« 冬至、一陽来復(冬が去り春が来る)、冬至節(天壇での皇帝の祭り、中国)、とは(2010.12.22) | トップページ | 仲冬(暦)、2010年12月、大雪から小寒まで(二十四節気)、わが家(桜田、金沢)から眺める雪に覆われた犀川べりの風景(2010.12.26) »

2010年12月24日 (金)

注連飾り(しめかざり)、お正月(五穀を守る年神のお祭り)、門松(年神が降臨する場)、注連縄(禍神の侵入を禁ずる印)、どんど焼き(年神を送り返すお祭り)、私の初詣、とは(2010.12.24)

   お正月は、古くはお盆と並んで、先祖の魂を迎えて祭るものでした。が、仏教の力が大きくなると、お盆先祖の供養など仏教的行事の意味合いが濃くなり、お正月神祭としての意味を強くしていきました。そして、お正月は、年の神(歳の神とも)を迎え、新年の豊作を祈る、つまり五穀を守るという年神のお祭りとなりました。

 元日は、どこの家庭でも、お屠蘇(おとそ)やお雑煮(おぞうに)、お節料理(おせちりょうり)を食べて、新年のお祝いをします。年神へのお供え物は、大根、さといも、人参、餅(もち)などですが、これを混ぜて食べるようになったのが雑煮(ぞうに)です。 お互いに交わす、明けましておめでとう、という言葉には、無事お正月を迎えられた歓びがこもっています。

○ お正月

 お正月は、日本人にとって万事の始まりという意味をもっています。日本のお正月は、年神(歳神とも)が訪れて幸福をもたらすという信仰にもとずいています。

 農耕社会が中心で、年神が授けてくれる幸福とは、五穀(米、麦、粟、豆、黍、または稗)、とりわけお米の豊穣でした。 

○ 門松

 門松(かどまつ、松飾り、飾り松、立て松とも)は、新年に、年神を迎える依代(よりしろ)として家々の門口に立てて飾る松のことです。室町時代の禅僧(臨済宗)、一休宗純(1394~1481)の狂歌門松は冥土(めいど)の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし、これは、門松を立てるごとに年を重ねるので、門松は死に近づく印であるという。

 注連飾り

 注連飾り(しめかざり)は、お正月に門松や玄関、床の間、神棚など、注連縄(しめなわ)を張って飾ることです。 注連縄(しめなわ、標縄、七五三縄とも、シメは占めるの意)は、神前または神事の場に、禍神(まがかみ、災いをなす神、邪神、悪神とも)、不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄のことです。神様に供えるお供え餅が鏡餅(かがみもち)です。

 一般に、注連縄左捻り(より、ひねりとも)を定式とし、三筋、五筋、七筋と、順次に藁(わら)の茎を捻り放して垂れ、輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形です。これは神聖視する旧来のしきたりのようです。

 注連縄には様々の型(前垂(まえだれ)注連縄、大根(おおね、だいこんとも)注連縄、牛蒡(ごぼう)注連縄、鼓胴(こどう)注連縄、輪飾)があり、一般的なものはどこの神社でも見られる前垂注連縄(横の縄の太さが同じもの)で、現在では七五三縄を見ることが少なくなっています。

○ どんど焼き

 年神降臨する場が門松ですが、が登場したのは江戸時代で、竹の生命が非常に長いことから、これに永久不変の長寿を託したという。そして、お正月がすぎ去ると、年神を送り返さなければなりません。年神送り返すお祭りどんど焼き(左義長)といって、門松を燃やしました。

 というわけで、お正月というのは、年神を迎えて送り返すまでの滞在期間のことです。お正月の習慣がいつ頃から始まったかは明確には分からないという。 

 

○ 初詣

 初詣(はつもうで、初参り、はつまいり、とも)とは、年が明けてから初めて社寺に参拝し、一年の無事と平安を祈る行事です。

Images2_17

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ、神社の本殿(ほんでん)、鼓胴(こどう)型注連縄(しめなわ)、屋根入母屋造(いりもやづくり)、左右は阿吽(あうん)の獅子(しし、狛犬、こまいぬ)、鶴来、白山市、石川) 

 は、毎年お正月になると、息子(高行)と二人で、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の本殿を参拝した後、おみくじを引き、初穂料を納め、交通安全のお守りをいただいております。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出: 広辞苑、岩波書店(1991); 樋口清之(監修):生活歳時記、三宝出版(1994); 樋口清之: 日本の風俗起源を知る楽しみ、大和書房(2002).

(追加説明) ○ 入母屋(いりもや)は、屋根の上部が切妻(きりづま)のように二方へ勾配(こうばい)を持ち、下部は寄棟造のように四方に勾配を持つ屋根形です。

○ 初詣(はつもうで)とは、元日、氏神、またはその年の恵方にあたる方角の神社仏閣にお参りすることです。年のはじめ、身も心もすがすがしい思いで、森厳な社殿にぬかずく気持ちは、信仰の有無にかかわらず、こころよいものがあります。

  鏡開(かがみびらき)は、正月11日、年神にお供えしていた鏡餅をおろして食べる祝儀です。もと武家では男子は具足(ぐそく、甲冑、鎧、兜、かっちゅう、よろい、かぶとなど)に、女子は鏡台に鏡餅を供え、それを割りました。鏡餅は刀で切る(神様とのご縁を切る!)ことを忌(い)み、手や鎚を用いて割ったので、開く、割るなどという。鏡開きの餅は汁粉などにして食べるところが多い。(生活歳時記より)

○ 太陽暦の採用については、明治新政府は、1872年(明治5年)11月9日、旧来の太陰太陽暦法(月を中心とし、1年を12ケ月か13ケ月とする)による天保暦を廃し、新しく太陽暦の採用を決定し、同年陰暦12月3日を1873年(明治6年)1月1日としました。

 太陽暦は太陽の運行を基準とした暦法で、365日を1年と定め、4年ごとにうるう日をおき、100年ごとにうるう年をはぶき、400年ごとにうるう日をはぶくことをやめる。現行のものは16世紀以来のグレゴリオ暦です。(樋口清之、生活歳時記、太陽暦を採用(明5)、p.647、三宝出版(1994)より) 

(追加説明) 金沢城公園の橋爪一の門のしめ飾りは、横幅5.4m、重さ15kgで、わらの両端が弓なりに切り上がった「数の子飾り」と呼ばれるものです。

« 冬至、一陽来復(冬が去り春が来る)、冬至節(天壇での皇帝の祭り、中国)、とは(2010.12.22) | トップページ | 仲冬(暦)、2010年12月、大雪から小寒まで(二十四節気)、わが家(桜田、金沢)から眺める雪に覆われた犀川べりの風景(2010.12.26) »

● 暦、行事、風俗(伝統文化)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 冬至、一陽来復(冬が去り春が来る)、冬至節(天壇での皇帝の祭り、中国)、とは(2010.12.22) | トップページ | 仲冬(暦)、2010年12月、大雪から小寒まで(二十四節気)、わが家(桜田、金沢)から眺める雪に覆われた犀川べりの風景(2010.12.26) »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ