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2011年4月25日 (月)

北陸(越の国)の交通路、北陸道(五畿七道)、北陸本線(ループ線、北陸トンネル)、北陸自動車道(敦賀トンネル、木の芽峠下)、北陸新幹線整備計画(長野~金沢)、とは(2011.4.25)

  古来、北陸(ほくりく)は、北陸地方およびそれ以北日本海沿岸も含め、コシの国と総称し、これに越、高志、古志の字をあてました。が、飛鳥時代、701年(大宝元年)の令制(大宝律令)、国号制定のとき、都(みやこ、京都)からの遠近によって、越前(えちぜん、福井、能登、加賀、のち石川)、越中(えっちゅう、富山)、越後(えちご、新潟)の3つに分かれました。

 能登(のと)は、越前から奈良時代初期に分かれ、のち中期に一時越中併合されたことがあります。加賀(かが)は、越前から平安時代初期に分かれています。それまで越前国の加賀郡は、今の金沢市、松任市(のち白山市)、石川、河北(のちかほく市)2郡を含めていました。

 北陸は、富山、石川、福井、新潟の4県の総称であり、古代、越の国の交通路として北陸道五畿七道)、近代、北陸本線ループ線北陸トンネル)、現代、北陸自動車道敦賀トンネル、木の芽峠下)が通じ、また、2014年(平成26年)末には、北陸新幹線(長野~金沢)が開業されることになっています。そこで、改めて、古代から現代まで、北陸の交通体系の発展について調べて見ました。

○ 北陸道

 北陸道(ほくりくどう)は、五畿七道の一つで、畿内から北東方日本海沿岸諸国連絡したです。平安時代中期の延喜式(えんぎしき、律令の施行細則)によれば、若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の7国、また、そこを通ずる街道を、くぬがのみちこしのみちほくろくどうなど(北陸の道意味)、と呼びました。

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五畿七道(ごきしちどう、律令制のもと、古代の行政区画、google画像) 古代の道と駅(大村の歴史、長崎):http://www6.ocn.ne.jp/~fukusige/ayumi/oomura-history/kodainomichi-eki.html

(解説) 駅制(えきせい)は、律令制(大化改新後から奈良時代・平安初期までの約3世紀)のもと、大宝令によって全国的に体系化されました。そして、公用の旅行や緊急の通信のため、五畿七道(ごきしちどう)の駅路は、幅10数メートルから6mほどの直線的な道路網で、原則として30里(約16km)ごとにが、また渡し場には水駅(すいえき)が置かれました。そこには5~20匹の駅馬が配置されました。五畿は山城、大和、河内、和泉、摂津の畿内諸国をさし、七道は他の諸国を東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海道に区分したもので、ごとに京より各国府を通過する駅路を設置しました。

○ 北陸本線 

 北陸本線は、米原(滋賀)から福井、金沢、富山を経て直江津(新潟)間および支線1(2.7km)を含む国鉄線(のちJR本線)で、全長353.9kmに至る鉄道路です。

 1882年(明治15年)長浜~敦賀間の部分開業に始まり、1898年(明治31年)4月1日、 金沢駅まで開通しました。これは、政府の日露戦争を想定した軍事拡張に関連していると言われています。1913年(大正2年)、北陸本線の全線が開通、関西と福井、金沢、富山など北陸地方の諸都市を結び、裏日本縦貫路線の一環を担っています。 

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北陸本線 敦賀(つるが)~新疋田(しんひきだ)、ループ線、1975年(昭和50年)、google画像) 北陸本線(空中写真分布表、福井編): http://airphoto.jp/chubu/fukui.html

(解説) 北陸本線敦賀(つるが)~新疋田(しんひきだ)間は、ループ線となり、ループトンネルがありました。山中の美しい風景が見られましたが、12のトンネルと急坂が続き、通過するのに約40分かかりました。  

 ループ線は、鉄道線路で急勾配を登る方法で、特に山間部で、短区間に高度を一気に登りたい時、線路を螺旋状(らせんじょう)に迂回(うかい)させて、緩勾配をとるように建設します。線路の距離は長くなりますが、それだけ勾配は緩(ゆる)やかになり、本来、走行が困難な急斜面も登ることができます。これは、長大トンネルを掘削する技術を持ち合わせていない時代には欠かせない方法でした。

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北陸トンネル木ノ芽峠下、敦賀側入口、google画像) 敦賀の交通路(交通の近代化): http://homepage2.nifty.com/tsuruga/kindai1.html

(解説) 北陸トンネルは、北陸本線敦賀~南今庄(全長13780m)間を結ぶトンネルで、伊吹山地北端、木ノ芽峠下を通過しています。同線の輸送上のネックとなっていた敦賀~今庄間の連続急勾配区間を解消するためのトンネル(全長13870m)で、1962年(昭和37年)に完成しました。その結果、敦賀~今庄間の通過時間は、ループ区間での約40分から15分に短縮されました。

 1972年(昭和47年)11月6日、午前1時9分頃、列車火災事故が、北陸本線、敦賀駅―南今庄駅(敦賀市、福井)の北陸トンネル内で発生しました。この時、火災対策に問題があり、一酸化炭素中毒により、乗客乗員に多数の死傷者(死者20人、負傷者714人)を出す大惨事となりました。

 北陸トンネル(13870m)は、複線型鉄道トンネルで、1962年(昭和37年)に開通され、1972年(昭和47年)、山陽新幹線の六甲トンネル(16250m)が開通されるまで、日本最長の鉄道トンネルでした。

 私は、冬場に、京都から湖西線経由で北陸トンネルを通り過ぎると、いつも真っ白な雪景色が展開されるので、川端康成の雪国(上越線、群馬と新潟の国境、清水トンネル)を思い出しました。

 ○ 北陸自動車道

 北陸自動車道は、黒崎(新潟)より長岡、上越、富山、金沢、福井を経て米原(滋賀)に至り、名神高速道路に接続する高速道路で、全長476.5km、1972年(昭和47年)一部開通、1997年(平成9年)には全線が開通しました。その高速自動車道は、全線に渡って国道8号線とほぼ平行に走っています。

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敦賀トンネル木の芽峠直下、全長3230m、上り線(米原・名古屋・京都方面)入口、google画像) 

(解説) 敦賀トンネルは、木の芽峠直下に掘ったトンネルで、JR北陸本線の北陸トンネルとほぼ並行する位置を通っています。1977年(昭和52年)12月8日、敦賀IC~武生IC間の開通に伴って供用が開始され、これによって敦賀から富山までが高速道路でつながりました。

 なお、その供用当時は、現在の下り線トンネルにおいて暫定の2車線対面通行供用(最高速度は40km/hに規制)であり、上下線が別々のトンネルになったのは、1980年(昭和55年)のことで、長さは上り線(米原・名古屋・京都方面)は3230m下り線(金沢・富山方面)は2930mでした。

敦賀トンネル木の芽峠直下、Wikipedia): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E8%B3%80%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

 私は、北陸自動車道で、北陸(福井)と近畿(滋賀)を結ぶ2つの長大トンネル、敦賀トンネル(上り線3230m 下り線2930m)と今庄トンネル(上り線2760m 下り線2760m)を、マイカー(ファミリア1500CC)で走るとき、いつも緊張の連続で、通り過ぎるとホッとしました。

○ 北陸新幹線整備計画

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金沢駅JR金沢駅周辺空中写真、中央から側は東口、もてなしドーム、市内中心街、金沢城、兼六園へ、側は西口、真向の50間道路から石川県庁、金沢港、能登へ、google画像) 金沢駅(google画像検索):http://www.google.co.jp/search?q=%E9%87%91%E6%B2%A2%E9%A7%85&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&prmd=ivnsml&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=afysTczdFYm6vQPi-OzTCg&ved=0CE4QsAQ&biw=1004&bih=549

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北陸新幹線(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%99%B8%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A

(解説) 北陸新幹線長野~金沢)は、2014年(平成26年)末の完成を目標として整備が進められています。整備区間(東京~金沢)約450km、最高速度は260km/h、金沢~東京の所要時間は、約2時間28分と短縮されます。その経済波及効果として、輸送の時間短縮、確実性、快適性の向上で交通量が増大し、観光や各種産業の活性化、企業立地の促進や商機能の充実、通勤、通学域の拡大などが期待されています。 

(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(1972); 下中邦彦: 小百科事典、平凡社(1973); 北陸新幹線パンフレット、北陸の未来を開く、石川県・北陸新幹線建設促進石川県民会議(石川県企画振興部新幹線・交通政策課内)より.

(参考資料) 北陸本線ループ線、google動画検索): http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E7%B7%9A%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E5%8C%97%E9%99%B8%E6%9C%AC%E7%B7%9A&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&prmd=ivns&source=univ&tbm=vid&tbo=u&sa=X&ei=TdKqTfSLJobevwP-x8WbCg&ved=0CEYQqwQ

北陸トンネル敦賀~南今庄、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8C%97%E9%99%B8%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1004&bih=549

(追加説明) ○ ループ線 日本最初のループ線は、1909年(明治42年)開通の肥薩(ひさつ)線大畑~矢岳(やたけ)間に建設されました。肥薩線は熊本県の八代(やつしろ)と鹿児島県の隼人(はやと)を結ぶ、全長124.2kmの単線非電化のローカル線でした。県境をまたぐ人吉~吉松間は特に乗客数が少なく、廃止が検討されましたが、ループ線と急勾配を克服するもう一つの方法、スイッチバックを両方使う全国唯一の駅、大畑駅があることから、その危機をまぬがれました。この区間には、日本三大車窓の一つ、矢岳越え(やたけごえ)もあり、鉄道ファンにも人気の観光路線です。

○ 湖西線(こせいせん)は、山科駅(山科、京都)から琵琶湖の西岸を経由して近江塩津駅(長浜、滋賀)に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線です。山科駅より東海道本線(琵琶湖線)、近江塩津駅より北陸本線につながっています。 

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