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2010年7月24日 (土)

日本三大銅山、別子銅山(愛媛)の歓喜抗と歓東抗(坑道)、シダ(ヘビノネゴザ)の銅蓄積、リョウブの樹林、マイントピア別子の東平と端出場ゾーン(産業文化遺産)、とは(2010.7.24)

  別子銅山(べっしどうざん、愛媛)は、足尾銅山(あしおどうざん、栃木)、日立銅山(ひたちどうざん、茨城)と共に、日本三大銅山の一つに数えられていました。

 別子銅山は、1691年(元禄4年)に採鉱を開始、豊富な産銅量で住友系諸事業の発展を支えてきましたが、コスト高で採算が合わなくなり、1973年(昭和48年)、約280年の歴史を閉じました。その間、約70万トンの銅を産出し、日本の近代化に貢献しました。

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歓喜抗(かんきこう、抗口の上と下の左右にシダ植物、ヘビノネゴザの群生と散生が見られます、別子山村、2009年5月27日(水)、愛媛、google画像)

(解説) 歓喜抗(かんきこう)、となりの歓東抗(かんとうこう)は、別子銅山発祥の記念すべき最初の坑道で、四国随一の工業都市、新居浜市の発展の基となった所です。1690年(元禄3年)、鉱夫長兵衛(俗称切上り長兵衛)により、嶺南(海抜約1200m)に有望な露頭のあることを知った、備中国(岡山)吉岡銅山(住友家経営)に出向中の重役田向重右衛門らは、苦心して山中を調査し、この付近で見事な鉱脈を探し当て、翌1691年(元禄4年)、幕府の許可を得て、同年9月22日に、採掘を開始しました。この坑の名は、当時の人々の歓びを端的に伝えています。江戸時代を通じて鉱夫はここから入坑し、鉱石も殆どすべてここから運び出しました。また、歓喜抗前には、鋪方役所(採掘事務所)がありました。

別子銅山は、はじめから民間の住友の経営で採鉱された鉱山としても特異な鉱山でした。住友が大阪に設けた銅吹き所では、銅から金銀分を吹き分ける南蛮吹き法などの新技術が導入され、長崎輸出銅のかなりを担当しました。

 南蛮吹き南蛮絞り、なんばんしぼりとも)は、西洋から渡来した銀精錬法で、これは鉛と銅の融点の違いと、灰吹き法を組み合わせたものです。銅鉱石を焼いて得られた粗銅(あらどう)にも銀が含まれています。この粗銅に鉛を混ぜて加熱して融解したあと冷却していくと、融点の高い銅がまず固化します。このとき銀を溶かし込んでいる鉛を絞りとり、フイゴを用い、それを加熱して灰(酸化鉛)にすると、灰の中から銀が得られます(灰吹き法)。

 別子銅山を経営した大坂(大阪)の和泉屋(住友家)は、この南蛮吹き(南蛮絞りとも)によって粗銅から銀を取り出し、巨万の富を築いたと伝えられています。

 山吹(やまぶき)は、①バラ科落葉低木、鮮黄色の五弁花、一重、八重。②山吹色の略。③(山吹色であるからいう)金貨。大判や小判。転じて、一般に金銭をいう。④昔の鉱山で採取した鉱石を溶かして、金・銀・銅などに分離すること。(広辞苑より)

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リョウブの樹林(りょうぶのじゅりん、歓喜抗の近くにリョウブの樹林が見られます、別子山村、2009年5月27日(水)、愛媛、google画像)

 私は、1988年(昭和63年)8月18日、弟(光男)と二人で、また、1998年(平成10年)8月12日、弟(悟)と二人で、別子山村の旧別子銅山入り口より登はん道をたどり、歓喜抗歓東抗を訪れたことがあります。

 そこに近づくにつれ、以前に訪れた足尾銅山と同じように、金属鉱山でよく見られる、かなり大きなリョウブの樹林があったこと、また、かっては、山師が金属鉱山の探査の目印としたシダ植物、ヘビノネゴザが群生あるいは散生しているのが目につきました。 

  歓喜抗(かんきこう)近くで群生していたヘビノネゴザを採取し、ケイ光X線法で調べたところ、非常に大きな銅のピークが現れ、このシダが土中のを根から吸収して、根、茎、葉、特に根に多量に蓄積していることを確認しました。なお、ケイ光X線スペクトルには、非常に大きな銅のピ-クのほか、非常に大きな鉄、カルシウム、カリウムなどのピ-ク、また中程度の塩素、リン、硫黄、ケイ素などのピ-ク、小さなチタン、マンガン、アルミニウムなどの元素のピークが検出されました。

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別子銅山遺跡マイントピア別子、上 東平(とうなる)ゾーン、索道基地跡、下 端出場(はてば)ゾーン、本館、新居浜市、愛媛、google画像)

(解説) 別子銅山遺跡(新居浜市、愛媛)は今、ささやかな観光ブームに沸いているという。大正時代から昭和初期まで採鉱本部があった東平(とうなる)ゾーン、標高750m)は緑があふれ、産業文化遺産として、石造り貯鉱庫通洞跡廃墟などが残っています。 

 また、端出場(はてば)ゾーンは、東平から移転してきた端出場の採鉱本部跡地を利用したテーマパークで、江戸時代の採鉱シーンから近未来シミュレーションまでが体験できる観光坑道、砂金採り体験パークなどがあります。

 私は、1987年(昭和62年)8月6日、弟(悟、光男)と三人で、また、1994年(平成6年)8月6日、家内(尊子)と二人で、マイントピア別子端出場ゾーン、本館、と近くの遺跡、別子銅山記念館などを訪れたことがあります。

(参考文献) 別子山村役場(別子山村、宇摩、愛媛): 別子山村(観光と自然)、旧別子案内図(別子銅山旧跡のあらまし、日浦方面(別子山村)より登はん道順、別子銅山記念館発行より抜粋); 別子山村教育委員会編: 銅の里(あかがねのさと)、旧別子銅山遺跡探訪、明星企画(1987); 別子銅山、緑を再生、「地域と共生」日本の先駆け、2010年(平成22年)4月2日(金)、朝日新聞朝刊より. 

(参考資料) 別子銅山記念館(1975年(昭和50年)に建設、住友グループ広報委員会、新居浜、愛媛):http://www.sumitomo.gr.jp/related/index02.html. この記念館には、以前に、二度ほど訪れ、館員の方から資料もいただき、いろいろご教示いただきました。

マイントピア別子(テーマパーク、公式ホームページ、新居浜、愛媛): http://www.besshi.com/. ここには、端出場(はてば)ゾーン東平(とうなる)ゾーンがありますが、端出場ゾーン、本館には、二度ほど訪れ、楽しいひとときを過ごしました。

旧別子銅山の探索歓喜抗、歓東抗、2009年5月27日(水)、愛ある愛媛、関東から四国へ、移住生活、愛媛): http://ameblo.jp/nnccb139/entry-10268587611.html

(追加説明) ○ 私は四国の銅山では、1988年(昭和63年)8月17日 に広石鉱山跡(德島)、また、翌日の18日に白滝鉱山跡(高知)を弟(光男)と訪れたことがあり、いずれの所でも、シダ植物、ヘビノネゴザの群落が見られました。

広石鉱山(神山町の植生、阿波学会研究紀要、郷土研究発表会紀要第22号、広石鉱山跡のヘビノネゴザ群落の記述があります、德島):http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/22/2205.html

四国の金属鉱山(日本石炭公団ホーム、別子銅山、佐々連鉱山、白滝鉱山): http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/No.3/contents3.html

(追加説明) ○ 別子銅山の平野部の惣開(そうびらき)地区で洋式製錬所が1888年(明治21年)に操業を始めると、亜硫酸ガスが農作物を枯らす「煙害」が表面化、農民運動が相次ぎました。別子の山中は燃料用に森林が伐採され、煙害で山肌がむき出しになりました。

 そこで、住友2代目理事(経営トップ)伊庭貞剛(いばていごう、1847~1926年)は、新居浜沖約20kmの無人島の四阪島(しさかじま、今治市、愛媛)へ製錬所を移転すれば、煙が拡散して被害は起きないと考え、反対も起きましたが、移転を決断、1905年(明治38年)に四阪島での製錬所の操業が始まりましたが、煙害は収まりませんでした。

 その後、1932年(昭和7年)には、亜硫酸ガスを硫酸にして回収する世界でも最新鋭の工場が四阪島にできました。アンモニア水と中和して回収する工場も1939年(昭和14年)に完成、煙害問題は最終決着しました。別子銅山では、排煙脱硫技術から生産した硫酸を、化学肥料の原料とし、これが住友化学の事業母体となりました。日立銅山(日立市、茨城)では煙害を防ぐ巨大煙突を考え出した技術力が、世界的な総合電機メーカー日立製作所の礎となりました。

四阪島(しさかじま、今治市、愛媛、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%9B%9B%E9%98%AA%E5%B3%B6&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

 

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