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2011年2月14日 (月)

碁石の微笑(はじめての本)、コスミに良手あり(格言)、太閤碁(逸話)、定石を知らぬ奴には敵わない(川柳)、私のはじめての囲碁愛読書、とは(2011.2.14)

   碁石の微笑は、青木新平著、1956年(昭和31年)5月(初版)、6月(再版)、六月社(大阪)より発行されました。これは、1959年(昭和34年)7月頃、 私がはじめて囲碁に興味を持ち、耽読(たんどく)した、強く印象に残る本です。

 碁石の微笑の序(呉清源)には、「青木さんは、昭和3年の秋、日本に来て間もない私を、上野の動物園につれて行ってくれた人です。ーーー碁石の微笑をひと通りみると、随筆風に、読物を主として、さらに誰でも心得ていなければならぬ碁の鉄則もしくは格言の図解が加えてある。こうした方面ではこのベテランにそつのあるはずがありません。無条件で推薦するものであります。ーーー」と述べられています。

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碁石の微笑(表紙、青木新平著、六月社、1956) 囲碁は烏鷺(うろ)とも呼ばれるので、碁石の黒石を烏(からす)、白石を白鷺(しらさぎ)として擬人化し、碁盤の4足をクチナシ(口なし!)の花模様として囲んだ微笑(ほほえ)ましい絵となっています。(装幀: 高木四郎)

(解説) 碁石の微笑から囲碁の本質と奥深さ、面白さを学び、対局により腕をみがき、1年足らずで初段(日本棋院)になりました。今でもこの本の格言、逸話、川柳など懐かしく想い出されます。

  囲碁の格言技術篇、四五の名言に集約)として、 ツケにはハネよ、二目(にもく)の頭は見ずハネよ、コスミに妙手あり、ケイマにツケコシ、逃げは一間トビ、攻めはケイマ、シチョー知らずに碁を打つな、「亀の甲」六十目、シチョーのノビ出し七目の損、ノゾキにツガぬ馬鹿はなし、キリチガイ一方をノビよ、一間トビに悪手なし、

 ヘボのアキ三角、ボーシにケイマ、四隅取られて碁を打つな、ポン抜き三十目、二子にして捨てる、石を割かれるな、一石碁に負けなし、ハイハイする児はよく育つ、先劫トルべし、三手の寄せ劫、劫にあらず、花見劫、死はハネにあり、左右同形中央に手あり、眼あり眼なしはカラの攻合い、五目中手は十三手、タケフの両ノゾキ、

 下手がハネてもハネ二目、渡り八目、下手碁にダメなし、石飛んでその碁に勝たず、大石死せず、初劫に劫なし、近所劫に立たず、両劫三年、曲り四目は眼でござる、「2の一」に手あり、三子のまん中、眼あり眼なしも時にこそよれ、ダメのツマリは身の詰まり、下手の両ズケ、ハネツギ十三目、二立三析、下手の考え休むに似たり、岡目八もく

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コスミに良手あり(コスミのさまざまな場合と働き、下図は秀策流黒7のコスミ、p.14~15.碁石の微笑、より)

(解説) 「一間トビに悪手なし」は、一間トビを全面的に支持したのですが、この場合はコスミを全面的に支持しているというわけではありません。碁盤というものはご承知のように縦横十九の直線からできている。そして石はこの線に従って連絡するものです。そこでこの線に沿ってノビるとかトブとかいう直線的な行動はすぐに頭に浮かんでくるものですが、コスミとかケイマという斜(ナナメ)の動きは、思考の盲点になり易いのです。

 この盲点に妙手が隠されている場合があるというのがこの格言です。そして斜行するものはコスミとケイマと二つありますが、ケイマには多少の欠陥はあっても、コスミにはそれがないために、また死活、攻合いのように場所が狭くなっても打てるために、コスミを取り上げたものと思います。

 コスミを代表する名手としては、秀策流黒7のコスミがあります。他の定石に変遷があっても、この黒7は永久に良手として残るものであると、本因坊秀策自身で折り紙をつけたものです。

○ 囲碁の逸話として、碁なりせば劫を打ちても活くべきに死ぬるばかりは手もなかりけり(初代本因坊算砂の辞世)、本能寺三劫の局、三劫の局、太閤碁、天元の局、本因坊二世算悦、松平肥後守をたしなむ、道悦、遠島を覚悟する、道策、名人碁所となる、道策終生のの傑作、唐人の泣き手、道策のハメ手、道知、仙角の争碁、

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太閤碁(たいこうご、真似碁、まねご、囲碁の微笑、p.90~92、六月社、1956)

(解説) 碁盤というものは天元を除けば、全部対称点があるのですから、その天元を最初に打って置けばそういうことも可能のようですが、上図のような手段があって、実際には真似碁(まねご)は成立しないという。 

 秀吉が信長のあとをついで、やはり碁を奨励し算砂を寵遇したのですが、次のような巷説があります。まだろくに碁の打ち方も知らない秀吉が、本因坊が打っているのを見て、「わしだって碁は打てる。先をもてば恐らく本因坊にも負けないだろう」といったので、本因坊もこれを怪しんで、「それなら一つ対局いたしてみましょう」と言うことになって、盤に対したのです。

 そこで秀吉は石をとるやいなや、第一手を天元に打った。そしてその後は、本因坊の打つ手に従って、その対称点に打って行く、いわゆる真似碁(まねご)をやったので、さすがの本因坊も手段に窮して石を投じたということです。実際は、上図のように真似碁は成立しませんので、まったくの俗説ということになります。

察元、大名行列にて算砂の墓参、元丈・知得、因徹吐血の勝負、因徹吐血の局、丈和夢中の局、外山算節、打ち掛けの碁、永久の打ち掛け、耳赤の名手、「耳赤」の碁、「先番でした」、雄蔵の傑局、雄蔵一生の傑作、明治以後

○ 囲碁の川柳篇として、見物はみな強そうな口をきき、定石を知らぬ奴(やつ)には敵わない、一目の負けに座布団撫(な)でまわし、碁敵(がたき)はにくさもにくし懐(なつ)かしし、えらそうな顔している方が五子(ごもく)置きなど(全39句)、面白(おもしろ)、可笑しく(おかしく)、解説付きで紹介されています。

 定石を知らぬ奴(やつ)には敵わない (解説) 名人に定石なしといいますが、なにも名人に限ったことではありません。碁には元来定石などというものはないのだとも言えます。あるのは力です。力がなくては、いくら定石を知っていても役にたたない。「あいつは筋が悪いよ」などといわれる人の碁をみると、決して筋がわるいどころではない。こういう人はなかなか鋭いところを持っているものです。自分に納得(なっとく)が行かない手でなければ打たないという強い人です。

 碁はどうしても自分の手を打たなければなりません。うろおぼえの形をたよりに、ハテ、定石はこの辺に打ったはずだ、ではだめです。着点というものは、一点に限る。一路をずらし、一道をはずれても、全然違ったものです。この辺りなどというような着点はないのです。たとえば五目中手(なかで)にしても。打つ手はただ一点です。それをはずしては、生死が逆転するのです。

 もうひとつ誤解され易いのは、定石がすべてを尽(つく)くしていると思われ勝ちなことです。定石は単なる打ち方のひとつにすぎないので、そう打てばそうなるというだけのことである。決してすべてではありません。無限の変化のひとつです。大海の一波にすぎないのです。

(参考文献) 青木新平: 碁石の微笑、六月社(1956).

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