« 金毘羅さん(讃岐、香川)にまつわる歴史伝承、金毘羅信仰(金毘羅大権現)、塩飽衆(北前型弁才船)、とは(2010.5.2) | トップページ | 小立野台地(金沢城址)の遺跡と寺院にまつわる歴史伝承、古代遺跡(発掘)、寺院(金沢御堂)、御城(金沢城)、坪野石(金沢城本丸跡、舟形手水鉢)、とは(2010.5.12) »

2010年5月 6日 (木)

碁の棋譜(最古)にまつわる歴史伝承、忘憂清楽(中国)、対局(黒上手、白下手、事前置石法)、爛柯堂棋話(日本)、とは(2010.5.6)

  1952年(昭和27年)、中国河北省望郡県の武将の墓(漢代、182年埋葬)の中から石製の大きな17×17路の碁盤が出土しました。これは、邯鄲淳(かんたんじゅん、儒学者、書家、132~220年)が、芸経という本の中で、棊局(ききょく)縦横各17道、合わせて289道、と記していた事を裏付けました。また、この最古の碁盤では、星(ほし、中国では花点)は9つではなく、5つの花点でした。

 漢代(かんだい、紀元前202~220年)の碁盤は、17路5星盤でしたが、次の随代(ずいだい、581~618年)以降になると、19路5星盤に変化しますが、今から100年ほど前まで、5星(花点)のままでした。その碁法、様式は、互先事前置石法という、対局前に4隅の相対する星(4の四)に白黒各2子を交互に置き合い、第一手は白石から打ち始めるものです。呉清源(ごせいげん、九段、中国)、1914年(大正3年)~氏の話によれば、事前置碁制で打ったことがあり、棋譜も残っているとのこと、また、来日した1928年(昭和3年)頃の中国では、まだ事前置碁制の対局が行われていたそうです。

Images_5

忘憂清楽集(ぼうゆうせいらくしゅう、 世界最古の囲碁対局、 白先 孫策 対 呂範、1~43手 打ち掛け、google画像)

(解説) 古代、中国では、貴人、上手が黒を持ち、白から先に打ちました。そこで、孫策が黒、呂範が白を持って打っています。呉清原氏の解説によれば、白21と三々に入ったのは軽妙で注目される。ただ白39は甘く、黒40とえぐられてはつらい。したがって、白39では40と抑えて、黒38の一子は抵抗できない。総体的に見ると白の打ち方が良い。白の方が強く、呂範は当時一級の打ち手であったかも知れない、とのことです。

 最古の棋書(中国)は、李逸民(りいつみん、棋待詔、きたいしょう、国手)編、忘憂清楽集(ぼうゆうせいらくしゅう、中国国家図書館秘蔵)で、北宋の徽宗(きそう、8代皇帝、在位、1100~1125年)、1082年(元豊5年)~1135年(紹興5年)時代の著書と言われています。書名は、皇帝の次の詩句によって命名されました。

 忘憂の清楽は枰棊(へいき)に在り 仙子攻(せんしこう)を精にして歳まだ笄(けい)ならず(忘憂の精楽は碁を打つにある。後宮の若い女性の碁打ちは、碁に精通している。仙子は碁打ち、攻は研究、笄は成人女子の髪具のことです。)

 この棋書には、仙人と王質(おうしつ、伝説上の樵、きこり)の爛柯図(らんかず)、後漢(ごかん、23~220年)の武将、孫策(そんさく、175~200年)と呂範(りょ はん、?~228年)の対局などが収録されています。しかし、対局の年代が確定できないことから、後世の作り物ではないかとの説もあります。

Images2_2

爛柯山図(らんかさんず、 張以寧、人說仙家日月遲 仙家日月轉堪悲 誰將百歲人間事 只換山中一局棋、中華基督教會燕京書院圍棋學會、中国、google画像)

(解説) 爛柯堂伝説(らんかどうでんせつ)とは、爛は腐る、ただれるという意味で、また、柯は斧(おの)の柄の呼び名で、斧の柄が腐り果てる、という祖沖之(そちゅうし、429~500年)、または任昉(じんぼう、460~508年)撰書(?)、述異記(じゅついき)にある晋代(しんだい、265~420年)の神話伝説です。すなわち、ある時、王質という樵が山中で4人の童子が碁を囲んでいるのを眺めているうちに時の経つのも忘れ、気が付くと持っていた斧の柄が腐り果てていた。驚いて家に帰ると、人々は皆死んでいなくなっていた、という故事です。 

 古代、中国では、黒(玄)を天の色、または奥深い色と考えられており、幽玄という言葉のル―ツです。黒衣(黒い着物)は貴人が着用するものであり、一方、白衣は無位無冠の平民の服で、白人や白丁(はくちょう、はくていとも)とは、普通人を指しています。と言うことで、中国では、下手(したて)が白を持ち、上手(うわて)が黒を持つしきたりが長い間続いていました。100年ほど前から、日本式に白と黒が逆転したと言われています。日本でも400年ほど前、本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ、第1世)、1559年(永禄2年)~1623年(元和9年)の碁に、第一手白の棋譜が20数局残されています。

 ところで、林元美(はやしげんび)、1778年(安永2年)~1861年(文久元年)著、爛柯堂棋話(らんかどうきわ)によれば、日本最古の棋譜は、鎌倉時代(1185~1333年)、日蓮(にちれん)上人、1222年(貞応元年)~1282年(弘安5年)と吉祥丸(のち、日朗、にちろう)、1245年(寛元3年)~1320年( 元応2年)が中国式事前置石法で対局した碁譜と伝えられています。

Images1_2

日本最古の囲碁対局黒先 吉祥丸(のち日朗) 対 日蓮上人、1~120手、google画像)

(解説) 1253年(慶長5年)癸丑正月、於鎌倉松葉谷草庵での対局で、4隅の相対する星(4の四)に白黒各2子を交互に置き合い、さらに天元に黒石を置き、第一手黒(吉祥丸)から打ち始め、181手で持碁(引き分け)で終わっています。日蓮上人が法華宗を開いて鎌倉に入り、激烈な辻説法に立った年で、ときに日蓮31才、吉祥丸は11才であったと言う。

 この碁譜の出典は、三神松太郎(井上因硯の弟子、二段)編の古棋(1819年(文政2年)出版)ですが、その版本の碁譜(3局)を裏付ける確かな資料もなく、作り話ではないかと言われています。

(参考文献) 渡部義通: 古代囲碁の世界、三一書房(1977); 国立国会図書館編: 囲碁・将棋文化史展、その伝来から近代まで、展示会目録(囲碁の部)、国立国会図書館(1988); 白川正芳: 囲碁の源流を訪ねて、日本棋院(1999); 水口藤雄: 囲碁の文化誌、起源伝説からヒカルの碁まで、日本棋院(2002); 呉清原(著者代表): 忘憂精楽集、講談社(2004); 日本棋院編: 日本棋院創立80周年記念、囲碁雑記手帳、月刊碁ワールド1月号第2付録、財団法人日本棋院(2005).

(文献資料) 中國圍棋故事go.yenching.edu.hk、中華基督教會燕京書院圍棋學會、中国、google画像): http://go.yenching.edu.hk/chhis.htm

日本圍棋史話:(go.yenching.edu.hk、中華基督教會燕京書院圍棋學會、中国、google画像):  http://go.yenching.edu.hk/jphis.htm.;

呉清原(ごせいげん、九段、日本棋院、福建省、中国): http://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki001001.htm

« 金毘羅さん(讃岐、香川)にまつわる歴史伝承、金毘羅信仰(金毘羅大権現)、塩飽衆(北前型弁才船)、とは(2010.5.2) | トップページ | 小立野台地(金沢城址)の遺跡と寺院にまつわる歴史伝承、古代遺跡(発掘)、寺院(金沢御堂)、御城(金沢城)、坪野石(金沢城本丸跡、舟形手水鉢)、とは(2010.5.12) »

● 囲碁(起源、棋話、歴史対局、儀式、遊び、近代碁、世界棋戦)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 金毘羅さん(讃岐、香川)にまつわる歴史伝承、金毘羅信仰(金毘羅大権現)、塩飽衆(北前型弁才船)、とは(2010.5.2) | トップページ | 小立野台地(金沢城址)の遺跡と寺院にまつわる歴史伝承、古代遺跡(発掘)、寺院(金沢御堂)、御城(金沢城)、坪野石(金沢城本丸跡、舟形手水鉢)、とは(2010.5.12) »

フォト

アクセス解析

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

無料ブログはココログ