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2011年11月の3件の記事

2011年11月20日 (日)

初冬(2011年11月中旬から下旬のころ)、街路樹のケヤキ(欅)とヤマボウシ(山法師)の紅葉、シナノキ(科木)の黄葉、犀川遊歩道沿いのクズ(葛)で覆われたサイカチ(皀莢)、弧が二本ある半円状の副虹の風景(2011.11.20)

   初冬(しょとう)は、立冬(りっとう、11月7日)から大雪(たいせつ)前日(12月6日)まで。立冬(りっとう)は、これから冬に入る初めの節で、この頃は陽の光も一段と弱く、日足も目立って弱くなり、冬の気配がうかがえるようになります。 大雪(たいせつ)は、もう山の峰々は積雪に覆われているので、大雪という。平地も北風が吹きすさんで、いよいよ冬将軍が感じられる時季です。

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街路樹の紅葉と黄葉(上 ケヤキ、ニレ科)の紅葉、 中 ヤマボウシ山法師、ミズキ科)の紅葉、 下 シナノキ(科木、シナノキ科)の黄葉、桜田、金沢)

 ケヤキ(欅、ニレ科、落葉高木は、並木、庭木のほか、防風林ともなりますが、ヤマボウシ(山法師、ミズキ科、落葉高木は風には弱く、建物に守られたような街路樹となっています。紅葉の季節には、葉は赤色の紅葉(こうよう)となり、この変化は一日の最低気温が10度以下になると色づき始め、8度以下で色づきが早まると言われています。 

(解説) 葉が赤くなるのは(ケヤキ、ヤマボウシのほか、イロハカエデなどのカエデ類、コナラ、カシワ、ブドウなど)、気温の低下や一日の日照時間が短くなるにつれ、葉と枝の間に木が葉を落とす離層(りそう)ができ始め、根から吸い上げた水や、葉で合成して作った糖(とう)などの養分が行き来できなくなります。同時に葉の細胞の中で、光合成に使われていた緑色のクロロフィルは分解して減り、行き来できない糖(とう)はたまっていきます。この糖(とう)」からアントシアニンが作り出されるので、葉が赤くなります。 鮮やかな色になるには一日の寒暖差が大きいこと、適度な日照量や降水量が必要とのことです。

 葉が黄色くなるのは(カツラ、サイカチのほか、イチョウ、ポプラなど)、糖からアントシアニンが形成されない葉の細胞の中にもともと、クロロフィルのほかにカロチノイドという黄色の色素が含まれています。離層(りそう)ができるとクロロフィルは急速に分解し、減っていきます。すると残っているカロチノイドが浮かび上がるとというわけです。なぜ赤や黄色なのか、色の意味には諸説があり、まだよく分かっていないそうです。

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犀川の遊歩道沿いの樹木、サイカチ(皀莢、マメ科) 上、 クズ(、マメ科)で覆われたサイカチ(皀莢、マメ科)の外側、  クズ(葛、マメ科)で覆われたサイカチ(皀莢、マメ科)の内側、  茎や枝に鋭いトゲ(茎針、けいしん)があるサイカチ(皀莢)の樹木、桜田、金沢)

(解説) サイカチ(皀莢、カワラフジノキともマメ科、落葉高木は、山野や河原などに自生、しばしば栽培されます。茎や枝に多数のトゲ(茎針、けいしん、枝が針やトゲになるがあり、は1~2回偶数羽根状複葉で長楕円のの小破が多数つきます。夏、緑黄色で四弁の細かい花を開き、秋、長さ30cm余りの莢(さや)に入った果実を垂下(すいか)する。

 果実は、サポニンを含み、かっては石鹸の代用ともし、洗濯用、また生薬(しょうやく)の皀角子(そうかくし)として利尿剤(りにょうざい)、去痰剤(きょたんざい)、若芽食用として使われています。材は建材、器具、樹は庭木ともします。

 また、樹液を好む皀莢虫(さいかちむし、さいかしむしとも)と呼びますが、これはクワガタムシ、カブトムシの別称ということです。

 私は初冬、時雨模様で天気が定まらない時、わが家(桜田、金沢)近くを散策しながら、目についた街路樹の紅葉ケヤキ、ヤマボウシなど)、黄葉シナノキ)の風景、また犀川の遊歩道近くを散策しながら、マント群落をなすツル植物(クズ)の緑葉で覆われた黄色まじりの緑色の樹木(サイカチ)の風景をデジカメで撮ってきました。

(参考資料)

〇 紅葉の季節(2013.11.14 )、金沢市内歩道沿い(桜田)と金沢大学キャンパス内歩道沿い(角間)の街路樹の紅葉と黄葉、ケヤキ(欅)、ヤマボウシ(山法師)、サクラ(桜)、シナノキ(科木)、ナンキンハゼ(南京櫨)、ニワトコ(接骨木)、とは(2013.11.18):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/201311-3ff6.html

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(新装改訂版)、p.857~860,四季の分類、二十四節気、三宝出版社(1994); 北陸中日新聞: なるほどランド、 なぜ秋に色づくの、2011年(平成23年)11月13日(日)朝刊より; 岩瀬徹、大野啓一: 写真で見る植物用語、全国農村教育協会(2004).

(追加風景) ○ 金沢地方気象台によると、季節を問わず発生する濃い主虹(しゅこう、しゅにじ)と薄い副虹(ふくこう、ふくにじ)と呼ばれる弧が二本ある美しい半円状の虹(にじ)が、冬型の気圧配置で雨が降ったりやんだりの天気となった11月20日(日)、太陽光が金沢市街に差し込んだ午後4時頃、犀川(桜田、金沢)の北東の空に見られました。雨雲が断続的に流れ込み、その間へ入った太陽光が水滴で屈折したらしい。(2011年(平成23年)11月21日(月)朝刊より)

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犀川の北東部に発生した弧が二本ある半円状の副虹(にじ、左の濃い主虹、右の薄い副虹、桜田、金沢、2011年(平成23年)11月20日(日)、午後4時ごろ)

○ 天候は、虹が東に出ると雨となり、西に出ると晴れるという。虹は、遠くで降っている雨粒に、太陽の光が当たってできるものです。雨粒太陽光を反射させるので、必ず太陽の反対側にできます。太陽の光が水滴の内部ではね返る時に、空気と水の境目を斜めに横切るので曲がり(屈折)、その度合いが光の色によって異なり、赤い色は小さく、紫の色は大きく曲がり、必ず紫から赤へと並び、人間の目には7色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、可視光線)に見えます。

 

2011年11月15日 (火)

食品添加物(厚生労働省・消費者庁)、種類と働き、成分表示、食品衛生法、安全性の確保、とは(2011.11.15)

   食品(しょくひん、人が日常的に食物として摂取する物の総称。飲食物。食料品)には、着色料発色料保存料などの食品添加物(しょくひんてんかぶつ)を含むものがあり、それには天然物から得られたものと化学的に合成したものとがあります。食品添加物(厚生労働省): http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syokuten/.

 たとえば、キャンデイーなどの菓子類や漬けものなどの一部には、甘味料サッカリンナトリウム着色料赤2を使用したものがあり、食品に甘味を与え、色合いを美しくしています。一方、食品を漂白し、白く、きれいにするために、漂白剤亜硫酸(ありゅうさん)ナトリウムが使用されています。

 また、加工された肉類(ハム、ソーセージなど)や市販の弁当・サンドウィッチに入っている肉類には、発色剤亜硝酸(あしょうさん)ナトリウムのほか、酸化防止剤ビタミンCや柑橘(かんきつ)類の防かび剤(防ばい剤とも)のOPP(オルトフェニルフェノール)、カビや細菌などの発育を抑制し、食品を長期間保存するために保存料安息香酸(あんそくこうさん)ナトリウムが加えられているものが多い。

○ 食品添加物

 食品添加物(しょくひんてんかぶつ)は、次のつに分類されています。2007年(平成19年)12月現在、指定対象食品添加物として、①指定添加物(厚生労働大臣が安全性と有効性を確認して指定、クエン酸、キシリトール(天然代用甘味料、カバノキから発見)、ソルビン酸など)が370品目、②既存添加物(天然添加物として長年の使用実績が認められたもの、にがり、ステビア、クチナシ色素、カラメルなど)が419品目、指定対象外添加物として、③天然香料(動植物からとった香料、レモン、ニンニク、ハチミツ、バニラ香料、カニ香料など)、④一般飲食物添加物(通常、食品として食べられているが、着色など目的で添加、いちごジュース、イカ墨、寒天、抹茶、ココア)など、総計1500品目が使われています。 日本食品添加物協会(ホームページ): http://www.jafa.gr.jp/.、。

 その主な働きには、①製造加工に必要、乳化剤(食品の乳化、起泡)、膨張剤(ベーキングパウダー、ふくらし粉)など、凝固剤(豆腐用凝固剤とも、豆乳を凝固)、増粘剤、糊料(こりょう、ゲル化剤のペクチン)など、②味をよくする、調味料(甘味料、苦味料など)、酸味料など、③魅力を増し、食用を増進(着色料、発色剤、漂白剤、香料、軟化剤など)、④栄養成分を強化する(ミネラル類、ビタミン類など)、⑤腐敗や変質、酸化を防ぐ(保存料、酸化防止剤、殺菌剤、酵素)などがあります。

○ 食品衛生法

日生協のロースハムの原材料表示

日生協のロースハム  

コープのロースハム(原材料表示、日生協、神奈川、google画像) コープのロースハム(原材料表示、生協のある暮らし、神奈川): http://blog.livedoor.jp/kcoop/archives/51076305.html.

(解説) 食品衛生法(しょくひんえいせいほう)は、飲食によって生ずる危害を防止するための法律です。食品添加物、表示検査などの原則を定めたもので、1947年(昭和22年)に制定されました。 食品衛生法(略称、食衛法、厚生労働省・消費者庁) : http://www.houko.com/00/01/S22/233.HTM.

 食品衛生調査会(厚生労働省)は、食品衛生法に基づき、食中毒や食品添加物など食品衛生に関する重要事項を調査・審議するために設置された機関で、厳重調査の上、使用基準、保存基準が規定されています。食品衛生調査会(用語解説、コトバンク):  http://kotobank.jp/word/%E9%A3%9F%E5%93%81%E8%A1%9B%E7%94%9F%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%BC%9A. 

○ 安全性の確保

 食品添加物は、法律により添加物の成分や使用量について、厳しく規制されています。ラットやマウスなどの動物を用いた毒性試験のデータをもとに、「無毒性量、多くの動物による毒性試験の結果、毎日摂取してもまったく影響が出なかった量」を見つけ、より安全をみて、「無毒性量」に100分の1をかけた一日摂取許容量(ADI)、人がある物質を一生にわたって毎日摂取し続けても、健康に悪影響の出ない量」を超えないように低く設定されています。 

 そして、リスク管理(食べても安全なようにルールを決めて監視する)は、消費者庁、厚生労働省、農林水産省など、一方、リスク評価(食べても安全かどうか科学的に調べて決める)は、内閣府、食品安全委員会などが担当し、安全性を確保しています。

 が、日本では、食品の加工、保存、着色、酸化防止などのため、約1500品目食品添加物が使用され、不明なところもあり、その不安として、①人体への害(発ガン性、万病のもとである活性酸素の発生、カルシウム不足による骨の形成異常や、鉄分の吸収を阻害して貧血を引き起こす恐れのあるリン酸塩のような添加物など)、

 ②人格形成への害(保存料や調味料により加工食品の食味が、おしなべて同じようになり、同一の味覚細胞だけを発達させ、その部位だけが刺激を受けることになります。これは、現代病といわれる欲求不満のキレやすい人間や他人の立場を考えない視野の狭い性格などの原因を生むという)などが考えられています。

 家庭でできる食の不安を取る方法として、①食材の選び方(食品の表示、旬や産地、避けたい添加物など、安全性を見分けるノウハウを知っていること)、②食材の下ごしらえ(水で洗う、有害物質のたまりやすいところを除く、ゆでこぼす、アクを取るなど、昔から伝わる知恵をマスターすること)、③食べ方の工夫(食材の選び方や食べ合わせを工夫することで、体内の活性酸素の害を減らすこと)④免疫力を高める(栄養バランスを考えた食事をすること、良質タンパク質と各種の補酵素ミネラルの食べ合わせをすること、非栄養成分のファイトケミカル(フラボノイド、ポリフェノールなど)を多く含む野菜、きのこ類、海藻、ヌルヌル野菜、発酵食品などを食べること)など、昔ながらの調理法、料理の中にも、食を安全、安心する知恵があり、この知恵こそは、永遠不変の食安全の原理とのことです。

 私は、いつの頃からか、数の子(カズノコ)は、過酸化水素で漂白した後、黄色に着色していること、うどん(讃岐?)の漂白にも過酸化水素を使っていること、ハムや肉の赤色を保つために亜硝酸ナトリウム(発色剤)を添加してあること、ナスの漬け物の青紫の着色に古クギの鉄を使っていること(ナスニンとの反応!)など、どこかで耳にしたのが今も強く記憶に残っています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991); 太田次郎、山崎和夫編: 高等学校新編 理科総合A(改訂版)、物質とエネルギーの探求、p.126、食品添加物、啓林館(2005): 石川県県民文化局県民生活課パンフレット: 食の安全・安心情報、食品添加物、「いしかわの食の安全・安心情報」はこちらから、石川県(2010)より; 増尾清: 家庭でできる「食品添加物・農薬」を落とす方法、PHP文庫(2010).

2011年11月 1日 (火)

囲碁と絵巻物(平安時代、国宝)、源氏物語絵巻、鳥獣人物戯画の中に見られる囲碁対局の場面、正座(正坐とも)、とは(2011.11.1)

   平安時代の国宝四大絵巻には、源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)、鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)、伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)、信貴山縁起絵巻(しぎざんえんぎえまき)などがあります。 これら絵巻物の中の囲碁対局の場面について、改めて調べて見ました。

○ 源氏物語絵巻

 紫式部(むらさきしきぶ、本名、生没年未詳)、父は淡路守、越前守、越後守などを務めた文人・歌人の藤原為時(ふじわらのためとき、生没年未詳)、の長編小説、源氏物語(げんじものがたり)の中の「空蝉(うつせみ)」「宿木(やどりぎ)」「竹河(たけかわ)」「手習(てならい)」などの巻で、あでやかな囲碁対局の場面が出てきます。 

 石山寺(いしやまでら、大津、滋賀)は、紫式部が源氏物語を着想した場所と言われ、石山寺の名は源氏物語の随所に登場します。紫式部は、藤原宣孝(ふじわらののぶたか、?~1001)と結婚し、娘が生まれた。が、宣孝と死別したのち、藤原道長(966~1027)の娘で一条天皇(第66代、980~1011)の中宮、彰子の家庭教師に抜擢され、宮仕えをしました。 石山寺(いしやまでら、真言宗、石山寺公式プログ、大津、滋賀): http://www.ishiyamadera.or.jp/ishiyamadera/flower.html.

  

源氏物語絵巻(上 源氏物語 宿木(やどりぎ)一今上帝と薫(かおる)の君との囲碁対局、 下 竹河(たけかわ)美しい姫君姉妹の囲碁対局、徳川美術館蔵、google画像) 切手にみる紫式部と源氏物語(花橘亭、源氏物語を楽しむ、なぎ、福岡): http://kakitutei.web.fc2.com/column/kitte.html.

(解説) 1989年(平成元年)10月6日、源氏物語の「宿木(やどりぎ)」と「竹河(たけかわ)」の囲碁対局の絵巻が国際文通週間記念切手として売り出されました。今上帝が皇女の婿君にと望んでいた中納言薫(かおる)の君と、菊の花を賭(か)け三番勝負を争う「宿木一」、庭の桜を賭(か)けて玉鬘(たまかつら)の姫君姉妹が三番勝負を争う「竹河」など、一千年ほど前の貴族社会の囲碁対局の様子が描かれています。

 「空蝉(うつせみ)」の巻では、人妻である空蝉の邸に光源氏が忍んで行く。そして空蝉と義理の娘、軒端萩(のきはたのおぎ)と対局している姿を隙見(すきみ)する場面があります。「手習(てならい)」の巻では、碁好きな尼僧一家、老尼と若い女性が対局する場面が出てきます。

 絵巻物は、紙本着色縦21.5cm、平安時代(12世紀前半)、斜め上方から見下ろした俯瞰描写(ふかんびょうしゃ)、内部の人物が見えるように、建物の屋根や天井(てんじょう)を省略する表現法の吹抜屋台(ふきぬけやたい)が多く使われました。

○ 鳥獣人物戯画

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鳥獣人物戯画(丙巻、猿(さる)と兎(うさぎ)の囲碁対局、高山寺(こうざんじ、右京区、京都)蔵、東京国立博物館に寄託、google画像) 高山寺(こうざんじ、天台、のち華厳宗、右京区、京都、公式ホームページ): http://www.kosanji.com/.

(解説) 鳥獣人物戯画で最も興味のあるのは丙巻です。その前半には、僧侶と俗人のふるまいを、擬人化した蛙、兎、狐などを通して風刺(ふうし)しています。遊びの人物戯画として、猿(さる)と兎(うさぎ)の囲碁対局があります。囲碁は早くから貴族の間に流行し、持統天皇の3年(689)に双六(すごろく)と共に禁ぜられたことがあり、天平勝宝6年(754)にも禁令が出ています。囲碁は勝負を争うばかりでなく、賭(か)けごとにも利用したようです。

鳥獣戯画は、紙本墨画、縦30.4~31.2cm、長さ289~1148cm、平安時代末期~鎌倉時代前期、日本最初のアニメとも称される、全編、詞書(ことばがき)のない白描画(はくびょうが)です。

  私は、京都(下別当町、北白川、左京区、村井方)で下宿していた頃、源氏物語絵巻、鳥獣人物戯画京都国立博物館展示されているのを見たことがあります。これが有名な国宝の絵巻かと、しばし感じ入り、見て回ったことを覚えています

(参考文献) 下中邦彦: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 渡部義通: 古代囲碁の世界、三一書房(1977); 三浦修: 囲碁の美学、現代書林(1980); 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991); 日本経済新聞社出版局編集部(内田勝晴、木村仁)企画製作: 囲碁大全、日本経済新聞社(1996); 永原慶二監修: 日本史辞典(第1刷)、岩波書店(1999); 宮本常一: 絵巻物に見る日本庶民生活誌(26版)、中央公論新社(2007); 詳説日本史図録編集員会編: 詳説日本史図録(第2版)、山川出版(2009); 朝日新聞(文・田中京子、写真・筋野健太): 歴ナビ 旅する日本史、ゆかりを訪ねて、29 紫式部、光る絵巻は御簾(みす)の奥、2010年(平成22年)4月17日(土)、朝刊; 朝日新聞(文・中村真理子): はじめての源氏物語、華麗 不幸 平安ラブストーリー、2011年(平成23年)4月4日(月)、朝刊; 週間朝日百科編: 国宝の美、絵画9 説話・縁起絵巻、31、高山寺鳥獣人物戯画、伴大納言絵巻、朝護孫子寺信貴山縁起絵巻、朝日出版社(2010).

(参考資料) 国際文通週間にちなむ郵便切手の発行(日本郵便): http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2011/h231007_t.html. 国際文通週間(日本では1958年(昭和33年)以降、Kumamoto、ホームページ):http://members2.jcom.home.ne.jp/a-kumamoto/page003.html.

(追加説明) 

○ 紫式部(むらさきしきぶ、実名、生没年未詳)は、平安時代文学の最高傑作、「源氏物語」の作者ですが、1964年(昭和39年)、ユネスコによる世界に誇る文学作品の著者として、「世界の偉人」の選定に、日本人からただ一人選ばれています。 作品の背景には、紫式部の人生そのものが反映しているという。 紫式部は、藤原氏の出身ですが、傍流(ぼうりゅう)であり、祖父の兼輔(かねすけ)が文人として著名な程度の、弱小貴族でした。

 また、彼女の結婚生活は、あまり幸福でなく、当時としては適齢期を過ぎた30才ほどで結婚したが、夫はすでに子供のある20才ほど年の離れた藤原宣孝(ふじわらののぶたか)です。一女をもうけ、3年後に死に別れることになりますが、その前に宣孝の彼女への愛情は冷めていたという。そののち、時の権勢人、藤原道長(ふじわらのみちなが)の娘の中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)のもとに出仕することになります。(井上満郎著、上田正昭監修: 平安京の風景、p.162~165、天才文学者 紫式部、源氏物語の誕生、文英堂(2006)より

○ 源氏物語(げんじものがたり)は、54巻、1001年(長保3年)~1010年(寛弘7年)頃までに成立。時の帝を父とし、桐壺更衣を母として生まれた光源氏が、葵上(あおいのうえ)、夕顔、紫上等々の女性と交渉をもち、また父帝の中宮藤壺との恋に苦悩しながらも、太政大臣から太上天皇に準じられ栄華をきわめる物語です。全54帖のうち終わりの10帖は、源氏の子、薫大将と宇治の浮船の恋愛を描いて「宇治10帖」とされています。文章は華麗で人物・自然の描写に優れ、各巻が独立した場面を形成しながら、全体で緊密な長編小説としてのまとまりを見せ、古典文学の最高峰とされています。(小百科事典より

 物語の構成は、主人公光源氏は次々と女性を愛するなかで、父の后藤壺と密通、冷泉帝が生まれて栄華を極めます(第1部)。しかし晩年、今度は若い妻に密通され、最愛の紫の上を失う(第2部)。第3部のうち「宇治十帖」と呼ばれる巻々は、その密通によって生まれた薫と宇治の姫君たちの物語。伝本は、青表紙本、河内本、そのどちらにも属しない本に分かれます。成立時から評価が高く、後世の文学をはじめとする諸芸術に与えた影響は大きい。{古典大系、新古典)(岩波日本史辞典より) 源氏物語(現代語訳、古典に親しむ、がんばれ凡人!): http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/genjipage.htm.

○ 源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)は、源氏物語の各帖(54帖)から物語の要点となる情景や情緒豊かな場面をぬき出して絵画化(濃彩のつくり絵の技法)し、対応する本文(切箔、野毛を散らした優雅な料紙に美しい仮名書きをしたためたもの)の一節を書き添えた絵巻です。現在は、13帖分に当たる詞(ことば)20段、絵19段(原典の20帖分に相当)しか残っていないという。

 平安以後各時代を通じ各種の製作が行われ、現存遺品の種類も多い。中でも12世紀前半に宮廷絵師により分担製作されたと見られる彩色絵巻(徳川美術館・五島美術館分蔵)は特に名高く、最古の遺品で国宝となっています。その画風が4種に、また詞書の書風は5種に分類され、院や女院の企画下で貴族達が製作を分担し、出来ばえを競い合って成立したものと推定されます。徳川美術館(東区、名古屋): http://www.tokugawa-art-museum.jp/.  五島美術館(世田谷、東京): http://www.gotoh-museum.or.jp/.

 国宝の絵巻の他にも、14世紀後半の絵巻がメトロポリタン美術館(ニューヨーク、米国)、天理図書館(天理大学附属、天理、奈良)、また、1554年(天文23年)の奥書を持つ白書の6巻本がニューヨーク公共図書館(ニューヨーク、米国)に分蔵され、代表的な物語絵として享受されてきました。天理大学附属天理図書館(天理、奈良): http://www.tcl.gr.jp/index.htm. メテロポリタン美術館(Wikipedia、ニューヨーク、米国): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8. ニューヨーク公共図書館(Wikipedia、ニューヨーク、米国): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%85%AC%E5%85%B1%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8.

○ 源氏物語(五十四帖) 一帖 桐壺(きりつぼ) 

 いづれの御時(おほむとき)にか、女御(にょうご)、更衣(かうい)あまたさぶらひたまひける中(なか)に、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 

 この冒頭の文章は、私が高校の古文の時間にはじめて目にした文章で、今でも自然に口に出てきます。源氏物語の現代語訳は、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴ら作家のほか、多くの文学者によってなされています。(源氏物語訳散見: http://homepage3.nifty.com/pointdevue/essay/mosgenji.html.)

 何時の時代であつたか、帝の後宮に多くの妃嬪達があつた。(与謝野晶子訳)

 何という帝の御代のことでしたか、女御や更衣が大勢伺候していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰よりも時めいている方がありました。(谷崎潤一郎訳)

 いつの御代のことであったか、女御更衣たちが数多く御所にあがっていられる中に、さして高貴な身分というではなくて、帝の御寵愛を一身に鍾めているひとがあった。(円地文子訳)

 帝にはあまたの女御やお妃がいられたが、誰にもまして熱愛されたのは桐壺の更衣であった。(田辺聖子訳)

 いつの御代のことでしたか、女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄のご出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっしゃる更衣がありました。(瀬戸内寂聴訳)

○ 空蝉(うつせみ)の巻では、著名な囲碁描写が見られ、紫式部の囲碁の確かな棋力が読み取れるという。

条文 碁打ちはてて、けちさすわたり、心疾(と)げに見えて、きはぎはしうさうどけば、奥の人は、いと靜かにのどめて、「待ち給へや。そこは、持(じ)にこそあらめ。このわたりの劫(こふ)をこそ」などいへど、「いで、この度(たび)は負けにけり。隅のところどころ、いでいで(数へん)」と、指(および)を屈(かが)めて、「十(とを)、二十(はた)、三十(みそ)、四十(よそ)」など数ふる様、伊豫の湯桁(ゆげた)も、たどたどしかるまじう見ゆ」

大意 碁が大方終わって、ヨセの段階で周囲の女房たちが騒がしいのを静かに押しとどめ、(空蝉、うつせみ)は「待ってください。そこは地(ぢ)(セキ)ではありませんか。こちらの劫(コウ)の所を打つべきですよ」などというが、(軒端、のきば)は「さあ、この度はまけました。隅のあちらこちらの地を数えましょう」と指を折り「とう、はた、みそ、よそ」などと数えるさまは伊予の国の(道後温泉の)湯槽を数えるようにたどたどしい」(水口藤雄:囲碁の文化誌(第2刷)、起源伝説からヒカルの碁まで、p.112~115、28 源氏物語の囲碁描写、日本棋院(2002)より

○ 鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、高山寺(こうざんじ、天台、のち華厳宗、栂尾町、右京区、京都)に伝わる甲乙丙丁(こうおつへいてい)の4巻からなる白描(はくびょう)の戯画絵巻です。猿(さる)・兎(うさぎ)・蛙(かえる)などの遊びを擬人的に描いた甲巻と、様々な動物の生態を描いた乙巻があり、また、丙巻の前半は勝負事に興じる人物描写、後半は甲巻と同様です。丁巻は人物戯画が描かれています。

 12世紀中頃から13世紀中頃の作品で、国宝となっています。時期を異にした数人の作者によって描かれたと見られ、古代以来の落書きや戯画の系譜につながる作品です。作者の一人は、鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう、天台座主、絵画に精通)と伝えられています。

 鳥獣人物戯画高山寺所蔵ですが、甲・丙巻は東京国立博物館、乙・丁巻は京都国立博物館寄託しています。京都国立博物館(東山区、京都): http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html. 東京国立博物館(台東区、東京): http://www.tnm.jp/.

○ 囲碁の対局は、伝統的に畳の上で正座して打たれます。正座は、古くは正坐で、紀元前、古代インドの石造物に見られるのがはじまりとされています。紀元前5世紀の中国戦国時代の「荘子」が初出で「威儀正しく座る。居住まいを正しくする」の意とされました。他に類義語で「端座」「危座」「静座」などがあります。これらの語彙(ごい)は、奈良、平安時代の遣唐使、渡来人、留学生らによって日本にもたらされました。

 しかし正座を実践したのは、その後の僧侶や儒学者だったとされる。つまり正座は仏教の北上とともに東アジアに伝播(でんぱ)し、特に日本では宗教のみならず武術を含む芸道の世界にも取り込まれ、動作の基本ともなりました。(北陸中日新聞:小林忠雄、正座文化の継承、2012年(平成24年)3月25日(月)夕刊より)

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