は円光大師、通称は黒谷上人、父は美作(みまさか、岡山)国押領使、漆間時国(うるまときくに)で、夜襲で父を亡くし、遺言で出家、1147年(久安3年)15才、比叡山源光(生没年未詳)の門に入り、天台宗を学んだが、1150年(久安6年)18才、教学などに対する疑問を生じ、比叡山西塔黒谷叡空(くろたにえいくう)、?~1179年(治承3年)、のもとに隠棲(いんせい)し、法然房源空と称しました。以後20年間修学、山を下ったのは、1175年(安元元年)、43才の時で、唐(中国)の善導(ぜんどう)、613年(大業9年)~681年(永隆2年)、の観経疎(かんぎょうしょ、観無量寿経の注釈書)を読み、善導による専修念仏(せんじゅねんぶつ、称名念仏、しょうみょうねんぶつ)ひたすら南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)を口で唱える、とする浄土宗を開きました。

Images_9

知恩院(浄土宗総本山、林下町、東山区、京都、google画像)

 まもなく、源平(げんぺい)の戦乱(律令社会は崩壊、権力は京都王朝から鎌倉幕府に移る)が起こり、また地震、台風、飢餓など起こり、人々は無常を実感しました。平家物語の「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鉦の声、諸行無常の響きあり」、鴨長明(かものちょうめい)、1155年(久寿2年)~1216年(建保4年)の方丈記の「ゆく河の流れは、絶えずして、しかももとの水にあらず」という言葉は、この時代に住む人々の実感を言い表したものです。

 当時の仏教は、権力者や貴族達のだけのもの(貴族仏教)でしたが、法然は、東山の吉水(よしみず)に草庵を結び、老若貴賎(ろうにゃくきせん)を問わず教化、すべての人は平等、南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)と称え救われる、と説きました。1186年(文治2年)天台宗の学匠顕真、1131年(天承元年)~1192年(建久2年)、と専修念仏について議論(大原問答)で注目され、1190年(建久元年)には重源、1121年(保安2年)~1206年(建永元年)、の要請で東大寺で講説、称名念仏が弥陀に選択された唯一の往生行である、との選択本願念仏説専修念仏)を披露しました。、

 その後、南都北嶺(なんとほくれい)の仏教教団(延暦寺、興福寺など)の迫害元久の法難)がありました。また、1206年(建永元年)12月、後鳥羽上皇(第82代天皇)1180年(治承4年)~1239年(延応元年)の熊野詣での間に、上皇に仕える侍女(じじょ)二人(松虫姫19才、鈴虫姫17才)が、徹夜の念仏である六時礼賛(ろくじらいさん)に参加し、法然の弟子、安楽(あんらく住連(じゅうれん)によって出家する事件が起こり、後鳥羽上皇激怒、翌年2月、専修念仏禁止令が出されました。そして、安楽、住蓮、善綽、性願の4名が死罪、また法然、親鸞、行空ら8名が流罪となりました。

Images2_11

専称寺(浄土宗、塩飽、本島、丸亀市、香川、google画像)

 法然は、1207年(承元元年)、四国讃岐、高松、香川)に配流(はいる)されましたが、同12月、最勝四天王院供養恩赦赦免され、流罪4年にして、1211年(建暦元年)11月帰洛が許されました。 しかし、老耄(ろうもう)の徴候ががひどく、1212年(建暦2年)、80才、京都東山吉水(知恩院、京都)で入滅しました。

 土佐に流されるはずだった法然が、讃岐の丸亀沖の塩飽本島(しわくほんじな)に流されてきたのは、法然帰依していた関白藤原兼実(かねざね)が、自分の荘園のある塩飽本島(しわくほんじま)に移したのでありました。専称寺(せんしょうじ、浄土宗)は、法然本島に流された時、地頭高階保遠入道西忍(たかしなやすとおにゅうどうさいにん)が法然のために建てた草庵から始まった寺と言われています。本島での法然の様子は、法然上人絵伝でもよく知られています。

 また、法然満濃池(まんのういけ)のほとりにを結び、1207年(建永2年)、善通寺などに参詣されています。善通寺五重塔には、今も法然参詣者後世往生を願って建立したと伝えられる逆修(ぎゃくしゅ、生前に、あらかじめ自分の死後の冥福を祈って営まれる仏事)の石塔(五輪塔)があります。 

 この念仏弾圧事件は、建永の法難(けんえいのほうなん、または、承元の法難、しょうげんのほうなん)と呼ばれrています。

 専修念仏の思想は、選択集(せんちゃくしゅう)に最もよく表現され、至誠心(しじょうしん)、深心(じんしん)、回向発願心(えこうほつがんしん)の三心によって、老若貴賎、修行の多寡など問題なく南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)の称名念仏によって救われる、としました。門下には、聖光、源智、証空、親鸞などを出し、日本浄土教の発展の基礎となりました。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 香川県の歴史散歩編集委員会編: 香川県の歴史散歩、山川出版社(1996); 永原慶二監修: 日本史事典、岩波書店(1999); 高森明勅: 歴代天皇事典、PHP研究所(2006); 四国八十八ヶ所霊場会編: 先達教典、四国八十八ヶ所霊場会(2006); 詳説日本史図録編集委員会編: 山川 詳説日本史図録(第2版)、山川出版社(2009); 梅原猛: 日本仏教をゆく、朝日新聞出版(2009) .

(参考文献) 比叡山延暦寺(天台宗総本山、大津市(滋賀)、京都市(京都):http://www.hieizan.or.jp/

知恩院(浄土宗総本山、法然の廟所、林下町、東山区、京都): http://www.chion-in.or.jp/; 知恩院(浄土宗総本山、東山区、京都、google画像):http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E7%9F%A5%E6%81%A9%E9%99%A2&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi; 

住連山安楽寺(浄土宗、鹿ヶ谷、左京区、京都): http://blog.goo.ne.jp/kimmy_v-kobe/e/2b8b984c0a42937abeb4011dd0237032; http://gt80.fc2web.com/kyouto/play/anraku.html

専称寺(浄土宗、塩飽、本島、丸亀市、香川、google画像); http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%B0%82%E7%A7%B0%E5%AF%BA%E3%80%80%E6%9C%AC%E5%B3%B6%E3%80%80%E4%B8%B8%E4%BA%80%E3%80%80&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

空海(弘法大師)ゆかりの満濃池と弘法の水(本浄高治編): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/kagakufudoki5.html 

(追加説明)○ 御身拭式(おみぬぐいしき) 12月25日、京都市知恩院の本堂に安置されている法然上人の木像を白絹で拭う儀式で、念仏法要のなかに、古式により木像を清め、一年の罪(つみ)穢(けがれ)をはらう祈願をします。

 寺院などでは本尊清掃をすることを、煤払い(すすはらい)、御身拭式(ごしんしょくしき)ともいい、東京目黒の不動尊、浅草観音では12月12日に行われます。

(樋口清之監修、暮らしのジャーナル、生活歳時記、三宝出版(1994)より)

« 碁の名手(本因坊秀哉)の引退碁にまつわる歴史対局、本因坊秀哉、木谷実、名人(小説、川端康成)、とは(2009.12.23) | トップページ | サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題(2010.1.1.迎春、年賀、犀川の雪景色) »

● 人物(卑弥呼、神武天皇、聖徳太子、土御門上皇、義仲、武蔵、島津斉彬、五百羅漢、法然、仁清、世阿弥、富樫、弁吉、秋声、犀星)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1802629/48326124

この記事へのトラックバック一覧です: 法然(浄土宗、開祖)の流刑(土佐、讃岐に変更)にまつわる歴史実話、専修念仏、建永(承元とも)の法難、とは(2009.12.28):

« 碁の名手(本因坊秀哉)の引退碁にまつわる歴史対局、本因坊秀哉、木谷実、名人(小説、川端康成)、とは(2009.12.23) | トップページ | サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題(2010.1.1.迎春、年賀、犀川の雪景色) »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ