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2010年8月29日 (日)

白山にまつわる伝説と説話、わらじ伝説(富士山と背比べ)、日本最高峰(50年間、新高山、玉山とも、台湾)、泰澄(白山開山)弟子、臥行者の飛鉢の法力(信貴山縁起と類似)、富士山世界文化遺産、とは(2010.8.29)

   日本の山で、古くから、三名山とか、三霊山と呼ばれるのは、伝統的に山岳信仰の対象となってきた、富士山(ふじさん、3776m、静岡)、立山(たてやま、3015m、富山)、白山(はくさん、2702m、石川、福井、岐阜、富山)です。

○ 白山(加賀、石川)のわらじ伝説、日本最高峰の富士山(駿河、静岡)と背比べ

 昔、駿河(するが、静岡)の男と加賀(かが、石川)の男がお国自慢をし合いました。「日本一は冨士のお山だ」「いやいや、白山こそが日本一」。そこで、白山と富士山の頂上に、竹を接いで作った長い樋(とい)が架け渡され、水が流されました。すると、水はゆっくり白山の方へ流れはじめるではないか。このとき、加賀の男は、履いていたわらじをぬいで、白山側の樋の下にあてがうと、水の流れはぴたりと止まった。以来、白山へ登る人は、わらじを片方、山頂に置いてくるようになったという。実際、昭和の初めまで、白山の山頂にはわらじの山ができていたという。 白山のわらじ(伝説  その四、白山比咩神社、白山市、石川県):    http://www.shirayama.or.jp/legend/l04/index.html

○ 終戦(1945年)まで50年、日本最高峰は新高山(3952m、玉山とも、台湾)

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玉山(ぎょくさん、3952m、 新高山とも、台湾山脈、台湾のほぼ中央部、台湾、google画像)

(解説) 古来、日本最高峰は、富士山ですが、中国の台湾が日本に割譲(かつじょう)され、日本が統治していた半世紀の間(1895~1945)、台湾玉山(ぎょくさん、3952m)が、明治天皇(第122代)により、新高山(にいたかやま)と名付けられ、日本の最高峰として知られていました。

 太平洋戦争の開戦となった、ハワイ真珠湾攻撃の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」は、この山の名を引用したのではないかと言われていますが、海軍の通信符号表には「ニイタカヤマ」は登載されておらず、確証はないそうです。

○ 泰澄(白山の開山、越前、福井)の弟子、臥行者(能登、石川)による飛鉢(ひはつ)の法力の説話

 神道(しんとう)は、日本列島に住み着いたと思われる縄文人たちが、ごく自然に、自然の運行(季節変化など)に恐怖と畏敬(いけい)の念を抱き、大自然との共生を、信仰と共に保つ姿を生んだものと思われます。

 霊峰白山は、神体山として、年中、峰々に白雪をいただくことから「白き神々の座」とも呼ばれ、農耕に不可欠な水を供給する水神の山、日本海を航行する指標となる航海の神として信仰されました。

 一方、白山は、仏教(ぶっきょう)の影響により、人が足を踏み入れることを許さない禁足の霊山から、修験(しゅげん)の聖地(せいち)へと変わり、奈良時代、717年(養老元年)、はじめて登拝(とはい)したのが、「越の大徳(こしのだいとく)」と称された泰澄(たいちょう、682~767)と伝えられています。平安時代から江戸時代まで、泰澄伝説を受け入れ、天台宗系の神仏習合が行われ、白山寺と白山宮が併存し、僧侶と神主が共存して、明治時代の神仏分離まで、宗勢を広めました。

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泰澄大師像室町時代、1493年(明応2年)、朝日町、福井、大谷寺蔵、google画像)

(解説) 10世紀ころの「泰澄和尚伝記」によれば、泰澄(たいちょう)は、682年(天武天皇11年)麻生津村(越前、福井)で生まれました。幼い頃から神童の誉れ高く、14才のとき、白山の女神(十一面観音の化身)の夢告をうけて、越知山(おちさん)の坂本の岩屋にこもり修行に明け暮れました。いつしかその名は奈良の都にも聞こえ、702年(大宝2年)、都から大伴安麻呂(おおとものやすまろ、?~714)が勅使(ちょくし)として使わされ、鎮護国家の法師(ほうし)となりました。

 泰澄には、この年、能登島(能登、石川)から泰澄を訪ねてきて弟子になった臥行者(ふせりのぎょうじゃ)、また、臥行者による泰澄の飛鉢(ひはつの法力を目(ま)の当たりにして、泰澄の弟子になった船頭の神部淨定(かんべのきよさだ)という二人の弟子がいます。のち泰澄と共に、白山の登拝(とはい)の起点として、加賀(かが、石川)、越前(えちぜん、福井)、美濃(みの、岐阜)に設けられた三馬場(さんばんば)を開いたという。

 臥行者は、いつも寝転がって思索に耽(ふけ)っていて、唯一の仕事は、師の泰澄の食事の世話をすることでした。毎日、臥行者は泰澄から預かった飛鉢を空に飛ばしました。戻ってきた鉢の中には、いつも炊いた飯などが入っていました。

 あるとき、大量の米俵を運ぶ船が越前沖を進んでいました。臥行者は飛鉢を飛ばして供米(くまい)を乞(こ)うたが、船頭の神部淨定は、政府に納める米だからと断り、鉢を海に投げ捨てました。すると、飛鉢は越知山に飛んで帰り、船に積み上げられた米俵や櫓櫂(ろかい)も、鉢のあとを追ってつぎつぎに越知山へと飛び去ったという。

 この飛鉢の法力については、平安時代中期、信貴山で修行し、当山の中興の祖とされる命蓮(みょうれん、生没未詳)に関する説話を描いた信貴山縁起絵巻(作者不詳)にも同じような話が出ています。山崎長者の巻、延喜加持の巻、尼公の巻の3巻からなる絵巻で、山崎長者の巻(飛倉の巻)に、以下のような説話があります。

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信貴山縁起絵巻 鉢が米倉を持ち上げ、川を越えて飛んでゆく、長者が馬に乗り追いかけるが、倉は山の方へと持っていかれる、  鉢を先頭に飛んで帰ってきた米俵に驚く長者宅の女たち、 山崎長者の巻(飛倉の巻)、国宝、長護孫子寺所蔵、原本は奈良国立博物館に預託、奈良、google画像)

(解説) 僧、命蓮(みょうれん)が神通力(法力)を使い、山崎の長者のもとに托鉢に使用する鉢を飛ばし、その鉢に校倉造りの倉を乗せて飛ばし、信貴山にいる命蓮の所まで持って来ました。長者が中に収められていた米俵だけでも返してくれと訴えたので、今度は、鉢に乗せた米俵を先頭にし、米俵を数珠繋ぎにして飛ばし、長者のもとまで飛ばしました。  

 越の白山(こしのしらやま)と呼ばれて称(たた)えられた白山は、手取川(てどりがわ、石川)、九頭竜川(くずりゅうがわ、福井)、長良川(ながらがわ、岐阜)、庄川(しょうがわ、富山)の4水系の分水嶺(ぶんすいれい)にそびえ、豊富な水資源は、その流域の農耕に豊かな実りをもたらし、また、殖産興業(水力発電、企業の工場設置など)を起こし、人々の生活を豊かにしました。白山の信仰は、明治時代末期には、白山比咩神社(鶴来、のち白山市、石川)を総本社とする全国2700社に及ぶ白山神社が確認されており、現在も全国的な活動が続けられています。

(参考文献) 山本尚幸編: 週刊神社紀行 45、白山比神社、白き嶺に舞い降りた女神、学習研究社(2003); 世界の「ふしぎ雑学」研究会: 図解、日本の「三大」なんでも事典、三笠書房(2008); 石川県の歴史散歩編集委員会編(編集代表、木越隆三): 石川県の歴史散歩、山川出版社(2010).

(参考資料)  白山(石川、福井、岐阜、富山、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E7%99%BD%E5%B1%B1&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=AwB5TM6iF8XQcf-KiYkG&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CDMQsAQwAw

 富士山(静岡、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=0P54TMreKozvcOit1e4F&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=5&ved=0CDgQsAQwBA

 立山(富山、google画像):  http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E7%AB%8B%E5%B1%B1&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=I5x5TMLCH8yqcfKb-OYF&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CDgQsAQwAw

 玉山(新高山とも、台湾、google画像):http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E7%8E%89%E5%B1%B1%EF%BC%88%E5%8F%B0%E6%B9%BE%EF%BC%89&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=LKp4TPjiJMKrcdbk3fkF&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCYQsAQwAw

 信貴山縁起絵巻(朝護孫子寺所蔵、奈良、google画像):http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%BF%A1%E8%B2%B4%E5%B1%B1%E7%B8%81%E8%B5%B7%E7%B5%B5%E5%B7%BB&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=zgB5TMe7BsaPcNq9zN8F&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBgQsAQwAA

(追加説明) 信貴山縁起(しぎさんえんぎ)は、奈良県朝護孫子寺に伝わる平安末期の絵巻(3巻)です。作者は鳥羽僧正と伝えられるが明らかではありません。醍醐天皇のころ大和の信貴山に住んだ僧、命蓮(みょうれん)の法力譚(ほうりきたん)や、姉との再会譚を描いたもので、上巻「飛倉(とびくら)の巻」、中巻「延喜加持(えんぎかじ)の巻」、下巻「尼公(あまぎみ)の巻」などがあります。

 飛倉の巻では、長者に懇願されて、倉の米を返す命蓮(第9紙~第10紙)、延喜加持の巻では、空を駆ける剣の護法童子(第17紙~第19紙)、尼公の巻では、尼公が東大寺を訪れ、大仏の前で尼公が祈り、まどろみ、目覚めて旅立つまでが連続して描かれています(第14紙~第15紙)。

 柔軟な描線を駆使し、多くの人物の変化に富んだ姿態や表情を躍動的に描く一方、色彩を細心に効果的に使う手腕は大和絵技法を代表するものです。

 作者は、仏教的環境ともつながりが深いが、むしろ宮廷文化のうちにあるらしく、この絵巻も寺縁起としてより、むしろ説話的な興味のうちに作られたと思われます。庶民生活の鋭い観察とユーモラスな描写態度には、文化的な過渡期である当時の空気が反映しています。(下中邦彦編:小百科事典、平凡社(1973); 週刊朝日百科: 国宝の美 31、絵画9 説話・縁起絵巻、朝護孫子寺 信貴山縁起絵巻、朝日新聞出版(2010)、より)

 富士山世界文化遺産(2013年(平成25年)6月22日登録、山梨県事務局、静岡県事務局): http://www.fujisan-3776.jp/

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