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2011年9月 5日 (月)

五節供(のち五節句)にまつわる歴史伝承、人日(正月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)、農耕儀礼としての年中行事、とは(2011.9.5)

   節供(せっく)の(せつ)とは、特別な年中行事の行われる日のことです。仕事を休み神々にいろいろな食物を供(そな)え、人々も同じ食物を食べ、その供物(くもつ、お供え物)のことを節供(せっく、せちくとも)と言っていました。が、のち供物を神にまつる日、節日そのものを節句(せっく)と呼ぶようになりました。

 そして、江戸時代には、人日(じんじつ、正月7日)、上巳(じょうし、じょうみとも、3月3日)、端午(たんご、5月5日)、七夕(たなばた、7月7日)、重陽(ちょうよう、9月9日)などの式日、五節供(ごせっく、のち五節句)が農耕儀礼としての年中行事と定められました。 これは、中国唐代(618~907)の風習が日本へ伝えられたものです。

○ 正月七日(人日、じんじつ、七草、七日正月、七日節句

 中国では、元日から8日まで、鶏(にわとり)、狗(いぬ)、羊(ひつじ)、猪(いのしし)、牛、馬、人、穀(こく)を配し、その日にそれらのものを大切に扱う風習があり、7日を人日(じんじつ)とするのもここから来ています。この日には、七種菜羹(しちしゅさいのかん)という7種類の野菜の粥(かゆ)を食べ、無病を祈る風習がありました。

 日本でも人日を五節句の一つに数え、正月7日の朝、将軍以下が七草粥(ななくさがゆ)を食べるなど、公式の行事となっていました。春の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)は、すべて薬草であり、邪気を払い万病を除くと言われていました。

 正月おせち料理というのは、普段は食べない、高カロリーの動物蛋白だとか、ゴボウや、コンニャクといった薬に近い野菜を食べて体力を整えました。(もち)は非常に高いカロリーの食品であり、中国から来た屠蘇(とそ)は、忍冬(にんどう)、甘草(かんぞう)、百合根(ゆりね)、桂皮(けいひ)、桔梗(ききょう)、茯苓(ぶくりょう)などの薬草が入っていて、これは血圧の低下や健胃、強心のための薬酒でした。屠蘇は葬(ほうむ)るという意味で、とは悪魔のこと、つまり屠蘇とは、悪魔を葬る酒という信仰を持たせた意味があります。

 正月料理の飲食で体力をつけ、のち正月7日の七草(ななくさ)、ナズナやハコベラなどの解毒(げどく)の強い薬草の粥(かゆ)を食べ、食べ過ぎや飲み過ぎなどによる胃腸の酷使を調整して、重労働の稲作農業の開始に備える意味がありました。

○ 三月三日(上巳、じょうし、じょうみ、元巳、げんし、桃の節句、雛祭)

 古代の中国では、3月の最初の巳(み)の日に水辺に出て災厄を祓(はら)う禊(みそぎ)の風習があり、それが日本に伝わり、古くから日本でも3月の初めに、禊(みそぎ)をして穢(けがれ)を祓(はら)う習慣がありました。その時、紙や土で小さな人形を作り、川や海に流したのですが、のち内裏雛(だいりびな)などを飾り、白酒、菱餅などを飾る雛祭りとして発展しました。

 江戸時代になると五節句の一つに定められ、稲作農業の開始を控えての重要な日で、仕事を休んで物忌みをしたり、禊(みそぎ)祓いをしたりすることがあり、そのため人の形をしたカタシロを川や海に流したと思われます。

 本来は、桃の種の中にある胚乳(はいにゅう)を食べる節句で、杏仁湯(きょうにんとう)を飲むという。これは血圧低下と強心健胃作用を持った薬で、これが後に、桃の花を活(い)ける風習になって残りました。 

○ 五月五日(端午、たんご、菖蒲の節句、あやめの節句、重五、ちょうご)

 端午(たんご)は、中国伝来の言葉で、端(たん)は初めという意味で、月のはじめの午(うま)の日のことです。また、中国では、午(ご)と5は同音であり、月と日の数が重なる日を祝日にする風習があったので、5月5日を端午として祝うようになりました。

 古く中国では、端午(たんご)に野に出て薬草を摘んだり、匂(にお)いの強い蓬(よもぎ)で作った人形を戸口にかけたり、菖蒲酒(しょうぶざけ)を飲んだりして、災厄を祓う行事が行われました。 また、ちまき)を食べるのは、中国の2000年以上前の風習で、楚の詩人、屈原(くつげん)が隠謀のために国を追われ、5月5日に水中に身を投じて死に、その霊を弔うため、姉が茅で巻いた餅(もち)を作って川に投げ入れたのが起源とされています。

 こうした習俗が平安時代日本に伝来し、貴族から次第に民間へと普及しました。菖蒲(しょうぶ)は、薬草(強壮解毒剤)で、邪気を避け、悪魔をはらい、疫病を除き、心身を清めるといわれ、また火災をも除くという古からの信仰があり、節句には匂(にお)いの強い蓬(よもぎ)と共に軒にさして、邪気をはらい、あるいは菖蒲の根と葉を浮かべた風呂に入り、粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べました。美女が水の霊にめとられて、菖蒲湯に入って災をまぬがれたという伝説もあります。粽(ちまき)には厄払いの意味も込められているという。

 一方、日本では、古くから5月を悪月(あしげつ)、物忌みの月とし、さつきいみと称して、田植えの頃、その主役をつとめる早乙女(さおとめ)が家にこもって身を清め、神を祭って田植えをするという行事がありました。このことから農耕を開始するにあたって、神を迎え祀(まつ)りました。田植えをする早乙女、つまり女性が穢(けがれ)を祓(はら)い身を清めたので、5月の節句はもとは女性の節句であり、田植え前の重要な日となっていました。

 ということで、5月の節句は、この日本古来のさつきいみの習俗と中国伝来の端午の節句が一緒になったものと考えられます。この端午の節句は、その底流には農耕儀礼としての年中行事があり、それは現在も残っています。やがて武家社会に入って、菖蒲尚武が同音の「しょうぶ」であることから、雛節句(ひなぜっく)と対象的に男子の節句となりました。そして、男児の出生、成長を祈り、立身出世するようにと鯉のぼりを立て、強さを意味する武者人形を飾る風習が、全国的に普及しました。

 1948年(昭和23年)、5月5日は、「こどもの日」が、国民の祝日として制定されました。子どもにとってすばらしい祝日であって欲しいものです。

  ○ 七月七日(七夕、たなばた、星祭り、銀河祭、ほおずきの節句)

 七夕(たなばた)の行事にはいくつかの流れがあり、古く中国と日本のいろいろな行事が重なり、それらが複合して七夕の習俗ができあがったと考えられています。

 一説には、中国の後漢(25~220)の時代に始まったという、牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)の星祭の伝説乞巧奠(きこうでん)の行事です。どちらも中国から伝わってきたもので、星祭の方は、牽牛星と織女星が年に一度、天の川をはさんで出会うというロマンチックな伝説です。乞巧奠というのは、女子が手芸に巧みになるよう乞うという意味で、織女星を祭り、裁縫や習字などの上達を願う行事です。

 この中国伝来の行事と、これから発展した乞巧奠の行事は、奈良時代に宮廷や貴族の間で取り入れられ、やがて民間に普及しました。そして女子が裁縫の上達を祈る星祭の行事として長く続きました。

 笹竹を立て、短冊に詩歌を書いたり、手習い事の上達を願う習俗は、寺子屋が普及した江戸時代になってからです。江戸では6日の夕方、竹売りから笹竹を買い、色紙や短冊をつけて軒先に立てるしきたりがありました。

 もう一つの説は、古くからの日本固有の七夕の民族行事です。7月の盆の先祖祭につながるもので、その前に穢(けがれ)を祓(はら)い清める行事と解釈でき、七夕の日には、水浴を大切な行事とした所が多い。たとえば、髪を洗ったり、子どもや牛、馬に水浴びをさせたり、墓掃除をしたり、井戸をさらったりしました。水浴びを「ねむり流し」とか「ねぶた流し」とも言いました。

 青森の「ねぶた祭り」も、本来は穢(けがれ)を水に流す禊(みそぎ)の行事で、一種の七夕行事と考えられています。ねぶた(ねぷたとも)は眠たきのことで、睡魔を追い払う行事です。町をねり歩いた人形や灯籠は、川や海へ流しました。一般に6日の夕、笹を立て飾りつけをし、7日の朝(または8日)川や海へ流しました。これを「七夕流し」とか「七夕送り」と呼びました。

 七夕の水に関する習俗は、日本固有のもので、中国のそれとは異なっています。たとえば、七夕の日は短冊が流れるほど雨の降るのがよいという地方もあります。これは雨を清めの雨と考え、七夕を祓(はらい)の行事の日と考えたからです。ところが中国の牽牛星と織女星の伝説では、この夜、雨が降ると二人は会うことができないことになっています。 雨や禊(みそぎ)は、東南アジアの湿潤文化圏、星祭りは中国北部・中央アジアの乾燥文化圏の伝承で、その両方が見られるとする考えもあって非常に興味深いという。

 また、江戸時代、この日に、ほおずき市が開かれ、ほおずきの根(堕胎の薬、子供を堕ろす薬!)を服用する節句でもあったという。これは、農作業から考えると、7月7日前後に女性が妊娠していると、ちょうど秋の取り入れの頃、妊娠3、4ヶ月目となり、一番苦しい時期となります。その母体を保護するために、7月7日の節句にほおずきの根を服用して、早いうちに流産させておく、母体保護のための節句だったという。 当時の中条流秘伝(ちゅうじょうりゅうひでん)、今日でいう堕胎(だたい)は、ほおずきの根を服用し、その煎汁(せんじゅう)で子宮口を洗滌(せんでき)する方法でした。

 現在、七夕の行事は、竹笹に願い事を書いた短冊をつるし、色紙で細工したものを飾りつけたりしています。また、青森の「ねぶた祭り」や秋田の「竿灯」も七夕祭の行事となっています。

 ○ 九月九日(重陽、ちょうよう、菊の節句、九月の節句)

 重陽(ちょうよう)は、易(えき)でいう陽数の9が重なる意味でめでたい日とされ、中国では邪気を払い長寿を願って菊酒を飲んだり、グミ(グミ科、低木)の枝を頭にさして災いを防ぐことが行われました。これが日本に伝わって、平安朝の初めに宮中の儀式に取り入れられました。

 江戸時代では五節句の中で最も公的な性質を備えていました。武家では菊の花を酒にひたして飲み、民家では栗飯を食べる習わしがありました。菊の花を煎じて飲みましたが、この花には鉄分が多く、強壮、造血作用があります。、民間では収穫を祝う行事も多く、初穂を神仏に供える所もありました。

 というわけで、江戸時代、公式的に法制化された五節句は、祭りによる休養、食生活に薬草を取り入れ病気予防の食餌療法など、農民の健康を保持するための稲作農耕に沿った年中行事とも考えられます。1873年(明治6年)、五節句の制度は廃止されました。 が、今でも民間行事として定着しています。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 永原慶二監修: 樋口清之監修: 暮らしのジャーナル、生活歳時記、三宝出版(1994); 日本史辞典、岩波書店(1999); 樋口清之: 梅干と日本刀、日本人の知恵と独創の歴史、p.127、五節句は農業スケジュールに合わせて作られた、p.129、五節句の飲食物は、すべて薬品、祥伝社(2005); 大島、佐藤、松崎、宮内、宮田著: 図説民俗探訪辞典、p.144~148、節供、山川出版社(2005).

(追加説明) ○ 春祭り(播種、田植前)と秋祭り(収穫後)は、おもに農村で多く見られます。元来、氏神祭りは春2月(または4月)と秋11月に行われていました。春秋の祭りは、稲作の始めと終わりに際し、祈願、報恩の意を表したものです。春来た神が再臨して、田におりてくるのを迎え、また山に帰るのを送るのが秋祭りです。近年では、秋祭りは10月に行うところが多くなりました。(樋口清之監修: 暮らしのジャーナル、生活歳時記、p.618、秋祭(あきまつり)、三宝出版(1994)より)

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