« 立春、節分(2月3日、旧正月)と豆まき、追儺(ついな)の鬼、太陰暦(旧暦)と太陽暦(新暦)、とは(2011.2.1) | トップページ | 碁石の微笑(はじめての本)、コスミに良手あり(格言)、太閤碁(逸話)、定石を知らぬ奴には敵わない(川柳)、私のはじめての囲碁愛読書、とは(2011.2.14) »

2011年2月 7日 (月)

国有林(林野庁)、戦後の植林の主役、スギと花粉症、春と秋の花粉症、日本各地の自然特性(県花・県木・県鳥)、クマの出没(里山の放置ではなく餌不足)、とは(2011.2.7)

   日本の国土は約7割が森林です。森林は木材の生産のほか、水源かん養(良質な水を育む)、山地災害の防止(洪水の緩和)、二酸化炭素の吸収・貯蔵(光合成)などの働きもあり、野生鳥獣の生息の場(奥山)、人間にとっては散策、生活の場(里山)ともなっています。

○ 国有林野の分布

 国有林野が所在する面積は、760万ヘクタールあり、国土の約2割、森林面積の約3割を占めています。

国有林野の分布状況都道府県別では全ての都道府県に、また、市町村別では、約半分の市町村国有林野が所在しています、google画像、林野庁)

(解説) 全国各地の国有林は、地形の急峻な奥地の山々や河川の源流に多く分布しています。また、民有林に比べて原生的な天然林が広く分布し、野生の動植物の生息地や生育地として重要な森林も多く含まれています。そして、保安林の約5割、国立公園の約6割が国有林となっています。

 国有林野事業は、第2次世界大戦で荒廃した森林の整備や、戦後の復興期から高度経済成長期にかけての旺盛な木材需要に対する積極的な資材供給などを行ってきました。その結果、231万ヘクタールに及ぶ人工林(国有林野面積の約3割)が造成されたほか、461万ヘクタールの天然林(国有林野面積の約7割)が維持・管理されています。 国有林(林野庁): http://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/welcome/what.html

○ 植林(人工林)の主役、スギと花粉症

 人間が植えた同種の木が並ぶ森林を人工林(じんこうりん)といい、普通、スギヒノキマツなど葉が針のように細くとがった針葉樹(しんようじゅ)を植えます。これに対し、自然に生えた種々の木が入り混じった森林を天然林(てんねんりん)と呼んでいます。主に、ブナコナラ、シイ、カシ、サクラなど葉の幅が広い広葉樹(こうようじゅ)が生えています。

 第2次世界大戦の間、木がたくさん切られ、軍の建物や防空濠、船、鉄道、紙などが作られました。戦後も、空襲(くうしゅう)で焼けた家の材料やまき、炭などに使われました。このため、裸のようになった山々で、植林が始まります。多くは、生長が早く、まっすぐ伸び、軟らかくて軽いため加工がしやすいスギでした。

 さらに、1960~70年代(昭和昭和35~45年)になると、建築ブームが起き、材木が不足して値段がはね上がりました。この時、国が持ち主の国有林では、たくさんの木を切って安く売り、値段を下げる役割を果たしました。が、国有林の森林は次々と姿を消し、スギなどが植えられました。また、民間の人が持ち主である民有林でも、国の計画によってスギなどが植林されました。そうした人々には、国から多くの補助金が支給されたので、多くの山が一度にスギなどの人工林に変わってしまいました

 が、その後、外国から値段の安い材木(外材)が輸入されるようになり、国産は安い値段でしか売れなくなってしまいました。その原因は、1951年(昭和26年)、GHQ占領下で、丸太の関税をゼロにされたこと、1964年(昭和39年)、外貨割当制度がなくなり、製材の関税がゼロとなり、木材が完全に自由化されたことに起因しています。

 そのため、山の持ち主は、林業に見切りをつけて、ゴルフ場を開発したり、売ったりしました。枝を落としたり、多く生えすぎないように切る間伐(かんばつ)などの手入れがされなくなりまし。その結果、現在では、春になると、スギがたくさんの花粉をまきちらして花粉症の問題を起こすようになりました。 木を植えた日本人の歴史(みんなの森、データ編): http://www.minnanomori.com/data/info02/frame01.html

○ 春と秋の花粉症

 春の花粉症は、主にハンノキ属、スギ、ヒノキ科などにより1~6月頃、秋の花粉症は、主にブタクサ属、ヨモギ属、セイタカアワダチソウ、イラクサ科、カナムグラなどにより8~11月頃に引き起こされています。また、自動車の排気ガス、工場の煙突などの煤煙も原因となっているいう。

(解説) 春先花粉症は、主に針葉樹スギ、ヒノキなど)、特にスギの花粉によるものですが、にも花粉症はあります。空き地などに繁殖する雑草(ヨモギ、セイタカアワダチソウ、ブタクサなど)が引き起こし、春の花粉症に比べれば症状は軽いのですが、カゼ(風邪)と間違える人も多いという。 秋の花粉症を疑え(最近ひどい鼻水、風邪? アレルギー? 医療保険、西日本新聞): http://qnet.nishinippon.co.jp/medical/doctor/feature/post_425.shtml

○ 日本各地の自然特性(県花・県木・県鳥)

 各都道府県には、郷土を代表する県の花、県の木、県の鳥が定められています。 県花 は、1953年(昭和28年)に NHK が企画した郷土の花 の設定運動がきっかけとなり、翌1954年(昭和29年)、政府もこの運動に協力して選定されました。現在ほとんどの都道府県で、このとき決められた郷土の花を 県花 としています。 続いて、1963年(昭和38年)に 県鳥、1966年(昭和41年)に県木 が定められました 

郷土の花クロユリ 県の木アテ 県の鳥イヌワシ

石川県の県花・県木・県鳥(左 クロユリ、白山に群落している高山植物、中 アテ(能登ヒバ、ヒノキアスナロとも)、能都地方に多く、輪島漆器のの素材、右 イヌワシ、白山中心に生息、天然記念物、google画像、石川県)石川県の概要シンボル、人口): http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kensei/koho/gaiyo/p1.html

(解説) 北陸地方の県花・県木・県鳥、富山県はチューリップ・タテヤマスギ・ライチョウ、石川県はクロユリ・アテ・イヌワシ、福井県はスイセン・マツ・ツグミとなっています。 日本の各都道府県の県花・県木・県鳥(haruのデータルーム): http://www1.odn.ne.jp/haru/data-list/ken_hana.html

 トキ(朱鷺、コウノトリ目トキ科、Nipponia nippon)は新潟県県の鳥ですが、また佐渡市(新潟県)と輪島市(石川県)の市の鳥となっています。日本産のトキは、2003年(平成5年)絶滅したので、佐渡島では、中国産のトキをとり寄せ、2008年(平成10年)から毎年人工繁殖して放鳥しています。その後、富山県の黒部市、氷見市で飛来が確認され、また、2010年(平成12年)4月16日、石川県の能登半島、輪島市の近く、穴水町で40年ぶり飛来が確認されました。 トキ(朱鷺、google画像検索): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E3%83%88%E3%82%AD&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=ux0UTbj_G4fQcYybiNsK&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=5&ved=0CF0QsAQwBA&biw=1004&bih=581

○ クマの出没(里山の放置ではなく餌不足)

 南部久男氏(富山市科学博物館)は、富山県でのクマの出没を過去の事例により調べた結果、クマの出没原因として、1953年(昭和28年)頃は燃料革命以前で、薪炭林は管理され、里山は荒れていなかった。が、極端に餌が不足した年は、しばしばクマは平野に出没していたという。(2008年(平成20年)1月26日、北日本新聞より) 日本熊森協会(クマたちの棲む豊かな森を次世代に、実践自然保護団体):http://kumamori.org/infomations/esabusoku/

 宮沢賢治作、なめとこ山の熊の作品では、毎日のように山に入る熊取の名人が瀕死(ひんし)の熊に言う。 「熊。何も好きこのんでお前を殺すのではない。そうしなければ生きていけないからだ。やい。この次には熊なんぞ生まれなよ」 猟師はやがて熊に襲われて倒れる。命尽きるとき、その熊の前で「熊ども、ゆるせよ」と心の中でつぶやく。まるで自分のからだを差し出すかのようにーーー。

 賢治はいのちを食べることに神経を痛めつづけ、身もだえするように生きてきた人間だった。もしかすると、自分と熊(動物)とのあいだに食うか食われるかの平等の関係を幻想しようとしていたのかもしれない。食うものは食われる、という食物連鎖の原理だ。狩猟民的感覚といえばいえるようなメルヘン幻想である。

 だがやがて牧畜、農業革命がおこって、そのような幻想は打ち砕かれる。人間は動物を殺して食べることを許されるが、動物が人間を襲って食べることは許されない、という人間中心の論理をわれわれ社会がつくったからだった。(山折哲雄(宗教学者):いのちと食と賢治と、2010年(平成22年)6月8日(火)、朝日新聞(朝刊)より)

○ 宮沢賢治の数ある童話の中でも、とりわけ名作の一つである「なめとこ山の熊」は、熊を殺して生計を立てている淵沢小十郎(ふちざわこじゅうろう)という猟師が、その罪を感じて熊にわが身を捧げるという話であるが、小十郎は「法華経」にある、自分の身を殺して他人のために捧げるという薬王菩薩(やくおうぼさつ)であるといってよかろう。また、賢治の多くの詩の中で最もポピュラーな「雨ニモマケズ」という詩は、同じように「法華経」にある、人から馬鹿にされながらも人を愛し、人のために尽くすという常不経菩薩(じょうふきょうぼさつ)の生き方を自己の生活の理想として歌ったものであろう。日蓮以外に彼ほど「法華経」の精神をよく理解し、「法華経」に出てくる菩薩の心を自分の心として自分の人生を生き、自分の歌を歌った仏教者は存在しないと私は思う。

 宮沢賢治は、はじめ近代浄土真宗の熱烈な信者であったが、法華経や日蓮の著書を読み法華経の信仰に帰したという。そして、日蓮の思想にもとずく新しい宗教団体である田中智学(たなかちがく)の主催する国柱会(こくちゅうかい)に入り、上京して、国中会の本部の下足番(げそくばん)をしていたという。そして、智学のある弟子が何気なく賢治に語った言葉から暗示を受け、文学によって折伏しようとして、おびただしい童話を書き、自らを救い、そして多くの人を正しい教えに導いたのであろう。(梅原猛(哲学者):日本仏教をゆく、朝日新聞出版(2009)より)

○ 宮沢賢治(1896~1933)は、熱心な法華経信者で、街頭で布教、また農村改造の熱意に燃えて農耕指導に従事しました。昼は塾を開き、夜は作詩の生活を送りました。強い情熱と空想力、素朴で健康な作風で知られています。死後、草野心平(1903~1988)、高村光太郎(1883~1956)らによって紹介され、広く知られるようになりました。「風の又三郎」「雨ニモマケズ」「春と修羅」(樋口清之監修:生活歳時記、p.545、宮沢賢治忌、昭和8年9月21日、三宝出版(1994)より)

○ 日本の林業  2011年(平成23年)は、国連が定めた国際森林年です。日本の国内で使われる木材は約7割が輸入で、国産材は3割弱にすぎないという。1964年(昭和39年)に輸入が完全に自由化され、安価な外材が多く入ってきているためです。国は自給率を2020年(平成32年)に50%以上とする目標を立て、「森林・林業再生プラン」に必要な施策をまとめました。努力すれば林業は成長産業になり得るという。(北陸中日新聞、日本の林業、2011年(平成23年)3月20日(日)、朝刊より)

« 立春、節分(2月3日、旧正月)と豆まき、追儺(ついな)の鬼、太陰暦(旧暦)と太陽暦(新暦)、とは(2011.2.1) | トップページ | 碁石の微笑(はじめての本)、コスミに良手あり(格言)、太閤碁(逸話)、定石を知らぬ奴には敵わない(川柳)、私のはじめての囲碁愛読書、とは(2011.2.14) »

● 農林水産(穀物、野菜、果物、酪農、養殖、食品、花粉症、農地改革)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1802629/48373007

この記事へのトラックバック一覧です: 国有林(林野庁)、戦後の植林の主役、スギと花粉症、春と秋の花粉症、日本各地の自然特性(県花・県木・県鳥)、クマの出没(里山の放置ではなく餌不足)、とは(2011.2.7):

« 立春、節分(2月3日、旧正月)と豆まき、追儺(ついな)の鬼、太陰暦(旧暦)と太陽暦(新暦)、とは(2011.2.1) | トップページ | 碁石の微笑(はじめての本)、コスミに良手あり(格言)、太閤碁(逸話)、定石を知らぬ奴には敵わない(川柳)、私のはじめての囲碁愛読書、とは(2011.2.14) »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ