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2011年9月12日 (月)

駅伝制度(律令制)にまつわる歴史伝承、駅馬(五畿七道)と伝馬(郡)、駅路寺(阿波、德島)、駅伝競走(駅伝発祥の地、京都三条大橋~上野不忍池)、マラソン、とは(2011.9.12)

   駅伝(えきでん、やくでんとも)は、古代から発達した交通制度でした。中国では、秦漢帝国以来、首都を中心に全国にわたって駅伝制度を施行し、唐から清末に及びました。

 駅の本字は「」と書き、馬を備えた宿場のことで、日本では「駅家うまや」と呼びました。緊急の通信のために使者が発せられると、駅の馬を乗り継ぎながら目的地に向かって走りました。の本字は「」と書き、車の字を含むように、宿場に備えたを利用して、目的地に向かいました。そして、急がない通信や、高官の旅行などに車を使いました。

 駅伝制度(律令制)、駅馬(五畿七道)、郡(伝馬)

 日本では、奈良・平安時代律令制(律は刑法、令は行政法など、基本法典とする中央集権国家統治)のもと,中国の唐制を手本にして、駅伝制を定めました。が、日本には広い道路が余りなく、駅も伝も共に馬に頼りましたので、駅馬(えきば)および伝馬(てんま)の制を定めました。

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五畿七道(ごきしちどう、律令制のもと、古代の行政区画、google画像) 古代の道と駅(大村の歴史、長崎):http://www6.ocn.ne.jp/~fukusige/ayumi/oomura-history/kodainomichi-eki.html

(解説) 駅制(えきせい)は、律令制大化改新後から奈良時代・平安初期までの約3世紀)のもと、大宝令によって全国的に体系化されました。そして、公用の旅行や緊急の通信のため、五畿七道(ごきしちどう)の駅路は、幅10数メートルから6mほどの直線的な道路網で、原則として30里(約16km)ごとにが、また渡し場には水駅(すいえき)が置かれました。そこには5~20頭の駅馬が配置されました。五畿は山城、大和、河内、和泉、摂津の畿内諸国をさし、七道は他の諸国を東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海道に区分したもので、ごとに京より各国府を通過する駅路を設置しました。

 には、2~10頭、駅馬が置かれ、駅使駅鈴(えきれい)を携行して駅馬を利用しました。駅家(うまや)、駅財政駅馬(えきば)、駅船(えきせん)、駅子(えきし)の管理、運用には、駅長(えきちょう)があたりました。駅子は駅馬による駅使の逓送(ていそう)、駅馬の飼育にあたりました、伝馬(てんま)は、公用の人荷輸送に使われた馬で、駅馬とは別に、各郡ごとに5頭ずつ置かれ、国司の赴任などに利用されました。

 しかしながら、駅馬、伝馬とも、10~11世紀、平安中期以降、律令政治が衰えるにつれ崩壊していきました。が、伝馬は、通信の施設というよりも、交通や運送の役割をになっていたので、後世になると運輸のための用語となり、現在でも伝馬船などの言葉が残っています。

○ 駅路寺(徳島藩祖、蜂須賀家政、阿波、德島)

 駅路(えきろ、うまやじとも)は、宿駅(しゅくえき)の設備のある道路のことです。 宿駅(しゅくえき)は、街道筋に、旅客を宿泊させ、または荷物の運搬に要する人馬などを継ぎ立てる設備のある所です。鎌倉時代以降に発達し、交通、経済上の地方的中心ともなり、江戸時代には宿場町として栄えました。

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長谷寺(はせでら、駅路寺、本堂、観音堂とも、もと方丈、大師堂、1985年(昭和60年)改築、撫養町、鳴門市、德島、google画像) 

(解説) 駅路寺(えきろじ)は、德島藩祖、蜂須賀家政(1558~1639)が1598年(慶長3年)6月12日、阿波の主要な4街道をゆく旅人(遍路、出家、侍、百姓など)の便を図るために、その街道沿いにある8寺院(真言宗)を宿泊施設として指定したもので、阿波独特の制度です。伊予街道の福生寺、長善寺、青色寺、土佐街道の梅谷寺、打越寺、円頓寺、川北街道の瑞雲寺のち安楽寺が安楽寺谷から移転合併)、淡路街道の長谷寺の各寺ですが、いずれも1日行程のところにあります。これらの寺には、堪忍分として10石が与えられ、訪れた旅人の接待、悪事を企てる者の宿泊の禁止、不穏な動きをする者があれば庄屋に報告することを命じられていました。この制度の目的は、その報告による藩内の一揆、徒党の取り締まり、また、戦時には陣屋として使用されるなど、重要な役割を担っていました。長谷寺(駅路寺、歴史、鳴門、德島): http://www2u.biglobe.ne.jp/~chokuma/history/historytop.htm 

○ 駅伝競走

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駅伝の碑(駅伝発祥の地、上野不忍池弁天堂近く、東京、google画像) 1917年(大正6年)、4月27日~29日、京都三条大橋~上野不忍池、23区、508kmを45時間半かけ、奠都(てんと)50周年を記念した駅伝競走が行われました。 駅伝の碑(駅伝発祥の地、三条大橋東詰北、東山区、京都): http://hamadayori.com/hass-col/sports/ekiden-kyoto.htm

(解説) 駅伝は、道路上で行われる長距離のリレー競走です。 数人で一チームを作り、各人が所定の区間(1区間最低2km、10区間以上)を走り、着順または総所要時間によって勝敗を決めるもので、駅伝競走(えきでんきょうそう)と呼ばれています。日本で特に発達したもので、外国ではあまり例をみない。奠都(てんと)50周年を記念して、1917年(大正6年)京都三条大橋~上野不忍池(しのばずのいけ)間で行われたのが最初です

 現在各地で盛んに行われており、東京~箱根間関東大学駅伝は有名です。 箱根駅伝(関東学生陸上競技連盟、読売新聞社): http://www.hakone-ekiden.jp/index.php

 私の郷里(松島、のち上板、板野、德島)では、戦後、秋の収穫も終わる10月、村のお祭りの頃、小学校、中学校、青年団の運動会がありました。青年団の運動会のハイライトは、地区(町内、字区)対抗マラソン大会でした。また、冬には、お正月の頃、県内の地区(市、郡区)対抗駅伝マラソン大会があり、多くの住民の応援もあり盛り上がりました。2011年(平成23年)1月7日には、第57回德島駅伝マラソン大会が盛大に開かれました。

 私が中学校(松島、のち上板)、高校(阿波)に通っていた頃は、冬休み後に毎年、耐寒マラソン大会がありました。どういうわけか、長距離には忍耐強いところがあり、いつも上位に入賞していたことを覚えています。

(参考文献) 下中邦彦: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記、p.45、駅・伝の起こり、三宝出版(1994); 永原慶二監修: 日本史事典、岩波書店(1999). 

(参考資料) 五畿七道(google画像検索):http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%BA%94%E7%95%BF%E4%B8%83%E9%81%93&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=k2VbTZaxAYmHcfTUxeYM&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=3&ved=0CEAQsAQwAg&biw=1004&bih=606. 

(追加説明) ○ マラソン マラソンは陸上競技の一種目です。ギリシャ、アテネの北東、アッチカ東海岸でのマラトンの戦い(紀元前490年、第二ペルシャ戦争で、ミルチアデスが率いるアテネ軍がペルシャの大軍を撃破!)でのギリシャの勇士フェイデイピデスが戦場マラトンからアテネまで走り、戦勝を伝えて絶命したという逸話は有名で、これに因んだ競技がマラソンです。

 1896年(明治29年)の第1回オリンピック大会では、マラトン古戦場からアテネの競技場までのロードレース(のちの実測では36.750km)を行いましたが、1921年(大正10年)に第4回オリンピック大会(ロンドン大会)のときの距離、42.195kmを正式距離と決定しました。コースは片道、往復、環状など特に規定はありません。オリンピック大会の花とされ、また各地の恒例行事として行われ、ボストンマラソン、福岡国際マラソンなどは国際的にも有名です。福岡国際マラソン(日本陸上競技連盟、朝日新聞社): http://www.fukuoka-marathon.com/

○ マラソンコースの測り方: マラソンで走る距離、42.195km正式計測法は、日本陸上競技連盟の規則によれば、まず、公路の端から1m内側を測ります。歩道と車道の区別のあるところでは、その境界から1m車道内を測ります。

 また、道がカーブしている場合、最近はコースの計測は最短距離を測ることになっていて、カーブを見通せる最短距離、つまり直線で測ります。というのも、実際に選手がカーブを走る場合、最短距離の直線上を走るからです。

 こうした計測は、必ず50mの鋼鉄メジャーを使用します。しかし、50mメジャーで何回繰り返し、つぎたして計測しても誤差がでます。そこで、マラソンコースの許容誤差は、計測した距離の1万分の1となっています。というわけで、42.195kmの場合、41mまでの誤差ならいいわけです。

 そのほか、マラソンの計時は、「何時何分何秒」までで、あとは切り捨てます。というのは、距離の誤差と地形に変化があるからです。(樋口清之監修: 生活歳時記、p.667、マラソンコースの測り方、三宝出版(1994)より

 

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