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2010年6月 2日 (水)

ダルマさん(少林寺、中国)にまつわる歴史伝承、達磨大師(坐禅)、達磨寺(日本各地)、起上り小法師(七転八起)、とは(2010.6.2)

  ダルマさんと言えば、商売繁盛、開運出世の縁起物(えんぎもの)、また選挙の時には必勝祈願の呪物(じゅぶつ)の姿が目に浮かびます。ダルマさんの本当の姿は、達磨大師、中国の少林寺で面壁(めんぺき)9年の坐禅の功を積み、禅宗の開祖となったインドの高僧です。人生は、起上り小法師、七転八起、人々の生きる心の支えとなっています。

 禅宗の始祖とされる達磨(だるま、生没年未詳)は、正しくは、梵語(ぼんご、サンスクリット語)、Bodhidharmaの音訳、菩提達磨(ぼだいだるま)と言い、諡号(しごう)は円覚大師、達磨大師と呼ばれています。南インドのバラモンの生まれ、香至国の第3王子と言われています。出家後は、般若多羅(はんにゃたら)に学び、大乗禅を究め、527年(大通元年)、大乗仏教の僧として、中国における禅の教化という師の遺志を受け継ぎ、海路中国に渡り、南京の梁(りょう)の武帝(ぶてい、464~549年) の尊崇を受けました。

 その時にやった武帝との問答は有名です。武帝が、「聖諦(しょうたい、仏教の精神の意)第一義は何か」と問うたのに対し、達磨は、「廓然無聖(かくねんむしょう、とても広くて、仏教精神の第一義などない、という意)」と答えました。そこで重ねて武帝が、「朕(ちん)に対する者は誰そ」と問うたところ、達磨は、「知らない」と答えました(伝法正宗記)。

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達磨大師(達磨図、月岡芳年、木版画、1887年(明治20年)、google画像)

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嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ、曹洞宗、河南省、中国、google画像)

(解説) 達磨は、武帝の質問に満足せず、北魏の河南省、嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)に行き、「終日面壁而坐9年」、面壁9年(壁に向かって9年間座し、悟りを開いたという故事)の修行をしました。縁日などでなじみ深い張子のダルマは、この達磨大師の坐禅した像を模したものです。その後、達磨は、慧可(えか)に禅の奥義を授けたと伝えられています。しかし、その伝記とか著書には伝説的な要素が多いようです。

 禅宗は、仏心宗、達磨宗とも呼ばれ、その奥義は、不立文字(ふりゅうもんじ)、以心伝心、直示人心、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)に要約されると言われています。それは、文字に頼ることなく、心の修行によって、自得される無住空寂な心(悟り)により、仏の心を直接に感得すると言う。達磨の提唱する大乗禅は、仏教でありながら、哲学的で、中国の思想家にも大きな影響を与えたと言われています。 

 また、日本各地の達磨大師ゆかりの仏教寺院として、達磨寺(曹洞宗、北広島、北海道)、達磨寺(黄檗宗、高崎、群馬)、法輪寺(臨済宗、上京、京都)、達磨寺(臨済宗、北葛城、奈良)、達磨寺(臨済宗、伊豆、静岡)、勝尾寺(達磨寺とも、真言宗、箕面、大坂)、西来院(臨済宗、那覇、沖縄)などがあります。

 達磨大師が日本に渡来した確証はなく、大師に対する日本人の篤い(あつ)い帰依(きえ)が、達磨大師と聖徳太子の邂逅(かいこう)伝説となり、また、日本各地の達磨寺の存続につながっていると考えられています。 

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法輪寺(ほうりんじ、臨済宗、だるま寺とも、上京、京都、google画像 )

(解説) 縁日などの張子のダルマは、達磨大師の坐禅に因み、手足のない赤い衣をまとった僧の姿の人形です。 起上り小法師(おきあがりこぼし、異称は不倒翁)の一つで、普通、顔面以外の部分を赤く塗り、達磨の形の人形の底に重りをつけ、倒してもすぐに起き直るように作られています。法輪寺(だるま寺とも、京都人ブログ2、京都):http://kata2.wablog.com/128.html.) 

 ダルマは、商売繁盛、開運出世の縁語物としても喜ばれ、目のない達磨に願いごとがかなった時に目玉を描き入れる風習があります。郷土玩具として、張子製のものが各地で作られ、達磨市の立つ地方が多いようです。松川達磨(仙台、宮城)、目無し達磨(豊岡、群馬)、子持達磨(甲府、山梨)、姫達磨(松山、愛媛)などが著名です。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之(監修): 生活歳時記、p.171、ダルマと禅宗、三宝出版社(1994); 吉野裕子: ダルマの民俗学、陰陽五行から解く、岩波新書(1995).

(文献資料) 嵩山少林寺(河南、中国、google画像):http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%B5%A9%E5%B1%B1%E5%B0%91%E6%9E%97%E5%AF%BA&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1020&bih=587

(追加説明) ○ 少林寺は、中国、河南省、登封県の崇山(すうざん)の西方、少室山の北麓にある名刹です。北魏の孝文帝が、496年に創建、北周の廃仏に会って伽藍が破壊されましたが、隋唐代に復活、山門、天主殿、大雄宝殿など多くの建築物があります。達磨大師の面壁9年、少林拳発祥の地として有名です。

 ところで、この少林寺は、「少林寺拳法」の発祥地としてお馴染みです。この拳法は、いつ、誰によって始められたのか、分からないのですが、いつのまにか普及して、近年、映画にもなり、大きな反響を生みました。皮肉にも、少林寺には達磨の言行は全く伝わっていないのですが、拳法はずっと伝えられ、ついに拳法の大本山になった次第です。(樋口清之(監修)、生活歳時記より)

○ 達磨宗祖とする中国の禅宗は、孝徳天皇の653年(白雉4年)、入唐した道昭(どうしょう)が玄奘三藏法師に遭って禅定を習い、帰国後、元興寺に禅院を建てたのがその招来のはじめと言われています。桓武天皇の802年(延暦21年)、最澄が入唐して、天台の教法と禅宗を招来しました。また、後鳥羽天皇の1187年(文治3年)、栄西が入宋し、臨済宗を招来、ついで道元も入宋し、帰朝して曹洞宗を伝えました。後光明天皇の1654年(承応3年)、中国僧、隠元隆琦(いんげん りゅうき)が来朝して、臨済禅の一派、黄檗宗を宇治を本拠として、日本に定着させました。

○ 七転八起とは、七たび転んで八たび起きる意です。人生の浮き沈みが甚だしく、度重なる失敗をしても屈することなく奮起する、とのたとえです。私が中学生の時の恩師、熱田治先生の賀状には、毎年ダルマが毛筆で描かれていて、その風貌が強く印象に残っています。

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○ 達磨大師のもう一つの像(すがた)、容(かたち)を象徴するものは、インド哲学、仏教の4大(地大、水大、火大、風大)の火天、中国哲学の五行(木火土金水)のである、と考えられています。そして、起上り小法師は、火の造形であり、火の本性は炎上であり、たとえ風などにより炎が横倒しになっても、すぐに真っ直ぐ炎上する姿を表していると言う。

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