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2010年3月12日 (金)

南海地震(四国沖、紀伊半島沖)にまつわる歴史災害、南海地震の周期性、中央構造線、日本沈没(映画)、とは(2010.3.12)

  古来、地震、雷、火事、親父は、日常、人々の恐れるものを、その順に並べた言葉です。古語では、地震は、なゐ(ない)と言い、江戸時代、大名公家方では、地震や落雷を避けるため、赤銅瓦の三階作り一重一重に天井幕を張るなど、地震雷の間(じしんかみなりのま)を、番匠(ばんじょう、大工)に作らせました。(井原西鶴、1642年(寛永19年)~1693年(元禄6年)、遺稿集、西鶴織留より)。

 南海道地震(なんかいどうじしん、南海地震とも)は、四国沖から紀伊半島沖にかけて起る巨大地震のことですが、プレート(岩盤)の境界で起こり、昔から何度も繰り返されています。

 最古の記録によれば、白鳳時代には、684年(朱鳥元年)11月29日(旧暦10月14日)、M8.25 白鳳地震(東海、南海、西海諸道)が発生しています。その時、諸国地大ニ震フ、就中、土佐国最モ激烈ヲ極メ、田苑五十余万頃没シテ海ト為リ、伊予国ノ温泉亦屛止セリ、コノタ京都ヨリ東方ニ鼓ノ如キ鳴響アリ、であったと言う 。(田山實編、震災予防調査会報告、第46号、大日本地震資料、1903年(明治36年)より)。

 白鳳地震が起こった時、伊予国(愛媛)の温泉の湧出が止まったと言う。これは、道後温泉が、中央構造線の断層の割れ目に雨水がしみ込み、地下のマグマに温められ湧き出していることから、地震が断層に何らかの影響を与えたものと考えられます。

 平安時代には、1099年(康和元年)2月22日、M8~8.3、康和南海地震(南海道、畿内)、室町時代には、1498年(明応7年)9月20日、M8.2~8.4、明応地震(東海道全般、南海道)が起こっています。

 江戸時代には、1605年(慶長10年)2月3日、M7.9、慶長地震(東海、南海、西海諸道)、1707年(宝永4年)10月28日、M8.4 宝永地震(五幾、七道)、東海地震と南海地震が同時に発生し、南海トラフ(海のプレートが陸のプレートの下に沈み込むところ、海溝)のほぼ全域で、プレートが一気に破壊されました。

 1854年(安政元年)12月23日(旧暦11月4日)、M8.4 安政東海地震(東南海道沖)では、津波が房総半島から土佐湾にかけて発生し、壊滅、焼失家屋は約3万戸、死者は2000~3000人と言われています。また、32時間後の12月24日、M8.4 安政南海地震(南海道沖、畿内、東海、南海、北陸、山陰、山陽諸道)が発生し、特に津波の被害が大きく、津波の高さは串本で15m、高知県久礼で16m、死者は数千など、200~300kmしか離れていない所で、相次いで大地震が起こっています。

 私の郷里(神宅、上板町、徳島)では、神宅遺跡(かんやけいせき)において、安政南海地震における液状化現象(地表面下2.6mの深さから幅数センチの砂脈が上昇した跡)が確認されています。江戸後期の磁器片を含む地層を引き裂き、近代の地層に覆われていました。(徳島県教育委員会、徳島郷土文化会館、埋蔵文化財資料展、掘ったでよ阿波、1991、より)。

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南海地震 電柱も横倒し、 津波によって舟がのし上がる、徳島新聞社、1946年(昭和21年)12月21日、海部郡浅川、徳島、google画像)

 現代の昭和時代には、1944年(昭和19年)12月7日、M8.0 東南海地震(熊野灘、東海地域)が発生し、また、1946年(昭和21年)12月21日、M8.1 南海地震(紀伊半島沖)が発生し、九州、近畿、中国、四国にわたり大被害を与えました。震源地は潮岬南西50キロ付近でした。震源の断層は、プレート境界にほぼ一致しています。

 この時、陸では、太平洋側の半島の先端部、紀伊半島南端で6.6m隆起し、付け根の地域、高知市東方では15平方キロが海面下に沈没しました。また、震央が海底であったので、三重、徳島、高知では4~6mの大津波が発生し、静岡県以西にも津波が押し寄せ、死者1330人、家屋の全壊2521戸,半壊4283戸,流失1451戸,焼失2598戸など、大被害をもたらしました。

 南海地震の前兆として、和歌山方面での発光現象、井戸水の水位の低下、井戸水の多少の濁りなどが確認されています。また、地震発生の数日前から、紀伊半島や四国の太平洋沿岸で、浅い位置にある地下水の水位が数cm低下したことが確認されています。これらの現象は、地震の前兆を知る上で大いに役立つと思われます。

 阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日、午前5時46分、淡路島北端を震源地(深さは5~15km)とした、M7.2の大地震で、被害は淡路島北部から神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市に及び、死者6544人でした。また、震源は明石海峡の海底で、プレート(岩盤)の破壊が始まり、活断層の野島断層に沿って南西方向に破壊が進みました。その間10数秒で、地面が右横ずれ方向に最大2.1m、縦ずれ方向に最大1.3m変位しました。M(マグニチュード、地震エネルギーの対数値で、1増えるとエネルギーは約32倍となる)は南海地震より1ほど小さかったが、多くの死者を出し、人口密集地帯の直下型地震の恐ろしさを思い知らされました。

 ところで、中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん)は、日本列島の中央部を東西に、諏訪湖の南から天竜川の東側に沿い、豊川の谷を通って紀伊半島に入り、四国から九州中部に及ぶ大断層線です。この大きな活断層の中央構造線を震源とする大地震は、この千数百年の間に一度も発生しておらず、南海地震との直接的なつながりは見られないようです。

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中央構造線 日本列島の中央構造線概略図  中央構造線路頭(内帯は花崗岩、外帯は変成岩)、大鹿村北川、長野、google画像)

(解説) この中央構造線の日本海側を内帯、太平洋側を外帯と呼びます。外帯側でこの線に接するのは、長野県茅野市南方の杖突峠から大分県付近まで、主に三波川変成岩、それより西は、古生代(5億7000万年ほど前から2億2500万年前まで)や中生代(約2億2500万年前から6500万年前まで)のものです。

 内帯側では、杖突峠から奈良県五条付近まで主に領家変成帯の花崗岩で、この部分では内側の幅約1キロは鹿塩圧砕岩からなっています。五条から松山までは白亜系の和泉層群です。九州では阿蘇火山噴出物に覆われて不明瞭です。落差は最大数千mに達し水平変位もあります。古生代末、遅くとも中生代後期に始まり、第四記(200万年ほど前、人類その他多くの哺乳動物が出現した時代、生物のほとんどが現生種)まで繰り返して活動したものです。フォッサマグナ(第三紀中頃、日本列島を横断して生じた地質構造上の特異な地帯、大きな割れ目)の東では関東山地北縁の群馬県下仁田町を東西に走りますが、それより先は不明です。

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中央構造線路頭 黒い土の層、外帯、変成岩、 糖源公園の入口、上板町、徳島)

(解説) 徳島県の中央構造線は、地質の境界としては、吉野川の西から東への流れに沿って、北岸を走っています。私の郷里(松島、上板町、徳島)は、吉野川の北側で、阿讃山脈の麓にあり、阿波和三盆の里、糖源公園の入口を登り切った所の斜面に、中央構造線が黒い土の層として露出しています。(上板町、わがまち再発見読本より)。

 日本沈没(にほんちんぼつ)は、小松左京(こまつさきょう)、1931年(昭和6年)~のSF(サイエンスフィクション)小説ですが、1973年(昭和48年)、光文社が発行、同年映画化されたので見たことがあります。日本列島が海底プレートの急速な沈降により沈没するのですが、まず最初に四国地域が沈み、日本列島の中心、扇の要(かなめ)に位置する北陸地域の金沢が、最後の方で沈むのが印象に残っています。

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南海地震(想定される震源域と地震発生間隔、徳島地方気象台、徳島、google画像)

 南海地震は、いずれも四国沖から和歌山沖の海底のプレート(厚さ数10~200km程度の岩石の層)の境界で発生した海溝型の巨大地震です。歴史上は、約100年に1回の割合で周期的に起こっています。ということで、いつの日か(50年内?)、必ず起る大地震と考えられています。

 天災は忘れたころにやってくる。この言葉は、寺田寅彦(てらだとらひこ)、1878年(明治11年)~1935年(昭和10年)の考えを要約した警句として有名です。中谷宇吉郎(なかやうきちろう)、1900年(明治33年)~1962年(昭和37年)が恩師の言葉として紹介したものです。 けだし、心したい名言です。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991); 奥村清、西村宏、村田守、小澤大成、自然の歴史シリーズ④、徳島、自然の歴史、コロナ社(1998); 竹内誠監修、市川寛明編: 地図・グラフ・図解でみる、一目でわかる江戸時代、日本列島を繰り返し襲った大地震、p.50~51、小学館(2004); 寒川旭: 地震の日本史、大地は何を語るのか、中公新書(2007).

(参考資料) 南海地震(歴史民俗資料館、松茂町、徳島):http://joruri.jp/html/kanashimi/kanashimi3-3.html

南海地震発生のメカニズム(坂出市、香川): http://www.city.sakaide.lg.jp/kurasi/bousai/jisin1.html

中央構造線(遠山郷観光協会、長野): http://www.tohyamago.com/rekisi/chuoukouzousen/index.html; 

南海地震の特徴(徳島気象台): http://www.jma-net.go.jp/tokushima/nankai/tokutyo.htm

気まぐれ歳時記(菊地馨、天災は忘れたころにやってくる、1999年): http://kazamidori.net/kaoru/saijiki/04.htm

 

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