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2010年5月19日 (水)

日本茶にまつわる歴史伝承、夏も近づく八十八夜、緑茶(玉露、煎茶、番茶)、お茶の効能、お茶の歴史、とは(2010.5.19)

  新茶の季節は5月です。茶の若葉は、4月下旬から5月にかけて摘み取ったのが一番茶、いわゆる八十八夜の新茶です。走り茶ともいい、香気があり、新鮮な風味が珍重され、八十八夜を過ぎて初夏の頃、市場に売り出されます。新茶が出まわると、前年の茶は古茶となります。6月下旬から7月のものは二番茶として全体の4割を占めます。夏から秋にかけては三番、四番茶となります。

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八十八夜、新茶摘み(お~いお茶 有明、鹿児島、伊藤園、google画像)

(解説) 日本的な緑茶、玉露(ぎょくろ、一番茶)、煎茶(せんちゃ、二番茶)、番茶(ばんちゃ、三、四番茶)の製法は、若葉を摘み取り、蒸して葉の中に含まれている酵素(ポリフェノールオキシダーゼ)の働き(酸化反応)を止め、緑色の色素(クロロフィル)を美しく残させ、ヨリをかけて乾燥させ仕上げます。 

 摘み取る1~2週間前、茶園をヨシズやワラで覆い、日光を遮(さえぎ)り、茶の葉を軟らかく美しく仕上げたのが玉露で、一方、日光に当てたまま摘み取ったのが煎茶、番茶です。

 煎茶は、玉露より旨味(うまみ)のアミノ酸のテアニン(グルタミン酸のエチルアミド)、カフェインが少なく、渋味(しぶみ)のタンニン(ポリフェノールの総称、特にカテキン類)とビタミンCが多い。日光が葉に当たるにつれ、旨味のテアニンは渋味のタンニンに変っていきます。

 玉露と同じように、茶園に覆いをかけて育てた若葉(一番茶)を摘み取り、ヨリをかけず葉のまま乾燥したのが碾茶(てんちゃ)で、これから粉末状の抹茶(まっちゃ)が作られます。抹茶には、旨味のテアニン、ビタミンC、ビタミンA、鉄分、カルシウムなど多く含まれています。

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玉露(ぎょくろ、八十八夜、一番茶、宇治、京都 、google画像) 玉露(源ちゃんブログ):http://n-h-k.jp/genchan/log/eid1649.html

(解説) お茶の美味しい入れ方としては、煎茶は、緑茶の旨味成分(テアニン)が80℃前後でとけてくるので、沸騰した湯をさまし、糸のように細く注いで2~3分おきます。玉露はその成分が濃いので、さらに低く60~70℃位にします。番茶は香りで飲むので100℃の沸騰した湯を使います。沸騰した湯を冷たくし、茶の葉を加えて一晩冷蔵庫で寝かせると、まろやかな冷茶ができます。温めた茶碗に平均に回し入れて急須(きゅうす)に湯を残さないようにしないと、50℃以下で渋いタンニンがしみ出して黄色くなります。 また、番茶(三、四番茶)は、硬くて苦味が強くなるので、焙(ほう)じて香りを出して飲みます。

 昔、宵越しのお茶はお腹をこわす、と言われたのは、タンニンが嫌われたものでしたが、最近これが過酸化脂質ができるのを防ぐことが分かり、注目されてきました。つまり、緑茶は、しみ、腹痛、動脈硬化、糖尿病、肝臓病、さらにはガンを作る元凶を予防するので、日本人にとって大事な飲み物となりました。適度のカフェインは、軽い興奮を誘って、頭が冴え、疲れが取れ、爽やかな気分になれます。また、眠気覚まし、利尿の効果もあるようです。

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八十八夜、新茶摘み(宇治新茶、宇治、京都、京都新聞、google画像)

 私が小学生の頃、茶摘み歌、夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅(すげ)の笠 、を歌ったことを思い出します。八十八夜は立春(節分の翌日で、2月4日頃)から数えて88日目、現行暦では5月2日か3日頃です。この頃は、昔から、農作業の重要な節目と考えられ、茶摘み、苗代(なわしろ)のモミまきなどの目安とされてきました。

(解説) 日本の茶摘作業を歌った、茶摘の歌は、1912年(明治45)年に、尋常小学校唱歌 第3学年用、として発表された文部省唱歌です。田原村(宇治、京都)の茶摘歌をもとに作られたとされ、歌詞の2番にある日本はもと田原であったと言う。

1. 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠  2. 日和(ひより)つづきの今日このごろを 心のどかに摘みつつ歌ふ 摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

 日本茶には、静岡茶(さやわかな味、静岡)、宇治茶(香り高く気品のある味、京都)、狭山茶(甘味あり濃厚、埼玉)、八女茶(甘味のある初々しい味、福岡)、鹿児島茶(コクがあり濃厚、強い香り、鹿児島)など、特徴ある味のお茶が知られています。また、石川県には、茶の茎を焙(ほう)じた香ばしい香りの加賀棒茶があり、加賀には昔から棒茶を飲む習慣がありました。(茶の主な産地http://www.geocities.jp/mamehiko6636/nihonchanosanchi.html.)

阿波番茶(若葉の乳酸発酵、後発酵茶、上勝、徳島、google画像)

 特色のある」お茶として、私の郷里(徳島)の阿波番茶(あわばんちゃ)が有名です。阿波番茶は、古代茶、茶の化石の別称があり、相生町(那賀郡)や隣の上勝町(勝浦郡)に数百年来伝わる農家自家用の番茶で、大陸伝来(タイ、ミャンマー北部、旧ビルマの農村)の発酵茶だと言う。(上勝阿波番茶(徳島): http://www1.quolia.ne.jp/~awabancha/.)

(解説) 阿波の番茶と呼ぶが、新芽は摘まず、若葉が緑濃く分厚くなる夏を待って、年に一回だけ摘む一番茶で、遅い時期に摘むので、番茶と言ったようです。徳島県のほかは高松市(香川)や淡路島などで飲まれている地方茶で、独特の香りで、ほんのり酸っぱく、夏は冷やしてさっぱりした味わいで人気があります。

 製法から言えば、紅茶やウーロン茶と同じ発酵茶ですが、加熱処理する前に茶に含まれている酸化酵素によって発酵させる紅茶に対し、阿波番茶は、加熱処理した後、有用な微生物、バクテリア(乳酸菌など)で発酵させることから後発酵茶と言われています。

 私の生家(引野、上板、徳島)では、自宅の近く、畑の畦(あぜ)の周りには、茶(1m以下)が植えてありました。父が若葉を摘み取り、四角の木枠に和紙を敷き、若葉を入れて温め、手もみをして乾燥し、自家製のお茶を作っていたのを覚えています。また、お茶屋さん(はせやさん、板野)が来た時、緑茶を購入し、特に玉露を飲む時には、湯冷ましをして、小さな湯呑みにお茶を出し、お客さんと談笑していた姿が目に浮かびます。

 1964年(昭和39年)4月、京都の露口さん(油小路、中京区)より、父と一緒に祇園の都をどりに招待され、太夫お点前の抹茶と和菓子をいただいたことがあります。和菓子を食べてから抹茶をいただきました。これは、ご飯を食べてからお茶を飲むのと同じとのことでした。露口さんは母親の女学校の同級生で、露口和裁学院を開いておられ、教え子の小川さんを通じて、銀閣寺近くの下宿(村井良治様、下別当町、北白川、左京区)をお世話いただき、京都大学(大学院)に歩いて通いました。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 樋口清之(監修): 生活歳時記、三宝出版(1994); 阿波番茶(新聞記事): 朝日新聞、朝刊、6月19日(1990)、北陸中日新聞、朝刊、7月13日(2008); 石川化学教育研究会編: 科学風土記、加賀・能登のサイエンス、p.87、李浩喜、加賀棒茶、裳華房(1997).

(参考資料) お茶百科(お茶の産地): http://ocha.tv/producers/; お茶の産地(図録): http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0465.html; お茶の産地と特色: http://www.ujien.co.jp/tl/santi.html..

(追加説明) ○ 茶は、ツバキ科の常緑低木で、雲南(中国)とその周辺の温、熱帯地方が原産だと言われています。インドの野生種は高さ8~15mに達するが、日本や中国では1m前後の低木となります。木質は硬く樹皮はなめらかです。葉は濃緑色、長楕円形で厚く、表面は平たく光沢があります。10月頃、葉腋(ようえき)に白花を開き、観賞用の紅花種など多くの変種があります。果実は扁円形(へんえんけい)で、開花の翌秋に成熟し、通常3個の種子があります。一般に温暖多雨の気候を好み、品種はインド種と中国種に大別されます。栽培は、種子あるいはさし木、取り木、根ざしによります。

○ 中国茶種類は3000種と多く、大きく分けると、不発酵茶(緑茶、日本のものと異なり、香りが高くビタミンCが豊富)、発酵茶(完全に発酵した紅茶)、半発酵茶(途中で発酵を止めたもので、烏龍(ウーロン)茶)などがあります。葉の中の酵素(ポリフェノールオキシダーゼ)は、渋味成分のタンニン、カテキン類を酸化し、紅茶やウーロン茶の色や味の成分を作り出します。

○ 茶の歴史は古く、漢代(紀元前202~220年)、中国ではすでに飲用されていました。日本には、奈良時代(710~793年)、中国より伝来し、煉瓦(れんが)のように固めた磚茶(だんちゃ、チュワンチャとも)を削り、煮立てて飲んでいました。

 1191年(建久2年)、栄西禅師が、茶経陸羽著、中国)を引用して喫茶養生記を書き、鎌倉幕府(3代)将軍、源実朝、1192年(建久3年)~1219年(建保7年)に献上しました。そして、実朝の2日酔いを抹茶でいやし、その効用を説き、禅寺でも愛用される飲物となりました。

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栄西(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E8%A5%BF

 鎌倉時代(1192~1338年)になり、明庵栄西(みょうあんえいさい、臨済宗開祖)、1141年(永治元年)~1215年(建保3年)が禅宗と共に抹茶(まっちゃ)を宋(中国)から持ち帰りました。当時の宋では、抹茶を飲むことが禅宗の儀式の一つになっていました。そして、修行を妨げる眠気をさますのに、抹茶は重要な役割を果たしました。 

 帰国した栄西禅師は、背振山(せぶりやま、佐賀)に茶の種をまきました。地名の岩上(いわがみ)に因んで、岩上茶と呼ばれ、のちにこの種が明恵上人(みょうえしょうにん、華厳宗)、1173年(承安3年)~1232年(貞永元年)に贈られました。明恵上人は、京都の仁和寺ほか、奈良、三重、静岡などにも茶を移植し、全国的に茶の栽培が盛んになりました。

 室町時代(1339~1573年)、室町幕府(3代)将軍、足利義満、1358年(正平13年、延文3年)~1408年(応永15年)も茶の湯に熱心で、宇治の茶は、この足利義満のお声がかりで名声を高めました。また、村田珠光(むらたしゅこう、侘茶(わびちゃ)の祖)、1423年(応永30年)~1502年(文亀2年)は、室町幕府(3代)将軍、足利義政、1436年(永享8年)~1490年(延徳2年)の保護のもとに茶道を創設しました。そして、茶室、唐紙、畳、玄関、床の間と現在の日本建築様式を完成させました。その後、武野紹鷗(たけのじょうおう)、1502年(文亀2年)~1555年(弘治元年)は、村田珠光の侘茶(わびちゃ)の流れを受け継承し、今日の茶の湯の基本的なスタイルを確立しました。

 安土、桃山時代(1574~1802年)、千利休(せんのりきゅう)、1522年(大永2年)~1591年(天正19年)は、武野紹鷗に学んだ詫茶(わびちゃ)をさらに発展させ、楽茶碗や竹花人など利休好みといわれる数々の茶道具の名品を創作、茶室様式を完成するなど、茶の湯を大成しました。

 茶道の流派については、千利休以前からの流派もいくつかあり、千利休と同時期の創始による流派、千利休の息子や孫の流れを汲む流派など、様々なものがあります。(茶道の道しるべ、茶道の流派http://www.sadounomichi.com/start/ryuha.html.)また、一期一会(いちごいちえ)という言葉は、茶道から出た心構えと言われています。

 武士の間で喫茶の風習が広まると、やがて町人や農民にまで及んでいきました。農民の茶会は、雲脚茶会と呼ばれ、寄会いの席でも茶をたてて飲んだり、御神酒(おみき)に混ぜて、飲みまわしました。

 江戸時代(1603~1868年)、日常生活の規範は茶を中心に組み立てられ、規則から外れた生活は、茶のない生活と同じと見なされて、無茶(ムチャ)、滅茶苦茶(メチャクチャ)ばどという言葉も生まれました。その後、余りの堅苦しさから、からかいの言葉に転じ、茶んとせよ、茶化す、チャチ、チャンチャラオカシイなどと悪い意味に使われるようになりました。

○ 京都の宇治の茶畑では、近くを流れる宇治川から朝霧が上がってきて、天然の覆いとなり、日光を遮り、よい新茶が取れるということを聞いたことがあります。

 ハーブ茶 古代、エジプト時代から人々は病をいやすため、あるいは悪霊を祓(はら)うために、香りのある草や実、花や茎を乾燥させて用いていました。穏やかに徐々にききめを現す漢方茶のように、その薬草(ハーブ)お茶、ハーブティーとして愛飲されました。やがて、それはギリシャ、ローマに伝わり、キリスト教修道僧により、広くヨーロッパにおけるお茶として定着していきました。一般に、日本の麦茶のように用いています。

 主なハーブ茶には、菩提樹(ぼだいじゅ)の葉、野いばらの実、ハイビスカス、ベルベナ、マルベ、オレンジ、矢車菊、カミツレ、タイムなどが知られています。(生活歳時記より)

 

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