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2011年5月 9日 (月)

野草名にまつわる歴史伝承、雑草ということ(草)はない(昭和天皇のお言葉)、タンポポ(キク科)、カラスノエンドウ(マメ科)、シロツメクサ(クローバーとも、マメ科)、とは(2011.5.9)

  雑草(ざっそう)とは、広辞苑には、自然に生えるいろいろな草。また、農耕地で目的の栽培植物以外に生える草。「雑草が生い茂る」「雑草のように育つ」、とあります。

 宮中侍従物語入江相政編)には、田中侍従の随想、「雑草とご愛草」の中に、陛下の有名な「雑草ということはない」とのお叱りのお言葉が記されています。入江侍従長あとがきによれば、なんにしてもこの本は、九人(執筆は、入江侍従長、徳川侍従次長、安楽侍従、卜部侍従、小林侍従、角田侍従、田中侍従、山本侍従、口絵は、北白川女官長)が、両陛下のお側で、来る日も来る日も、春風のうちに暮らしているという、ただそういう物語なのである。(1980年(昭和55年)4月 入江相政)

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昭和天皇((しょうわてんのう、第124代、裕仁、ひろひと、1901~1989、google画像) 昭和天皇(昭和の日、田中直侍従、随想、雑草と愛草、Soーnet ブログ): http://wa-no-kokoro.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21

(解説) この物語の吹上御苑(ふきあげぎょえん)の四季の中に、田中直(たなかなおる、1923~2006)侍従が、「雑草とご愛草」のタイトルで、1965年(昭和40年)頃、侍従を拝命してから間もなくの出来事ですが、昭和天皇((しょうわてんのう、第124代、裕仁、ひろひと、1901~1989)から、「雑草ということはない。」とお叱(しか)りを受けたことを、以下のように随想して書いておられます。

 吹上御所の四季   雑草とご愛草  

 両陛下のお住まいは、皇居内の吹上地区にある。 徳川家康は、天正18(1590)年、江戸城に入って、間もなくこの城の大改築に取りかかっているが、吹上地区は、それほど大きな修理も加えられずに、昔の面影を今にとどめている。たとえば、この地区で最も高い地主山(じしゅやま)や、この山の上にあったーーー

 今から15年近く前の、私が侍従を拝命してからまもなくの出来事。暑かった夏もそろそろ峠を越えて、朝晩ややしのぎやすくなってきた9月初旬のことである。庭園課の係から、「吹上広芝のお庭の草が茂りすぎたので、那須からのお帰りまでに手を入れたいが」との申し込み。 ーーー

 私は、さっそく吹上にとんだ。なにしろ那須からのお帰りまでに数日を残すだけだし、広芝の広さもわかっていたから。なるほど、名も知れない野草の薮であり、いたるところに繁茂しているススキは、その一部が建物にまでよりかかっている状態。その中に混じって、色とりどりの野草が咲き乱れてはいたが、その名前は知るよしもない。ただ、オミナエシやキクやハギぐらいはなんとかわかった。これらの雑草も、おそらく両陛下の那須へのお留守中に繁茂してしまったものだろう。

 さっそく係と相談して、建物から10メートルくらいの雑草は全部刈り払ってしまい、特に両陛下のお住まいの裏にあるわれわれ侍従室の前の庭は、全部刈ってしまうように頼んだ。係の人は少々変に思っていたようでもあったが。ーーー  やっと刈り払いも終わり、9月中旬、両陛下は那須からお帰りになった。ところが、吹上からすぐ来るようにとの連絡、陛下からのお召しだという。私は、お庭をきれいにしたのでおほめのお言葉でもと期待しつつ。ーーー

「どうして庭を刈ったのかね。」 「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました。」 「雑草ということはない。」 私は、とっさには陛下のおっしゃった意味がよくわからなかった。「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように」というような内容のお叱りであったと記憶している。私はこうべを深くたれてお部屋を出た。

 なるほど、その後陛下のお言葉に雑草ということをお聞きしたことがない。「雑草の科学」(沼田真編、研成社)の中に、「雑草は、作物に対する一群の植物のカテゴリーであって、植物学的ないし生物学的概念ではない。人間が自分のために栽培し収穫しようとする作物に対して、作物以外のすべての植物、招かれざる客として作物栽培の場に入り込む植物である。栽培されたもの、まきつけられたものでないという意味では雑草はナチュラルであるが、それが人がつくりだした環境に生ずるという点では、半自然的な植物群落をつくるといってよい」と。

 吹上地区には、招かれざる客として入り込む植物はありえないのである。そういえば、先人たちは、うまい言葉を考えた。吹上の植物はすべてご愛草であって、雑草ではないと。なるほど、こよなく自然を愛される陛下にとっては、すべての植物はご愛草なのである。

 ただ、吹上にも招かれざる客が来る。それはヒメジョオンであり、ハルジョオンであり、ヒメムカシヨモギの類である。つまり、これらは外来の繁殖力の旺盛な植物であって、他の植物の害となる。これが陛下の雑草といってよいだろう。これらの植物は、陛下もご自身でできるだけお抜きになるのである。 (田中)

 最近、ふと、陛下の雑草のお言葉を思い出し、私がよく散策する、桜田町近くの犀川土手沿い、北陸自動車道付近、耕作地の道端で目にした、雑草タンポポ(キク科)、カラスノエンドウ(マメ科)、シロツメクサ(クローバーとも、ナデシコ科)などをデジカメで撮影し、それらの名の由来についても調べて見ました。

 タンポポ(蒲公英、キク科)

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タンポポ(蒲公英、外側の総包片(そうほうへん)が下に反転したセイヨウタンポポ、キク科、桜田町近くの北陸自動車道付近、2010年5月9日撮影)

(解説) 日本語タンポポという名の由来については古く、蕾(つぼみ)の形が鼓(つづみ)に似ているため、鼓草(つづみそう)と呼ばれていました。鼓(つづみ)をたたく音がタンポポになったという。

 また、タンポポの花をつけている花茎を切り出すと、中はストローのように空洞です。その花茎の小さな断片の両端にいくつかの切れ込みを入れ、水につけます。少し時間が経(た)つと両端の切り込みが反り返り、鼓(つづみ)のような形になります。その姿から、「タンポンポン、タンポンポン」という、鼓(つづみ)の音が聞こえて来るようであり、「タンポポという名が生まれた」とも言われています。

 花の基部を包んでいる緑の部分は、外総包片(がいそうほうへん)と呼ばれ、これが反り返っているのは、外来種のセイヨウタンポポです。これが反り返っていないのが、日本の在来種で、カントウタンポポカンサイタンポポなどです。セイヨウタンポポは、欧州原産で、明治時代、北海道で食用の野菜牧草として輸入しましたが、全国に広まったという。

 外来種、在来種を問わず、タンポポの花は、朝に開き夕方に閉じます。花をつけていた柄(花茎)の先端には、やがて、まん丸に綿毛が展開します。この綿毛の展開には、湿度が低いことが大切です。セイヨウタンポポのタネは、風に飛ばされて、いろいろな場所に落下、そこで季節を問わず発芽します。近年、在来種は、田舎の畑の畦(あぜ)や山の麓の野原などにしか見られません。これも人間の土地開発がもたらした現象です。セイヨウタンポポの根は、ふつう太く、長く、土の中、どこまで掘っても深くにまで伸びているという。若葉食用は生薬の蒲公英(ほこうえい)で健胃、泌乳剤になります。

○ カラスノエンドウ(烏の豌豆、マメ科)

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カラスノエンドウ(烏の豌豆、マメ科、チョウチョウのような形の小さくきれいな赤紫色の花、桜田町近く犀川土手沿い、2010年5月9日撮影) 

(解説) カラスノエンドウの名の由来については、カラスというのは昔は、物の大きさのたとえに使っていたと考えられ、人間の食べるエンドウより小さく、ごく小さなスズメノエンドウよりも大きいので、カラスの名がついたという。このカラスノエンドウの実が、やがて真っ黒になる。そこからカラスという名がついたとも言われています。

 また、カラスノエンドウは、「シーピーピーピーピーマメ」とも呼ばれています。このマメの膨(ふく)れた莢(さや)を摘み取り、莢の片側を開き、指を入れて中に詰まったマメを全て取り除きます。莢のつけ根になっていた方を少しちぎって、尖(とが)った方を口にくわえて、口を細めて閉じるように吹くと、きれいな澄んだ音がします。この音が「シーピーピー」のように聞こえるので、これが、「シーピーピー」と呼ばれる理由と考えられます。 

 カラスノエンドウの根には、小さなコブのような粒々がたくさん付いています。この中には根粒菌が空気を窒素肥料に変えこの植物に供給しているので、緑肥ともなり、自然の中の土は次第に肥やされていきます。欧州原産で、若芽や豆は食用にできます。

○ シロツメクサ(白詰草、クローバーとも、マメ科)

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シロツメクサ(白詰草、クローバーとも、マメ科、桜田町近く耕作地の道端、2010年5月9日撮影)

(解説) シロツメクサの名の由来については、白い花を咲かせるのでシロ、また、ツメクサは緩衝材として荷物に詰められたことから白詰草と呼ばれました。江戸時代、ガラスや陶器を欧州などから送る際、箱にクッション材として詰めたので、花の白いツメクサとも呼ばれています。

 花が白いシロツメクサは、ふつうクロバーの名前で親しまれています。なお、花が赤いツメクサは、アカツメクサ(赤詰草、ムラサキツメクサとも)と呼ばれています。また、シロツメクサの根には多くの根粒菌が生息し、緑肥、牧草としても利用できるので、オランダゲンゲ、オランダウマゴヤシとも呼ばれています。 普通に見かけるクローバーは、三つ葉ですが、まれな変異体(突然変異!)として、四つ葉~八つ葉が確認されています。

(参考文献) 入江相政編(入江侍従長、徳川侍従次長ほか、侍従6名執筆、口絵は北白川女官長); 宮中侍従物語、吹上の四季、田中 直侍従、p.224~230,雑草とご愛草、テイビーエス・ブリタニカ(1980); 新村 出: 広辞苑、岩波書店(1991); 高橋勝雄(写真・解説): 野草の名前、春、和名の由来と見分け方、山渓名前図鑑、山と渓谷社(2002); 田中 修: 雑草のはなし、見つけ方、たのしみ方、中公新書(2007).

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