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2011年9月 1日 (木)

文学賞(世界、日本)にまつわる歴史実話、ノーベル賞(文学賞含む6部門、アルフレッド・ノーベル創設)、菊池寛(文芸春秋社長)が創設した芥川賞(芥川龍之介)、直木賞(直木三十五)、とは(2011.9.1)

   近年、しばしば話題となる人の名のつく文学賞は、特に、世界ではノーベル文学賞、日本では、菊池寛(文芸春秋社長)が創設した芥川賞、直木賞などが有名です。そこで、これらの賞について、改めて調べて見ました。

○ ノーベル賞(文学賞含む6部門、1896~)

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A. B. Nobel (1833~1896、 google画像)

(解説) アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel、1833~1896)は、スウェーデンの化学技術者です。ストックホルム生れ、ペテルブルグで教育を受け、爆薬・魚雷を製造していた父の家業を助けました。のち米国で機械工学を学び、1866年(慶応2年)ダイナマイトを、次いで無煙火薬を発明しました。世界各地に爆薬工場を経営し、1886年(明治19年)ノーベル・ダイナマイト・トラストを創立しました。この間2人の兄とともにバクー油田の開発にも成功し、ノーベル家はヨーロッパ最大級の富豪となりました。遺志によりスウエーデン王立科学アカデミーに寄附された遺産を基金としてノーベル賞が設立されました。

 ノーベル賞は、ノーベルの遺言により、人類の福祉に最も具体的に貢献した人々に授与(confer the greatest benefit on mankind)するため1896年(明治29年)設けられた国際的な賞です。基金168万ポンドで、毎年その利息をもって物理学、化学、生理・医学、文学、平和5部門に最も功績のあった人々に贈ります。  1901年(明治34年)第1回の授賞が行われ、1969年(昭和44年)経済学賞新設、以後毎年、ノーベル財団が、国籍、人種、宗教を問わず授与してきました。 ノーベル財団(スウェーデン): http://nobelprize.org/

 受賞者の選定には、物理学賞、化学賞、経済学賞はスウェーデン王立科学アカデミー、生理・医学賞はストックホルムのカロリン医学研究所、文学賞はスウェーデン・アカデミー、平和賞はノルーウェー国会が選んだ5人委員会などが当たっています。受賞式は毎年12月10日(ノーベルの忌日)で、受賞者にはノーベルの遺産の利子による賞金(経済学賞はスウェーデン銀行の創設した基金による)、金メダル、賞状が贈られます。 日本人ノーベル受賞者の軌跡(毎日新聞社):http://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/

ノーベル文学賞は、日本については、1968年(昭和43年)、川端康成が、「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」などの作品で、日本人の心の本質を繊細に表現する卓越した叙述に対して(for his narrative mastership, which with sensisivity expresses the  essence of the Japanese mind)、 

 また、1994年(平成6年)、大江健三郎が、「万延元年のフットボール」などの作品で、詩的な言葉を用いて現世と神話の凝縮した世界を創造し、現代人の当惑する苦悩を描いたことに対して(poetic force creates an imagined world where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today)、授賞しています。

 ノーベル賞の授賞記念講演では、川端康成は、「美しい日本の私」、大江健三郎は、「あいまいな日本の私」というタイトルで講演しています。

 私は、金沢大学理学部(化学科)に在職中、過去に2回(1995年度、2001年度)ほど、ノーベル財団からの依頼で、ノーベル化学賞の候補者を推薦したことがあります。その時の選考基準は、化学の分野における新しい発見(discovery)及び新しい分野への改良、発展など(improvemennt)が重要なポイントであったと記憶しています。 

○ 芥川賞(あくたがわしょう、1935~)

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芥川龍之介(1892-1927, google画像)

(解説) 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ、1892~1927)は、小説家、俳号は餓鬼、号は澄江堂主人、東京生れ、東大英文科卒です。東大在学中の1915年(大正4年)に帝国文学発表の「羅生門」は注目されず、1916年(大正5年)、第4次「新思潮」創刊号の「」が夏目漱石に称賛され、「芋粥」「手巾(ハンケチ)」で新進理知派の作家の地位を確立しました。その間、菊池寛、久米正雄らと第3次・第4次「新思潮」を刊行しました。

 以後、歴史小説「地獄変」「薮の中」「枯野抄」、切支丹もの「奉教人の死」、現代小説「秋」、明治もの「舞踏会」、童話「蜘蛛の糸」「杜子春」など様々な作品を発表しました。「戯作三昧(げさくざんまい)」で芸術至上に傾き、「一塊の土」など写実的作品もありますが、晩年は「玄鶴山房」「河童(かっぱ)」など沈鬱な作風に傾斜、神経衰弱と健康悪化、社会主義台頭への思想的動揺もあり、1927年(昭和2年)7月24日未明、ぼんやりした不安から田端の自宅で睡眠薬自殺をしました。遺稿に「歯車」「或阿呆の一生」など、全集、24巻があります。

 芥川賞(あくたがわしょう)は、芥川龍之介の名を記念して、1935年(昭和10年)、文芸春秋社長菊池寛の創設した純文学賞です。作品は、新潮、すばる、文学界、群像、文藝といった文藝雑誌に載った250~300作から選ばれます。

 1945~1948年の空白を挟んで継続中で、1938年(昭和13年)から日本文学振興会が継承、毎年春秋2回授賞しています。新聞・雑誌に掲載された無名または新進作家の純文学的創作、戯曲に授与する文学賞で、文壇への登竜門となっています。 日本文学振興会(文芸春秋社ビル内、東京): http://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/index.html

 第1回は石川達三が蒼氓(そうぼう)で授賞、その後、石川淳、井上靖、吉行淳之介、大江健三郎らが授賞しています。火野葦平の「糞尿譚」、1937年(昭和12年)上半期授賞が日中戦争に敏感に反応した授賞であったように、選考には時代状況が投影しています。石原慎太郎の「太陽の季節」の授賞、1955年(昭和30年)上半期は情報化の進展と連動し、文学の大衆化、文壇崩壊を促進。純文学概念が変質し、直木賞との境界が曖昧になってきているという。 芥川賞受賞者一覧(1935~2010、文芸春秋社): http://www.bunshun.co.jp/award/akutagawa/list1.htm

 2011年(平成23年)3月12日(土)、朝日新聞、朝刊、私が愛した芥川賞作家beランキングによれば、活字離れ、文学離れが言われる中、149人を数える歴代芥川賞作家を、朝日新聞の無料会員サイト「アスパラグラフ」2月にアンケイトを実施したところ、①松本清張、②遠藤周作、③村上龍、④井上靖、⑤北杜夫、⑥宮本輝、⑦大江健三郎、⑧田辺聖子、⑨安部公房、⑩石川達三、⑪庄司薫、⑫開高健、⑬石原慎太郎、⑭綿矢りさ、であったという。

○ 直木賞(なおきしょう、1935~)

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直木三十五(1891-1934, google画像)

 直木三十五(なおきさんじゅうご、1891~1934)は、小説家、脚本家、映画監督も、本名は植村宗一、初め三十一と称、大阪市生れ、早大を中退しています。雑誌、主潮、人間を経て、文芸春秋にゴシップ記事を執筆、週刊朝日に「由比根元大殺紀」を連載、大阪毎日、東京日日の両新聞に「南国太平記」を書いて作家的地位を固め、時代小説の可能性を追求、真実な描写に力点をおいた「荒木又右衛門」ほかを発表、大衆文学の内容と品位を高めました。全集21巻があります。

 直木三十五全集(p版)第12巻、黄門廻国記、改造社(1933)は、月形龍之介の主演映画、水戸黄門原作にもなりました。

 直木賞(なおきしょう)は、芥川賞と同時に、直木三十五の名を記念して、1935年(昭和10年)、文芸春秋社長菊池寛の創設した大衆文学賞です。作品は主に単行本が対象です。

 1945~1948年の空白を挟んで継続中で、1938年(昭和13年)から日本文学振興会が継承、毎年春秋2回授賞しています。新聞・雑誌に発表された無名あるいは新進作家の大衆文芸作品にに授与する文学賞で、芥川賞とともに作家の登竜門となっています

 第1回は川口松太郎が「鶴八鶴次郎」その他で授賞、その後、海音寺潮五郎、井伏鱒二、司馬遼太郎らが授賞しています。読者の拡大と文学の大衆化によって、有力な新人は芥川賞よりも本賞に吸収される傾向が生じているという。 直木賞受賞者一覧(1935~2010、文芸春秋社): http://www.bunshun.co.jp/award/naoki/list1.htm

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菊池寛(1888~1948, google画像)  菊池寛記念館(高松、香川):http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/646.html. 菊池寛賞(文藝春秋、千代田区、東京): http://www.bunshun.co.jp/award/kikuchi/

 芥川賞直木賞は、両者の名を記念して、文芸春秋社長菊池寛の創設した文学賞です。1910年(明治43年)、菊池寛(22才)が第一高等学校に入学したとき、同級生に芥川龍之介(18才)がいました。その後、1923年(大正12年)、菊池寛(35才)が文芸春秋を創刊したとき、芥川龍之介(31才)は「侏儒の言葉」を巻頭連載して協力しています。 

 また、直木三十五は、脚本家としてのデビュー作が、菊池寛の有名な小説「恩讐の彼方に」でした。これは、江戸時代の伝説、旅人が厳しい崖に難儀するのを見かねた禅海和尚が、30年かけて掘り進め、ついに開通させた隧道「青の洞門」(山国川沿い、中津市、大分県)の逸話です。(北陸中日新聞: 旅 中津市 大分県 洞門、黒田官兵衛 伝説息づく、2013年(平成25年)3月15日(金)夕刊)

 菊池寛は、芥川龍之介が、1927年(昭和2年)35才で自殺、また直木三十五は、1934年(昭和9年)43才、腹膜炎で死去、と親友の早世が続いたのを惜しみ、両者の名を記念した賞を作って、後に続く若い無名の作家の支援と育成に夢をかけたのだろうか? 菊池寛は、1948年(昭和23年)60才で狭心症のため急逝しています。

 私は、1963年(昭和38年)頃、伊藤整(1905~1969,北海道)、遠藤周作(1923~1996,東京)、大江健三郎(1935~ 、愛媛)という顔ぶれの有名な作家を迎えて、愛媛県県民文化会館(ひめぎんホール)で文化講演会が開かれるというので、聞きに行ったことがあります。

 講演の内容についてはよく覚えていないのですが、まず最初に伊藤整氏、次いで遠藤周作氏が講演、自分はぐうたらだが、大江健三郎氏は優秀な作家であるとほめていたこと、その後の大江健三郎氏は早口でとつとつと喋っておられたのが印象に残っています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 大木、大沢、田中、千原編: 化学事典、東京化学同人(1994); B. S. SCHLESSINGER, J. H. SCHLESSINGER:  The Who's Who of Nobel Prize Winners 1901-1995, Third Edition, ORYX PRESS(1996); 永原慶二監修: 日本史事典、岩波書店(1999); ダイソー文学シリーズ: 12、芥川龍之介Ⅲ、23、菊池寛、大創出版(2010).

(追加説明) ○ ノーベルと文学賞  ノーベルは、生まれつき病弱で、孤独と夢想を愛する少年だった。彼は早くから文学にあこがれ、18才のとき「謎」という自伝的な長詩を書いた。人生を悲観した暗い詩である。やがて外国に遊学、主にパリでイギリス文学を熱心に勉強した。

 そんな文学青年が、後年、火薬王になったのは、発明狂だった父がロシアで機雷の製造に成功し、それを手伝うことになって、火薬に興味をもったからである。そして、雷管とダイナマイトを発明して、世界各国に火薬工場を造り、40才にして世界的な企業家になった。

 だが、生涯、独身で社交ぎらいだった彼は、多忙な実務に疲れて、憂うつにになると、奇妙な著作にふけった。「明るいアフリカにて」「姉妹たち」などの小説、戯曲「ネメンス」など。こうした若いころの文学への愛着が捨てきれず、その思いがノーベル賞に文学部門を加えることになったのである。(樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.685、ノーベルと文学賞、三宝出版(1994).より)

○ ダイナマイトは、ニトログリセリン等の液状硝酸エステル(主剤)を6%以上含有する爆破薬です。1866年ノーベルが鋭敏なニトログリセリンをケイ藻土に吸収させて安全に使用できるようにしたケイ藻土ダイナマイト)に始まります。次いでノーベルは、ケイ藻土の代わりにニトロセルロースを用いてゲル化することを発見しました。その後、ニトログリセリンゲルに可燃物、酸化剤等を適当な割合に混合したものを使用しています。

 ニトログリセリン(硫酸ー硝酸混合物とグリセリンを冷却下に混合して製造、三硝化グリセリンとも、ダイナマイトの原料のほか、狭心症の特効薬!)は、強力な爆発力をもちますが、衝撃や摩擦に非常に敏感なため、ノーベルはこれをケイ藻土に吸収させ、比較的良好であったので、ノーベルの発明以来約100年間、産業爆薬の王者の位置を占めてきました。しかし、近年になって価格や安全の面で優れている硝安油剤爆薬(アンホ爆薬、ANFO)や含水爆薬(スラリー爆薬)にとって代わられつつあります。 

○ 菊池寛(きくちかん、1888~1948)は、小説家、劇作家、本名はひろし、香川県生れ、京大卒です。在学中に一高同級生の芥川龍之介、久米正雄らが創刊した第3・4次「新思潮」に参加、卒業後「忠直卿行状紀」「恩讐の彼方に」など、理知的な心理分析と主題の明快さを特徴とする小説を発表しました。「藤十郎の恋」「父帰る」上演も評判となり、新聞小説「真珠婦人」では多くの読者を獲得しました。

 1923年(大正12年)1月、菊池寛(35才)は、文芸春秋社開設し、雑誌「文芸春秋」を創刊しました。1928年(昭和3年、40才)5月、文芸春秋社が株式会社となり、取締役社長に就任しました。また、1936年(昭和11年、48才)、日本文芸家協会初代会長に就任しました。芥川賞直木賞は、両者の名を記念して、文芸春秋社長菊池寛の創設した文学賞です。東京市会議員、大映社長なども務めました。全集、24巻(1993~1995)が刊行されています。

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