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2010年4月 5日 (月)

原子力エネルギーと原子爆弾(マンハッタン計画)、原子爆弾投下(広島、長崎)、日本の原子力発電所(核燃料、原子炉)、天然原子炉(オクロ鉱山、南アフリカ)、とは(2010.4.5)

  1941年(昭和16年)12月8日~1945年(昭和20年)9月8日、太平洋戦争の時、アメリカ合衆国(USA)は、マンハッタン計画において、1945年(昭和20年)7月16日、アラモゴードの砂漠(ニューメキシコ州、USA)において、人類初のプルトニウムの原子力エネルギー(核エネルギー)を使った原子爆弾の実験(トリニティ実験)に成功しました

 原子爆弾(略称、原爆)は、ウラン235(質量数235のウラン)、プルトニウム239(質量数239のプルトニウム)などに核分裂反応を爆発的に行わせ、発生する熱線、衝撃波、各種放射線を利用した爆弾です。1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分、ウランを用いたものが広島に、プルトニウムを用いたものが、3日後の8月9日、午前11時2分、長崎に投下され、人類史上かってない大惨事をもたらしました。

原子爆弾のキノコ雲 広島原爆投下(1945.8.6)、 下 長崎原爆投下(1945.8.9)、google画像) 

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オットー ・ ハーンOtto Hahn1879~1968、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B3

(解説) 核燃料の核分裂反応は、ウラン、プルトニウムなどの重い原子核が、熱中性子(低エネルギー中性子)の照射によってほぼ同程度の大きさの2つの原子核に分裂する現象です。1938年(昭和13年)オットー・ハーンらが発見、この際、大きなエネルギーの放出を伴うことが分かりました。

 戦後、原子力エネルギーの平和利用として、原子炉による原子力発電が開発されました。これは、原子炉で発生する熱エネルギーを用いて、高温高圧の水蒸気をつくり、火力発電と同じように蒸気タービンを回して発電するものです。原子炉では、熱中性子を吸収し核分裂の度合いを調整する制御棒を操作し、濃縮ウランなどの原子核分裂の連鎖反応を制御しながら持続させる状態(臨界、りんかい)にしています。

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原子力発電所 原子力発電所の分布地図 下 美浜原子力発電所、google 画像)

 1969年(昭和44年)8月8日、関西電力の美浜原子力発電所(美浜町、福井)で生み出された電気が大阪万博会場(吹田市、大阪)に送られました。この試験的な送電は、出力1万キロワットと小さいものでしたが、日本のエネルギーに新時代の到来をもたらす記念日となりました。

 現在、日本の総発電量の約3割は、核燃料(ウラン、プルトニウムなど)を用いる原子力発電によるものです。地球の温暖化が、化石燃料(石炭、石油など)を用いる火力発電が大きな要因となっているということで、これを減少させる対策として、原子力発電が注目されたことがあります。

 原子力発電では、火力発電の化石燃料の燃焼によって二酸化炭素や硫黄酸化物などの地球環境に悪影響を与える排ガスは生じないのですが、核燃料の中に核分裂によって生じた有害な放射性物質が蓄積されます。ということで、使用済みの核燃料をいかに安全に長時間管理するかという問題を抱えています

 天然原子炉とは、過去に自然に核分裂反応が起こっていたウラン鉱床のことで、1972年(昭和47年)、Francis Perrin(物理学者、フランス)が発見しました。天然原子炉が発見された場所は、オクロ(オートオゴウェ、ガボン、南アフリカ)にある3つの鉱床で、自律的な核分裂反応のあった場所が16ヵ所も見つかっています。約20億年ほど前、数十万年にわたって、平均で100kW相当の出力の反応が起きていたという。

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天然原子炉の場所と外観オクロ鉱山、ガボン共和国、南アフリカ、google画像)

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黒田和夫 (P.K.Kuroda1917~2001、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%A4%AB. 

 自然界で天然原子炉が形成される可能性は、1956年(昭和31年)、P. Kuroda(P、洗礼名のパウル、黒田和夫)が予言されていました。オクロで発見された条件は予想された条件に極めて近かったという。(Kuroda, P. K. (1956). “On the Nuclear Physical Stability of the Uranium Minerals”. Journal of Chemical Physics 25: 781–782; 1295–1296. )

黒田和夫博士を偲ぶ(名誉教授より)http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/27042/1/rgn33_1_7.pdf

○ 天然原子炉が20億年前のガボン共和国(アフリカ)のオクロ鉱山で稼働していた!

 その根拠は、自然界に存在するウランは、主に重さの違いから「ウラン235」と「ウラン238」の二種類があります。このうち臨界に達するのが235です。太陽系に存在する全てのウラン鉱石はほぼ238で構成され、235の比率はわずか0.72%です。このため自然界では通常、235の比率が低すぎて臨界には達しない。原子炉で用いるウラン燃料は、235の割合を人工的に2~5%にまで濃縮しています。

 地球化学者、黒田和夫博士(1917~2001)は、アメリカのアーカンソー大助教授時代の1956年(昭和31年)、天然ウランが自然界で臨界に達する「天然原子炉説」を発表しました。黒田博士が着目したのは、半減期の違いでした。ウラン235の半減期は約7億年とウラン238(約45億年)より短く、過去にさかのぼるほど鉱石中の比率が高くなります。約20億年前なら約3%となり、原子炉のウラン燃料中の濃度に近くなります。

 論文発表から16年後の1972年(昭和47年)、フランス原子力庁の調査で、オクロ・ウラン鉱床のウラン235の比率が0.44%まで減っていることが判明しました。そこからオクロでははるか昔に臨界に達していたことが導き出され、黒田説の正しさが証明されました。

 その後の研究で、オクロ天然原子炉は数十万年にわたって断続的に臨界に達していることが分かりました。ウラン鉱床に染み込んだ地下水は軽水炉と同様、核分裂を引き起こす中性子の減速材の役割を果たしていました。熱で水が蒸発すると反応が止まりますが、鉱床が冷えてまた地下水が流れ込むと再臨界に達することを繰り返しました。その間の総出力は百万キロワット級の原子炉5基を1年間フル稼働させたときに発する熱エネルギーに相当します。

北陸中日新聞: 20億年前のアフリカ 天然原子炉あった 日本人が存在主張 原発5基分の熱エネルギー、2013年(平成25年)11月4日(月)朝刊

 私が金沢大学理学部(城内キャンパス)に勤務していた頃、1973年(昭和48年)7月7日、天然原子炉を予言された黒田和夫教授(アーカンソー大学、USA)が日本化学会主催、北陸地区の講演会で来沢され、金沢大学工学部の秀峰会館(小立野、金沢)で「宇宙化学と私」という演題で講演されました。

 丁度、七夕の日と重なり、「カナダから メキシコかけて 天の川」の一句をご披露され、また、1956年(昭和31年)、約20億年前にはウラン鉱床で自然に核分裂が起こる「天然原子炉」があったという予想、その後、1972年(昭和47年)、南アフリカのオクロ鉱山で天然原子炉が発見された秘話など、懐かしく思い出されます。 

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 大木道則、大沢利昭、田中元治、千原秀昭編: 化学辞典、東京化学同人(1996): 太田次郎、山崎和夫編: ー物質とエネルギーの探求ー、高等学校、新編、理科総合A(改訂版)、啓林館(2005).

(参考資料) 原子爆弾(広島、長崎、google画像): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

原子力発電所(日本、google画像): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

オクロの天然原子炉(南アフリカ、google画像): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AD%20%E5%A4%A9%E7%84%B6%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

(追加説明) ○ 原子爆弾は、原子核分裂の連鎖反応を利用し、狭い空間で瞬間的に大量の核分裂エネルギーを放出させる装置です。臨界量(連鎖反応に最低必要な量)以上の核分裂核分裂性物質10キログラムを使用、約1キログラムが核分裂し、TNT2万トン相当の威力を示しました。

○ 原爆と水爆

 1945年(昭和20年) 8月6日 B29が広島原子爆弾投下(死者約15万人)。9日 長崎に投下(死者約7万人)、のち「原爆ドーム」となる広島県物産陳列館を設計したのは、チェコの建築家、ヤン・レツル(1880~1925)であった。

 1946年(昭和21年) 7月1日 米国がビキニ環礁で大戦後初の原爆実験。

 1948年(昭和23年) 5月14日 イスラエル共和国建国宣言。5月15日 第1次中東戦争。

 1949年(昭和24年) 10月1日 中華人民共和国が成立。

 1952年(昭和27年) 2月26日 チャーチル英首相が英の原爆保有を公表。11月1日 米が太平洋のエニウェトク環礁で水爆実験。5月25日 米がネバダで原子砲実験。8月8日 マレンコフ・ソ連首相が水爆保有を公表。

 1954年(昭和29年) 3月1日 アメリカが太平洋ビキニ環礁で水爆実験。静岡県焼津の第5福竜丸が放射能被災。9月23日 無線長・久保山愛吉死亡。原水爆禁止署名が全国的規模で起きる。6月2日 ソ連で世界最初の原子力発電による送電が開始される。(5000キロワット)

 1955年(昭和30年) 2月17日 英が水爆開始を発表。3月16日 フランスが原爆製造開始を発表。8月6日 第1回原水爆禁止世界大会を広島で開催。

 1957年(昭和32年) 5月15日 英国がクリスマス島で初の水爆実験、第3の水爆保有国に。8月27日 茨城県東海村の原子力研究所で、米国型原子炉に「原子の火」ともる。9月19日 米国がネバダ州ラスベガスで初の原爆地下実験。

 1958年(昭和33年) 3月31日 ソ連が核実験の一方的中止を言明。8月22日 米英が条件つきで10月31日以降核実験の1年間停止を発表。9月30日 ソ連が核実験を再開。10月31日 核実験停止に関する米英ソ3国会議開催(~12月19日)。核実験停止交渉開始。

 1960年(昭和35年) 2月13日 フランスがサハラ砂漠で初の原爆実験。第4の核保有国に。

 1964年(昭和39年) 10月16日 中国が第1回原爆実験に成功。17日 日本政府が抗議の談話を発表。11月12日 米原潜シードランド号が佐世保に入港。18日 反対デモ、警官隊と衝突。14日 出港。 

戦後史年表 1926ー2006、朝日新聞社(2007)、より) 

○ 金沢大学 理学部化学教室 放射化学講座 開設のきっかけ

 1954年(昭和29年)3月、静岡県焼津港から全国の市場に発送された、太平洋ビキニ環礁での米国の水爆実験による被ばくマグロが6本、金沢の近江町市場でも入荷されました。その後、2本は金沢大学の研究に使われ、4本は野田山墓地の近くに埋められました。

 木羽敏泰教授(分析化学講座)らは、マグロのうろこを一枚ずつ塩酸に漬け、放射性物質を取り出す研究を不眠不休で取り組みました。この研究が認められ、1962年(昭和37年)、金沢大学に全国でもいち早く放射化学講座開設されることになりました。

近江町襲った「死の灰」恐怖、第五福竜丸事件から55年 被ばくマグロ 流通寸前(石川ニュース、北国新聞、2009.3.1):http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20090301101.htm. 

いわゆる「原爆マグロ」に付着せる放射性物質について(木羽、大橋、柴田、水辺、JAPAN ANALIST、1954、pdf): https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunsekikagaku1952/3/4/3_4_361/_pdf

○ 原子力発電は、原子炉で発生する熱を用いた発電です。天然ウラン黒鉛減速型、加圧水型、沸騰水型等の発電用原子炉の冷却材を熱交換器に導いて、できるだけ高温高圧の水蒸気を発生させ、これでタービン発電機を運転させます。つまり火力発電所のボイラを原子炉と熱交換器で置き換えたものに相当します。最初の原子力発電は、1954年(昭和29年)ソ連で成功(出力5000キロワット)、次いで英国で1956年(昭和31年)に発電(出力35000キロワット)を開始しました。

 日本では1957年(昭和32年)、9電力会社、電源開発会社、5原子力産業グループなどの出資で、日本原子力発電(株)を設立、原子力発電計画が発足しました。1960年(昭和35年)、東海発電所は、コールダーホール型原子炉により、日本最初の商業発電を開始、1967年(昭和42年)完成時の電気出力は166メガワットでした。敦賀発電所は、沸騰水型原子炉により、電気出力322メガワットで、1970年(昭和45年)に操業を開始しました。 東海発電所1967年日本初の商業用発電、1998年停止、23年間の解体、撤去工程予定):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80. 

○ 原子炉は、核燃料、制御棒、冷却剤、減速剤、反射材、遮へい材という材料から構成されています。近年、話題となっている高速(中性子)増殖炉は、プルトニウム239を燃料として使い、ブランケット部(冷却、核燃料生産、遮へいを担う装置)に置いたウラン238をプルトニウム239に核変換させるので、プルトニウム239を消費して発電しながら、同時に新しくプルトニウム239を増殖できる可能性があります。

〇 ニホニウム(Nh) 113番元素のニホニウムは、83番元素のビスマスに30番元素の亜鉛の原子核をぶつけることで、日本の理化学研究所(埼玉)ではじめてつくられた元素です。

ニホニウム(理化学研究所、ホームページ):http://www.riken.jp/pr/fun/113/

 

 

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