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2011年7月 1日 (金)

氷室の節句(六月朔日、2011年7月1日)、江戸の加賀藩邸の氷室の氷を徳川将軍に献上、氷室開き(金沢)、とは

   江戸時代、徳川幕府が幕藩体制の中で、六月朔日(さくじつ、ついたち)、(旧暦6月1日、新暦7月1日)を氷室(ひむろ)の日氷室の節句とし、庶民を含めた年中行事が行われていました。 

 東都歳時記(江戸風俗、斉藤月岑、さいとうげっしん、1804~1878、1838年(天保9年)発行)には、「六月朔日氷室御祝儀(賜氷の節)加州候御藩邸に氷室ありて今日氷献上あり。町屋にても、旧年寒水を以て製したる餅を食して、これに比(な)らふ。」、と記載されています。これは、「毎年旧暦6月1日を賜氷節として江戸の加賀藩邸の氷室の氷を徳川将軍に献上するならわしがあり、また庶民の間では、氷の代わりに,寒ざらしの餅(もち)、つまり氷餅(こおりもち)を食べた。」、ということです。

 東都歳時記(六月朔日、賜氷の節含む、知るを楽しむ、お氷さまと冨士参り、中島満、NHKテキスト): http://www.manabook.jp/nhk-koorinohanasi.htm

 加賀藩は、旧暦6月1日(新暦7月1日)頃、氷室から凍った雪を切り出し(氷室開き)、桐の二重造りの長持ちに収め、八人の飛脚(八人肩)により、遠く江戸の加賀藩邸に昼夜をついで急送(4~5日?)したという。加賀藩の江戸本郷上屋敷(心字池の東北岸)には、加賀から送られてきた氷雪の保存のための氷室があり、その氷は、徳川将軍に献上すると共に家臣にも分け与え、夏に雪を食べて風流を楽しんだと伝えられています。

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氷室跡(ひむろあと、兼六園、金沢、google画像) 金沢散歩(金沢九十九景): http://www2s.biglobe.ne.jp/~west_v/kokei-wt.htm.

(解説) 兼六園山崎山の裏にある凹地(おうち)が、氷室跡(ひむろあと)です。冬に降り積もった雪を凹地に投げ込み、藁(わら)で覆い、雪を固く締まった雪氷として貯えたそうです。この氷室跡は、兼六園が一般市民に開放された、明治以降から昭和の半ばにかけて、庶民の氷室として使われていました。藩政時代、1839年(天保10年)の氷室の位置は、絵図では谷とだけ説明されています。

 一方、金沢城内には、加賀2代藩主前田利長(まえだとしなが、1562~1614)の正妻(永姫、織田信長の4女、1574~1632)が居住していた玉泉院丸(ぎょくせんいんまる)に、加賀5代藩主前田綱紀(まえだつなのり、1643~1721)がつくらせた玉泉院丸氷室がありました。この氷室は、穴蔵を掘り、その周囲を戸室石で囲い、その中に冬に雪を詰めた木箱を入れ、その外回りにも雪を詰めて夏まで貯えていました。この管理は、城中露地(茶庭)の管理人、手木足軽(てこあしがる)に守らせていたそうです。というわけで、兼六園事務所長を退任された下郷稔氏によれば、江戸の徳川将軍に献上した氷室の氷は、兼六園のものではなく、この玉泉院丸の氷室の氷ではないかとのことです。

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氷室開き(ひむろびらき、湯涌温泉、マップル 観光ガイド提供写真、金沢、google画像)

 金沢の奥座敷、湯涌温泉(ゆわくおんせん)の地域では、氷室小屋に大寒の雪が詰め込まれ(氷室の仕込み)、2011年(平成23年)6月26日(日)、第26回氷室開き(氷室の氷の切り出し)が行われました。氷室開き(日テレニュース、湯涌温泉、金沢): http://www.news24.jp/articles/2011/06/26/07185246.html

 現在、金沢では、7月1日を「氷室の日」とし、金沢市とその周辺では、氷を模したと言われる氷室饅頭(ひむろまんじゅう、紅白、あん入り蒸し饅頭)を食べて無病息災を祈る習慣が残っています。

(参考文献) 朝倉治彦校注: 東洋文庫177、東都歳時記2、p.74、平凡社(1987); 永原慶二監修、石上英一ほか8名編: 岩波日本史事典、岩波書店(1999);下郷稔: 兼六園歳時記、p、38-39,藩政時代にあったのか、兼六園の氷室、能登印刷出版部(1993); 株式会社橋本確文堂企画出版室編: 特別名勝兼六園ーその歴史と文化ー、橋本確文堂(1997); 竹井巌: 金沢の氷室と雪氷利用、北陸大学紀要、28号、p.49~62(2004).

(参考資料) 氷室開き(google画像): http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E6%B0%B7%E5%AE%A4%E9%96%8B%E3%81%8D&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1024&bih=591

(追加説明) 奈良時代、冬に氷を納め夏まで貯蔵する施設があり、氷室(ひむろ)と呼ばれていました。日本書紀の闘鶏(つげ)氷室の氷貢納起源説話、長屋王家の都祁氷室(つげひむろ、氷室の管理職)関係の木簡(もっかん)によれば、氷室は径と深さは約3mのすり鉢状の坑(あな)で、茅(かや)等を敷き氷を積み草で覆ったもので、製氷池を伴ったものです。

 平安時代、延喜式によれば、元日節会で氷室の氷の厚さを計って奏上し、新年の作柄を報告(氷様奏、ひのためしのそう)、4~9月には、山城、大和、河内、近江、丹波の10ヶ所21室の氷を天皇に献上しました。氷室は、一般的に近代初期まで各地で利用され、遺跡も発掘されています。

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