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2010年6月 8日 (火)

能楽の聖典、風姿花伝(世阿弥著)の中の言葉、花は心、種は態(わざ)、初心を忘るべからず、とは(2010.6.8)

  室町時代、世阿弥(ぜあみ、観世流)のの芸術表現論の中に、花は心、種は態(わざ)、また、初心を忘るべからず、という言葉があります。能役者の体験にもとづく実践的な演劇論が、観客の感動にたとえまた、役者の心構え初心の言葉を使って展開されています。

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能芸論書世阿弥、左 花鏡、右 風姿花伝、M-Net、Menu、google画像)

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世阿弥木造(入江美法作 平凡社 別冊太陽『世阿弥』)

(解説) 世阿弥(ぜあみ)、1363年(貞治2年)~1443年(嘉吉3年)?は、室町初期の能楽師で、著書に亡父観阿弥の(かんあみ、南北朝期、観世流の祖)、1333年(正慶2、元弘3年)~1384年(至徳元年、元中元年)、遺訓にもとづく、花伝書と呼ばれている風姿花伝があります。これは、能芸論書で、1400年(応永7年)、38才の時、最初の3巻を書き上げ、その後20年ほどかけて現在の7巻の形に整備しました。

 また、1424年(応永31年)に完成した能楽書、花鏡(かきょう)は、先聞後見(せんもんごけん)、序破急、幽玄(ゆうげん)、劫(こう)、妙所、見聞心、その他の問題を論じていますが、その中に、当流に、万能一徳の一句あり。初心を忘るべからず、という言葉があります。(学び始めた当時の気持ちを忘れてはならない。常に志した時の意気込みと謙虚さをもって事に当たらねばならないの意。広辞苑より)

○ 風姿花伝の中の花傳第三 問答條々の中に、以下の文章があります。

 。 能に花を知る事、この條々を見るに、無上の第一なり。肝要(かんえう)なり。または不審なり。これ、いかにとして心得べきや。

 。 この道の奥義(あうぎ)を極(きは)むる所なるべし。一大事とも、秘事とも、ただ、この一道なり。先(ま)づ、大方、稽古、物學(ものまね)の條々に委しく見えたり。時分の花、聲の花、幽玄の花、かやうの條々は人の目にも見えたれども、その態(わざ)より出(い)で来(く)る花なれば、咲く花の如(ごと)くなれば、また、やがて散る時分あり。されば、久しからねば、天下に名望(めいばう)少し。ただ、誠(まこと)の花は、咲く道理も、散る道理も、心のままなるばし。されば、久しかるべし。

 この理(ことわり)を知らん事、いかがすべき。もし、別紙(べっし)の口傳(くでん)にあるべきか。ただ、煩(わずら)はしくは心得(こころう)まじきなり。先づ、七歳より以来(このかた)、年来稽古の條々、物まねの品々(しなじな)を、よくよく心中に當(あ)てて分(わか)ち覺えて、能を盡(つく)し、工夫を極(きは)めて後、この花の失(う)せぬ所をば知るべし。この物數(ものかず)を極むる心、即ち、花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし。花は心、種は態(わざ)なるべし。 

○ 風姿花伝の中の花傳第七 別紙口傳(べっしくでん)中に、以下の文章があります。

 されば、初心(しょしん)よりの以来(このかた)の、藝能(げいのう)の品々(しなじな)を忘れずして、その時々(ときどき)、用々(ようよう)に従(したが)ひて取(と)り出(い)だすべし。若くては年寄(としより)の風體、年寄りては盛りの風體を殘す事、珍(めずら)しきにあらずや。しかれば、藝能の位に上(あが)れば、過ぎし風體をし捨(す)てし捨て忘るる事、ひたすら、花の種を失(うしな)ふなるべし。その時々にありし花のままにて、種なければ、手折(たを)れる(枝の花)の如し。種あらば、年々(としどし)時々の比(ころ)に、などか逢(あ)はざらん。ただ、返す返す、初心を忘るべからず

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神の能初番目物高砂天下泰平、国土安穏、祝言、国立能楽堂提供、google画像)

(解説) 世阿弥は、老松、高砂、頼政、清経、敦盛、実盛、井筒、檜垣、班女、砧(きぬた)、融(とおる)など多くの仮面を用いる仮面歌舞中心幽玄能を作り、詩劇を創造しました。また、風姿花伝、花鏡など20を越える能楽論書があります。

 世阿弥は、45才まで、将軍(第3代)足利義満の絶大な保護を受け、その後65才まで、(第4代)足利義持によって次第に疎外されて行き、1434年(永享6年)、71才の時、将軍(第6代)足利義教によって弾圧され、佐渡に流されました。世阿弥が佐渡に73才までいたことは、小謡7篇を収めている金島集によって明かですが、その後の晩年不明です。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 永原慶二(監修): 日本史事典、岩波書店(1999);  世阿弥著(野上豊一郎、西尾実校訂): 風姿花伝、岩波文庫(2007).

(参考資料) 能楽事典(能楽協会):http://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/program.html 

(追加説明) ○ (のう)には、観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金春(こんぱる)、金剛(こんごう)、喜多(きた)などの座(ざ)、流(りゅう)があります。

○ 織田信長、1534年(天文3年)~1582年(天正10年)が好んだとされる「人間(じんかん)五十年、下天(げてん)の内(うち)をくらぶれば、夢幻の如くなり---」は、幸若舞(こうわかまい)「敦盛」(世阿弥作)の一節です。無常観から直実は、その後出家したとされますが、領地争いでの敗北が理由だったとする説が有力です。美貌の若武者、敦盛をめぐる謎は多い。(2009年(平成21年)11月28日、朝日新聞、朝刊、平敦盛、薄命の武者 無常の響き、平家物語より)

○ 加賀(石川)の能楽は、藩祖前田利家以来、金春流が興業され、宝生流が前田家に出入りするのは藩主(3代)前田利常の頃からで、次第に金春流にとってかわりました。藩主(5代)前田綱紀は、加賀藩の能を宝生流にまとめ、以来、加賀宝生と呼ばれるようになりました。石川県立能楽堂(金沢、石川): http://www.pref.ishikawa.lg.jp/nougakudo/1sisetsu1nope-ji/shisetsua.html. ;金沢能楽美術館(ホームページ、金沢市):http://www.kanazawa-noh-museum.gr.jp/sisetsu_guide/index1.html

 

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