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2010年4月14日 (水)

富山の売薬にまつわる歴史伝承、反魂丹(腹痛薬)、先用後利(配置家庭薬)、おまけ(土産、進物)、とは(2010.4.14)

  富山の売薬起源は、立山信仰に基づく修験者(山伏)の檀那場廻(だんなばまわり、檀家の布教など)、諸国配札(しょこくくばりふだ、お札の配付など)だとも言われています。立山修験者が行っていた、先用後利(せんようこうり)という商売の方法に、薬の安定生産が加わることによって、富山の売薬は盛んになりました。

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檀那場廻(だんなばまわり、檀配札活動に出向く衆徒立山山麓、富山、google画像)

(解説) 檀那場廻とは、修験者が行う布教活動で、村々の農閑期に修験者が出向き、立山曼荼羅(たてやままんだら)を開帳し、開山縁起を語って聞かせ、立山への参詣登山(さんけいとざん)を呼びかけます。その時、村の代表者のもとに護符や経帳衣などを置いておき、使った品物の代金を1年後に回収しました。この修験者の檀那場廻では、薬を置くこともあったようです。

 売薬の行商は近世に発達し、越中富山を筆頭に大和丹波市(やまとたんばいち、奈良)付近、備中(びつちゅう、岡山)総社周辺、越後(えちご、新潟)西蒲原地方などを本拠としました。特に富山は、配置薬(はいちやく、置き薬とも)という独特の販売法によって全国に販売を広げました。越後の毒消売りは慶長年間に始まるといい、漁村の女の出稼(でかせぎ)として発達しました。

 配置家庭薬(置き薬)は、富山の薬売りとして江戸時代から親しまれたもので、かぜ薬、胃腸薬などを広く家庭に配置して、年に2回の春と秋に補充、薬の使用代金は後払い(先用後利)とし、特に農村では珍重されました。

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越中反魂丹(えっちゅうはんごんたん、池田屋安兵衛老舗、富山、google画像)

(解説) 江戸時代の売薬人が扱った薬の中で、よく知られたものは反魂丹(はんごんたん)で、富山の売薬は、この薬を中心として発展しました。明治時代まで、売薬人が、反魂丹売りと呼ばれていたほどで、現在もこの薬は、富山の薬の主商品として売り出されています。しかし、反魂丹という薬は、富山独自のものではなく、1683年(天和3年)備前(岡山)の藩医、11代万代常閑(もずじょうかん、のちまんだいじょうかん)が長崎に旅した時、富山藩(10万石、加賀藩の支藩)の藩命で長崎にいた藩士(近習役)、日比野小兵衛(ひびのこへえ、生没不明、砲術家) の腹痛を直したこと、またこの薬の製法を小兵衛が伝習したと伝えられています。

 また、1690年(元禄3年)に加賀藩より分藩した富山藩2代藩主、前田正甫(まえだまさとし)、1649年(慶安2年)~1706年(宝永3年)に関わる話として、正甫が腹痛を起こした時、家臣の日比野小兵衛が反魂丹を献上して直したこと、江戸城で、三春(5万石、福島)3代藩主秋田輝季(あきたてるすえ)、1649年(慶安2年)~1720年(京保5年)が腹痛の急病を起した時、正甫が所持していた反魂丹を飲ませるとすぐに回復したと伝えられています。

 そして、その効果を見た全国の大名が自国領内での販売を懇願したので、正甫は城下の薬種屋、松井屋源右衛門(まついやげんえもん)、1645年(正保2年)~1717年(京保2年)に製造させ、八重崎屋源六(やえざきやげんろく)、?~1749年(寛延2年)に 全国販売させました。ということで、反魂丹の処方は、万代常閑が伝えたものと言われ、富山では常閑は、越中売薬の祖として知られています。

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越中反魂丹(えっちゅうはんごんたん、池田屋安兵衛商店、富山、google画像)

(解説) 反魂丹は、食傷、腹痛等に特効ある懐中丸薬です。この丸薬は、黄蓮(おうれん)、甘草(かんぞう)、熊胆(ゆうたん)などの20数味の薬剤(時代、調製者により少しずつ異なる)を調合した腹薬ですが、庶民は万病薬として用いました。元禄の頃から富山の薬売りが全国に広め、江戸では芝、田町(たまち)の堺屋長兵衛(さかいやちょうべえ)売り出しのものが、田町の反魂丹として名高い。

 現在の池田屋安兵衛商店の反魂丹処方は、黄蓮(おうれん)、千振(せんぶり)、生姜(しょうきょう)、牛胆(ぎゅうたん)、ウルソデオキシコール酸(熊胆の主成分) などを調合したものです。和漢薬の成分は、明治時代になり、毒劇薬取扱規則など、薬事法の施行を受け、反魂丹の薬剤成分は江戸時代のものとかなり異なり、特に有毒成分(ヒ素の硫化鉱物、雄黄、ゆうおう、解毒剤など)は調合成分から完全に除去されています。

 この反魂丹で代表される富山の売薬が、江戸時代から現在まで続く不動の地位を築いたのは、薬の効能が確かであること、先用後利の商法(現在の配置売薬の方法と同じで、預けた薬の使用した分の代金をもらう)が的を得たことにあります。それと藩が時代に即して、例えば、反魂丹役所を設けるなど保護育成を図ると共に、売薬屋も、仲間組と向寄という組織を作り、互助と自己規制を行うことで、信用を高めたことにもよります。富山藩の売薬が成功すると、越中加賀藩でも盛んとなり、現在も富山県全域に配置売薬業者がいて、その活動範囲は全国に渡っています。

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売薬のおまけ( 売薬土産、紙ふうせん、紙ぼうし、富山、google画像)         

(解説) 薬売人は薬の他に、得意先に配る簡単なおまけ(土産、進物)を持参していました。その種類は、売薬版画(絵紙、えがみ)、氷見の針、塗箸、手ぬぐい、湯呑、紙ふうせん、紙飛行機、喰い合わせ表、食品分類表などで、実用的なものや娯楽性のあるものが喜ばれたようです。このおみやげは、薬の売上の約5%ほどの費用で作られていました。売薬人は、おみやげによって、得意先へ文化や情報を運び、またおみやげの品物に関わる産業をも発展させてきたと思われます。

 私が小学生の頃、郷里の田舎の家(引野、松島、のち上板、徳島)には、赤色の家庭薬箱が置いてありました。富山の薬売りが春の暖かい時期に訪れ、薬の使用状況を調べ、また薬の入れ替えをし、おまけの紙ふうせんなど貰ったことを覚えています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 日吉芳朗、本浄高治、中西孝: 加賀藩にゆかりのある史跡と産物p.298~299、加賀藩の秘薬と富山藩の売薬、化学と教育(1991); 富山市郷土博物館編: 富山の売薬、富山市教育委員会(1996).

(参考資料) 立山檀那配札廻(たてやまだんなくばりふだまわり、富山、google画像): http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&tbs=isch%3A1&sa=1&q=%E7%AB%8B%E5%B1%B1%E6%AA%80%E9%82%A3%E9%85%8D%E6%9C%AD%E5%BB%BB%E3%82%8A&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=&start=0

反魂丹(はんごんたん、google画像): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8F%8D%E9%AD%82%E4%B8%B9&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

反魂丹(池田屋安兵衛商店、富山):http://www.hangontan.co.jp/

富山の売薬(広貫堂資料館、富山: http://www.koukandou.co.jp/shiryoukan/index.html

富山市売薬資料館(富山市民俗民芸村内): ;http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/minzokumingei/baiyaku/baiyaku.html

おまけ(富山の売薬、富山、google画像): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%A3%B2%E8%96%AC%E3%80%80%E3%81%8A%E3%81%BE%E3%81%91&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

(追加説明) ○ 江戸時代、越中富山の薬売りは、唐薬種(中国)を大阪で仕入れ、琵琶湖の水運を経て、敦賀から北前船で富山に運びました。薬の行商人は、目的地別に仲間を組んで徒歩で出かけ、商品は船便にしたと言われています。(加藤貞仁(文)、鐙啓記(写真): 北前船、寄港と交易の物語、越中、薬売りを支えた北前船、無明舎出版(2002)より)

○ 江戸時代の後期、富山売薬の九州地方(薩摩、大隅、日向)への配薬は、日本海の海運を利用したもので、薬荷の輸送は、西廻航路を利用した北前船でされました。また、薩摩組仲間は、鹿児島藩から資金の貸与を受けて、蝦夷松前(北海道)にて昆布を仕入れて廻送し、鹿児島藩に1万斤を献上、残りも同藩にて販売することとなりました。この昆布販売の背景には、鹿児島藩の御製薬方の設置、富山売薬差留問題がありました。

 薬売りの行商の旅は、年2回の春と秋が原則です。この季節は、稲などの収穫、あるいは出稼ぎから帰る頃で、旅先地の家々に現金収入がある時期だからです。この1年の旅立ちは、江戸時代以来、現代まで引き継がれています。(富山市郷土博物館編: 富山の売薬、富山市教育委員会(1996)より)

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