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2011年6月22日 (水)

囲碁にまつわる歴史伝承、囲碁の起源と伝来(中国、朝鮮、日本)、囲碁の棋具(碁盤、碁石、碁笥、別称)、日本の囲碁ゆかりの地名、とは(2011.6.22)

   中国には、「囲碁四千年」という言葉があり、古代文明の発祥地、黄河流域起源とされています。が、確たる証拠はありません。伝説によれば、紀元前2350年頃、堯帝(ぎょうてい、伝説上の聖帝、中国)が囲碁を発明したという。その目的は、丹朱(たんしゅ)という息子があまり賢くなかったので、囲碁によって賢明な皇帝に育てることでした。が、その教育はうまくいかず?、堯帝は庶民出の(しゅん)を次の皇帝としました。

 また、殷代(いんだい)、紀元前1500~1000年頃、甲骨文(こうこつもん)の中に(き、碁の古代語)の文字(地名説?)があります。これは、動物の骨や亀の甲羅に刻まれた古代文字ですが、占いや易の記録として残したものという。

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堯帝像(ぎょうていぞう、伝説上の聖帝、中國圍棋故事、回燕京書院綱頁、中国、google画像) 

(解説) 堯帝(ぎょうてい)は、碁盤(ごばん)や碁石(ごいし)を道具として占いを行い、天下を治めたという説があります。現代の標準碁盤(19路盤)でいえば、361交点1年日数(太陽が天を周回する日数で、真ん中のは、天元ないし太極とし、また、碁盤を4等分して四季(春夏秋冬)、白石昼(陽)黒石夜(陰)としました。 

○ 古代の碁盤(漢代:17路五星盤、随代以降:19路五星盤、事前置碁法、中国)

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石棋盤(漢代、17路盤、中國圍棋故事、回燕京書院綱頁、中国、google画像)

(解説) 千禧年在墨竹工卡縣加瑪鄉村北側,相傳為吐蕃松贊干布出生地的「強巴米久林宮殿」遺址出土之「密芒」棋盤棋盤。盤刻於長1.44米、寬0.56米、厚0.18米的菱形花崗巖表面中央,棋盤長寬均為0.44米,正方形,兩端各鑿有一塊放置子的凹坑。凹坑直徑0.11米、深0.04米,棋盤表面均有磨損,線條較為模糊。但可以數清有多少格。該棋盤縱橫有17道線,為17×17格,共289個交叉點以放置棋子棋盤沒有位點和邊框。

 1952年(昭和27年)、河北省(望都県、中国)の漢代(かんだい)の劉氏(りゅうし)の墓(182年埋葬)の陪葬品として、石棋石榻(せきとう、石の対局椅子)が発見されました。これは17路5星の石盤でした。この現存最古石盤出土により、邯鄲淳(かんたんじゅん)著、芸経の中の「棊局縦横各17道、合わせて289道」という文章が立証されることになりました。この碁盤(中国では花点)の形はハートの5花点でした。

 2007年(平成19年)5月15日、龍坑(寧夏自治区、中国)の漢墓群で古代の碁盤と陶片の碁石発見されました。(中国史ニュースリンクログ2007年、碁盤と碁石の発見含む、中国): http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/news2007.html.)

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青磁碁盤随代19路盤、中國圍棋故事、回燕京書院綱頁、中国、google 画像)

(解説) 1959年,河南安陽市北郊隋開皇十五年(594)張盛墓中出土一件圍棋盤小明器,保存完整,是迄今發 現世界上最古老的19道棋盤。現藏河南省 博物館。 該圍棋盤,正方形, 高4厘米,邊長各10.2厘米。盤上刻縱 橫17道,加上邊線便成縱橫19 道。這 些縱橫直線交織成許多小方格,共有 361目,與今之圍棋完全相同。為便于 識別棋子位置,每角4×4處和中央, 各有一小孔,形成「星位」。盤之四 側,有類似壺門的裝飾,通過施灰白釉,用特制白瓷圍棋盤隨葬是不多見的。參考《安陽隋張盛墓發掘記》《考古》1959年第10期。

 1959年(昭和34年)、河南省(安陽市、中国)の随代(ずいだい)の張盛(ちょうせい、生没不明)の墓の陪葬品より19路5星小型青磁盤出土しました。 随代(ずいだい)以降になると、「19路5星盤」に変化していますが、今から100年程前までの長い間、5星(花点)のままだったという。その碁法の様式は「互先事前置碁法」という、対局前に四隅の相対する星(4の四)に白黒各2子を交互に置き合い、そして、第1手は白石から打ち始めるものでした。

○ 囲碁の棋具(碁盤、碁石、碁笥、別称、中国、日本)

 碁盤(ごばん)、石(ごいし)、碁笥(ごけ、碁石の容器)などには、多彩な別称が与えられてきました。次のような代表的な言葉は、いずれも歴史を感じさせてくれます。

 碁盤(ごばん)の別称: (棊、棋)局(ききょく、碁盤、棋盤)、(棊、棋)枰(きへい、碁盤)、楸枰(しゅうへい、碁盤、碁局)、棋盤石(岩)、棊(棋)盤、など。 碁盤は、碁を打つのに用いる盤です。方形で四脚、表面に縦横各19条の罫線(けいせん)を引いて、361の目をつくったものです。

 碁盤は、木製では、鹿児島、宮崎、大分、岐阜、茨城、栃木、神奈川などの各県産の(かや)の柾目(まさめ、天柾)を上等としましす。そのほか、桂(かつら)などもよく用いられています。

 碁石(ごいしの別称: (棊、棋)子(きし、碁石)、弈子(えきし、碁石)、(棋、碁)子、(棋、碁)石、唐石、那智黒(なちぐろ)、日向蛤(ひゅうがはまぐり)、など。 碁石は、囲碁に用いる円形の小さい石です。標準碁石は、直径約2.2cmで、白黒2種があり、正式には白石180個、黒石181個です。

 白石は日向(ひゅうが、宮崎)の(はまぐり)の(から)で、黒石那智黒(なちぐろ、炭素を含む珪質頁岩(けいしつけつがん、粘板岩)、和歌山)でつくるのを上等とします。はまぐり碁石(歴史、黒木碁石店、日向、宮崎): http://www.kurokigoishi.co.jp/quality/movie/ 

 碁笥(ごけ)の別称: 棊子合子(きしごうし、碁石のふたのある器、はこ)、碁奩(ごげ、碁石のはこ)、碁(棊、棋)笥(ごけ、碁石を入れる円い器)、など。 碁笥は碁石を入れる円い器です。木製の碁笥は、栗(くり)のほか欅(けやき)、桑なども用いられています。

 現在、碁笥(木製)を生産しているのは群馬、広島、宮崎、石川県に各1社ほどです。なかでも金沢市に本社、穴水町(能登)に工場がある「谷口」は、1947年(昭和22年)創業、全国で生産される碁笥の60%を製造しています。(木製碁笥 穴水で6割生産 創業者の知恵 日本一導く、2010年(平成22年)10月21日(木)、北陸中日新聞、朝刊より) 欅工芸谷口(ホームページ、金沢):http://nttbj.itp.ne.jp/0762235451/index.html

○ 日本への伝来(5世紀頃、倭の国、日本)

 奈良時代の史書、古事記(こじき、712年(和銅5年)成立)には、「於能呂嶋(おのごろしま)」と、日本ではじめての文字が地名?の当て字として使われ、また、716年(霊亀2年)、常陸(ひたち)風土記(717~724,選進)、出雲(いずも)風土記(733年成立)には、碁石がとれる浜辺(玉江浜)の記述が見られます。また、唐(中国)の歴史書、隋唐・倭国伝(636年成立)には、「(倭の国人)棊博(きはく、囲碁)・握槊(あっさく、双六)・樗蒲(ちょぼ、博打)の戯を好む」と、日本での囲碁事情が書かれています。

 538年(宣化3年)頃、仏教が百済(朝鮮)より日本へ伝来しています(囲碁も伝来?)。 したがって、少なくとも6世紀、早くて5世紀頃には、囲碁が倭(わ)の国(日本)に伝わっていたとも考えられます。ということで、江戸時代(1603~1868)の記録に、吉備真備(きびのまきび、695~775)が遣唐使の一員として唐から囲碁を移入したとする説がありましたが、現在は否定されています。

 伝来ルートについては、641年、百済(くだら、朝鮮)の義慈王(ぎじおう、?~660,在位641~662、百済最後の王)から藤原鎌足(ふじわらのかまたり、614~669)あてに碁石撥鏤棊子(ぱちるのきし)と碁石入れ、銀平脱合子(ぎんへいだつのごうし)がられていたことが東大寺献物帳(国家珍宝帳)に記録されています。

 この時、木画紫壇棊局(もくがしたんのきょく)の碁盤一面は、専用の碁盤入れ、金銀亀甲龕(きんぎんきっこうのがん)に収められているので、3点セットが朝鮮から日本へ同時に贈(おく)られていました。ということで、日本への伝来としては、朝鮮から日本のほか、中国から朝鮮を経由して日本、中国から直接に日本、天仁(インド)からチベットを経て日本などのルートが考えられています。が、断定するに足りる資料や証拠はありません。

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碁盤木画紫檀棊局、もくがしたんのききょく、亀(スッポン)を象(かたど)った二つの引出しは、アゲハマ入れと考えられています、正倉院蔵奈良、google画像)

(解説) シルクロードの終着点、東大寺の正倉院(しょうそういん、756~758年建立、奈良)には、聖武天皇(しょうむてんのう、701~756)遺愛の棋具(木画紫檀棊局など)国宝の碁盤や碁石、碁笥など11点が1200年もの長い間、大切に保存されています。 

 私は、日本棋院、囲碁殿堂資料館には、これまで何度か足を運び、囲碁の歴史に関する展示物、資料など興味深く拝見し、いろいろご教示いただいたことがあります。

 私の郷里(上板、德島)の家には、榧(かや、柾目)の碁盤、黒(那智黒)と白(日向の蛤の殻)の碁石、栗製の碁笥があります。現在、わが家(桜田、金沢)では、もっぱら、桂(かつら、柾目)の碁盤、黒と白のガラス製の碁石、栗模様のプラスチックス製の碁笥を使っています。

(参考文献) 貝塚茂樹、藤野岩友、小野忍: 漢和中辞典、角川書店(1968); 新村出: 広辞苑、岩波書店(1991); 水口藤雄: 囲碁大全、p.23~31、悠久の歴史、四千年のドラマを旅する、囲碁のルーツを探る、囲碁、日本へ渡来、日本経済新聞社(1996); 日本棋院編: 日本棋院創立80周年記念、囲碁雑学手帳、月刊碁ワールド1月号第2付録(2005); 永原慶二: 日本史辞典、岩波書店(1999); 囲碁の歴史、日本棋院80年の歩み: 日本棋院 囲碁殿堂資料館、囲碁殿堂(2004年11月15日開館、五番町、千代田区、東京)、ご案内、パンフレット、より.

(参考資料) 日本棋院(ホームページ、東京): http://www.nihonkiin.or.jp/. 日本棋院 囲碁殿堂資料館(5番町、千代田区、東京):http://www.nihonkiin.or.jp/igodendou/info.htm.

(追加説明) 

〇 日本の囲碁に関する地名には、碁盤坂(函館、北海道; 船井、京都)、碁石(字碁石、久慈、岩手; 柴田、宮城; 本荘、秋田; 南設楽、愛知; 船井、京都: 玉野、岡山)、碁点(村山、山形)、碁石沢(石岡、茨城)、碁石町(村山、新潟)、碁石村(氷見、富山; 羽咋、石川)、碁盤田(西加茂、愛知)、碁石鼻(福岡、福岡)、碁石ヶ森(野村、愛媛)、碁石婆(ごいしばえ、三瓶、愛媛)、碁盤石(字、名東、德島)、碁要(ごよう、三野、德島)などが見られます。 (水口藤雄編: 囲碁ゆかりの地名・寺社・石碑・扁額・石盤、囲碁大全、p.176~177、囲碁に関する地名より)

〇 蛙股と囲碁の彫刻

蛙股の囲碁の彫刻は、三嶋大社(三島市大宮町、静岡県)にも見られます。吉備真備が唐の名人と囲碁を打って勝ったときの様子を彫った物と言われ、この勝負に勝ったことよって、暦学の書を日本に持ち帰ることを許されたと伝えられています。三嶋神社(ホームページ): http://www.mishimataisha.or.jp/precinct/carve_h02.html

江戸時代の記録に、吉備真備が遣唐使の一員として唐から囲碁を移入したとする説があります。が、現在は否定されているようです。 

この囲碁の彫り物は、南宮大社(垂井、岐阜)の蟇股にも見られる。南宮大社(ホームぺージ) :https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&q=%e5%8d%97%e5%ae%ae%e5%a4%a7%e7%a4%be%ef%bc%88%e5%9e%82%e4%ba%95%ef%bc%89

 

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