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2010年8月 6日 (金)

碁の名手(本因坊算砂)ゆかりの寂光寺(京都)、寺宝の唐桑の碁盤、碁石、碁笥、算砂の囲碁狂歌、とは(2010.8.6)

 寂光寺誌によれば、安土桃山時代(1573~1603)、織田信長(1534~1582)の頃、寂光寺(京都)は、最初、1578年(天正6年)、日蓮宗の僧、日淵(にちえん、1529~1609)が、京都御所西側の京都出水通り、室町近衛町(上京区)に創建しました。その後、豊臣秀吉(1537~1598)の寺町建設に伴い、1590年(天正18年)、秀吉の援助により、2代目住職、日海(算砂、1559~1623)により寺町竹屋町(中京区)に寂光寺を移しました。

 それから120年後、江戸時代(1603~1868)、1708年(宝永5年)、京の大火で類焼した寂光寺は、東山(左京区)仁王門通北門前町に三度目の再建が行われ、現在に至っています。寂光寺は、顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の本山ですが、算砂は本堂ではなく、その寺の本因坊と言う名の小さな御堂、塔頭(たっしゅう)に住み、囲碁の技量に優れていたので、徳川家康(1543~1616)に仕え、本因坊算砂と呼ばれ、囲碁の家元となりました。

○ 寂光寺には、近衛家(関白)より算砂に贈られた唐桑の碁盤、朝鮮通信史の一員、李礿史からの贈呈品とされる磁器製の碁石、碁笥(ごけ)及び「乾坤窟(けんこんくつ)」と書かれた扁額(へんがく)、算砂の肖像画(作者不明)、算砂自身が書いたとされる「囲碁狂歌」などの寺宝が伝わっています。

 朝鮮通信史は、おそらく、1615年以降(元和年間)に李礿史なる人物が来日した際、算砂と三子で対局して敗れ、帰国してから算砂に、碁石、碁笥、乾坤窟(天地のすべてがこの盤上にあるという意味か?)の扁額を贈ったと言われています。

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唐桑碁盤(近衛家より算砂に贈られた唐桑の板盤)、朝鮮通信史からの贈呈品とされる碁笥と碁石(陶磁碁笥、玉石) 、寂光寺蔵、京都、google画像)

 伝説ではなく、算砂自身が書いたとされる「碁之狂歌」というのは、狂歌というよりは訓戒の歌と考えても差し支えない以下の11首です。

1 石立(いしだて)は相手により打(うち)かへよ さて劫(こう)つもりの時の見合(みあわせ)

2 作り物ありとをり入り案ずれば 心にそまぬ手をや打つらん 

3 上手(じょうず)とてあまりの気過(けすぎ)恐るなよ 又おそれぬも悪しきなりけり 

4 囲碁はただ下手(へた)と打つとも大事なり 少事と思う道のあしさよ 

5 わが芸を見かえることは打忘れ 人のくもりをいふぞをかしき 

6 身の上のまけになるをばしらずして むかふばかりを見るぞ下手(へた)なり 

7 番数を勝(かつ)ほど後をしめてうて すこしも心ゆるしはしすな 

8 かりそめも諸道の非難無益なり 手前の義理を詮さくはよし 

9 嗜(たしなみ)はかげにて絶(たえ)ずつとむれば 面白き手を見分けうつなり 

10 智案先早きは悪ししこまやかに 始末目算手うちだてすな 

11 他度法度(はっと)かたくまもらば其外(そのほか)も 堪忍するは道の道なり

初代本因坊算砂辞世は、碁なりせば劫(こう)など打ちて生くべきに 死ぬるばかりは手もなかりけり 

 寂光寺の大川定信住職(67)は、算砂は囲碁の名手として有名ですが、それだけではありません。囲碁を通じて秀吉や家康らに、仏教の神髄や天下人としてのあり方を教えたのだと思います、と語っています。

 算砂は囲碁の名手として知られ、織田信長に名人と称されたと伝えられています。豊臣秀吉、徳川家康にも仕え、近世囲碁の開祖と言われています。算砂は、1623年(元和9年)5月16日示寂、享年65歳、法名は日海上人です。

 私がはじめて寂光寺を訪れたのは1966年(昭和41年)10月頃でしたが、最初は、寂光院(大原、左京区)と間違えて道に迷った覚えがあります。なお、2009年(平成21年)、寺町竹屋町の近くに、囲碁「本因坊」発祥の地の駒札と石の碁盤が設置されました。

(参考文献) 福井正明: 囲碁古名人全集、誠文堂新光社(2007); 朝日新聞朝刊: こころ、寂光寺、本因坊ゆかりの品々残す、2010年(平成22年)7月13日(火).

(参考資料) 寂光寺(囲碁名所、囲碁史研究): http://www1.ocn.ne.jp/~igoshi/meisyo002.html

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● 囲碁(起源、棋話、歴史対局、儀式、遊び、近代碁、世界棋戦)」カテゴリの記事

コメント

 縁あって、朝鮮通信使に関わっています。
 一つ教えてください。、
 算砂と対局した李礿史が朝鮮通信使の一員であったかどうかについては、確認ができませんでした。
 ご教示いただければ幸いです。

 回答 
 算砂と対局したのは、李礿史という人物です。朝鮮通信史の一員であったことは、寂光寺(囲碁名所、囲碁史研究)のブログに紹介されています。 寂光寺(囲碁名所、囲碁史研究): http://www1.ocn.ne.jp/~igoshi/meisyo002.html

 

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