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2009年12月 7日 (月)

九谷焼(石川)にまつわる歴史技法、古九谷(江戸前期)、色絵磁器(陶土、呉須、九谷五彩)、再興九谷(江戸後期)、とは(2009.12.7)

  古九谷(九谷、大聖寺、石川)は、有田(有田、肥前、佐賀)、姫谷(福山、備後、広島)と共に、近世(江戸時代)初期、日本の三大色絵磁器として、その大胆な図柄、流麗な筆致、深みのある色調で、広く海外にまで知られていました。 

 山中温泉から大聖寺川を約14kmさかのぼる奥深い山麓に、九谷(くたに)村(現在、廃村)がありました。ここは、江戸の始め、色絵磁器で有名な古九谷(こくたに)発祥の地であり、九谷磁器窯址(くたにじきようあと、蓮房式登窯)の石碑が立っています。大聖寺藩の吹座役を務めていた後藤才次郎(ごとうさいじろう)が、重罪人を鉱夫に使った金山があったこの地に、金鉱を探し求めてやってきた時、良質の陶土を発見した、との伝承があります。

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古九谷色絵山水文平鉢、小松市立博物館蔵、九谷独特の五彩で山水図が豪快に描かれています。google画像)

(解説) 主原料の陶石は、カオリン(カオリン石、アルミニウムの含水ケイ酸塩、Al2O3・2SiO2・2H2O、長石の変質)の一種です。長石(アルミノケイ酸塩)類が自然に分解し流れて沈積した白色の粘土は、磁器の原料となります。陶磁器の中で、磁器は、粘土質物や石英、長石を原料とし、1300~1400℃程度の高温で、約15~20時間ほど焼成、最も硬く、軽く弾くと金属音がします。素地(きじ)がよく焼き締まってガラス化し、吸水性のない純白透明性の焼物となります。色絵磁器として、有田焼、九谷焼などが有名です。

 また、九谷焼では、九谷五彩と呼ばれる青,黄,紺青,紫,赤の色鮮やかな五色の絵具を使用しています。 赤と黄には酸化鉄を、青には酸化銅、紺には酸化コバルトを、紫には酸化マンガンを使用しています。色絵模様の下絵付けの藍色、呉須(ごす)の主成分は酸化コバルトで、少量の鉄、マンガンが含まれています。上絵具の熔剤には、白色の粉末、唐の土(塩基性炭酸鉛)、白玉(無色ガラス粉末)、日の岡(珪石)の3種を使用していますが、唐の土の鉛化合物は有毒なので代替品が考慮されています。

  九谷焼の特色は、磁器の素地が純白でなく、やや青味がかっていることです。これは陶石に含まれている鉄とチタン酸化物の焼成による着色と考えられています。九谷焼の陶石の原料として、九谷陶石(九谷)、荒谷陶石(荒谷)、花坂陶石(能美)などが使用されています。 また、九谷陶石は、蛍光X線分析より、ケイ素(77%)、アルミニウム(14%)、カリウム(8.5%)、鉄(0.1%)などが検出されました。

 このように、九谷焼に使われる土の原石は、流紋岩の風化物で、主成分は二酸化ケイ素(約74%)、酸化アルミニウム(約17%)ですが、鉄の含有量が比較的に高いので、やや青味がかり、白い素地ができず、この悪い素地をカバーするために、九谷焼の基本であり命までと言われる上絵が発達しました。

 大聖寺藩の初代藩主、前田利治(としはる)、1618年(元和4年)~1660年(万治3年)の命により、後藤才次郎(同名4名在、うち定次)が、有田(肥前、佐賀)の陶業技術修得に遣わされ、1655年(明暦元年)頃、九谷の地に窯を築き、田村権左右衛門(たむらごんざえもん)、?~1683年(天和3年)を指導し、古九谷の生産が始められたと言われています。その築窯、焼成のため、多数の工人が有田から招かれ、九州に伝わる明(中国)の技術が導入されたと考えられています。

 古九谷は、学問的には、有田(別名、伊万里)の移入説と九谷焼独自の開窯説が長い間対立していました。1970年(昭和45年)以降の発掘調査で、1655年(明暦元年)の銘の入った白磁の大皿や、古九谷の特徴とされる朱と藍の二彩の絵付皿が発見され、九谷で実際に焼かれたことが確かめられ、これより少し前の1650年(慶安3年)頃に開窯されたと考えられています。

 1690年(元禄3年)頃、古九谷は突如として姿を消しますが、その廃窯の事情を語る文献資料は全く伝わっていないという。その原因は謎ですが、大聖寺藩の御用窯であったが、藩の財政の悪化により廃止、大量生産の安価な伊万里の色絵磁器が入ってきたことなど、種々の要因が重なったと考えられています。

 江戸時代後期、九谷焼の復興を目的とした再興九谷の最初の春日山窯(金沢)、加賀藩営で量産に成功した若杉窯(小松)、古九谷についで声価の高い吉田屋窯(大聖寺)、赤絵細描で独特の趣を持つ宮本屋窯(大聖寺)、京風の優美な金襴手(きんらんで)の永楽窯(大聖寺)、洋絵具を加味して華やかな新しい画風を始めた九谷庄三(くたにしょうざ、寺井、能美)など、特色ある上絵付の作風を持つ窯が次々と生まれています。

 1806年(文化3年)、絵師、陶工として名高い京都の青木木米(あおきもくべい、春日山窯)、1767年(明和4年)~1833年(天保4年)が、九谷再興のため加賀藩に招かれ、約2年間指導、現在、卯辰山(山の上町、金沢)の地に春日山窯跡の碑が立っています。

 1823年(文政6年)、大聖寺の豪商、吉田屋伝右衛門(よしだやでんえもん、吉田屋窯)、1752年(宝暦2年)~1827年(文政10年)72才が、120年ぶりに古九谷青手の技法を再興、1826年(文政9年)、飯田屋八郎右衛門(いいだやはちろうえもん、宮本屋窯)、1818年(文政元年)~1852年(嘉永5年)らが赤絵、金襴手(きんらんで)の技法を開発しました。

 1835年(天保6年)、斉田道開(さいだどうかい)、1796年(寛政8年)~?が、佐野窯を築いた後、名工、九谷庄三(くたにしょうざ)、1816年(文化13年)~1883年(明治16年)が、彩色金襴手(きんらんで)の画風を大成し、明治時代の九谷焼を風靡(ふうび)しました。明治の半ば頃、九谷焼は日本の輸出陶磁器の首位に立ち、ジャパンクタニの名で世界に知られました。各時代の上絵付の作風は、明治以降の今日までの九谷焼上絵付に強い影響を与えています。

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色絵金彩花鳥紋大香炉九谷庄三晩年の代表作、 石川県立美術館蔵、古九谷、吉田屋窯、赤絵、金襴などの手法を含む絢爛豪華な「彩色金襴手」の技法(色絵に金箔、金粉であらわした文様を焼き付けたもの)を確立し、洋絵具を使い、顔料釉薬では出せなかった中間色も表現し、作風を広げました。 google画像)

 石川県では、1976年(昭和51年)に九谷焼を石川県の無形文化財に指定、九谷焼技術保存会を組織して、その技術の保存と後継者の育成に当たり、九谷焼の伝統を守っています。石川県九谷焼美術館(大聖寺、加賀)、能美市九谷焼資料館(寺井、能美)には、九谷焼の代表的作品と作業工程などが展示されています。

(参考文献) 小百科事典、平凡社(1973); 嶋崎丞: カラーブックス、日本の陶磁18,九谷(1979); 新村出編: 広辞苑、第四版、岩波書店(1991); 中西孝、日吉芳朗、本浄高治: 化学風土記、わが街の化学史跡、加賀藩の産業・工芸の史跡と遺品(九谷焼)、化学と教育、日本化学会(1991); 石川県の歴史研究会編(編集代表、奥村哲): 石川県の歴史散歩、山川出版社(1993)); 石川化学教育研究会編: 科学風土記、加賀・能登のサイエンス、三宅幹夫、九谷焼、鈴木健之、後藤才次郎、古九谷の創始者、裳華房(1997); 永原慶二監修: 日本史事典、岩波書店(1999); 小松市立博物館(編集、発行): 小松市立博物館 総合案内(2000).

(参考資料) 古九谷焼(大聖寺、加賀、石川、google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8F%A4%E4%B9%9D%E8%B0%B7&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi; 古九谷焼(石川県立美術館、google画像): http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/syozou/keyword/search.php?page=1; 古九谷焼(小松市立博物館、google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8F%A4%E4%B9%9D%E8%B0%B7%E3%80%80%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi; 古九谷焼(出光美術館コレクション、 google画像): http://www.kutani-mus.jp/idemitu.html;

九谷焼(九谷庄三 作品、google画像より): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%B9%9D%E8%B0%B7%E5%BA%84%E4%B8%89%E3%80%80%E4%BD%9C%E5%93%81&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

石川県九谷焼美術館(大聖寺、加賀、石川): http://www.kutani-mus.jp/

能美市九谷焼資料館(泉台、寺井、能美、石川); http://www.kutaniyaki.or.jp/; 

九谷陶芸村(泉台、寺井、能美、石川): http://www.hitwave.or.jp/kutani/index2.htm

金沢卯辰山工芸工房(卯辰山、金沢、石川):http://www.utatsu-craft.gr.jp/

九谷焼(加賀、能美、石川、google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%B9%9D%E8%B0%B7%E7%84%BC&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

有田焼(有田、佐賀、google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E6%9C%89%E7%94%B0%E7%84%BC&um=1&ie=UTF-8&ei=DDsaS-qFI8uLkAWd34XOAw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CDIQsAQwAw

姫谷焼(姫谷、福山、広島、google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%A7%AB%E8%B0%B7%E7%84%BC&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

人間国宝ギャラリー陶芸ほか、日本工芸会): http://www.nihon-kogeikai.com/KOKUHO.html.

(追加説明) ○ 九谷村(九谷、山中、江沼、大聖寺)は、かって山田光教寺(浄土真宗、現在廃寺、加賀)の蓮聖(本願寺8世蓮如の4男)が九谷坊を開き、また、江戸の頃は大聖寺藩の流刑地であり、重罪人を鉱夫に使った九谷金山がありました。

○ 九谷焼陶土は流紋岩の風化物で、主成分はケイ素(約74%)、酸化アルミニウム(約17%)です。しかし、陶土の鉄の含有量が比較的高く、白い素地ができないので、それを覆い隠すため、上絵が発達しました。

 九谷焼製造は、陶石を粉砕、水簸(すいひ)、水分除去の工程を順次加えて陶土とします。生乾きの段階で仕上げ削りをし、完全に乾燥し、約700℃で素焼きします。素焼きの上に呉須(ごす、鉄、マンガン、ニッケルを含むコバルト塩の顔料)で模様の骨描きをし、釉薬(ゆうやく、長石、石灰石、滑石などを混合粉砕して泥漿水(でいしょうすい)にしたもの)をかけ、1300~1380℃で本窯焼成します。これに上絵を施し、上絵窯(錦窯)で焼成します。

 九谷焼は、江戸の慶長から寛永の頃、中国から伝わった登窯(のぼりがま)でした。山の斜面に角型の煙突のように築きます。内部は何室かに区切られていて、下からまず第一室を焼き、順次一室ずつ上へ炊きあげます。第二室からは側面の小さな焚口から薪を投げ込みます。燃料は炎が高く上がる赤松が最も効率が良いとされています。1877年(明治10年)頃、ヨーロッパの窯が導入されましたが、燃料も石炭、重油、プロパンガス、そして今日主流の電気窯へと変わってきました。

○ 九谷焼は、石川県の金沢、小松、能美、加賀(九谷、江沼、大聖寺)地域で作られた焼きものですが、その名称については、元禄の頃は大聖寺焼(だいしょうじやき、ほか大聖寺染付、大聖寺伊万里)、一般に広く九谷焼と呼ばれるようになったのは、江戸後期の1803年(享和3年)以降からと言われています。また、創始期の九谷焼を、再興時代に入ってからの九谷焼と区別する意味で、江戸末期の1840年代より、古九谷と呼称するようになりました。また、九谷焼は、大別すると古九谷、再興九谷、明治九谷、現代九谷の4つの時代に分けられると言われています。

○ 九谷五彩(上絵具)の色素と融剤は、白玉(無色硝石の一種)、唐の土(炭酸鉛)、珪石(二酸化珪素)のほか、次のような色素ですが、調合は陶画工の秘伝ともなっています。色素として、赤には紅柄(酸化鉄)、アンチモニ、緑には酸化銅、紺青には酸化コバルト、黄には紅柄(酸化鉄)、紫には酸化マンガンが使われています。

○ 有田焼(伊万里焼とも)は、佐賀県有田地方産の磁器です。伊万里港から輸出されたので、伊万里焼の名が広まりました。1616年(元和2年)、朝鮮の帰化人、李参平(りさんぺい)が磁器焼成に成功し、寛永(1624~1643年)末期に酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)が赤絵を創始すると共に、その声価は欧州に及びました。製品は、染付、赤絵のほか青磁、染錦など多種多様で、有田は現在も日本有数の生産地です。 

有田焼(柿右衛門、伊万里焼とも、佐賀、google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E6%9F%BF%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80&um=1&ie=UTF-8&ei=lO4qS9jtGYGgkQXO9uj7CA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CC8QsAQwAw

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