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2010年9月16日 (木)

山下 清(放浪の画家)にまつわる歴史実話、阿波(德島)の土柱の絵、土柱の散文(兵隊の位にして、鳴門は「左官」で、土柱は「尉官」というところだろうな)、とは(2010.9.16)

  阿波(德島)の天然記念物の観光として、鳴門の渦潮(うずしお、鳴門海峡)、大歩危峡(おおぼけきょう、吉野川中流域)と共に、奇勝土柱(どちゅう、阿讃山脈の南麓、阿波、德島)が有名です。

 土柱は、阿讃山脈の急傾斜地の下に堆積した土砂、和泉砂岩層(約130万年前の地層)を風雨が浸食して出来た土の柱で、現在の地形になるには約3万年かかったという。世界でも珍しい地形で、1934年(昭和9年)には国の天然記念物、1961年(昭和36年)には、高越山(こうつざん)や岩津の名勝を含めて、県立自然公園に指定されています。

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土柱( 上 土柱の絵(放浪の画家、山下 清氏) 下 土柱の写真(波涛嶽など)、阿波、德島、google画像)  

(解説) 1956年(昭和31年)10月10日、ハダカの王様、山下 清(やましたきよし、1922~1971)氏が来県され、德島、鳴門を見て、土柱に来遊、その時の絵と散文、語り口などが、德島新聞には、1956年(昭和31年)10月11日、文芸春秋には、1956年(昭和31年)12月号に発表されました。

 その頃、私は高校生でしたが、德島新聞に出ていた山下画伯の姿、土柱の絵、山下語録などが強く印象に残っています。そして、その年の10月下旬、村のお祭りの頃、親友(松田容和君)にさそわれて、土柱を見に自転車で行き、大規模な山崩れの奇景!を眺め、近くの山々を不思議な思いで見て回ったことを覚えています。その後、機会を見て、家族や知人とも何回か訪れました。

○ 土柱にて(散文)                                          山下 清

 德島から土柱へゆくとちゅう、六十ぐらいのよぼよぼのおじいさんが自動車にひかれそうになった。あんな人をおいぼれというのだろうか。でも六十になっても、はたちくらいの人のように元気な人もいるだろう。はたちの人と六十の人と、どっちがえらいのだろうか。はたちの人は力がつよいし、六十の人は世の中のいろんなことを知っているから頭がいい。どっちもいいところをもっているから、えらさはきっと同じだろうな。はたちはおとなのはじまりで、六十はおとなの終わりなんだな。

 六十ぐらいの人は、きたないけれど、六十ぐらいの人を一万人も二万人も並べたら、きたなく見えないようになるだろうな。そのなかへ四十ぐらいの女の人を一人か二人つれてきたら、その人はきっと、はたちぐらいの若さに見えるだろうな。一人二人かいないんだから、めだつんだな。

 土柱みたいな景色は世界に二つか三つしかないとおしえてくれた。だから土柱が有名になったんだろう。ここは、東京でいえば銀座みたいなもんだろうな。こんなところが日本じゅうあったら、六十の人がたくさんいるのと同じで、きっとつまらないだろう。岩ばかりの絵はあまりかかないので、はじめはちょっとまごついたが、めづらしいのでかいてみた。ここの景色は兵隊の位にしたら将校かな。おなじ将校でも、まえにみた鳴門にくらべるとちょっと下だな鳴門は「左官」で、土柱は「尉官」というところだろうな。(文芸春秋 1956(昭31)、12月号)

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軍隊における階級(呼称一覧、google画像)

○ 土柱(三山六嶽三十奇)

 土柱は、「三山六嶽(さんざんろくがく)三十奇」と言われ、千帽子(せんぼうし)山に波涛嶽(はとうがだけ)、扇子(せんす)嶽、その西方500mの高歩頂(たかぶちょう)山の橘(たちばな)谷沿いに橘嶽、さらに西500mの円山(まるやま)の五明谷(ごみょうだに)に沿って灯籠(とうろう)嶽、不老(ふろう)嶽、筵(むしろ)嶽の六つの奇勝ががあります。土柱のうち最も雄大なものは、波涛嶽で、海中に大波の騒ぐ姿に似ていて、南北90m、東西50mの間に多数(20余り?)の土の柱がそびえ立っています。

 土柱は、一般に、土塔、土筍、土板、雨裂天然溝とも呼ばれ、風雨などの浸食作用により造成されます。阿波の土柱は、何れも阿讃山脈の南斜面にある扇状地の古期洪積層の80m~200mの旧段丘にできたものです。 

 この地域は、県下でも稀な雨量の少ない半乾燥地で、土壌が軟弱で、植物の生育が悪く、山肌を露出し、雨水により、土壌の浸食が行われやすい特殊な地形となっています。 また、阿讃山脈は、中生代の白亜紀に属する和泉砂岩層であり、その地質は、砂岩、頁岩(けつがん、泥板岩)、粘板岩、石灰岩などのよって構成され、風雨の浸食による風化に弱く、河川の浸食により、南麓には扇状地が大きく発達しています。

(参考文献) 藤井孝志: 天然記念物 阿波の土柱、土柱堂(1970); 德島史学会(代表、湯浅良幸)編: 德島県の歴史散歩、p.61~62、阿波の土柱、山川出版社(1995).

(参考資料) 山下清の画像(google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E3%80%80%E6%B8%85&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=gsGQTKC7PIaecPql3M0M&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBUQsAQwAA

土柱(阿波、德島、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%9C%9F%E6%9F%B1&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

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