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2010年10月15日 (金)

日本国名と貨幣にまつわる歴史伝承、国名の由来(大和、倭、日本など)、貨幣の単位(両、分、朱、貫、文、円、践など)、建国記念の日(2月11日)、紙幣刷新、とは(2010.10.15)

  日本(にほん、にっぽんとも)は、わが国の国号で、初代、神武天皇(じんむてんのう、生没年未詳)の建国の地とする大和(やまと)を国号とし、「やまと」、「おほやまと」と言い、古く中国では、「(わ)」と呼びました。大化改新の頃も、東方、すなわち日の本の意から「日本」と書いて、「やまと」と読み、奈良時代以降は、「にほん、または、にっぽん」と音読するようになりました。現在でも、日本の読み方については、法的な根拠はなく、どのように読んでも問題ないようです。

 

 貨幣(かへい)は、本来はそれ自身が交換されるものと等価の商品で、昔は貝殻、獣皮、宝石、布、農産物など、のち貨幣商品として最も適した金、銀のような貴金属、また銅などが次第に用いられるようになりました。江戸時代、金貨、銀貨などの鋳造、鑑定、発行は、江戸幕府直轄の、金座(きんざ)、銀座(ぎんざ)で行いました。

 

 中国では、おもに貨幣として銀貨を用いていたので、それを扱う金融機関を銀行(ぎんこう)と呼びました。中国の銀については、ポルトガルが、日本から安く買い入れた銀(石見銀山産など!)を中国に高く売りつけ、一方、中国から生糸、絹織物、金などを安く買い入れ、また日本に渡り、これらの品物を日本に高く売りつけ、銀を安く買い入れるなどの貿易により、大きな利益をあげました。

 

○ 日本の国名の由来

 

 飛鳥、白鳳時代(592~710)、701年(大宝元年)、「日本」という国号が、対外的な国号として定められました。そのことが、翌年施行された「大宝律令(たいほうりつりょう)」に、正式な国号として記録されています。

 

 古くは、「日本」は、「大八州(おおやしま)」、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」などの名で呼ばれていたことが、古事記と日本書紀に記録されています。その後、大和朝廷の勢力が広まるに伴い、大八州の政治的な中心地の地方名、「大和(やまと)」が、そのまま総名とされるに至りました。一方、中国ではわが国のことを、「(わ)」と呼んでいました。

 

 大宝律令にある「日本」は、はじめの頃は「やまと」とか「ひのもと」とか読まれていましたが、漢字の知識が広まっていくにつれて、字音で読むようになり、奈良時代(710~794)以降は、「にほむ」と発音されていました。室町時代(1338~1573)に入り、「にほむ」は、「にほん」あるいは「にっぽん」の読み方となり、これは東国的な発音の影響と言われています。

 

 昭和時代(1926~1989)初期以来、しばしば「にっぽん」という読み方に統一しようとする運動があり、1934年(昭和9年)、文部省の臨時国語調査会で「にっぽん」を正式名称とする決議がなされましたが、国家的制定まで至らず、今日に及んでいます。

 

○ 日本の貨幣の単位

 

 日本は、708年(和銅元年)、中国の貨幣をまねて、「和同開珎(わどうかいちん)と呼ばれる貨幣をつくりました。和同開珎には、の2種があり、銀1文(もん)が銅4文に相当し、この頃は、銅貨が銀貨より高かったらしい? とのことです。

 

 「(もん)」という通貨単位は、中国の重量単位から来ています。また、「(りょう)」という重さの単位も、中国では周(紀元前1046~256)の頃からありました。1両は10文にあたります。日本でも、平安時代(794~1192)、すでに砂金を紙に包んで、「金何両(きんなんりょう)」と目方を表示し、1両は12グラムほどでした。それゆえ、武田信玄(1521~1573、甲斐、山梨)の甲州金、豊臣秀吉(1537~1598)の天正大判、小判、徳川家康(1543~1616)など、正式の金貨が鋳造された時には、そのまま「」が貨幣の単位とされました。「両」の4分の1を「分(ぶ)」、そのまた4分の1を「朱(しゅ)」としました。また、「貫(かん)」は「分」と同じで、「文」の千分の1は、「貫」または「分」となります。

 

 明治時代(1868~1912)、1871年(明治4年)、新政府は、幕府の「両」をきらって「」という単位を決めました。財務担当参議、大隈重信(1838~1922、肥前、佐賀)が、欧米流に、金貨円形にすること(それまでの金貨、大判、小判などは楕円形でした)、十進法に改めることを主張しました。この時、大隈は、「元(げん)」という名を提案しましたが、衆議で「円(えん)」に修正したとも、彼自身が、「みんな指で輪(わ)を作って、金(かね)を表しているじゃないか」と衆議に押しつけたとも言われています。また、この時、「円」の百分の1を「践(せん)」としました。

 

(参考文献) 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 樋口清之(監修): 生活歳時記、p.87、「日本」という国名、p.201、貨幣の単位の歴史、三宝出版(1994).

 

(参考資料) 日本の国名の由来(黒門アカデミー): http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/nihon.htm

 

貨幣(通貨)の単位(コインの散歩道、しらかわただひこ): http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/index.html

 

(追加説明) 

 〇 神武天皇(じんむてんおう、生没年未詳)は、記紀伝承によれば、初代(第一代)の天皇で、名は神日本盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と呼ばれています。伝承では、高天原(たかまがはら)から降臨(こうりん)した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫で、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと、彦火火出見尊、ひこほほでみのみこと、の子)の第4子で、母は玉依り姫命(たまよりひめのみこと、海神の娘)です。

 

 日向国(ひゅうがのくに、宮崎)の高千穂宮(たかちほのみや)を出て、瀬戸内海を経て、紀伊国(きいのくに、和歌山)に上陸、霊剣「韴霊(ふつのみたま)」と道案内の「八咫烏(やたがらす)」の導きで土豪(どごう)の長髄彦(ながすねびこ)らを平定して辛酉の年(かのとのとりのとし、前660年)大和国(やまとのくに、奈良)畝傍(うねび)の橿原宮(かしはらのみや)で即位したという。

 

 日本書紀の紀年に従って、明治以降、この年を紀元元年としました。畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)はその陵墓としています。

 

 〇 建国記念の日(けんこくきねんおひ)は、国民の祝日の一つで、2月11日です。この日は、旧紀元節にあたり、1872年(明治5年)、神武天皇即位の日を設定して祝日としたもので、第2次大戦後に廃止されましたが、1966年(昭和41年)、「建国記念の日」という名で復活し、翌年から実施されました。

 

 現在世界的には、キリスト誕生の日を元年とする(紀元前4年を誕生ともいう)西暦紀元が使われていますが、日本では、1872年(明治5年)、神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めて、これを皇紀元年(こうきがんねん)と呼びましたが、今は普通用いない。1940年(昭和15年)11月10日、紀元2600年記念式典挙行され、奉祝の提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)、もち米の特配などがありました。

 

 〇 四大節(しだいせつ)は、旧制の祝祭日とされた、三大節(さんだいせつ)の新年(しんねん、天皇の四方拝、1月1日)、紀元節(きげんせつ、神武天皇即位の日、2月11日)、天長節(天皇誕生の祝日)に、のちに明治節(明治天皇の誕生日、11月23日、、この日は国民の祝日の文化の日で、意義を異にしています)を加えた総称です。(広辞苑(岩波書店)、歴代天皇事典(PHP文庫)、より)


 〇 紙幣刷新 24年度 2019.4.9

 政府は2019.4.9日、20年ぶりに紙幣を刷新する方針を発表した。偽造防止対策の強化が主な目的だが、過去2回の刷新は発行の2~3年前に発表していたのに対し、今回は5年も前。国民が好感した新元号の決定後、間髪入れずに明るい話題を提供することで、政権への追い風を強める狙いも透けて見える。さらに、刷新に伴い企業に費用負担を強いる政策は、政府が推進する「キャシュレス」化との整合性を問われることになりそうだ。

 政府は、新一万円札の肖像画を日本の資本主義の父渋沢栄一、五千円札には津田塾大の創始者で女性教育の先駆けとなった津田梅子、千円札は近代医学の発展に貢献し、慶応大医学部を創設した北里柴三郎とすることに決めた。

 

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 裏面は新一万円札に東京駅丸の内駅舎、五千円札に藤の花、千円札に葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を採用する。五百円硬貨も素材などを変更し、21年度上期から発行する。一万円札の人物変更は聖徳太子から福沢諭吉に代わった1984年以来、40年ぶりとなる。

 最新の偽造防止技術を反映させるのが主な目的で、肖像の3D画像が回転するホログラムを世界で初めて紙幣に採用する。また、多くの人にとって使いやすいように額面の数字は大きくした。政府は新元号「令和」の制定から間を置かずに公表することで、新時代の機運を高める狙いもありそうだ。刷新後も現在の紙幣は引き続いて使用できる。麻生財務相は「国民各層に広く認められている方を選んだ」と説明した。二千円札は「流通枚数が少ない」として改定しない方針も示した。

 渋沢栄一はみずほ銀行の前身の一つである「第一国立銀行」や王子製紙などの設立に関わった。津田梅子は津田塾大の前身である「女子英学塾」を創設。女子の教育に貢献した。北里柴三郎は細菌学の父とも呼ばれ、破傷風の治療法を確立したほか、ペスト菌の発見でも知られる。日本医師会の初代会長にも就いた。

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<日本銀行券> 紙幣の正式名称。日銀だけに発行が認められ、印刷は国立印刷局に委託している。日銀から金融機関を経由して市中に出回る。偽造防止のため定期的にデザインを変えている。肖像などの様式は財務大臣が定め、公示することになっている。紙幣の刷新は自動販売機の更新など関連需要が生まれるため、景気刺激の効果も期待される。

 現行の福沢諭吉と樋口一葉が明治時代に没したのに対し、新しい三人はいずれも昭和まで存命で、活躍した時代という点でも「世代交代」となる。(北陸中日新聞、2019.4.10)

 

 

 

 

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