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2010年6月12日 (土)

天災は忘れた頃にやって来る、という天災予防の警句(寺田寅彦、物理学者、随筆家)、とは(2010.6.12)

  天災とは、暴風、地震、落雷、洪水など、自然界の変化によって起る災害です。天災は忘れた頃にやって来る、という有名な言葉があります。これは、寺田寅彦(てらだとらひこ、高知)、1878年(明治11年)~1935年(昭和10年)が、地震や台風、風水害などの天災予防の重要性を随筆で訴え、中谷宇吉郎(なかやうきちろう、石川)、1900年(明治33年)~1962年(昭和37年)が恩師の考えを要約した警句です。

寺田寅彦(てらだとらひこ、1934年(昭和9年)、57才、東京、google画像) 寺田寅彦記念館(友の会公式HP、小津町、高知):http://toratomo.yu-nagi.com/index.html.

(解説) 寺田寅彦(物理学者、随筆家、筆名 吉村冬彦)は、東京生れ、父の郷里(高知)育ち、第五高等学校(熊本)で夏目漱石(なつめそうせき)、1867年(慶応3年)~1916年(大正5年)に学び、物理学(東大)を研究する一方、地震や風水害の予防の重要性を随筆で訴えました。天災は忘れた頃にやって来る、という言葉は、中谷宇吉郎(物理学者、随筆家、加賀市、石川)が、関東大震災後に定めた防災の日(9月1日)に因み、恩師の名言として紹介したものです。寅彦には、科学と文学を巧みに調和させた随筆で、筆名の冬彦集、藪柑子(やぶこうじ)集などがあります。

 天災期とは、梅雨(5~7月)、土用(夏の土用、7月20日)、二百十日(9月1日)、二百二十日(9月11日)、白露(はくろ、9月8日頃)、八朔(はっさく、旧暦8月1日、新暦8月30日)など、稲作に大きな影響を及ぼす可能性が高い5~11月初め頃を言います。

 寺田寅彦随筆天災と国防が、1934年(昭和9年)11月、経済往来に掲載され、その中に、天災への警鐘の言葉として、以下(○)のような記述があります。、

○ ことしになってからいろいろの天変地異が踵(くびす)を次いでわが国土を襲い、そしておびただしい人命と財産を奪ったように見える。あの恐ろしい函館(はこだて)の大火や近くには北陸地方の水害がまだなまなましいうちに、さらに9月21日の近畿地方大風水害が突発して、その損害は容易に評価のできないほど甚大(じんだい)なものであるように見える。

室戸台風(1934年(昭和9年)9月21日、中心気圧911.6ヘクトパスカル、最大瞬間風速60m/s、高知、四国、google画像)

(解説) 大風水害は、1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風(むろとたいふう)のことで、四国の室戸崎(高知)付近に上陸し、京阪神地方を直撃し、若狭湾に抜けた超大型台風です。中心気圧は911.6ヘクトパスカル、観測史上最も低い気圧でした。大阪湾の高潮による浸水被害は大きく、死者2702人、不明者334人、負傷者1万5000人余、全半壊住家9万2700余戸、浸水40万余戸に上りました。また、大阪、四天王寺の五重塔と仁王門が倒壊しました

○ 文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆(てんぷく)を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになる(前の車が覆(くつがえ)るのを見たら、あとの車は同じわだちの跡を行かないようにせよ、という諺(漢書、賈誼(かぎ)伝)を、とかく忘れがちになること!)からであろう。(中国故事物語: http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-179.htm.)

 しかし昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみ墨守してきた。

 今度の関西の風害でも、古い神社仏閣などは存外あまりいたまないのに、時の試練を経ない新様式の学校や工場が無残に倒壊してしまったという話を聞いていっそうその感を深くしている次第である。やはり文明の力を買いかぶって自然を侮り過ぎた結果からそういうことになったのではないかと想像される。

 昔の人間の経験に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである。

関東地震(震度分布、1923 関東大震災報告書第1編 、2006年、google画像)

(解説) 関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分、関東地方の南部、相模湾(神奈川)北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9、海溝型の大震災とそれに伴う大火災です。死者9万人、負傷者10万人、行方不明者4万人、また、全壊家屋12万戸、半壊12万戸、焼失家屋は44万戸、羅災者は東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、静岡、山梨の府県340万人に及びました。

○ 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。最後通牒(さいごつうちょう)も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。思うに日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つの科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。

 寺田寅彦の随筆の中の天災についての考えの要約、天災は忘れた頃にやって来る、という言葉は、改めて、1995年(平成7年)1月17日、阪神・淡路大震災後にその先見性が注目されました。 

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 日本史事典、岩波書店(1999); 小宮豊隆編: 寺田寅彦随筆集 第5巻、p.56~66、天災と国防、岩波文庫(2007).

(参考資料) 気まぐれ歳時記(菊地馨、天災は忘れたころにやってくる、1999年): http://kazamidori.net/kaoru/saijiki/04.htm

日本の台風災害(国立情報学研究所):http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/disaster/help/past.html.ja; 

日本の地震被害(気象庁): http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/higai/index.html

日本の台風災害(気象庁): http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/6-1.html

(追加説明) ○ 弥生、古墳時代、古代人は天災を受けやすい谷口扇状地(たにぐちせんじょうち)には絶対住みませんでした。この危険な土地にどうしても集落を作らねばならなかった時には、私たちの祖先は、まず集落の周りに掘(濠、ほり)を掘りました。もし、鉄砲水が出ても山崩れが起きても、その掘にエネルギーを吸収させ、周りに分散させてしまおうと考えました。

 つまり、谷口扇状地に住まなければならない要請が、集落の周りに池をめぐらせた、環濠集落(かんごうしゅうらく)を生みました。これが防衛手段となることが分かり、日本独自の周囲に掘をめぐらす城郭築城法へと発展していったと考えられます。(樋口清之、梅干と日本刀、日本人の知恵と独創の歴史、祥伝社黄金文庫(2005)より)

○ 昔から日本の人々は新しい集落に必ず「土地本来のふるさとの木によるふるさとの森」、鎮守の森をつくってきた、という。おろか者に破壊させないために、神社や寺をつくり、この森を切ったら罰があたる、というふうに守ってきた。それらの森は、地震、台風、火事などの災害の時には逃げ場所になった。ふるさとの木は自然が管理するが、そうでない木は管理に大きな労力と経費を要する。(宮脇昭、都市の植生のゆくえ、より)

○ 1955年(昭和30年)5月11日、宇高連絡船の紫雲丸の5度目の事故(濃霧による第三宇高丸との衝突沈没)は、1988年(昭和63年)4月10日、瀬戸大橋の夢の架橋につながりました。また、1954年(昭和29年)9月26日に、日本国有鉄道(国鉄)の青函航路で起こった海難事故、洞爺丸台風事故は、1988年(昭和63年)3月13日、青函トンネルの夢の開通につながりました

 室戸、枕崎、伊勢湾の昭和の3大台風は、いずれも9月下旬で、洞爺丸、狩野川、伊勢湾などの台風が9月26日だったことから、この日を「魔の9月26日」とも言っています。 「台風」という言葉は、中国の福建省あたりで生まれました。台湾の方から来る風という意味です。また、ヨーロッパ人は18世紀頃から「タイフーン」という言葉を使っていました。(樋口清之監修、生活歳時記、p.551、台風・颱風・タイフーン、三宝出版(1994)より)

○ 1972年(昭和47年)11月6日、午前1時9分頃、列車火災事故が、北陸本線、敦賀駅―南今庄駅(敦賀市、福井)の北陸トンネル(総延長13870m)で発生しました。この時、火災対策に問題があり、一酸化炭素中毒により、乗客乗員に多数の死傷者(死者20人、負傷者714人)を出す大惨事となりました。 

 北陸トンネル(13870m)は、複線型鉄道トンネルで、1962年(昭和37年)に開通され、1972年(昭和47年)、山陽新幹線の六甲トンネル(16250m)が開通されるまで、日本最長でした。

 

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