碁の名手(本因坊算砂)と本行寺(金沢、加賀)にまつわる歴史伝承、加賀藩3代藩主、前田利常の碁の指南役、とは(2010.7.20)
本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ、僧名は日海、法華宗、寂光寺、京都)は、1559年(永禄2年)京都生まれ、囲碁と将棋の現体系を確立した高僧であり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、京都から駿府(静岡)、江戸(東京)、加賀(金沢)へと活躍の舞台を移しています。しかし、算砂には、確実な史料が少ないため、多くの伝説があります。
初代本因坊 算砂像(さんさぞう、寂光寺蔵、京都、google画像)
1607年(慶長12年)、江戸桜田の伊達正宗邸で、家康の臨席のもと算砂らの碁会が催された時、これを奉行したのが老中の本多正信だったことが注目されています。
というのは、1614年(慶長19年)10月、大阪冬の陣、1615年(元和元年)4月、大阪夏の陣による豊臣家滅亡の後、算砂は加賀藩、前田家の求めに応じて加賀金沢に出向き、1615年(元和元年)から2年間過ごしていますが、それを受け入れたのが正信の次男政重(忠純の弟)だったからです。
政重は前田家の筆頭家老として幕府派遣の目付(めつけ)的な存在であり、算砂は本多父子の縁で金沢に下ったのだろう、と考えられています。ということで、算砂を前田家に対する隠し目付とする説は、取るに足らない俗説としても、前田家は一時期、幕府から謀反の嫌疑を受けています。家康や秀忠とよしみのある算砂を通じて嫌疑を完全に晴らし、前田家の安泰をはかった、とも考えられています。
本行寺(ほんぎょうじ、日蓮宗、本多町、金沢、加賀、石川)
(解説) 表向きは、算砂は加賀藩3代藩主、前田利常(まえだとしつね)の碁の指南役を務め、1617年(元和3年)、59才、藩の寄進で本行寺(ほんぎょうじ、日蓮宗、本多、金沢、加賀)を建立した後、直ちに住職の座を法弟の本照坊に譲り、京都へ帰っていきました。
このことは、その前年の1616年(元和2年)、家康、正信が相次いで亡くなり、その間、大久保、本多、酒井へと徳川幕閣の主流が移っていく権力抗争の影響を受けたのではないか、とも考えられています。 算砂は、激動する歴史の中で、1623年(元和9年)5月16日、65才の生涯を閉じました。
寂光寺(法華宗、仁王門通、左京区、京都)には、算砂の墓のほか、算砂愛用という板盤や瀬戸物の碁石、算砂の肖像画、算砂の「囲碁狂歌」などの寺宝が残っています。
(参考文献) 林裕: 本因坊算砂・中村道碩、p.234~235、算砂は隠し目付だった?! 日本囲碁体系Ⅰ 総編集、筑摩書房(1930); 堀田五番士: プロ棋士第一号、本因坊算砂物語、棋道12号(1986); 石川化学教育研究会編: 科学風土記、加賀・能登のサイエンス、p.234、本浄高治、本行寺ー本因坊と囲碁、裳華房(1997); 福井正明: 囲碁古名人全集、すべては算砂、道碩から始まった、誠文堂新光社(2007); 朝日新聞朝刊: こころ(神仏に出会う、もっと、おとなの遠足)、寂光寺、本因坊ゆかりの品々残す、2010年(平成22年)7月13日(火).
○ 1999年(平成11年)5月1日(土)、本行寺を訪れ、杉田典明(29代)住職より、いろいろご教示をいただきました。お父さん(前住職、28代)は、1943年(昭和18年)福井から来られたこと、またこのお寺は、久遠山本行寺と言い、京都の妙満寺、身延山久遠寺、池上本門寺ともつながりがあるとのことです。幕府の隠密(おんみつ)とも? 算砂は隠し目付だった?! についての資料は、囲碁史研究家の堀越輝登氏(川崎市、神奈川)よりご教示いただきました。
本因坊算砂は、加賀3代藩主、前田利常に碁を指南し、寺地(三千歩)を賜り、本多安房守、横山山城守の庇護を受けました。本行寺は、3度の火災により焼失し、現在の建物は、1903年(明治36年)に再建されたものです。
« 犀川(石川)の源流、犀川ダム、末浄水場、金沢の水(水道源水)、とは(2010.7.16) | トップページ | 金沢城の石垣と戸室石(戸室山、金沢)、石曳き(運搬の再現、金沢城三の丸)、野面積み(本丸北面石垣)、打込接ぎ(本丸南面石垣)、切込接ぎの石垣(石川門枅形東面石垣)、とは(2010.7.22) »
「● 囲碁(起源、棋話、歴史対局、儀式、遊び、近代碁、世界棋戦)」カテゴリの記事
- 囲碁、井山七冠、(4月20日)、前人未到の七冠(名人、棋聖、本因坊、王座、天元、碁聖、十段のタイトル)独占、将棋、羽生永世七冠、とは(2016.5.6)(2016.05.06)
- 囲碁、第4回電聖戦、小林光一名誉棋聖vsコンピュータソフト(3子局)は1勝1敗、日本のZen(ゼン)は勝ち、米のdarkforest(ダークフォレスト)は敗け、とは(2016.3.26)(2016.03.26)
- 囲碁、アルファ碁(グーグルの人工知能) と 李世ドル九段(世界最強レベルの棋士)が対局、李世ドル(イセドル)九段は5番勝負の第4戦でようやく1勝、とは(2016.3.19)(2016.03.19)
- 囲碁、はじめての天元の局、江戸時代、のち天文学、貞享暦(太陰太陽暦)の大家、安井二世算哲が必勝を期して、本因坊四世道策と対局、9目敗け、とは(2016.2.2)(2016.02.02)
- アルファ碁(囲碁ソフト)、人工知能(AI)により膨大な過去データで打ち方自習(ディ-プラーニング)、世界で初めてプロ棋士(欧州王者、二段)破る!、とは(2016.1.29)(2016.01.29)
« 犀川(石川)の源流、犀川ダム、末浄水場、金沢の水(水道源水)、とは(2010.7.16) | トップページ | 金沢城の石垣と戸室石(戸室山、金沢)、石曳き(運搬の再現、金沢城三の丸)、野面積み(本丸北面石垣)、打込接ぎ(本丸南面石垣)、切込接ぎの石垣(石川門枅形東面石垣)、とは(2010.7.22) »
コメント