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2010年5月25日 (火)

德島城(渭山城)にまつわる歴史伝承、德島の名の由来、藩主(蜂須賀氏)の家紋(丸に卍)、正室(氏姫の生家)の家紋(三階菱)、諏訪神社、とは(2010.5.25)

 徳島(とくしま)というは、もと、猪山(いのやま、のち好字の渭山に改める)の東方、吉野川の三角州の一つの島の名でしたが、嘉名ということで、城と城下町の名になったと言われています。吉野川の河口付近の中州(三角州)上に位置する徳島市内には、島の名が付く町名が多いようです。

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蜂須賀家正(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E9%A0%88%E8%B3%80%E5%AE%B6%E6%94%BF

 徳島藩は、1585年(天正13年)、蜂須賀家政(1558~1639)が、吉野川の三角州上の孤立丘陵にある渭山城(いのやまじょう)に入城してから、城下町として発展しました。渭山は、その形が猪(いのしし)が伏している姿に似ているので、猪ノ山(いのやま)と言っていたのを、渭山(いのやま)の字が好いということで、猪山を渭山に改めたと言われています。

 また、城山には、先住民の遺跡があり、私も以前に訪れたことがあります。東南隅の岩窟(第三号貝塚)は、岸壁の海蝕による自然の洞穴であり、貝層(ハマグリ・カキ・バイガイ)が出土、また、縄文後期~晩期の土器、弥生時代の土器片などが発見されています。

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德島城址上 助任川(北)からの城山(渭山)、 城山(東南隅の岩窟)の貝塚、 下 徳島城(南東)からの表口の見付門、鷲の門、1989年(平成元年)9月27日、徳島市制100周年を記念して、吉田ツルエ氏により復元寄贈、google画像)

(解説) 徳島城は、風光の美しさが、中国の渭水(黄河最大の支流)に似ていることから、渭山城とか渭津城と呼ばれていました。室町時代、室町幕府の管領、細川頼之、1329年(元徳元年)~1392年(元中9年、明徳3年)が、小城を築いたのが徳島城の始まりです。その頃の阿波は、細川、三好氏の支配下にあり、勝瑞の城下町が中心地でした

 安土、桃山時代、1585年(天正13年)6月、豊臣秀吉、1537年(天文6年)~1598年(慶長3年)が、1582年(天正10年)、四国統一を目指し、渭津城を攻略していた長宗我部元親、1539年(天文6年)~1599年(慶長4年)を征伐した時、勲功のあった蜂須賀正勝(小六)、1526年(大永6年)~1586年(天正14年)の嫡子、蜂須賀家政、1558年(永禄元年)~1639年(寛永15年)が、秀吉より阿波一国(18万6000石)を賜りました。はじめは、徳島市西部の一宮城に入城しました。

 しかし、早々に、吉野川の三角州上の孤立丘陵にある標高62mの渭山(のち德島)の地に大規模な平山城の築城を始め、1587年(天正15年)に完成させました。この時、家政は、地の利を頼むよりも、人の和を得ることこそが、これからの大名には必要である。要は徳にあって嶮ではない、と説いたと言う。そして、旧領の尾張や播州竜野、領国の勝瑞の城下町の商人などを德島城の周辺に移住させ、城下町(内町の町屋)を築きました。

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徳島城(梯郭式の平山城、惣構(そうがまえ)、google画像)

(解説) 徳島城は、外堀が吉野川の分流、新町川、福島川、助任川、寺島川、内堀が寺島川、堀川として利用する、外敵から城を防御する造りで、惣構(そうがまえ)と呼ばれています。城の周囲には、四国山脈の緑泥片岩(阿波特産、青石)を使った石垣が築造され、松が植えられていました。この城は、二城式(梯郭式、かくていしき)の平山城で、山の上にあった渭山城と麓の寺島城を合わせて築いた城です。

 天守は、城山の中腹、東二の丸に三重天守が構えられていましたが、江戸中期に焼失し、以降は再建されなかったようです。平山城は、軍事的な役割の色が強い山城と異なり、領国支配における経済の中心的役割を果たし、また藩の政庁として利用されました。現在は、曲輪や石垣、掘、表御殿庭園(名勝)などが残っており、また、1989年(平成元年)に鷲の門が復元されています。

○ 蜂須賀家

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 蜂須賀家の祖は、尾張国蜂須賀郷の土豪、豊臣秀吉(木下籐吉郎)に仕えた、阿波一国(18万石)の大名、蜂須賀正勝(小六)(1526~1586ですが、その嫡子(長男)の家政(関ヶ原の戦いでは、領地を豊臣家に返納、剃髪、高野山光明院へ)、一方、関ヶ原の戦いで、家康の東軍に属して出陣した家政の嫡子、至鎮(15才)は、大坂夏の陣の後、淡路一国(7万石)を加増されました。

○ 蜂須賀至鎮

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蜂須賀至鎮(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E9%A0%88%E8%B3%80%E8%87%B3%E9%8E%AE

 江戸時代には、蜂須賀至鎮、1586年(天正14年)~1620年(元和6年)が、阿波国(徳島)と淡路国(淡路島、兵庫)を領有する徳島藩(25万石)の初代藩主となり、その後、14代忠英、光隆、綱通、綱矩、宗員、宗英、宗鎮、至央、重喜、治昭、斉昌、斉裕、茂韶、と明治維新まで続き、德島城は、明治維新を迎えるまで、德島の政治、経済、文化の中心地として発展しました。

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家紋瓦 卍(まんじ) 蜂須賀家(德島藩主)、 三階菱(さんかいびし) 小笠原家(德島藩主正室、氏姫の生家)、 google画像)

 蜂須賀至鎮は、阿波国徳島藩の初代藩主ですが、正室は徳川家康の養女、氏姫(信濃、8万石、松本初代藩主、小笠原秀政の娘)です。家紋は、蜂須賀家は丸に左卍(まんじ)、徳川家は葵(あおい)、小笠原家は三階菱(さんがいびし)です。 

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諏訪神社(入り口、三番町、南佐古、德島、google画像)

 鎌倉時代、小笠原長清、1162年(応保2年)~1242年(仁治3年)は、信濃守護家小笠原氏の祖で、阿波国守護となっており、氏姫と家系のつながりがあります。

 ということで、諏訪神社(佐古のお諏訪さん、眉山北麓の諏訪山、德島)は、氏姫の生家、小笠原家、故郷の諏訪(信濃、長野)との、えも言われぬ縁(えにし)を感じる次第です。

(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(1972); 湯浅良幸(徳島史学会)編: 徳島県の歴史散歩、山川出版社(1995); とくしま地域政策研究所編: 四国のいのち、吉野川事典、自然/歴史/文化、農文協(1999); 三好昭一郎: 喜壽記念日本史論集(第一部、近世地方都市形成史の研究、第二部、德島城下町民間藝能史論、第三部、阿波郷土史研究の半世紀、山川製本所(2006); 石躍胤央、北條芳隆、大石雅章、高橋啓、生駒佳也、徳島県の歴史、山川出版社(2007). 

(参考資料) 徳島城、貝塚(城山、德島、google画像):http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%9F%8E%E3%80%80%E8%B2%9D%E5%A1%9A&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

諏訪神社(三番町、南佐古、德島): http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/tokusima/tokushimasi/suwa/suwa.html

諏訪大社(信濃国一之宮、ホームページ、長野): http://suwataisya.com/

(追加説明) ○ (まんじ)は、蜂須賀家、多田家の家紋です。卍は、もとは古代バビロニア、アッシリアなど、世界各地で太陽の象徴、神聖な印として用いられました。それが仏教と共に渡来し、吉祥の相として寺院の紋章に用いられ、家紋となりました。

また、三階菱については、武田氏から分かれた小笠原氏は、宗家をはばかり、菱紋を3つ重ねた三階菱に意匠を変更したと考えられています。菱紋は、甲斐源氏、武田氏の代表家紋です。

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