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2010年10月19日 (火)

足尾銅山(栃木)にまつわる歴史実話、日本の公害の原点(足尾銅山鉱毒事件)、鉱山廃水の浄水処理(中才浄水場、渡良瀬遊水池)、禿山の復元(植林と自然修復)、とは(2010.10.19)

  日本の代表的な4大銅鉱山といえば、足尾銅山(あしおどうざん、栃木)、日立鉱山(ひたちこうざん、茨城)、別子銅山(べっしどうざん、愛媛)、小坂鉱山(こさかこうざん、秋田)のことです。

 足尾銅山(足尾町、のち日光市、栃木)の鉱床の発見は、江戸時代、慶長年間(1596~1615)とされ、江戸幕府直轄(ちょっかつ)の鉱山となっていました。 明治時代、日本の産業資本の生成発展期にあたる1890~1907年頃に渡良瀬川沿岸の農地を荒廃させる足尾銅山鉱毒事件が起こりました。足尾銅山は、日本ではじめて公害が社会問題になった所として、日本の公害の原点と言われています。

○ 足尾山地

 足尾山地(あしおさんち)は、栃木と群馬の両県にまたがる山地です。大部分が秩父古生層からなり、主脈に地蔵岳(1274m)、根本岳(1197m)などがそびえ、多くの銅鉱床、マンガン鉱床があり、足尾銅山などで採掘されました。足尾の西部の円錐状の成層火山(せいそうかざん)である皇海山(すかいさん、2144m)、庚申山(こうしんざん、1901m)は、日光国立公園に属しています。

○ 足尾銅山

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足尾銅山(あしおどうざん、黄銅鉱(おうどうこう)と電解銅(でんかいどう)、足尾町(のち日光市)、栃木県) 2014年3月、石川県立自然史資料館へ寄贈

(解説) 足尾銅山(あしおどうざん)は、江戸時代、1610年(慶長15年)に発見され、銅山奉行が直轄、1661~1687年(寛文元年~貞享4年)最盛期を迎え、1684年(貞享元年)には、銅40万貫(1500トン、1貫は3.75キログラム)を産出しました。1877年(明治10年)、古河市兵衛(ふるかわいちべえ、1832~1903)が買収後、明治時代(1868~1912)の中後期には、近代的な採鉱、製錬法の採用により、生産量も急増し、国内銅生産量の40%以上を占め、1917年(大正6年)には1万7000トンの産銅量に達し、全国一の銅山となりました。しかし、銅山の急速な近代化が、足尾銅山の鉱毒事件(こうどくじけん)の原因となりました。

 1968年(昭和43年)頃は、古河工業が経営、月産銅量500トン、製錬量は輸入鉱、国内鉱を含め3000トンでした。一帯は荒涼とした銅山特有の景観を呈していました。1972年(昭和47年)、古河工業は、採掘条件の悪化と鉱害問題の再燃を理由に、足尾銅山の閉山(鉱山部廃止)を発表し、翌1973年(昭和48年)2月28日、足尾に銅山が発見されてから370年余、その長い歴史に終止符を打ちました。1877年(明治10年)、古河に経営が移ってから、1973年(昭和48年)の閉山までの96年間に掘られた坑道の長さは、1200kmで、東京から博多までの長さになるという。

 また、2005年(平成17年)より、栃木県日光市(旧足尾町)は、足尾銅山の世界遺産登録を目指して活動しています。しかし、足尾製錬所をはじめ施設群のいくつかは、20年間放置され、2010年(平成22年)6月、ほとんど解体されたという。 

○ 足尾銅山鉱毒事件

 足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は、足尾銅山の製錬所から出る煙害(亜硫酸ガスなど)や山火事、製錬用薪炭作りの乱伐により、足尾山林の荒廃を招き、大洪水を頻発(ひんぱつ)させ、また、足尾銅山から流れ出た有害重金属(特に銅、亜鉛など)を含む酸性の廃水のたれ流しにより、群馬と栃木の両県にまたがって、渡良瀬川(わたらせがわ)沿岸に深刻な漁業被害、農地(桑畑)や農作物(稲作)の鉱毒被害が発生しました。

 特に、1890年(明治23年)の洪水による鉱毒被害の激化は、農民を鉱毒反対運動へと駆り立て、1896年(明治29年)の大洪水による被害拡大に伴い、それまでの地元からの数次の建議、上申にもかかわらず改善がみられなかったため、代議士、田中正造(たなかしょうぞう、1841~1913)の指導のもと、1897年(明治30年)、数千人の農民が政府に鉱業の停止を求める請願運動て大挙上京し、鉱毒問題は社会問題となりました。

 さらに、1900年(明治33年)、鉱毒悲歌を歌って大挙上京中、警官との衝突により大乱闘となり、68名が検挙され前橋監獄に収容されるという、川俣事件(かわまたじけん)が起こりました。1901年(明治34年)、田中は天皇に直訴、代議士を辞し、鉱毒問題を政治問題化させていきました。社会主義者やキリスト教徒らの支援があり、1902年(明治35年)には内閣に鉱毒調査会が設置され、予防工事が命じられましたが、十分な解決を見ませんでした。

 足尾銅山の鉱毒が社会問題化したのは、産業資本の生成発展期にあたる1890年頃から1907年頃までの間で、政府による鉱毒問題の治水問題への転換、1907年(明治40年)に谷中村(やなかむら)の廃村、遊水池化を経て、鉱毒問題は一応の解決を見ました。しかし、その後も鉱毒被害は続き、今なお足尾には禿山(はげやま)、下流に広大な渡良瀬遊水池(渡良瀬川下流、利根川水系、洪水防止の調整池!)を残しています。

 足尾鉱毒事件の発生後、運動の拠点となったのが、雲龍寺(うんりゅうじ、曹洞宗)で、現在は、足尾鉱毒事件の核心をなす寺として有名で、境内には田中正造の墓、救現堂、足尾鉱毒事件被告碑、歌碑などがあります。また、群馬県館林市の渡良瀬川近くにある足尾鉱毒事件田中正造記念館では、鉱毒事件や田中正造の関係資料を紹介しています。

○ 足尾銅山の廃水の浄水処理と渡良瀬遊水池

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中才浄水場(なかさいじょうすいじょう、足尾銅山からの汚染水を処理、日光市、栃木、google 画像) 中才浄水場(足尾銅山の世界遺産登録をめざして、日光市、栃木): http://www.nikko-ashio.jp/heritage/jousui/nakasaijousui.html

(解説) 足尾銅山は、1973年(昭和48年)に閉山された後も、足尾銅山から渡良瀬川に流れ出た重金属(特に銅、亜鉛など)を含む酸性水は、中才浄水場(なかさいじょうすいじょう)などで石灰による中和、重金属の沈殿、ろ過などの 処理が続けられており、洪水の調整池としての渡良瀬遊水池とあいまって、渡良瀬川の水質は改善されています。魚も徐々に戻り、館林市でも数年前からサケがよく見られるようになっているという。

 川に魚を回復させた鉱毒対策の事例では、岩手県八幡平市の松尾鉱山跡が知られています。鉱山跡から流れ出た強酸性水で魚がすまなくなっていた北上川は、バクテリアや石灰を使った中和処理施設が1982年(昭和57年)に完成したことにより、水質が改善され、今ではサケの遡上(そじょう)もみられるという。一方、源流に鉱山跡がある松川、百々川(須高、長野)と梯川の支流、鄕谷川(小松、石川)では、鉱害対策が不十分で、抜本的な対策が取られておらず、魚がほとんどいないという。

○ 足尾銅山の禿山の植林と自然修復

 日本の公害の原点、足尾銅山の下流域の鉱害事件は有名ですが、銅山の北側の上流は、製錬所からの煙害で今も荒廃地が残っています。

 国や県の予算で、荒れ果てた足尾銅山の植林として、1985年(昭和60年)頃、土と肥料と種が一緒に入っている「植生袋」を植え付け、山をもとの緑にする工事が進められました。

 禿山(はげやま)に少しでも緑を残そうと、NOP法人「足尾に緑を育てる会」が今年も一般の参加を募って植樹デーを、2010年(平成22年)4月24日、25日に開きました。この会は、1996年(平成8年)に発足、植樹は今年で15回目、総計10万本を超えそうだという。

 煙害が収まったのは排煙脱硫技術(亜硫酸ガスの除去)が実用化された1956年(昭和31年)で、この頃から治山事業が本格化し、約2500ヘクタールあった禿山(はげやま)は、一部で緑が戻ってきたが、それでも約半分は荒れたままだという。足尾の山が真に回復するには、さらに100年、200年かかるだろうが、長い目で活動を続けたいとのことです。

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足尾銅山(あしおどうざん、上 禿山(はげやま)、山麓のヘビノネゴザの大群落、山奥のリョウブ林、1988年(昭和63年)7月30日、調査、撮影、 下 河川の中州にはアシヨシとも)の群生、川岸にはススキの散生、2004年(平成16年)9月3日、撮影)

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(解説) 足尾銅山の自然修復として、特に足尾銅山周辺は、山麓からヘビノネゴザの大群落で覆われ、山奥に行くにつれてススキ、イタドリ、クズやササ、そしてウツギやリョウブの林へと続いて、人間社会の動きとは別に、自然が己(おの)が力で本来の植生を回復しようしている涙ぐましい姿が見られました。このような植生遷移は、尾小屋鉱山(石川)、別子銅山(愛媛)の山林でも見られました

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足尾銅山(銅、亜鉛汚染地域)、磐梯精錬所(カドミウム汚染地域)、多磨地域(非汚染地域)で生育しているヘビノネゴザとイタドリの根と葉の中の銅、亜鉛、カドミウム含量

(解説) 足尾銅山の山麓には、金属鉱山に特有のシダ植物、ヘビノネゴザの大群生が見られましたが、そのヘビノネゴザの根には、土壌中の重金属量に比例して、銅、亜鉛などの重金属の蓄積が著しいことを確認しました。一般に、ヘビノネゴザでは、銅と亜鉛は葉より根に、カドミウムは根より葉に多く取り込まれていましたが、イタドリでは、銅、亜鉛、カドミウム共に葉より根に多く取り込まれてていました。また、一般にヘビノネゴザとイタドリの組織中の細胞内部の細胞質よりも細胞壁に多量の銅、亜鉛、カドミウムが分布していました。

 また、足尾銅山で生育していた、ヘビノネゴザイタドリ、バッコウヤナギ、ヨモギ、ノガリヤス、リョウブなどの植 物は、いずれも体内(組織中)でメタロチオネイン(細胞質に取り込まれた重金属と結合、無毒化)を作る種類ばかりでした。このことは、重金属で汚染された土壌で生育可能な植物種は、このような特殊な蛋白質を合成できる種類(この特性は、遺伝子配列の変化で獲得、後天的)に限られると考えられます。 

 この重金属耐性の獲得の謎の解明は今後の課題です。というのも、重金属で汚染されていない地域で生育した同じ種の植物を汚染地に移植しても、全てが生育するわけでもなく、枯死するものも多く、また重金属の取り込みも必ずしも多くないからです。

 足尾銅山のヘビノネゴザには、根の細胞壁に90%(2899ppm)の銅(ペクチン酸錯体)を、また、細胞質に10%(325ppm)の銅(メタロチオネイン錯体)が取り込まれていることが報告されています。すなわち、ヘビノネゴザは、細胞壁の中に有毒な銅を閉じ込め、その毒性を軽減していると考えられます。また、生命の根源である細胞質に入っている銅は、ヘビノネゴザがメタロチオネインと呼ばれる蛋白質を作り、これが銅と結合して複核錯体の形で存在し、細胞液中に溶け出さないので、これが細胞液中の銅を無害にしてくれていると考えられています。 

 鉱山地帯では、ヘビノネゴザの群落状態は、金属鉱脈がどの方向に走っているかの目印にもなります。また、このシダは、4月頃に芽を出し11月頃には地上部の全てが枯れてしまう夏緑性のシダ植物ですが、土壌中の重金属は、その量(可吸態、根に取り込み得る化学形)に応じて、すき好むのではなく、受動的に体内に取り込みながら、繁茂と枯死を繰り返し、枯死してできた腐植酸は有毒な重金属を包み、無毒化し、重金属の周辺への拡散を防ぎながら、自然を回復させている姿にも見えます。 

 私は、1988年(昭和63年)7月29日(金)~31日(日)、里見信生先生(金沢大学理学部生物学教室)のご案内で、酒井雄一郎君(学生、4年生)と共に、マイカーで北陸自動車道、関越自動車道を走り、日光東大植物園、日光東照宮、足尾銅山、安中製錬所など、フィールド調査研究で、はじめてこれらの地域を訪ねました。そこでは、金属鉱山でよく目にする、シダ植物ヘビノネゴザが、いずれの所(園内、境内、山麓、周辺など)にも群生していたこと、また、足尾銅山の昔の坑道の中の人形を使った過酷な採掘作業の姿など、強く印象に残っています。その後、2004年(平成16年)9月3日、JR、上野、高崎、桐生(群馬)、足尾線(わたらせ渓谷鉄道)を利用して、16年ぶりに足尾銅山を訪れ、徐々に禿山の緑が回復していることを実感しました。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 本浄高治: 週刊朝日百科、植物の世界(朝日新聞社)、重金属と植物、汚染地の土壌改良者たち、p.13-316~13ー318(1996); 群馬県高等学校教育研究会歴史部会編: 群馬県の歴史散歩、p.70、足尾鉱毒事件と雲龍寺、山川出版社(1998); 永原慶二(監修): 日本史事典、岩波書店(1999); 本浄高治: 金沢大学日本海域研究所報告、第30号、p.171~193、重金属と指標植物ー自然環境の回復-(1999); 小出五郎: 足尾銅山400年ー産業遺産の保全、廃墟観光のススメー、化学と工業、Vol.63-7、July、p.549~550(2010); 朝日新聞(朝刊): 環境エコロジー、足尾銅山、山よみがえれ 市民の輪、2010年(平成22年)4月23日(金); 北陸中日新聞(朝刊): 鉱毒の川に魚を戻そう、足尾鉱毒事件の渡良瀬川、努力実りサケ帰る、2010年(平成22年)9月20日(月).

(参考資料) 足尾銅山(足尾銅山観光管理事務所、日光市、栃木): http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/asio/asio.html

渡良瀬遊水池(山とんぼ、栃木、群馬、茨城、埼玉): http://www.kimurass.co.jp/yusui.htm

足尾鉱毒事件田中正造記念館(NPO法人ホームページ): http://www.cnet-ga.ne.jp/syozou/index.html

(追加説明) ○ 本庫鉱山(北海道枝幸町)では、かって銅や亜鉛を掘り出していました。その山に分け入ると、ヨシなどの茂った湿地が突然現れます。生い茂ったヨシが鉄や亜鉛などの金属成分を吸収し、植物の細胞などの中に固定され、湿地内に蓄積され、鉱毒の浄化が行なわれています。

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