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2011年7月21日 (木)

日本庭園の起源(祭祀の場)、環状列石(ストーンサークル、縄文時代)、環濠(弥生時代)、前方後円墳(古墳時代)、日本庭園の歴史、坪庭、とは(2011.7.21)

   日本庭園は、歴史的には、古くは祭祀(さいし、まつり、神や祖先を祭ること)、儀式(ぎしき、公事・神事・仏事などの行事)のに始まり、その後、饗宴(きょうえん、もてなしの酒盛り)、逍遙(しょうよう、散歩とも)、接遇(せつぐう、接待とも)などのとして、あるいは観賞(かんしょう、見て楽しむこと)の対象となりました。

 庭園(ていえん)とは、広辞苑(第6版)によれば、「観賞・逍遙などのため、樹木を植え、築山・泉池などを設けた庭。特に計画して作った庭。日本庭園。洋風庭園。」、とあります。

○ 日本庭園の起源環状列石、環濠、前方後円墳、縄文・弥生・古墳時代)

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大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき、大湯ストーンサークル縄文時代、十和田、鹿角市、秋田、google画像) 大湯環状列石(文化遺産オンライン、文化庁):http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=137714

(解説) 縄文時代(じょうもんじだい、紀元前12000年~紀元前500年頃)、環状列石(ストーンサークル)は、石あるいはいくつかの石を組み合わせたもの(配石遺構、はいせきいこう)を環状に配置するもので、環の直径は約10~50mほどです。大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき、十和田、鹿角市、かづのし、秋田)は、単位となる配石遺構が墓群であることが明らかにされており、祖先や自然に対する「祭祀、さいし、まつり」の場であったと考えられています(小林達夫氏、1937~ 、考古学、より)。これらは、広い意味での庭園と見ることもできるという(小野健吉氏、1955~ 、日本庭園史、より)。

 弥生時代(やよいじだい、紀元前400年~300年)は、水田稲作を基盤とする社会が形成された時代です。弥生時代中期に造営された田和山遺跡(たわやまいせき、松江市、島根)は、集落では春に豊作を祈り、秋には稔りに感謝する「祭祀、さいし、まつり」の場と考えられています。

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田和山遺跡(たわやまいせき、環濠、弥生時代、松江市、島根、google画像) 田和山遺跡(松江市ホームページ、島根):http://www1.city.matsue.shimane.jp/k-b-k/bunkazai/bunkazai/kouennado/tawayama-park/tawayama/cyousakeika/02a.html

(解説) 田和山遺跡(たわやまいせき、松江市、島根)の発掘調査では、宍道湖(しんじこ)を望む丘陵(きゅうりょう)の中腹にめぐらされた三重の環濠(かんごう、周囲に堀をめぐらせること)が明らかにされ、濠(ほり、堀)で守られた形の頂上部では多数の柱穴が見つかっています。つまり「祭祀、さいし、まつり」の場は、眺望の優れた場所に集落防御の象徴である環濠(かんごう)をめぐらせていました。これも、広い意味での庭園と見ることもできるという(小野健吉氏、日本庭園史、より)。

 古墳は、当時の支配者であった豪族(首長)の墓ですが、3世紀(弥生時代)から8世紀の初め(飛鳥、白鳳時代)にかけて築造されています。これらは、朝鮮半島の百済(くだら)からの仏教伝来の影響によるものと考えられます。 一般に、古墳は、気候が温和で水に恵まれ米作に適した土地や平野や海を見下ろす景勝の台地に築造されています。こうした場所は、人が集まり集落が出来やすく、富と権力を握った豪族がよく現れました。

 古墳時代(こふんじだい、300年半ばから700年末頃)には、地域を治める豪族、首長階級の墳墓(ふんぼ)として盛土(もりつち)による大型の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が出現しています。前方部は矩形(長方形)で本来は「祭祀、さいし、まつり」の場であり、その後方に遺体を納める円丘がついています。

 その後、5世紀まで、鹿児島県から岩手県に及ぶ巨大前方後円墳(200m超の前方後円墳は、全国で37基、うち34基が近畿で、奈良県19基、大阪府14基、京都府1基)が現れ、大王(歴代天皇)だけでなく、有力豪族も競って造営したと見られています。

 権力の象徴であった前方後円墳は、6世紀に入ると急速に規模を縮小、7世紀に入ると姿を消し、円墳、方墳、八角墳へと小規模化し、横穴式石室など普及しています。これは、国の形の変化など考えられています。(歴ナビ、旅する日本史、迫れ 巨大古墳の謎、2010年(平成22年)9月25日(土)、朝日新聞、朝刊より)

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行燈山古墳(あんどやまこふん、前方後円墳古墳時代、崇神天皇陵(すじんてんのうりょう、第10代、生没不明)、天理市、奈良、googleがぞう) 行燈山古墳(崇神天皇陵、天理市、奈良): http://www.city.tenri.nara.jp/kanko/walk/himiko/course.html

(解説) 周濠を持つ前方後円墳の最初期のものとして、400年前半に築造されたと見られる行燈山古墳(あんどやまこふん、崇神天皇陵、すじんてんのうりょう、第10代、生没不明、天理市、奈良)と少し遅れて築造されたと見られる渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん、景行天皇陵、けいこうてんのうりょう、第12代、生没不明、天理市、奈良)があります。これらの古墳は、傾斜地に造られていますが、墳丘の周囲に水面をめぐらせるために、周濠を区切る堤を築いて水面は階段状にするという技法を採用しています。

 古墳周濠(しゅうごう、古墳の周囲に掘られた堀)の意味については、水稲耕作を基盤とする初期ヤマト政権の中心、大和(やまと)、河内(かわち)の首長、豪族たちが、農耕祭祀(さいし)をつかさどり、豊かな水を保障する呪的(じゅてき)な機能の役割を演じていたと考えられています(白石太一郎氏、1938~ 、考古学、より)。多くの墳丘は全面が葺石(ふきいし)で覆われた石の山で、水面と墳丘の織りなす景観は美しく、広い意味での庭園と見ることもできるという(堀口捨巳氏、1895~1984,建築史、より)。 

 ということで、日本庭園の起源は、環状列石(ストーンサークル、縄文時代)、環濠(弥生時代)、前方後円墳、湧水・流路祭祀の場(古墳時代)など、遺跡発掘の調査に基づく考古学的な解釈から、祭祀もしくは儀式の場として認識させられるという。  

(参考文献) 新村出: 広辞苑、岩波書店(1991); 永原慶二監修: 日本史辞典、岩波書店(1999); 小野健吉: 日本庭園-空間の美の歴史、岩波新書(2009).

(追加説明) ○ 日本庭園の歴史  縄文・弥生・古墳時代(日本庭園の起源、環状列石、環濠、前方後円墳) 

 飛鳥時代(朝鮮の百済、新羅から伝来の庭園、宮廷の儀式や饗宴(きょうえん)のための庭園、方形池、石の像、曲池) 酒船石(さかふねいし)遺跡の庭園遺構(祭祀の場、7世紀半ばに百済の渡来人が築造、明日香村、奈良、ストーン・ワーク):http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tetsuzan/web/sakafune-iseki.htm

 飛鳥(あすか)の語源については、朝鮮半島から飛んできた鳥、すなわち渡来人を意味しているとの説もあります。663年(天智天皇2年)、白村江(はくそんこう、はくすきのえとも)で唐(とう、中国)・新羅(しらぎ、朝鮮)軍と日本・百済(くだら、朝鮮)軍が戦い、百済を救援した日本軍は敗れ、百済は滅亡、その時、多数の百済人が日本に渡来(亡命)しました。 白村江の戦い(錦江近郊、韓国): http://www.asuka-tobira.com/hakusonkou/hakusonkou.htm; 飛鳥京(奈良): http://www.asuka-tobira.com/asukakyo/asukakyo2.htm.)

 奈良時代(中国の唐から伝来の庭園(宮殿庭園)に基づく日本独自のデザインの庭園(曲池、州浜の護岸、自然石の景石・石組)、儀式(公事)や饗宴(きょうえん、節会、曲水宴)の場としての庭園、寺院と庭園(園池、仏教文化) 猿沢池園地(さるさわいけえんち、興福寺南花園の池、奈良公園ガイド、奈良県):http://nara-park.com/annnai2_6.html

 平安時代(日本独自のデザインがさらに洗練された庭園、池庭、寝殿造庭園、浄土庭園、院御所の庭園) 神泉苑(しんせんえん、東寺真言宗の寺院の園池、禁苑(きんえん)、すなわち、桓武天皇専用の庭園、行幸、曲宴、饗宴にも使用、二条城の南方の木立の中、中京、京都、京都・大阪スポットガイド): http://www.kyoto-osaka.com/guide/spot/0025_shinsenen.html. 浄土庭園(じょうどていえん、平等院、日本の名園、40庭、宇治、京都):http://members3.jcom.home.ne.jp/seiwaen.asano/byodouin.htm

 鎌倉・室町時代(京都の有力貴族による寝殿造庭園、武家・禅宗の隆盛と庭園文化・デザインへの影響、無窓礎石(むそうそせき)による眺望を生かした構成・石組の庭園、禅宗思想に基づく枯山水(かれさんすい)の庭園) 曹源池庭園(そうげんちていえん、天龍寺、夢窓礎石作庭、嵐山や亀山を借景とした庭園、嵯峨、右京区、京都): http://www.mario-k.net/kyoto/shaji/126.html; 方丈庭園(ほうじょうていえん、竜安寺枯山水、日本の名園、40庭、右京区、京都): http://members3.jcom.home.ne.jp/seiwaen.asano/ryoanji.htm

 室町後半・安土・桃山時代・江戸初期(戦国時代、戦国大名の居館(本館)の枯山水の庭園、庭園文化の地方への広まり、京都の町衆による草庵の茶の芽生え、千利休による侘茶(わびちゃ)の大成、茶室にいたる庭園空間としての露池(ろじ、茶庭)の成立、千利休から古田織部、小堀遠州へ、江戸時代の庭園・建築などにも大きな影響を与えることになりました。また、書院造庭園(庭景、景石、豪華な石組、珍しい植栽)が確立) 一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだにあさくらしいせき、10ヶ所余りの庭園遺構、城戸ノ内町、福井市、福井): http://www.city.fukui.lg.jp/d620/bunka/iseki/; 狐篷庵(こほうあん、江戸初期、茶室と露池(茶庭)、忘筌、ぼうせん、小堀遠州作庭、大徳寺山内に創建した塔頭(たっちゅう、小さな寺院)、増田建築研究所、紫野、北区、京都): http://web.kyoto-inet.or.jp/org/orion/jap/hstj/kita/kohouan1.html

 江戸時代(池庭、露地(茶庭)、枯山水などの技法を組み入れた総合庭園様式の回遊式庭園(かいゆうしきていえん)の成立、江戸や各領国の大名屋敷の中の接待・社交の場としての大名庭園、京都、江戸のほか全国各地での作庭と庭園文化の広まり、寺社のほか上級武士、豪商、豪農の屋敷での庭園の営み、庶民の興味をひく観光の対象としての庭園文化の成立) 桂離宮(かつらりきゅう、京都の庭園と伝統建築、桂、西京区、京都): http://www.zoukei.net/kyoto.htm. 兼六園(けんろくえん、ホームページ、大名庭園、金沢、石川):http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/

 明治・大正・昭和時代(洋館と一体、イタリア式庭園(幾何学式庭園、丘陵部斜面、芝生含む)、フランス式庭園(平面幾何学式庭園、広大な芝生含む)、大規模な別荘庭園、邸宅庭園、従来の日本式庭園がイギリス式庭園(風景式庭園、広大な苑池、芝生含む)の影響を受けて現れた新しいタイプの日本式庭園(明治式、近代式、当世流など)、自然主義風景式庭園、芸術、環境としての庭園、公共造園、庭造りも自由となり、急速に流行、一般の民家にも普及) 神苑(しんえん、平安神宮、公共造園、国指定文化財等データベースWeblio辞典、岡崎西、左京区、京都): http://www.weblio.jp/content/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E8%8B%91

○ 庭、場(にわ)は、広辞苑によれば、①広い場所.物事を行う場所。②邸内または階前の、農事に使う空地。③草木を植え築山・泉池などを設けて、観賞・逍遙などをする所。庭園。④波の平らかな(漁業を行う)海面。転じて、穏やかな天候。日和(ひより)。⑤家の出入口や台所などの土間。⑥家庭、とあります。 

○ 坪庭(つぼにわ)は、屋敷内の庭園。中庭。中庭(なかにわ)は、建物に囲まれるように、その間にある庭。内庭。内庭(うちにわ)は、家の棟と棟と、または室と室との間にある庭。中庭。壺庭。  

 日本庭園の歴史をたどると、坪庭(つぼにわ)が現れるのは、京都、江戸のほか全国各地での作庭と庭園文化の広まりを見せた、江戸時代の終わり頃と考えられます。そのルーツは、千利休の露地(茶庭)にあるという。

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坪庭(つぼにわ、お茶屋、志摩、東山、金沢、google画像) 

(解説) 京都金沢のうなぎの寝床と呼ばれる奥に長い町家、料亭などには、心を癒(いや)す落ち着きのある坪庭(つぼにわ)があり、黒松、五葉松、羅漢槙(らかんまき)、紅葉、ヤツデ、青木、オモト、シダなどの草木を植え、苔(こけ)むした石灯籠や庭石(景石)、飛石(とびいし)、蹲い(つくばい、石の手水鉢)などが置かれていて、日本の自然景観を小さくした見立ての世界がありました。(小林忠雄、北陸大学教授、金沢らしさ、坪庭空間の美学機能的な癒しの世界、2011年(平成23年)3月6日(日)、北陸中日新聞、朝刊より)

 風情ある坪庭(つぼにわ、お茶屋、志摩、金沢、google画像検索): http://www.google.co.jp/search?hl=ja&pq=%E5%9D%AA%E5%BA%AD%EF%BC%88%E3%81%8A%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E3%80%81%E5%BF%97%E6%91%A9%E3%80%81%E9%87%91%E6%B2%A2%EF%BC%89&xhr=t&q=%E5%9D%AA%E5%BA%AD%E3%80%81%E3%81%8A%E8%8C%B6%E5%B1%8B%E3%80%81%E5%BF%97%E6%91%A9%E3%80%81%E9%87%91%E6%B2%A2&cp=10&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&biw=1024&bih=552&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&wrapid=tljp1311393996437091&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi

○ 作庭記(さくていき)は、平安時代に書かれた日本最古の庭園書です。鎌倉時代から江戸時代中頃までは「前栽秘抄(せんざいひしょう)」と呼ばれていました。前栽(せんざい)は植栽(しょくさい、植え込み)を主とした寝殿の前庭を指し、寝殿造の庭園の意匠と施工法を文章で説明しています。 

 その編著者については、同書に見える高陽院修造の記述などから、藤原頼道(ふじわらよりみち、992~1074)の子(橘俊遠の養子)で修理大夫(しゅうりだいぶ)を長年勤めた橘俊綱(たちばなのとしつな、1028~1094)とする説が有力で、11世紀後半にはその大本が成立したものと見られています。

作庭紀(さくていき、概要、データ):http://www.nakatani-seminar.org/kozin/niwa/sakuteiki/sakuteiki.html

 私は、京都でいた頃、何回か訪れ、観賞、逍遙した、金閣寺、銀閣寺、桂離宮、修学院離宮、龍安寺、西芳寺(苔寺)、神泉苑、平安神宮神苑、平等院などの日本庭園の何とも言えぬ美しさが強く印象に残っています。

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