« 雪は天から送られた手紙である、という言葉の生みの親、中谷宇吉郎(雪氷科学者、随筆家)、とは(2010.6.14) | トップページ | 禅(無門関、中国)の言葉、平常心是道(公案、南泉と趙州の禅問答)、とは(2010.6.18) »

2010年6月18日 (金)

孔子(論語)の言葉、學びて時に、吾れ十有五にして、故きを温めて、これを知る者は、老子(老子道徳経、老子とも)の言葉、多言なれば、道は自然に、諺 歳月人を待たず、とは(2010.6.18)

   孔子(こうし)、(紀元前552~紀元前479年)は、中国、周(春秋)時代の学者、思想家、儒教の祖です。紀元前500年の頃と言えば、日本は、今から2500年ほど前の原始、縄文時代です。その頃、孔子が、70余年の複雑な人生体験に基づき、弟子(でし、70人?)と交わした問答は、のちに弟子たちによりとしてまとめられました。

Wkjjpisaht1_411
孔子画像(唐、呉道子、中国、google画像)

(解説) 孔子の学問(儒教)は、死後338年たって、漢の武帝(ぶてい)、(紀元前156年~紀元前187年)の時、紀元前136年(建元5年)、国家の正統思想として認められました。

 儒教日本への伝来は、古く、飛鳥時代天智天皇(第38代)、626年(推古34年)~672年(天智天皇10年)、の勧学堂(大津、滋賀)における儒教教育、憲法十七条、令(りょう)、式に、その影響が見られます。

 論語は、512の短文を20編の構成にまとめたものですが、いつの頃からか、強く、私の心に残っている言葉があります。

○ 子曰(しのたま)わく、學(まな)びて時(とき)にこれを習(なら)う、亦(ま)た悦(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方(えんぽう)より來(き)たる、亦(ま)た楽(たの)しからずや。

 孔子がいわれました。学問の楽しさ、それは先生から学んだことをときどき復習してみる。そしておさらいするたびに、なにか新しい意味を発見するということだ。遠方から友だちがやってきて、学問のことをたがいに論じ合う、それはひとりで復習しているのと比べて、いちだんと楽しいことではないか。

 これは、学問をするのは楽しいから学問するのであって、むりに勉強するのではない、という言葉です。

○ 子曰(しのたま)わく、 吾(わ)れ十有五(じゅうゆうご)にして學(がく)に志(こころざ)す。三十にして立(た)つ。四十にして惑(まど)わず。五十にして天命(てんめい)を知(し)る。六十にして耳從(みみしたが)う。七十にして心(こころ)の欲(ほつ)する所(ところ)に從(したが)って矩(のり)を踰(こ)えず。

 孔子が言われました。わたしは数え年十五歳ではじめて学問の道に志し、三十歳で自分の立場をかため、四十歳ではすっかり迷いがなくなり、五十歳で運命のなんであるかを知り、六十歳では他人の言をすなおに受け取ることができ、七十歳では欲するままに行ってもすこしも行きすぎがないようになった。

 これは数え年七十四歳で死んだ孔子が、晩年に自分の一生の経歴を振り返って述べた自叙伝のようなものです。 

 これらの言葉から、人の年齢の別称として、15歳、志学(しがく)、30歳、而立(じりつ)、40歳、不惑(ふわく)、50歳、知命(ちめい)、60歳、耳順(じじゅん)、70歳、従心(じゅうしん)が生まれました。

○ 子曰(しのたま)わく、故(ふる)きを温(あたた)めて新(あたら)しきを知(し)る、以(もつ)て師(し)と為(な)るべし。

 孔子が言われました。過去の歴史、伝統を、もう一度考え直して、現代に生かす新しい意味を知る、そんなことができる人、それが師というものだ。

 これらの言葉から、温故知新の言葉が生まれました。一般に、故温は、ふるきをたずねて、とも読まれています。

○ 子(し)の曰(のたま)わく、これを知(し)る者(もの)はこれを好(この)む者(もの)に如(し)かず。これを好(この)む者(もの)は、これを樂(たの)しむ者(もの)に如(し)かず。 

 孔子が言われました。学問をして知っているという人間も、本当に知ることが好きだという人間にはかなわない。また、好きというのも、これを本当に楽しんでいる人間には及ばないものだ。 

 これは、学問だけでなく、スポーツ、芸術のほか、幅広い分野にも適用できる言葉だと思います。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 貝塚茂樹: 論語、講談社現代新書(2004).

(参考資料) 孔子(儒家の始祖、中国の思想家、中国情報所、中国): http://www.chinfor.com/modules/webdoc1/content0054.html

(追加説明)  老子(道教の始祖、中国の思想家)の言葉(老子道徳経、老子とも

老子(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90

○ 多言なれば数々(しばしば)窮す。

 人は、あまりしゃべりすぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 道は自然に法(のっと)る。

 すべては自然にのっとっている。草木の生えるのも自然であり、春夏秋冬の移り変わるのも自然である。人間の踏み行なうべき道も、やはりこの自然にのっとるのが最もいい。

(樋口清之(監修:生活歳時記、p.596、多言なれば数々窮す、三宝出版(1994)より)

○ 十代は分、二十代は時、三十代は日、四十代は週、五十代は月といわれる。つまり、四十代の人だったら、じゃあ来週のことにしようと、週を単位にして約束する。ところが、その人が五十代になると、それは来月のことにしようと、月を単位にして予定を立てる。 このように、時間の受け取りかたが、年齢に応じて加速度変化していくことを、この言葉が表現している。

 日長きこと少年に似たり、という文句があるが、少年のころの1日は長い。そのために、人間は一生の生活設計を、とかくまちがうことが多い。われわれは1歳を重ねるごとに1年の回転率がそれに比例して早くなることを、念頭におかなければならない。                                                         (樋口清之(監修: 生活歳時記、三宝出版、より)

○ 歳月人を待たず(Time and tide wait for no man)というもあります。この言葉は、中国の六朝時代の詩人、陶淵明(365~427)の「雑詩」、人生無根蔕  --- 12句目、 歳月不待人、とあります。5言古詩の作品で、人の命は短いのだから、生きているうちに、時をのがさず、無理をしてでも、大いに人生を楽しもう、充実した時間を過ごそう、とうたっています。

 太平記(小島法師?南北朝時代、軍記物語)に、光陰人を待たず、とありますが、光陰(時間の意)の光は日、影は月です。 光陰矢の如し、これは月日の早く過ぎゆくたとえです。

○ 少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、(朱熹、しゅき、朱子作とも、偶成詩)、これは月日がたつのは早く、自分はまだ若いと思っていてもすぐに老人になってしまう。それに反し学問の研究はなかなか成しとげ難い。だから、寸刻を惜しんで勉強をしなければならない。すこしの時間もむだに費やしてはならない。        (広辞苑より)

 

« 雪は天から送られた手紙である、という言葉の生みの親、中谷宇吉郎(雪氷科学者、随筆家)、とは(2010.6.14) | トップページ | 禅(無門関、中国)の言葉、平常心是道(公案、南泉と趙州の禅問答)、とは(2010.6.18) »

● 人の世(方丈記、辞世、徒然草、論語、坐禅)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 雪は天から送られた手紙である、という言葉の生みの親、中谷宇吉郎(雪氷科学者、随筆家)、とは(2010.6.14) | トップページ | 禅(無門関、中国)の言葉、平常心是道(公案、南泉と趙州の禅問答)、とは(2010.6.18) »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ