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2011年8月 8日 (月)

お経にまつわる歴史伝承、般若心経(はんにゃしんぎょう)、光明真言(こうみょうしんごん)、舎利礼文(しゃりらいもん)、ありがとう、とは(2011.8.8)  

  お(きょう)は、仏の説いた教法を文章にまとめたものです。律・論の三種を合わせて三藏(さんぞう、経蔵・律蔵・論蔵)という。そして、唐(中国)の頃、この三蔵の仏教聖典(大般若波羅蜜多経、600巻)をした(訳経僧)は、玄奘(げんじよう、602~664)で、玄奘三藏(げんじようさんぞう)あるいは三藏法師(さんぞうほうし)などの尊称で呼ばれています。その中の最も代表的な聖典が、摩訶般若波羅蜜多心経(大品般若、鳩魔羅什(くまらじゅう)の、27巻)です。

 私の郷里(上板、德島)の菩提寺は、四国霊場八十八ヶ所札所、六番安楽寺(真言宗)です。いつの頃からか、葬式、法要のときのおじゅっさん(お坊さんとも)の読経(どきょう)、唱和、法話、父母からの伝聞から、般若心経(はんやしんぎょう)、光明真言(こうみょうしんごん)、舎利礼文(しゃりらいもん)など、ありがたいお経ということで、何も考えずに(無心!)唱えていました。そこで、改めて、それらの経文について調べてみました。

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○ 般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう、経題)

(解説) 般若心経(はんにゃしんぎょう)は、仏典の一つで、1巻からなり、漢訳に諸説ありますが、最も流布(るふ)しているのは、中国、唐の玄奘三藏(げんじょうさんぞう)訳の262字からなり、般若経の心髄を簡潔に説く心経です。般若(はんにゃ)は、パーリ語のパンニャの音写で、真実の知恵のことですが、これは実体をもたない(くう)なるものであることを明らかにしています。この(くう)は(む)と並んで般若心経の根本的な思想で、インド人の発見した(ぜろ)に類似した概念で、起元前後から約100年間に成立したと考えられています。

 玄奘訳では、経題はただ「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」となっており、「仏説摩訶(ぶっせつまか)」の文字はありません。「仏説」という言葉が加えられたのは、「般若心経」が通常の仏典と異なり、「如是我聞(にょぜがもん、私はこの様にお釈迦様の説法を聞きましたの意)」で始まらないことが関連しています。あくまで釈迦が説いた教えであることを強調するために「仏が説いた」という言葉が加えられたという。 般若心経(四国遍路と一等三角点探訪): http://homepage2.nifty.com/sangaku/ftp/henro/hannyasingyou.htm

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 

 求道者である観音菩薩は、深遠な知恵の完成をめざして、その実践をしていたとき、すべての存在を構成している五つの要素がみな実体のないものであることを認識し、いっさいの苦悩やわざわいを超越することができた。

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是  

 我が弟子であるシャーリプトラよ、物質的現象は実体のないものにことならず、実体のないものは物質的現象にことならない。物質的現象はまさに実体のないものであり、実体のないものはまさに物質的現象である。そして、物質的現象とともに、すべての存在を構成している他の四つの要素である人間の感覚も、イメージも、こころの働きも、さらに知識も、物質的現象の場合とまったく同じなのである。

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 

 シャリープトラよ、いっさいの存在するものは実体のないことを特徴としており、生じることもなく、滅することもなく、汚れることもなく、清まることもなく、増えることもなく、減ることもない。このため、実体のない状態においては、物質的現象もなく、感覚もなく、イメージもなく、こころの働きもなく、知識もない。また、目や耳や鼻や舌やからだや思いといったものもなく、それが対称とする形も音も香りも味も、触ったり、思ったりすることのできる対象もない。さらに、目で見える世界も、意識の世界もない。そして、迷いもなく、迷いが尽きることもない。また、老いることも死ぬこともなく、老いることや死ぬことが尽きることもない。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを滅することも、苦しみを滅するための方法もない。

無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 

 知恵もなく、体得すべきものもない。体得すべきものがないので、求道者は、知恵の完成によって、こころに障害がなくなる。こころに障害がないから、恐れもなく、正しく見ることを妨げる迷いを離れて、永遠の平和を極めるのだ。現在、過去、未来にわたる三世の仏たちは、知恵を完成することによって、このうえない完全な悟りを体得している。

故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 

 それゆえに、以下のことを理解すべきである。知恵の完成は真言(マントラ)であり、偉大な悟りの真言であり、このうえないすばらしい真言であり、他に比べることのできない真言である。いっさいの苦しみを取り除く、真実なるものであり、虚しいものではない。知恵の完成は、真言を説く。その真言とは、「羯諦(ぎゃてい) 羯諦(ぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい) 波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶(ぼじそわか)」(この部分は呪文! 意味は、往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ、と。岩波文庫、般若心経より)である。これこそが、完璧な悟りに至るための真髄である。

 空海(弘法大師、774~835、真言宗開祖)は、注釈般若心経秘鍵」において、その特徴を「簡にして要なり、約にして深し」とまとめています。この経文は短いものだが、釈迦の教えの要点をしっかりと押さえてあり、少ない文字数で深い教えを説いているという。そして、仏教のすべての教えが含み込まれた「般若心経」を唱え、学ぶならば、あらゆる苦が取り除かれ、悟りを得たうえに、神秘的な神通力をもつことができるとしています。

 私は、小さい子供の頃、母親が京都の成安女子学園に在学中、毎日、般若心経を唱えていたことを聞いたことがあります。私には、般若心経は、葬式、法要での読経、お坊さんとの唱和と説教で、ありがたい呪文のような経文の思いがありました。 

○ 光明真言(こうみょうしんごん)

おん(唵) あぼきゃ(阿謨伽) べいろしゃのう(尾慮左曩) まかぼだらまに(摩訶毌捺囉麽坭) 

はんどま(鉢納麼) じんばら(人嚩攞) はらばりたや(鉢囉韈哆野) うん(吽) 

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光明真言(こうみょうしんごん、真言宗、金剛院、google画像) 光明真言(真言宗豊山派、金剛院、東京): http://www.kongohin.or.jp/recite.html

(解説) み仏(ほとけ)の光明(こうみょう)に一切(いっさい)がつつまるるをおもえ  密教で唱える真言の一つで、これを誦(とな)えれば一切の罪業を除くという。 土砂加持(どしゃかじ)は、密教の修法の一つで、光明真言で土砂を加持することです。この土砂を死体や墓所にまくと、死者の罪障を除くことができるという。

 私には、この梵字(ぼんじ)の経文は、呪文(じゅもん)のような感じがして、意味はよく分からないまま、いつの頃からか丸暗記しています。梵字は梵語、すなわちサンスクリット(インド・イラン語派)を記すのに用いる文字で、字体は種々ありますが、わが国では主として悉曇(しったん、梵字の音を表記する母体となる字)文字を用いてきました。

○ 舎利礼文(しゃりらいもん)

一心頂礼(いっしんちょうらい)、万徳円満(まんとくえんまん)、釈迦如来(しゃーかーにょーらい)、

心身舎利(しんじんしゃーり)、本地法身(ほんじほっしん)、法界塔婆(ほうかいとうば)、我等礼敬(がー

とうらいきょう)、為我現身(いーがーげんしん)、入我我入(にゅうがーがーにゅう)、仏加持己(ぶっかーじ

ーこ)、我証菩提(がーしょうぼーだい)、以仏神力(いーぶつじんりき)、利益衆生(りーやくしゅうじょう)、

発菩提心(ほつぼーだいしん)、修菩薩行(しゅうぼーさつぎょう)、同入円寂(どうにゅうえんじゃく)、平等

大智(びょうどうだいち)、今将頂礼(こんじょうちょうらい)

(解説) 精霊しょうりょう)の供養(くよう)に良(よ)し  一般に、葬儀、枕経、回向用の読誦教典のひとつとして用いられています。

 私は、小さい子供の頃、「舎利礼文」を父親から教えられたのですが、はじめの経文、「一心 頂礼(いっしんちょうらい)を、「一銭 頂戴(いっせんちょうだい)」と、長いこと間違えて覚えていました。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 四国六番安楽寺、弘法大師講本部: 弘法大師講聖典、弘法大師御入定千百五十年御遠忌記念出版(1983); 新村出: 広辞苑、岩波書店(1991); 島田裕巳: 般若心経、262文字のことばの力、仏教の真髄から、日本人の心を読み解く、日文新書(2010).

(参考資料) 般若心経、光明真言(真言宗、金剛院、東京): http://www.kongohin.or.jp/recite.html

舎利礼文(真言宗、法楽寺、大阪): http://horakuji.hello-net.info/BuddhaSasana/Vajrayana/zaike/shariraimon.htm

舎利礼文(曹洞宗、東海地区教化センター、名古屋): http://soto-tokai.net/ok_kyo03.html

(追加説明) 「ありがとう」ということ この言葉は、もちろんアリガタシの連用形アリガタクの音便の形から出たもので、感謝する意で「ありがとう」と言うのは、「ありがとうございます」の「ございます」を省略したものである。アリガタシは古くは「難有し」と書かれた。つまり、この語の本来の意味は、有(あ)ることが難(むずか)しい、世にまれである、という意であったのだ。

 ところで、世にきわめてまれなことは、神仏の力実現されることが多い。いわゆる奇跡が起る。霊験あらたかである。そういうときに、神仏の前で「ありがたし」と手を合わせておがむ。このアリガタシは、本来、そういう奇跡を起した神仏の徳をたたえるわけだが、同時に神仏に感謝する気持ちが心底から湧き上がってくる。

 こうした「ありがとう」の本来の意味をたどってゆくと、「ありがとう」という言葉、神仏に対して使う最上の敬語なのである。(樋口清之: 生活歳時記、p.139、「ありがとう」ということ、三宝出版(1994)、より)

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