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2010年8月14日 (土)

靖国神社(もと東京招魂社)にまつわる歴史伝承、護国神社(もと招魂社)、戦没者(英霊、神兵、軍神!)、A級戦犯の合祀、靖国神社参拝、とは(2010.8.14)

   靖国神社(やすくにじんじゃ、千代田、東京)は、1869年(明治2年)6月、陸軍創立者の大村益次郎(1824~1869年12月)らが戦没者の霊を祀(まつ)るために造った東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)が前身で、最初の招魂祭は、6月29日に挙行されました。

 1879年(明治12年)に靖国神社に改名し、全国の招魂社(のち護国神社)の中心として、別格官弊社(べっかくかんへいしゃ)に位置づけられました。 戦没者として祀り、霊を慰(なぐさ)めると共に、讃(たた)え、軍国主義の普及に大きな役割を果たしたのではないかと言われています。

 靖国神社には墓地はなく、従って戦死者の遺骨は全く納められていません。戦争で天皇側についた戦死者合祀(ごうし)されることに決まると、その人の名前が「霊じ簿」という帳面に筆書きされます。そして、神社の秋の例大祭の時に「魂を招く」という宗教的な行事を行います。その後、その「霊じ簿」が「奉安殿(ほうあんでん)」という建物に納められると、その人が「靖国神社に神として祀られ合祀された」ということになります。靖国神社例祭は、春4月22日、秋10月18日、ほかに、みたま際(7月13~16日)が行われます。

 太平洋戦争の敗戦直後の1946年(昭和21年)、GHQ(米占領軍)の指令にそって、靖国神社は、国営の別格官弊社から、単立一宗教法人となりましたが、戦没者に対する慰霊、追悼、顕彰中心施設という位置づけは、変わっていないようです。その境内には、戦没者の遺品や兵器などを展示した遊就館もあります。

 私は、1999年(平成11年)8月28日に靖国神社を参拝し、この遊就館も訪れましたが、何とも言えない異様な感じがしたことを覚えています。

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靖国神社(やすくにじんじゃ、九段坂上、千代田、東京、google画像) 靖国神社(明治2年6月、東京招魂社から靖国神社に改称): http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/2009/06/post_83.html

(解説) 靖国神社(やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段坂上に鎮座、天皇の忠臣を祀(まつ)る旧別格官弊社です。幕末、明治維新の戊辰戦争(明治元年~2年5月)における官軍側の戦没者3588柱及びそれ以降の西南戦争などの内乱や日清戦争から太平洋戦争に至る対外戦争など国事にに殉じた、戦死者約250余万柱を祀っています。明治時代、1869年(明治2年)6月、東京招魂社として創建しました。

 招魂社(しょうこんしゃ)は、元来、幕末から明治維新の戦乱で死者を多く出した各藩が設けた招魂場に由来しています。1875年(明治8年)、政府は招魂社の祭儀を官祭とし、1876年(明治9年)、各地の招魂社に祀られている霊と未祀霊を東京招魂社(のち靖国神社)に合祀(ごうし)することにしました。1939年(昭和14年)、各地の招魂社は護国神社と改称、各府県に1社が設けられました。東京招魂社は、1879年(明治12年)6月、靖国神社に改称されました。

 第2次世界大戦後、靖国神社は、神道指令で国家と分離され、単立宗教法人となりました。しかし、日本遺族会や自民党の一部は、その国家護持をめざし、靖国神社国営化法案は、1969年(昭和44年)から連続5回(佐藤、田中内閣の頃)国会に上程されましたが、1974年(昭和49年)廃案となりました。

 1979年(昭和54年)4月19日(大平内閣の頃)、A級戦犯の靖国神社への合祀が、各新聞により報じられましたが、それは神社側の独断で、ひそかに合祀されてから半年後のことでした。それをスクープしたのは共同通信社の三ヶ野大典記者(編集委員)で、地方新聞など加盟紙は朝刊で報じ、毎日、読売など全国紙は夕刊掲載となりました。

 このスクープは、厚生省詰の経験がある三ヶ野記者が、BC級の合祀(約1000人)が1959年から始まり、1967年までに終わる頃には、A級の合祀が次の課題になると聞き込み、注意を払っていたが、1979年(昭和54年)春、有力情報をつかみ、裏をとろうと4月17日、日本遺族会板垣正事務局長に当たり、また、翌日、靖国神社を訪れ、藤田権宮司に会ってA級戦犯者の合祀のことを聞いたところ、実は昨年10月17日に行ったという答えが返ってきたので、新聞各紙の合祀報道となりました。

 松平宮司は、機会あるごとにA級の合祀に踏み切った理由は、東京裁判を否定することにあったと強調しています。しかし、サンフランシスコ講和条約によって、東京裁判の「判決」を受け入れ、西側陣営の一員として国際社会への復興を許された日本政府にとって、東京裁判を否定することは出来ません。戦犯のA級は戦争指導者、B級は戦争犯罪に対する命令者、C級は虐待(ぎゃくたい)などの実行者で、各地の軍事法廷で裁判が行われました。そして、5700余人が有罪とされ、984人が死刑となりました。

 天皇、首相、閣僚など公職者の靖国神社への参拝は、1951年(昭和26年)10月に吉田首相が、1952年(昭和27年)10月に昭和天皇が参拝したのを最初に恒例化しますが、公私の別などをめぐって絶えず野党やメデイアの批判を受け、参拝は不規則になって行き、昭和天皇(第124代、1901~1989)の参拝は1975年(昭和50年)以降中断しています。

 昭和天皇が亡くなられた直後の1989年(平成元年)1月16日付の朝日新聞に、次のような記事が掲載されています。 亡き陛下は、A級戦犯が合祀された後の靖国神社へは行かれなかった。当時の侍従次長だった徳川義寛参与によると、1978年(昭和53年)秋にひそかに合祀される前、神社側から宮内庁に打診があり、「そんなことをしたら陛下は行かれなくなる」と伝えたと言う。このことから、A級戦犯の合祀は、反対の「御内意」を伝えたにもかかわらず、神社は合祀を強行し、一ヶ月後に合祀名簿を届けてきて、陛下のお手元に上げたことになります。

 A級戦犯

 A級戦犯(えーきゅうせんぱん)とは、第2次世界大戦の敗戦国日本を裁いた極東国際軍事裁判において「平和に対する罪」について有罪判決を受けた戦争犯罪人を指します。起訴された容疑者を含む場合もあります。

 極東国際軍事裁判所条例の第五条の(イ)の以下の定義、「平和ニ対スル罪則チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画、又ハ共同謀議ヘノ参加。」を犯したとして、極東国際軍事裁判によって有罪判決を受け、戦争犯罪人とされた人々を指す。

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殉国七士廟(じゅんこくななしびょう、三ヶ根山の山頂、幡豆、愛知、google画像) 殉国七士廟(ぶらり重兵衞の歴史探訪: http://www.geocities.jp/bane2161/jyunkoku7si.html

(解説) 1946年(昭和21年)4月29日、極東国際軍事裁判A級戦犯として起訴された被告は28名です。その後、1948年(昭和23年)11月12日、被告として判決を受けた者は25名で、そのうち絞首刑(死刑)は、板垣征四郎(陸軍大将)、東條英機(総理大臣)、武藤章(陸軍中将)、木村兵太郎(陸軍大将)、広田弘毅(総理大臣)、土肥原賢二(陸軍大将)、松井石根(陸軍大将)の7名で、1948年(昭和23年)12月23日に刑が執行されました。その後、1956年(昭和31年)、国際的には、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づき、関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯者は釈放されました。

 処刑された7人の遺体は、横浜の久保山火葬場で火葬され、遺骨は米軍によって東京湾に捨てられました。しかし、12月25日に、小磯国昭(陸軍大将、総理大臣、終身刑、獄中死)の弁護人だった三文字正平が共同骨捨て場から、7人の混ざった遺灰を秘かに回収し、近くの興禅寺に預けました。そして、1949年(昭和24年)5月、伊豆山中の興亜観音にひそかに葬られました。その後、1960年(昭和35年)8月16日、愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山の山頂付近に移されました。三ヶ根には殉国七士廟が設けられ、その中の殉国七士遺骨分骨されて安置され現在に至っています。

 1978年(昭和53年)、靖国神社は、絞首刑(死刑)の7名のA級戦犯者に、終身刑の7名のA級戦犯者、梅津美治郎(陸軍大将)、東郷茂徳(大臣)、松岡洋右(大臣、公判中病死)、小磯国昭(総理大臣)、永野修身(海軍大将、獄中死)、白鳥敏夫(大使)、平沼騏一郎(総理大臣)を加えた14名を殉難者として合祀しました。

 日中戦争及び太平洋戦争において大きな犠牲を強いられた国々(主に中国、韓国)の政府と民衆には、靖国神社へのA級戦犯合祀、総理大臣や閣僚の参拝に対する反発が強く、そのような国々と日本の関係を良好に保つためにも、8月15日の終戦記念日での参拝には、相互の国益を含む政治的配慮が必要と思われます。

 また、終戦の日記念して、1963年(昭和38年)から政府主催による「全国戦没者追悼式」が日本武道館で行われています。1937年(昭和12年)の蘆溝橋(ろこうきょう)事件から8年間にわたる大戦によって失われた尊い命は310万柱にも及びます。平和な今日でも、これら犠牲者の遺族には忘れることが出来ない悲しい日です。心から英霊の冥福を祈り、平和の貴重さをいま一度かみしめたいものです。

(参考文献) 樋口清之(監修): 生活歳時記、三宝出版(1994); 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 永原慶二(監修): 日本史事典、岩波書店(1999); 北陸中日新聞朝刊; 中日サンデー版、平和の語り部、戦争遺産、靖国神社、2004年(平成18年)8月15日(日); 秦郁彦: 靖国神社の祭神たち、新潮社(2010).

(参考資料) 靖国神社(ホームページ、千代田、東京): http://www.yasukuni.or.jp/index.html; 遊就館(ホームページ、靖国神社内、東京):  http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/.

(追加説明) ○ 千鳥ヶ淵戦没者墓苑(三番町、千代田区、東京)には、大東亜戦争(太平洋戦争!)中、海外戦場で亡くなった戦没軍人及び一般邦人のご遺骨(約35万柱)を埋葬した「無名戦没者の墓」があります。

 この墓苑は、1959年(昭和34年)3月28日に創建されました。2010年(平成22年)5月現在、358,269柱が、六角堂内に安置されています。毎年5月に厚生労働省主催の慰霊行事として拝礼式が、また、年間を通じて各種団体主催の慰霊行事が随時行われています。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑(千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会、千代田、東京): http://www.boen.or.jp/; 千鳥ヶ淵戦没者墓苑(環境省、千代田、東京): http://www.env.go.jp/garden/chidorigafuchi/

○ 靖国神社では、戦死者たちは神(軍神・神兵)として祀(まつ)られています。靖国の英霊は、神々の軍隊で、日本を護(まも)るため今なお戦うことを強いられているのであって、安らかに眠っているのではありません! 戦没者を慰霊する国の施設があることと、彼らを神として祀(まつ)ることとは、話しが全く違います。(平雅行 大阪大大学院教授: 時代を生きる 法然・親鸞と今、眠り許されぬ戦死者、2011年(平成23年)3月1日(火)、朝日新聞、朝刊より)

○ 靖国神社参拝

 1975年(昭和50年)8月15日 三木武夫首相、「終戦記念日」に現職の首相として戦後初の靖国神社参拝私人の資格)(三木内閣)

 1978年(昭和53年)10月17日 靖国神社が東条英樹、広田弘毅らA級戦犯14人を合祀。(福田内閣)

 1985年(昭和60年)8月15日 中曽根首相、戦後の首相として初の靖国神社公式参拝。18閣僚も同行(中曽根内閣)

 1992年(平成4年) 宮沢首相が参拝

 1996年(平成8年) 橋本首相が参拝

 2001年(平成13年)8月13日 小泉首相が参拝。以後、2006年(平成18年)まで毎年参拝

 2013年(平成25年)12月26日 安倍首相が参拝

戦後史年表 1926ー2006、朝日新聞社(2007)、より)

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