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2011年12月 1日 (木)

魏志倭人伝(三国志、中国)に記された倭国の女王(卑弥呼)、邪馬台国は近畿地方なのか、九州地方なのか、カミ(神)、日本にゆかりの地名、とは(2011.12.1)

    原始から古代弥生時代の終わり頃、中国の魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に記されていた倭国(わこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)、邪馬台国(やまたいこく)について、いろいろな文献や遺跡による解明が試みられています。が、現在でも、邪馬台国の位置については、近畿地方あるいは九州地方か、はっきり分かっていないという。そこで、倭国(わこく)の中の邪馬台国(やまたいこく)とその国の女王、卑弥呼(ひみこ)について、改めて調べてみました。

 ところで、弥生時代になると、農耕(稲作)が発達し、農作物(米)という財産(貯蔵)に基づく貧富の差が生じ、次第に人々を指導する有力者(豪族!)が現れ、階級社会と財産をめぐる戦争が始まりました。住居も、外敵に備え、周囲を濠(ほり)と柵(さく)で囲った、環濠集落(かんごうしゅうらく)が九州北部地方近畿地方に見られるようになりました。

 また、瀬戸内海を臨む高台には、情報を知らせる狼煙台(のろしだい)、けわしい山上に住居を構える高地性集落(こうちせいしゅうらく)も出現しています。その後、地域の諸勢力(豪族!)の戦争、政治的な統合により(くに)が生まれました。 

 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)とは、3世紀に中国の西晋(せいしん)の陳寿(ちんじゅ)が編纂(へんさん)した三国志のうちの魏書東夷伝(ぎしょとういでん)倭人条の通称です。紀元後2世紀には大乱があり、邪馬台国卑弥呼が約30ヶ国に共立されたと記されています。卑弥呼は抗争していた狗奴国(くなこく、邪馬台国に敵対していた倭のもう一つの国、諸国の盟主)との戦いを有利に進めるため、(ぎ)が朝鮮半島に設置した帯方郡(たいほうぐん)との間に交渉をもち、239年(景初3年)には親魏倭王(しんぎわおう)の称号を得ました。

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魏志倭人伝(ぎしわじんでん、三国志、陳寿(ちんじゅ)編、西晋、中国、google画像) 魏志倭人伝(ぎしわじんでん、現代語訳、中野邦雄、弥生ミュージアム、国営吉野ヶ里歴史公園、佐賀): http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/index.html.

 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)より古い、後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)には、紀元2世紀後半、原始から古代、弥生時代の終わり頃、「倭国大いに乱れ更相攻伐(こもごもあいこうばつ)して暦年主(れきねんぬし)なし」と記されています。

 さらに古い、日本の記述がある漢書地理誌(かんじょちりし)には、紀元前1世紀頃の日本が(わ)と呼ばれ、100国ほどの小国に分裂し、後漢、漢王朝の楽浪郡(らくろうぐん)に倭国王、帥升(すいしょう)らが朝貢し、奴隷160人を献上したと記されています。

○ 女王卑弥呼(ひみこ、ひめことも、?~247頃)と邪馬台国(やまたいこく)

 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)によれば、3世紀の前半期の倭国の中心的な国であった、邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)は、太陽の霊威を身に着けた女性を意味する首長の称号で、「鬼道(きどう)に仕え、よく衆を惑わす」とあり、巫女(みこ)的性格をもつ女酋(じょしゅう)と考えられています。

 卑弥呼は、紀元後2世紀末頃、倭国の争乱の末に諸国の首長たちに共立されて王となりました。そして邪馬台国に都し、楼観・城柵を備えた宮室を居処とし、鬼道と呼ばれる呪術行為をもって統治に当たり、倭国の約30ヶ国が女王の統治下にあり、弟が政治を補佐し、結婚せず、人前に姿を見せることは少なかったという。 

 また、卑弥呼は抗争していた狗奴国(くなこく、男の王、卑弥弓呼、伊勢湾沿岸、諸国の盟主)との戦いを有利に進めるため、中国で後漢(ごかん)王朝が滅び、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)の三国時代になると、魏(ぎ)が朝鮮半島に設置した帯方郡(たいほうぐん)との間に交渉をもち、239年(景初3年)には、(ぎ)に使者、難升米(なしめ)を遣わして、帝より親魏倭王(しんぎわおう)の称号を与えられ、金印銅鏡100枚などを授かったという。

 紀元2世紀後半、弥生時代後期、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)より古い、後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)に記されている、光武帝(こうぶてい)から授かったという「金印」は、江戸時代、1784年(天明4年)、博多湾の志賀島(しかのしま)で農民によって偶然発見されました。

 ということで、三国志、魏志倭人伝(さんごくし、ぎしわじんでん)に記されている、卑弥呼(ひみこ)に授けられた「金印」が見つかれば、邪馬台国(やまたいこく)の位置が分かるのではないか、と期待されています。

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金印(きんいん、国宝、志賀島、福岡、google画像) 金印(きんいん、志賀島出土、福岡市博物館、福岡):http://museum.city.fukuoka.jp/jb/jb_fr2.html. 金印つまみの部分はがかたどられ、押印の部分は「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)と刻まれています。 金印(きんいん、邪馬台国大研究ホームページ、東京国立博物館): http://inoues.net/tokyo_museum/heiseikan17.html.

 この金印、後世のニセモノでは、との声が後を絶たず、今も真贋(しんがん)論争が続行中とのことです。(朝日新聞、文化の扉、歴史編、金印、真贋論争、本物?偽造説で論争再燃、つまみの改変説も、2017.10.22)

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銅鏡、三角縁神獣鏡((さんかくぶちしんじゅうきょう、google画像) 三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう、邪馬台国の会): http://yamatai.cside.com/tousennsetu/sinnzyuukyou.htm.

 邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)は、245年と247年、狗奴国(くなこく)との戦争に際し、魏から黄幢や檄を送られて支持されましたが、その最中に死没、径百余歩(約150m)もある墳墓に葬られ、100余人が殉死、のち、男王が立ったが治まらず、13才の娘、壱与(いよ、台与、とよ、とも)を王としてようやく国中が治まったという。

 邪馬台国(やまたいこく)の所在地について近畿か九州かの論争があるのは、中国の歴史書、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)の一節にしかその位置の記述がなく、そこに書かれた邪馬台国にいたる行程は、記述どおりの距離と方向に進むと、日本列島をつき抜けて南洋上に出てしまうことに起因しています。 邪馬台国を行く(筑紫研):http://www.ne.jp/asahi/wacoku/tikushi/yamai00.htm. 

 近畿説については、日本書紀が卑弥呼を神功皇后(じんぐうこうごう)と見なしてから、鎌倉時代に邪馬台国は大和政権とする説が出され、大和(やまと、奈良県)にあったとされた。その後、魏志倭人伝の不弥国(ふみこく、福岡県宇美町、飯塚市付近か?)の南にあるとの記述を、東の誤りと解釈し、邪馬台と大和の音の一致、3世紀の大型墳丘墓や大規模集落遺跡の存在などを根拠としました。

 また、卑弥呼が魏の王から賜ったとする銅鏡、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が近畿の前方後円墳や円墳から多く出土していると考えています。

 一方、九州説については、江戸時代になって、国学者の本居宣長(もとおりのりなが)らが九州説を主張しました。その後、魏志倭人伝の不弥国(ふみこく、福岡県宇美町、飯塚市付近?)の南にあるとの記述を、伊都国(いとこく、福岡県前原市付近?)の南にあると解釈しました。

 また、近年の考古学の発見によれば、3世紀の北九州は、吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)など繁栄していたとされ、近畿で出土する卑弥呼が賜ったとする銅鏡、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は国産であると考えています。吉野ヶ里歴史公園(よしのがりれきしこうえん、神埼市、佐賀): http://www.yoshinogari.jp/.

 最近、2011年(平成23年)1月20日(金)、桜井市教育委員会(奈良)は、邪馬台国の最有力候補地とされ「女王卑弥呼の宮殿」とも指摘される大型建物跡(3世紀前半)が見つかった桜井市(奈良)纒向遺跡(まきむくいせき)で、祭祀(さいし)の際に供えたと見られるタイなどの魚の骨、シカなどの動物や鳥の骨が見つかったと発表しました。(2011年(平成23年)1月22日(土)、北陸中日新聞、朝刊、より) 

 纒向遺跡(まきむくいせき、google画像検索): http://www.google.co.jp/search?q=%E7%BA%92%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&prmd=imvnsl&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=h8LMTpmXOen9mAXkgsjODQ

 また、鯖江市教育委員会(福井)は、鯖江市(福井)などにまたがる弁財天山(120m)の山頂に、弥生時代後期(1~2世紀初頭)の北陸最古の高地性環濠集落(こうちせいかんごうしゅうらく)とみられる遺構が見つかったと発表しました。弁財天山の尾根一帯は、30以上の墳墓や古墳が分布する市史跡「弁財天古墳群」の一角です。(2011年(平成23年)11月24日(木)、北陸中日新聞、朝刊、より)

弁財天古墳群(べんざいてんこふんぐん、鯖江市教育委員会、福井): http://www3.city.sabae.fukui.jp/vod/takara/6/bunkazai/87.html.

 ということで、邪馬台国の所在地については、近畿説、九州説の2説が後世へと引き継がれ、現在に至っています。

 私は、京都か東京の国立博物館で志賀島で発見された金印の展示を見たことがありますが、拡大鏡を通して見るほど意外に小さな金印であったことが強く印象に残っています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 福井県立若狭歴史民俗資料館編: 福井県立若狭歴史民俗資料館 常設展示図録(1997); 永原慶二監修: 日本史辞典(第1刷)、岩波書店(1999); 成美堂出版編集部編: 図解日本史、成美堂出版(2006); 詳説日本史図録編集委員会編: 山川 詳説日本史図録(第藩)、山川出版社(2009).

(追加説明) ○ 人々は古代から、人知を越えたものを創案し、カミ神)と呼びました。そのカミ(神)が「古代国家の成立に関係している」と、広瀬和雄(ひろせかずお、1947~ )歴史民俗博物館教授が提唱しています。

 「自然神のカミ(神)は弥生時代に豊作を保障するものとして登場し、やがて亡き首長(王)がカミ(神)とされるようになった。そのカミ(神)の座所として、前方後円墳がつくられるようになった」と、近著「カミ(神)観念と古代国家」(角川学芸出版)で述べています。 

 大和政権が運営した、3世紀に完成する前方後円墳の後円部は、方形と円形の二つの区画から成っています。古来、中国で大地は人の住む世界方形で表しています。「亡き首長が眠っているのがその方形の区画の部分で、前首長がカミ(神)になった空間である円形で、ここでカミ(神)に昇華した」と考えています。(2011年(平成23年)1月23日(日)、遺跡にみる「カミと国家」、朝日新聞、朝刊、より

○ 日本の地名 わが国には2000年近く前の地名が今も生きています。「魏志倭人伝」に出てくる対馬、一支(壱岐)、末廬(松浦)、伊都(糸島)などの地名が今日、日常に使用されています。また「魏志倭人伝」には、対馬、奴(な)、不弥(うみ)の国の副長官を卑奴母離(ひなもり)と呼ぶことがあります。それは地名として後世に残っています。「和名抄」には越後国頸城(くびき)郡に夷守郷(ひなもり)郡があります。(谷川健一著、日本の地名(第9刷)、p.218、「いと小さき」地名、岩波新書(1998)より

 

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