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2010年8月23日 (月)

自然と人間との共生、にほんの里100選、町野町金蔵(能登、石川)、糺の森(鎮守の森、京都)、自然界での植物群落遷移、石川の自然環境、里山の再生、自然農法、世界農業遺産国際会議、とは(2010.8.23)

   日本人が育んできた里山の価値を見直す機運が、高まってきています。 2010年(平成22年)10月、名古屋市で開かれる、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、議長国となる日本政府は、「自然共生社会のモデル」として、里山の伝統と知恵を国内外にアピールしていく方針です。同条約の目的の1つは、「生物多様性の持続可能な利用」で、自然を破壊し尽くすことなく、その恵みをいかに末永く利用していくか、という。

○ 里山

 里山は、人間の手の入っていない森林を徐々に人が利用しやすい形に変えていった自然で、人里に接した山です。一般に、里山は、奥山(原生林地域、極相林地域)と人里(二次林地域、人間の居住地域)の中間にあり、農業、林業など集落の営みと、周辺の自然が一帯となっている地域のことです。

 里山は、薪(まき)などの燃料として樹木が伐採され、森に光が差し込み、草原は牧草地や茅場(かやば)として利用されることで、その姿を維持してきました。そして、稲作と畑作、果樹、薪と炭焼き(燃料)、シイタケ栽培、タケノコ狩り、草原(牧草と牧畜、茅場)など、自然の中での人の営みが行われ、また、その自然環境に適応できる多くの昆虫や動植物も共存していました。 

 日本の国土の約4割、石川県の約6割、能登のほぼ全域が里山に位置していますが、現在では、過疎化、高齢化による限界集落も多くなっています。 そして、里山の担い手が少なくなり、放置されると、自然は人の住めない奥山(極相)に向かって変化し、そこにいた生物は生きていけなくなり、変わりゆく自然環境に適応できる生物へと変化していきます。

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にほんの里100選マップ(懐かしい風景、誇るべき暮らしの文化など残している地域、google画像)  にほんの里100選(朝日新聞社、森林文化協会、東京): http://www.sato100.com/?page_id=414

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町野町金蔵(日本の里100選(33番)、能登の山村の隠れ里、ゆるやかに棚田が広がる約160人の集落に五つの寺がある。寺での喫茶店、ブランド米や酒づくりなど住民の地域おこしも盛ん。輪島、能登、石川、google画像)

(解説) 現在、里山の再生をめざす取り組みが各地で動き出しています。地域住民に加え、市民団体や企業が連係し、荒れた森や耕作放棄地の整備などに乗り出しているところもあります。「日本の里100選」に選ばれた里には、その先進地も少なくないようです。(日本の里100選(朝日新聞朝刊130周年、森林文化協会創立30周年記念): http://www.sato100.com/news/100/index4.html.)

 ところで、環境が破壊された地域では、例えば、「人間が住まない」と、その地域(原発事故のチェルノブイリ、水爆実験のビキニ環礁、足尾銅山の鉱毒を埋めた渡良瀬遊水池など)は、信じがたいほど多種多様な生物の住処(すみか)となり、本物の自然の状態となり、以前よりはるかに生物の多様性が見られ、豊かになっている、という。(高橋敬一(1956~ ): 「自然との共生」というウソ、祥伝社新書(2009)、より)

○ 鎮守の森

 鎮守の森は、自然と人間の共生の場でもあります。博物学者の南方熊樟(1867~1741、生物学、民俗学)が強調しているように、鎮守の森は、住民共同体の自治の場で、神の水を共に味わって心を同じくする「一味同心」の集合の場でした。また、貴重な動植物が生きている景勝の地であり、歴史と伝統が息づく聖域でした。

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糺の森(ただすのもり、下鴨神社、左京区、京都、google画像) (関西一円の観光地案内より)

(解説) 上述のような思想を受け継ぎ、鎮守の森の保全と活用は21世紀の重要な課題ということで、2002年(平成14年)5月26日(日)に、学際の「社叢学会(しゃそうがっかい)」が京都の賀茂御祖(下鴨)神社の糺すの森(ただすのもり)研修道場で上田正昭氏(1927~ 、京都大学名誉教授、歴史学、小幡神社宮司)が初代理事長となって設立されました。社叢は神々の森、すなわち鎮守の森のことで、神社には必ず社叢があり、少なくともその名残の樹林が見られます。(社叢学会(NPO法人、ホームページ): http://shasou.org/糺の森(関西一円の観光案内): http://www.my-experience.net/2007/03/post_16.php.)

 この糺の森の下鴨神社には、これまでに数回訪れたことがあります。鎌倉時代、その摂社、河合神社の神官の子に生まれ、禰宜(ねぎ)を務めた父の死後、不遇のうちに出家したのが、方丈記で有名な鴨長明(1155?~1216)です。南の端の境内には、鴨長明が隠遁生活を送ったと言われる小屋、方丈(1丈4方、約5畳半)が復元、展示されています。(鴨長明と河合神社: http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/kawai.html.)

 昔から日本の人々は新しい集落には必ず「土地本来のふるさとの木による、ふるさとの森」をつくってきた、という。おろか者に破壊させないために、神社や寺をつくり、この森を切ったら罰があたる、というふうに守ってきた。それらの森は、地震、台風、火事などの災害の時には逃げ場所になった。ふるさとの木は自然が管理するが、そうでない木は管理に大きな労力と経費を要する、という。(1993年、4月30日、朝日新聞、天声人語、国際生態学センター研究所長、宮脇昭氏(1928~ )、都市の植生のゆくえ、より) 

○ 自然界での植物遷移(サクセション、ブナ林、極相)

 FE.クレメンツ(1874~1945、アメリカ)は、野外調査を重視し、農耕地、草原や森林が常に同じ状態ではなく、長い年月の間に、植生自身の内部的要因によって次第に変化し、最後には、その土地の気候に最も適合したタイプの植生になって安定化するという植物遷移説(Succession theory、サクセション説)を提唱しました。

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自然界での植物遷移(サクセション、植物群落の遷移図、浜島書店、より)

(解説) 一般的な植物群落の遷移においては、まず栄養の乏しい土地には、先駆植物として地衣類(チズゴケ、ハナゴケなど)やコケ植物(スナゴケなど)が一面に繁茂し、枯死により土地が肥えると、シダ植物などの時代に移ります。さらに土地が肥えると、光を好む一年生の草(イタドリ、ススキ、ヨモギ、クズなど)や多年生の草(ササなど)のソデ群落に移ります。

 さらに土地が肥えると、低木類の陽樹(リョウブ、ウツギ、アカマツなど)のマント群落に移ります。その日陰に高木の陰樹(アラカシ、モミ、ブナなど)が生え、陰樹が生長して陽樹を追いやり、それぞれの段階で数十年から数百年を経て遷移が進み、最後に植物相が安定した極相林(きょくそうりん、クライマックス)となります。

ブナ林白山釈迦岳中腹、2008年6月21日、kimura氏撮影、google画像) (白山自然態系ー白山の写真と話題: http://hakusan.2702.jp/archives/2008/06/post_217.html. )

(解説) ブナは、天を仰ぐように枝を広げ、すべての葉と枝で雨水を受け止め、幹に伝えて根元に集め、地表の堆積物と土壌に広く深く浸透させて貯留し、その結果、ブナ林は天然のダムとなります。そして、命の水を湧き出させ、豊穣な森の恵みを与えてくれますし、また、鉄砲水や地滑りも防いでくれます。

 ブナの森の床を歩くと、フカフカしたスポンジのようです。そのスポンジは、雪や雨の水をたっぷりと抱え込む「緑のダム」です。ブナの森の土壌は、分厚いろ過装置となって、透明無垢(とうめいむく)な水を生み出します。ブナの寿命は約300年と言われています。

○ 石川県の植生(石川の自然環境)

 石川県の降水のもとになる積雪は、白山山系の豪雪地域から日本海の能登地域に向かって減少しています。この雪はやがて清らかな水に変わり、郷土の豊かな自然を生み出す源(みなもと)になります。また、その気候が、石川県の植生と分布を大きく特徴づけ、白山山系を中心とした大規模なブナ林を発達させています(極相林)。

 県民の大部分が生活している地域は、ふるさとの木(タブノキ、スダジイ、ウラジロガシ、ヤブツバキなど)のように、葉の表面にクチクラが発達し、光沢のある葉を持つ常緑広葉樹の照葉樹林帯です。が、人間活動の影響を受けて変化し、また変化させられて、二次林のコナラ、スギ、アカマツなどの植林地域、田畑の耕作地域、市街地域からなる人里となっています。

(参考文献) 浜島書店編集部: 増補最新図表生物、浜島書店(1995); 自然人編(代表、矢島孝昭): 自然人、橋本確文堂、No.4、Autumn(1998年、10月1日); 高橋敬一: 「自然との共生」というウソ、祥伝社新書(2009).

(追加説明) ○ 里山の再生

 典型的な里山には、集落の周りに農地(田畑、棚田)やため池、二次林(コナラ、クヌギ)、草原(牧草、カヤ、ススキ、ササ)などが混在しています。弥生時代、農耕の始まりと共に、3千年もの間、人間が手を加えながら維持してきました。こうした里山は、国土の4割を占めますが、多くは荒廃し復元は難しいとされています。

 里山は、農林業の舞台のほか、祭りや文化を育んできました。動植物の宝庫でもあります。が、戦後の燃料革命(石炭、石油、ガスなど)で、雑木林を伐採して得た山の資源(薪、木炭)が使われなくなり、大きくなった木々で林は暗くなり、ササは伸び放題となり、また、高齢化や減反により、荒れた休耕田(耕作放棄)が増えました。

 これには、1970年代の土地改良、農薬、化学肥料の普及、木材、食料、石油の輸入など、農林業、生活スタイルの変化が大きな要因となっています。

 ということで、里山でしか生きられないコウノトリやトキ、ツシマヤマネコの希少種を里山再生のシンボルにする地域が多いです。例えば、農薬、化学肥料を使わず、冬も水を張っておき、フナやドジョウが息づき、コウノトリなど野鳥がエサを求めて羽根を休める田んぼを少しずつ増やす、「コウノトリを呼び戻す農法」は、豊岡市(コウノトリの郷公園、兵庫)、越前市(白山、坂口地区の丘陵地、福井)で見られます。里山再生は、環境教育にも活用され、また特産品作り(有機米)や町おこし(コウノトリの郷)にもつながっています。

 が、都市民を呼ぶシンボルもなく、過疎地が深刻な中山間地域では、里山再生は困難です。今年の3月に策定した生物多様性国家戦略では「すべて維持は現実的でない」とし、残すべき地域を選び、あとは地域特有の自然にゆだねた林に戻す(自然界の植物遷移にまかす!)方策の検討を指摘しました。

 環境省の里地里山保全・活用検討会議委員の進士五十八(しんじいそや、1944~ )東京農業大名誉教授は「里山の問題は、国土のデザインの問題。日本の農林業をどうしたいのか、国を挙げて取り組む姿勢が必要だ」と話しています。(2010年(平成22年)8月23日(月)、朝日新聞朝刊、いきもの地球号、里山の再生、より

  帰化植物の害  郊外電車の線路脇、空地、荒地などにわがもの顔に生い茂っている雑草のうち、9割程度は外来種の植物だと言われています。北米原産のブタクサ、セイタカアワダチソウ、オオブタクサなどの花粉は、やっかいな花粉病を起こします。また、田畑をおびやかす帰化植物もあります。オオイヌノフグリ、ハルジョオン、ムラサキカタバミなどで、田畑に進入して雑草となり、除草が難しくなります。家畜が食べると中毒を起す雑草もあります。ドクニンジン、ドクゼリモドキなどです。その他、田のあぜなどに見かける植物、タンポポのほとんどは外来種で、日本種はごくまれにしか見られないという。(樋口清之(監修): 生活歳時記、p.519、帰化植物の害、三宝出版(1994)より)

  棚田(たなだ)ネットワーク(ホームページ、棚田オーナー制度含む、NPO法人): http://www.tanada.or.jp/. 農林水産省の2009年(平成21年)度の資料によると、全国の棚田は計約16万ヘクタールで、全国の水田の6%ほど、国が棚田農家を助成する制度で耕作放棄はある程度食い止められているが、後継者不足は深刻という。(朝日新聞、いきものとくらし、治水・命の宝庫・安らぎ、棚田の包容力守り続けたい、2010年(平成22年)10月27日(水)、朝刊、より)

 季節の味覚として、魚類野菜には、いわゆる(しゅん)という、食べ頃の時期があるという。野菜では、温室栽培、水耕栽培などが盛んになり、キューリ、トマト、ナス、ピーマン、カボチャ、イチゴなど、また、魚類では、養殖業が盛んとなり、カキ、ホタテガイ、ブリ、マダイ、フグ、ワカメ、ノリ(海水)、アユ、エビ、ウナギ(淡水)などが季節に関係なく食べられるとなると、そのものの本来の味が失われるという。

○ 自然農法

 里山の再生、保全を目的とした自然農法(化学肥料、農薬、除草剤などを使わず、 マメ科植物、ミミズ、天敵などを使って栽培する)に関しては、里山自然農法協会(一般社団法人、大坂):http://satoyama-shizen.or.jp/ 、トキのふるさと里山自然農法(輪島、石川): http://www.mannmaru.jp/index.html.のほか、日本各地で多くの就農者がおられるようです。

 自然農法家、福岡正信氏(1913~2008)には、 世界各国の言語(英語、韓国語、タイ語など)で翻訳された「自然農法・わら一本の革命」の著書があります。伊予市(愛媛)の故郷で、20代より、田畑とミカン山(5反、50アール、50×100ヘイホーメートル)で、自然の力にゆだねる、土を耕さず、無肥料、無農薬、無除草で米や野菜、果樹などを作る、「自然農法」を提唱し、実践しました。

 その手法として、田植えをせず、種籾(たねもみ)をじかに地面にまいて米を作り、刈り取る前に麦をまく「不耕起直撒(ちょくはん)」の米麦連続栽培を考案しました。また、下草刈りの手間を省くために、緑肥となるクローバーをまきました。ミカン山では、木の根元に下草を生やして栽培しました。

 また、地球規模の環境破壊に危機感を抱き、樹木や果樹などの約100種の植物の種子を粘土で固めた特製の「粘土団子」を使って、アジアやアフリカの砂漠緑化にもかかわり、それらの成果が評価され、1988年(昭和63年)に「アジアのノーベル賞」と言われるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞しました。

 2008年8月16日、老衰で亡くなられました。享年95歳。「一生、自然を追い求めて、死を意識しながら死んでいった。自分の人生を貫いたような気がする」。長男の雅人さん(65)は語った。(2008年(平成20年)10月19日(土)、朝日新聞朝刊、自然農法家、福岡正信さん、自然の力 生涯追い求め、より)

 福岡正信の自然農法と茅茫庵(西山敬三氏、体験談): http://www.netwave.or.jp/~n-keizo/fukuoka1.htm.

 私は、福岡正信氏の自然農法に関する著書を数冊読み、実状が知りたくて、1987年(昭和62年)8月14日、1999年(平成11年)8月16日、弟(最初は悟、光男と3人で、のち悟と2人で)とマイカーで福岡氏の田畑と山の果樹園(伊予、愛媛)を見学に訪れたことがあります。福岡氏はご不在のようで、農地と果樹園は推測ですが、放耕地でよく見られるセイタカアワダチソウ(耕作地を水浸しにすれば発芽しないという?)のような背丈の大きな草はなく、いろんな小さな草が繁茂していたのを覚えています。私の郷里のセイタカアワダチソウが繁茂している自宅の畑(引野、上板、德島)は、水浸しにもできず、抜き取るしかないように思いました。

○ かかし案山子)は、竹や藁(わら)などで人の形を造り、田畑にたてて、鳥獣がよるのをおどしふせぐもの。とりおどし。(広辞苑より)

○ 世界農業遺産国際会議(開催結果、2013年(平成25年)5月29日~6月1日、石川県七尾市):  http://www.pref.ishikawa.jp/satoyama/noto-giahs/forum.html

 

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