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2010年9月22日 (水)

室生犀星(金沢出身の詩人、作家)にまつわる歴史実話、犀川神社(御影大橋の近く)、雨宝院(犀川大橋の近く、幼少期を過ごした真言宗の古刹)、性に目覚める頃(自叙伝風の私小説)、とは(2010.9.23)

  犀川は、白山山脈(白山連峰の奈良岳)を源流にもち、金沢市内を東西に流れています。先日、9月21日(火)の午後、犀川右岸の歩道を歩いて、室生犀星ゆかりの犀川大橋のすぐ近く、雨宝院を訪れました。

 そこへ行くまでに、小さな橋が数多くあり、示野中橋、若宮大橋、小豆田大橋、JR北陸線の鉄道橋、御影大橋、御影新橋、新橋、犀川大橋など、それほど大きな橋でもないのですが、大の名がつく橋を多く見受けました。

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犀川神社(さいがわじんじゃ、左の背後に見えるのは御影大橋、中央通り町近く、金沢、石川) 御影大橋(みかげおおはし)の近くの道路沿い(犀川右岸)に犀川神社があります。 犀川神社(神社探訪、金沢、石川): http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/isikawa/kanazawa/saikawa/saikawa.html

 私は、1969年(昭和44年)4月、金沢大学(理学部、城内キャンパス)に勤務し始めてから10月まで、ここから歩いて数分、中央通り町で下宿(米沢美津子様方、木羽教授に依頼、事務の山田氏の紹介)したことがあります。

 そこから歩いて、金沢の中心街(長町、片町、香林坊)を横切り、金沢大学城内キャンパス(金沢城址)に通ずる宮守坂をのぼり、さらに城内を横切り、理学部化学教室(鉄筋4階建ての3階、黒門のすぐ前)に通いました。金沢は戦災にあわなかったので、街中は迷路(袋小路、七曲がり、甲州兵法!)となっており、時々道に迷いました。

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犀川大橋(さいがわおおはし) 金沢の繁華街の片町から広小路へ、犀川大橋の中程から下流に見えるのは新橋、手前の左岸に雨宝院の銅葺きの宝塔と本堂が見えます。 犀川大橋(土木遺産、金沢、石川):http://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/bunkazai/saigawa/index.html

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室生犀星(野町尋常小学校卒、金沢):http://www.kanazawa-city.ed.jp/nomachi-e/saisei/saisei.htm

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雨宝院(うほういん、高野山真言宗、千日町、金沢、石川) 犀川大橋を渡って、右に曲がると犀川交番所で、その隣りの道路右脇(犀川左岸)に雨宝院があります。 雨宝院(散歩道倶楽部、金沢): http://www.kanazawa1.com/data.php?s=omise&l=uhoin&d=uhoin&k=11&t=02

 雨宝院は、諸国行脚の僧が、安土桃山時代、1595年(文禄4年)、当地の廃寺を再興したことに始まるという。千日山雨宝院といい、高野山真言宗の古刹で、犀川のほとりに建っています。室生犀星(1889~1962)は、生後まもなくここに貰われ、幼少期を過ごしたことで知られています。現在、犀星の位牌をはじめ、自筆原稿や手紙などゆかりの品が展示されています。

 また、雨宝院の前の掲示板には、1919年(大正8年)10月、31才、はじめて中央公論に発表した自叙伝風の短編小説(私小説)、「性に目覚める頃」の作品の一節が紹介されていました。

 この作品は、1960年(昭和35年)頃(?)、映画化されたものを見たことがあります。若い女の人(参詣を装って賽銭を盗む少女!)が一人、お寺(雨宝院!)の本堂へお参りしていた時、その姿を、一人の少年(犀星!)が、お寺の境内の陰からそっと見つめていたのが印象に残っています。

 「性に目覚める頃」の作品の中で、「犀川」については、次のように紹介されています。 東京では、隅田川ほどあるこの犀川は、瀬に砥がれたきめのこまかな柔らかい質に富んでゐて、茶の日には必要缼くことのできないものであった。私は、そんなとき、手桶をもって、すぐ瀬へ出てゆくのであった。庭から瀬へ出られる石段があって、そこから川へ出られた。

 この犀川の上流は、大日山といふ白山の峯つづきで、水は四季ともに澄み透つて、瀬にはことに美しい音があるといわれてゐた。私は手桶を澄んだ瀬につき込んで、いつも、朝の一番水を汲むのであった。上流の山山の峯のうしろに、どつしりと聳えてゐる飛騨の連峯を霧の中に眺めながら、新しい手桶の水を幾度となく汲み換へたりした。汲んでしまってからも、新しい見事な水がどんどん流れてゐるのを見ると、いま汲んだ分よりも最つと鮮やかな綺麗な水が流れてゐるやうに思って、私は神経質にいくたびも汲みかへたりした。

 また、「雨宝院」については、次のように紹介されています。  寺のことはたいがい父がしてゐた。本堂に八基の金燈籠、観音の四燈、そのほか客間、茶室、記帳場 総て十二室の各座敷の仏壇の仏画や仏像の前には、みな灯明がともされてゐた。それらは、よちよちと油壺と燈心草とをのせた三宝を持った父が、前と夕との二度に、しづかな足袋ずれを畳の上に立てながら點(とも)して歩くのであった。

 寺へ来る人人は、よく父の道楽が、御燈明を上げることだなどと言ってゐた。それほど父は高価な菜種油を惜しまなかった、父自身も、「お燈明は佛の御馳走だ。」と言ってゐた。

 1889年(明治22年)、旧加賀藩の足軽、小畠家の私生児として生まれた犀星は、貰い子となり雨宝院で育てられました。明治維新後の金沢の町は、士族の没落と著しい経済困窮の結果、多くの孤児や貰い子、身売りが横行しており、雨宝院のような所の人々が、孤児救済の一端をになっていました。この辺りの千日町という町名の由来は、雨宝院の山号によるものです。

 雨宝院から犀川沿いに街路をたどると、三差路の広見(ひろみ)に至り、ここで左手の広い道をしばらく進むと、室生犀星記念館があります。ここは、犀星の生家跡であり、一帯は裏千日町と呼ばれました。記念館では、室生犀星の生涯や作風などを知ることが出来ます。室生犀星記念館(ホームページ): http://www.kanazawa-museum.jp/saisei/

(参考文献) 株式会社乃村工藝社株式会社博文堂編: 犀星ー室生犀星記念館ー、金沢市室生犀星記念館(2002); 石川県の歴史散歩編集委員会(代表、木越隆三)編: 石川県の歴史散歩、山川出版社(2010).

(参考資料) ○ 室生犀星(金沢出身の作家)にまつわる歴史実話、ふるさとは(小景異情)、山のあなたの(カール・ブッセ、上田敏訳、海潮音)、桃源郷(陶淵明、宏村、中国)、とは(2009.7.6): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/muro.html

 

 

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