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2012年5月の7件の記事

2012年5月29日 (火)

塩(食塩とも)、おにぎりと塩、スイカと塩、家畜の草食動物(牛、馬)と塩、塩の主成分(塩化ナトリウム)の働き、塩の清めの役目、忠臣蔵の発端は塩をめぐる商業利権、とは(2012.5.29)

   (食塩とも)は、主成分が塩化ナトリウム(97%>)ですが、少量のカルシウム塩やマグネシウム塩(3%<)含み、塩味の味付け以上に、人や動植物の体(からだ)の生命維持に大切な役割を担っています。そこで、おにぎりと塩、スイカと塩、家畜の草食動物と塩など、重要な塩の働きについて、改めて調べてみました。

(食塩とも、結晶、ウィキペディア: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9、google画像) 

〈解説) 現在、日本国内で使われる塩の約85%は輸入にたより、メキシコとオーストラリアの2カ国で9割を占めています。そのほとんどは、海水(平均2.8%の塩化ナトリウムを含む)を塩田に入れて自然蒸発で結晶させた天日塩で、主に工業用に使われています。なお、家庭用・食品加工用の塩はほとんどが国産です。

 ○ 体の中の塩の働き

 塩は、食べて、それがエネルギーになるというものではなく、体細胞における体液の浸透圧(しんとうあつ)のバランス維持をはじめ、体の中にある栄養成分などを血液とともに循環(じゅんかん)させ、最後にその排泄(はいせつ)を助け、健康を保持する働きをしています。

 エネルギーを生む食物は、その中に霊が宿っているというので、たいてい神に祭られています。米(こめ)なら米、麦(むぎ)なら麦、粟(あわ)なら粟、それぞれ穀霊(こくれい、穀物の中にこもっていると信ぜられている神霊)というものがありますが、塩には霊がないので、塩自体を神に祭った例(ためし)は、ありません。

 ○ おにぎりと塩

 ほとんど目立った味のないご飯が、手に塩をまぶしてにぎるだけで非常においしくなるのは、とても不思議です。その決定的な理由は定かではありませんが、推測は可能です。

 米のような植物には、カリウムが多く、白米には、ナトリウムが0.001%に対し、カリウムは0.1%ほど含まれています。ナトリウムは、血液中に存在し、細胞内にはほとんどないのですが、カリウムは逆に、血液中には少なく主に細胞内にあります。そして、血液中で多すぎるカリウムはすぐに尿に排出され、このとき、ナトリウムも同時に出てしまいます。このため、カリウムの多い食品をとったときはナトリウムも多くとらないとつり合いません。

 ご飯のようなカリウムの多い食品に、ナトリウム、つまり塩を加えるとおいしく感じるのは偶然ではなく、体がバランスをとろうとしているからだと考えられます。同じように、カリウムの多いビールを飲むと、塩辛いつまみが欲しくなります。

 日本人が塩をまぶしておにぎりを握るのは、おそらく、今よりもっと植物性の食品を多く食べ、汗を流してナトリウムを失っていた時代、ナトリウム不足に敏感であった名残かも知れません。

○ スイカと塩 

 スイカを食べるとき、塩をふりかけるとおいしく感じるのは、塩味が甘いスイカの味を強調させる、対比効果(たいひこうか)によるものと説明されています。対比(たいひ)は、質の異なる刺激(しげき)を同時に与えたときに、一方の質の強度が高められる現象です。が、このメカニズムについては、まだよく分かっていません。

 塩味は、基本的には、食塩などに含まれるナトリウムイオンが味細胞の突起(とっき)にあるチャンネル(特定のイオンを一定方向に通す通路)を通過することによって起こります。カリウムイオンは、純粋な塩味とは異なる味を生じますが、そのメカニズムについても明らかではありません。

 また、スイカにはカリウムが多く、白米と同様、ナトリウムが0.001%に対し、カリウムは0.1%ほど含まれています。ということで、食べるときに塩をふりかけるのは、おにぎりと塩の場合と同じように、体がバランスをとろうとしてナトリウムを要求しているとも考えられます。 

  ところで、私は以前、スイカの種は毒なので食べないようにと聞いていたのですが、 最近、スイカの種にはリノール酸やタンパク質、ビタミンBやEが豊富に含まれていて、栄養たっぷりで、中国ではお菓子として食べていることを知り驚きました。 食べられる種、食べない方がよい種大切なものを大切に): http://hanbey8.jugem.jp/?cid=7

○ 家畜の草食動物(牛、馬)と塩

 塩は体内で血液に混じって、体液の浸透圧(しんとうあつ)のバランス維持をはじめ、体調を整える働きをします。牛、馬などの草食動物は、ナトリウムをほとんど含まず(0.001%)、カリウムの多い(0.8%ほど)植物をえさにしているため、盛んにナトリウムを含む塩を欲しがります。牧場ではえさに混ぜたり、塩のかたまりを自由になめられるように置いてあります。なお、1日にとる塩の必要量は、人では11.5g、家畜の牛では80g、馬では30~40gとのことです。

 私は、以前に母親の羊水(ようすい)の成分が海水のものとよく似ていることを聞いたことがあり、はるか昔、海の中で生命が誕生したことを思い浮かべました。

〈参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 宮本常一: 塩の道(第45刷)、講談社(2007); 北陸中日新聞: 塩の世界、中日サンデー版、世界と日本、大図解シリーズ、No.808,2007年(平成19年)10月21日(日)朝刊; 日本味と匂学会編: 味の何でも小事典(第4刷9,p.196、伏木亨、おにぎりと塩、講談社(2010).

(追加説明)  ○ 塩の用途 国内で1年間に消費されている約960万トンの塩の8割弱は工業用の原料となり、その用途は鏡やタイヤ、せっけん、CD(コンパクトディスク)、新聞紙などと、多岐(たき)にわたっています。 一方、家庭で使う量はわずか3.2%で、みそ、しょうゆ、加工食品などの食用加工用に使う分を合わせても、食用は全体の13%です。

○ 塩の清めの役目悪魔払いの信仰) 昔は海水でからだを洗って、悪魔(あくま)と不潔なものを取り去る清めをしていました。が、日常生活では簡単にからだを洗えないので、塩の結晶をからだにまくことにより、海水で洗うのと同じにしました。

 たとえば、いやな訪問客が帰ったあととか、お葬式から帰ってきた時など、よく玄関で塩をまいて清めます。いやな訪問客が帰った時は、いやな人は家庭内に悪魔(あくま)やよくないものを持ってきたので、塩で清めようということです。また、お葬式から帰った時は、死んだ人の霊を持って帰ってきたので、塩で死霊(しれい)を禊(みそ)ぎ払おうというわけです。(樋口清之: 日本の風俗起源を知る楽しみ、p.41~42、大和書房(2002)より).

○ 忠臣蔵の発端は塩をめぐる商業利権(仮名手本忠臣蔵) 浅野家は元来常陸(ひたち、茨城)笠間藩(かさまはん)なので、播州(ばんしゅう、播磨、はりま、とも、兵庫)赤穂(あこう)に転封させられたのを機会に、海岸で何か殖産興業(しょくさんこうぎょう)をやれないかと考え、赤穂塩を始めました。そこで大石良雄(内蔵助)は赤穂の塩を、はじめは京都、大阪、堺(さかい)という大きな消費都市に売ろうと市場開拓し、大阪商人がその塩を買い占めて、菱垣廻船(ひがきかいせん)に積んで江戸に運びました。

 将軍(第5代)徳川綱吉(とくがわつなよし、1680~1709)の朝起きの歯磨き用に、赤穂塩を献上し、「赤穂の御用塩」として評判が高まり、江戸っ子にもよく売れました。が、三河の吉良塩は売れなくなってしまいました。このように、忠臣蔵の発端(ほったん)は、じつは商業利得権の争奪戦にあった。

 仮名手本蔵をはじめ、芝居や小説にはかなりの嘘(うそ)があるという。というのは、あの「松の廊下刃傷(ろうかにんじょう)」の2日前まで、吉良義央(きらよしなか、のち上野介、1641~1702)は京都にいました。そして勅使(ちょくし)接伴(せっぱん、接待)がわかったので、勅使より一足先に大急ぎで江戸に帰りました。巷説(こうせつ)にあるように浅野長矩(あさのながのり、1667~1701)から賄賂(わいろ)を取る暇(ひま)などなかったのが事実という。(樋口清之、奈良守康: 新・梅干しと日本刀、江戸・東京編、p.199~202、忠臣蔵、塩をめぐる商業利権が発端(ほったん)となった、祥伝社(2000)より).

 

2012年5月27日 (日)

サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題(2012.5.27.県道沿いの山法師)

科学風土記(人文、社会、自然)

T. HONJO
金沢
 サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題を、科学風土記(人文、社会、自然)として、四季折々、徒然なるままに紹介しています。
 
 
 時折、説明、資料、画像など追加、修正し、タイトル、話題の内容などアレンジしたものもあります。 デジカメ写真 、google検索画像は、マウスで左クイックすると、写真や資料の画像が拡大するものもあります。
 
 興味: 生涯学習(ブログ作成!),サイエンス(科学、人文、社会、自然),歴史散歩(温故知新!),インターネット(IT検索),スクラップ(新聞、雑誌),囲碁(棋話、棋戦!)
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ヤマボウシ山法師、ミズキ科、県道沿い、桜田、金沢、石川、2012年5月27日(日)撮影)

2012年5月14日 (月)

語源遺産、のろま(佐渡、越後、新潟)、ごり押し(金沢、加賀、石川)、うだつが上がらない(脇町、阿波、徳島)、ひとりずもう(今治、伊予、愛媛)、とは(2012.5.14)

    言葉語源は、その地方の風土、歴史や文化と密接な関係があります。、わぐり たかし氏(放送作家、語源ハンター)は、語源の由来にゆかりのある土地風俗風習を、語源遺産と名付けています。普段、何気なく使っている語源遺産を、改めて調べてみました。

 のろま(鈍間、野呂松、佐渡、越後、新潟

のろま人形(野呂松人形、佐渡、新潟、google画像) のろま人形(島のいろは、文化と芸術、佐渡観光協会、新潟): http://www.visitsado.com/01outline/05culture/index.shtml

〈解説) のろまの意味は、「のろま人形」の略。愚鈍(ぐどん)なこと。気のきかないこと。動作や頭の働きが鈍いこと。また、そういう人。

 語源は、1670年(漢文10年)頃、江戸の野呂松勘兵衛という人形つかいが用い始めたという、青黒い変な顔をした道化の操り人形「のろま(野呂松)人形」の動きに由来しています。人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)のあいだに間狂言(あいきょうげん)を演じました。佐渡〈新潟)に現存しています。

○ ごり押し(鮴押し、金沢、加賀、石川

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ごり押し漁(鮴押し漁の再現、金沢市漁協組合員、浅野川、金沢、石川) ごり(鮴、知られざる北陸の食、自然人net、金沢、石川): http://hokuriku.biz/fishes/%E9%AE%B4.html. 

〈解説) ごり押しの意味は、理にあわない事を承知(しょうち)で、その考えをおし通すこと。強引(ごういん)に事を行うこと。無理押し。

 語源は、川魚のごりを捕るとき、特殊な道具(三角の竹製のブッタイ、ごり押し板)で川底をごりごり押して潜(ひそ)んでいるゴリを驚かして捕獲(ほかく)する「ごり押し」という漁法が強引に見えることから、たとえて言いました。金沢(石川)の浅野川(あさのがわ)でのごり押し漁は、江戸時代から有名で、昭和の初め頃まで盛んでしたが、ごりの生育環境の変化に伴い、数十年前から行われなくなったという。

○ うだつが上がらない(卯建が上がらない、脇町、阿波、徳島

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うだつの町並み(卯建の町並み、重要伝統的建造物群保存地区、脇町、美馬、徳島) うだつの町並み〈美馬市ホームページ、脇町、徳島): http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/miru/0002.html

〈解説) うだつが上がらないの意味は、出世ができない。身分がぱっとしない。富裕(ふゆう)の家でなければ「うだち(卯建)」を上げられなかったことから転じたといわれています。

 語源は、脇町〈徳島)は、江戸時代には、藍玉(あいだま)や雑貨、明治時代には、繭(まゆ)や生糸などをとり扱う商業の町として豪商が軒を連ね、互いにその繁栄を競い、商人たちは火災や盗難(とうなん)から財産を守るためにうだつ(卯建)や虫籠窓(むしこまど)など特殊な構造をもつ白壁の建物を造ったことに由来しています。

 うだつ(卯建)は、本来隣家との防火壁で、2階の壁面を外側に着きだした袖壁(そでかべ)です。また、各地に残る広小路(ひろこうじ)の名は、延焼を(えんしょう)を防ぐための必要空間でした。昔から「うだつが上がらぬ」という言葉がありますが、いつまでたっても屋根にうだつを上げるほどの出世も成功もしないという意味で、うだつを屋根に上げるのは商人の夢でもありました。

 ひとりずもう(独り相撲、今治、伊予、愛媛)

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YouTube大山祇神社、おおやまづみじんじゃ、抜穂祭、一人角力、ひとりずもう、大三島、今治、愛媛): http://www.youtube.com/watch?v=WhOTgUkJ9Tc

〈解説) ひとりずもうの意味は、相手にかまわず、自分だけが気張って事をすること。また、力量(りきりょう)が相手と比較にならないほど優れていて、争っても勝負にならないこと。

 語源は、瀬戸内海に浮かぶ大三島(今治、愛媛)の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)で、一人でイネ(稲)の精霊と三番勝負の相撲を取る神事に由来しています。目に見えない相手と相撲を取っている様子が一人で相撲を取っているように見えることから、ひとりずもう(一人角力)という。

 その他、日本の語源遺産として、へなちょこ(東京)、土壇場(どたんば、東京)、ごたごた(神奈川)、びびる(静岡)、二の舞い(静岡)、べっぴん〈愛知)、どろぼう〈愛知)、しゃちほこばる〈愛知)、関の山(せきのやま、三重)、あこぎ(三重)、急がば回れ(滋賀)、らちがあくあかない、京都)、縁の下の力持ち〈大阪)、地団駄(じだんだ)を踏む(島根)、濡れ衣(ぬれぎぬ、福岡)、チンタラ〈鹿児島)など、また世界にたどる語源として、不夜城(ふやじょう、中国)、金字塔(きんじとう、エジプト)、登竜門(とうりゅうもん、中国)、破天荒(はてんこう、中国)などが紹介されています。 語源遺産(大図解!東京新聞サンデー版、わぐりたかし): http://www.dreamnews.jp/?action_press=1&pid=0000013523

 私は、語源遺産については、目からウロコ! 大変興味深く、いろいろと勉強させていただきました。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 湯浅良幸編: 徳島県の歴史散歩(1版)、p.66~67、うだつの町(脇町、わきまち)、山川出版社(1995); 大島、佐藤、松崎、宮内、宮田編: 図説 民族探訪事典(1版19刷)、山川出版社(2005); 北陸中日新聞: 言葉のルーツ、語源遺産、わぐり たかし、「語源遺産をめぐる旅」は日本語の探偵気分! 2010年(平成23年)1月31日(日)朝刊より.

(参考資料) 語源遺産(語源ンハンター、わぐりたかしがいく!): http://ameblo.jp/gogen/

2012年5月10日 (木)

漢字の歴史、甲骨文字(殷、中国)、象形(しょうけい、物の形をかたどった字形)と指事(しじ、事柄や数などの抽象的な概念を記号化した字形)から発達した表意文字、とは(2012.5.10)

   漢字の起源は、3000年以前(紀元前16~11世紀)、古代中国文明の発祥地、今の河南省を中心に黄河(こうが)下流域を治めた、中国史上、実在の明らかな最古の王朝、(いん、開祖は湯王)においてつくられた甲骨文字(こうこつもじ)と言われています。 そこで、興味ある漢字の歴史について、改めて調べてみました。

○ 甲骨文字(漢字の祖型、殷、中国)

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甲骨文字(こうこつもじ、亀甲文字、亀甲獣骨文字とも、漢字の祖型、おもに占いに使った亀甲や獣骨に刻まれた文字、左 甲骨 右 、東京大学総合研究博物館デジタルミュージアム、東京、google画像) 甲骨文字(こうこつもじ、東京大学総合研究博物館デジタルミュージアム、東京): http://archive.fo/ksjd

(解説) 漢字の特徴は、象形(しょうけい)と指事(しじ)から発達した表意文字(ひょういもんじ)で、一字一字が一定の意味をもっています。 象形(しょうけい)は、物の形をかたどって字形とする方法、指事(しじ)は、事柄や数などの抽象的な概念を象徴的に記号化して字形とする方法で、「一」「二」「上」「下」「本」の類です。

○ 漢字の書体

現在、書籍などに使用されている多くの漢字の書体は、明の時代に確立された明朝体(みんちょうたい)が中心で、その起源は、後漢末期に確立された楷書(かいしょ)です。

甲骨文金文大篆書小篆書隷書楷書
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漢字の書体 (字体) 

 漢字(かんじ、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97#.E6.9B.B8.E4.BD.93

(解説) 漢字書体(しょたい)は、筆者の個人的な風格を越えて、時代や用途に応じてさまざまに変化しています。中国には、周泰の篆書(てんしょ)、漢魏の隷書(れいしょ、八分とも)、六朝以後の楷書(かいしょ、今隷、正書とも)などの正体があり、また漢で興った章草、草書(そうしょ)、行書(ぎょうしょ)などのくずした書体もあります。また南朝末期には装飾性の濃い雑体書(ざったいしょ)が流行しました。

 飛白書(ひはくしょ)は、漢字の書体の一つで、刷毛(はけ)筆でかすれ書きにしたもので、広く解釈すれば雑体書(ざったいしょ)の一つと言えます。後漢の蔡邕(さいよう)の作と言う。宮殿、神社などの扁額(へんがく、横に長い額)に用いられました。

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雑体書(十如是、部分) 

 日本へは1世紀頃に伝来、唯一の文字として漢字による言語活動が行われ、以来、国語(日本語、和語、やまとことば)表記の文字としても、語彙(ごい)の面でも国語の上に多大の影響を及ぼしました。漢字訓読(くんどく、漢字に国語をあてて読むこと)や万葉仮名(まんようがな、漢字の音訓を借りて国語の音を表記した文字)の用法が発達しました。

 また、草書(そうしょ)から仮名(かな)を創案し、万葉仮名の簡略化により日本独自の表音文字(ひょうおんもんじ、一字一字は意味をもたず、言語音を表すだけの働きをする文字)の平仮名(ひらがな)、片仮名(かたかな)を生むに至りました。そして、平安時代以後、優雅な書芸術を展開しました。

 現代の中国では、多くの簡体字略体)が用いられています。日本では一般に、「峠」「榊」「辻」「畠」(ふつう訓のみで音がない)等の、いわゆる国字(こくじ、中国にはなく、日本で作られた漢字、倭字とも)を含めて漢字と称しています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991).

2012年5月 8日 (火)

ローマ字(アルファベット)の歴史、フェニキア文字(22字、フェニキア)から発達したギリシャ文字(24字、ギリシャ)に由来する世界的なローマ文字(26字、イタリア)、とは(2012.5.8)

   ローマ字(アルファベット)とは、広辞苑によれば、ラテン語を表記する単音文字。フェニキア文字から発達したギリシア文字に由来し、現今は主として欧米諸国で用い、ラテン文字と称する。英語では、26文字。

 フェニキア文字は、セム語族の西北セム語派に属したフェニキア語を表した文字(表音文字で、子音を表す22字からなる)。パレスチナ地方に石刻のものが遺存。現行アルファベットの祖という。そこで、改めてアルファベットの歴史について調べてみました。

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○ フェニキア


(解説) フェニキアは、レバノン山脈の西、シリア地方の地中海沿岸に沿う狭長な地域の古代オリエントにおける呼称。また、そこにセム民族の一派フェニキア人が前3000年頃に建てた、シドン・ティルスなど都市国家の総称。商業・航海に長じ、前13世紀から海上貿易を営み、西は地中海から大西洋まで進出、東はペルシア・セイロンにまで到達。ギリシアの台頭によって次第に衰え、前64年ローマに併合されました。

○ アルファベトの成り立ち

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アルファベット(A~Z、物からフェニキア文字ができ、現在のアルファベットに変化していく様子) 

(解説) フェニキア人アルファベットを作ったのは、今から約3500年前といいわれています。一文字目を「アレフ」、二文字目を「ベータ」といい、「アルファベット」の語源にもなっています。

 関西外国語大学の橋本功教授(英語の歴史、聖書に書かれた古代の言葉の研究者)の説明によると、ローマ字の原型ををつくったのは、今のシリアやレバノンのあたりで、フェニキアと呼ばれていた地域に住んでいたフェニキア人です。漢字もそうですが、文字大きな川のそばで生まれるものです。大きな川のそばでは農業が発達し、やがてなどの支配者が誕生します。文字は、人を支配するために必要でした。

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楔形文字(くさびがたもじ)の粘土板(イラク)と聖刻文字(せいこくもじ、ヒエログリフ)が刻まれた石碑(エジプト)古代オリエント博物館(ホ-ムページ、東京): http://www.sa.il24.net/~aom/josetsu.html

(解説) 古代に高度な文明を築いたメソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス川流域)とエジプト文明(ナイル川流域)も、川沿(ぞ)いに発展し、それぞれ楔形文字(くさびがたもじ、字画がくさびのような形の文字)や聖刻文字(せいこくもじ、神聖文字、ヒエログリフとも、物の形をかたどって字形とした文字)という複雑な文字を持っていました。

 フェニキア人の祖先は、この二つの進んだ文明を体験しました。それは、祖先たちは何世代もかけて広い地域を移動した民族だったからです。きっと、二つの文明の良いところを撰(えら)んで、自分たちの文字を創造したものと考えられます。

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ギリシャ文字(goo辞書: http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/58304/m0u/、google画像)

(解説) 船の貿易が得意だったフェニキア人は、地中海各地と交流があったので、フェニキア文字はやがて海を越えてギリシャに伝わり、ギリシャ文字がつくられました。今から2700年ぐらい前のことです。フェニキア文字には、アイウエオの音を表す母音(ぼいん)はありませんでした。そこで、ギリシャ人は、フェニキア文字のうち、自分たちの使わない文字を母音にあてる改良をし、字の形も書きやすいように変えました

 ギリシャ文字ができてから200年ぐらいして、さらに海を隔(へだ)てたイタリアローマギリシャ文字が伝わり、私たちにもなじみのあるローマ字がつくられました。もともと20字しかありませんでしたが、CからGが分かれ、IからJがつくられ、もの掛(か)けからできたFから、UとVとWとYという4文字ができて加わり、現在の26文字に定着しました。

 ローマ字のアルファベットは、ローマ帝国が国の宗教と定めたキリスト教が広がると同時に、まずヨーロッパ全体で使われるようになり、さらにアフリカやアメリカの言葉も書き表すようになるなど、世界的な文字となりました。

 日本語にローマ字をはじめて適用したのは、室町時代(16世紀末)のポルトガル人宣教師です。江戸時代の1859年(安政6年)来日したアメリカの宣教師ヘボンが用いたヘボン式が主に普及しました。

 その後、ヘボン式は日本語表記に適しないという意見が出て、論争の末、訓令式が採用されました。1922年(対象11年)5月20日、日本ローマ字会が創立されました。戦後再び混乱がおこり、1954年〈昭和29年)の内閣告示で、原則として訓令式を用いることにしました。

 現在、ローマ字の綴(つづり)法には、標準式(ヘボン式)、日本式、訓令式(くんれいしき)の3種があります。日本の学校教育では訓令式を採用しています。 訓令式では、チ、ツなどをタ行とし、ti, tuのように二字で書き、ヘボン式では発音通りchi, tsuと三字で書きます。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修:生活歳時記〈第2版)、p.289、ローマ字の日、三宝出版(1994); 北陸中日新聞: なるほどランド、絵からできたABC・・・、ローマ字 フェニキア人が生んだ、2011年(平成23年)4月3日(日)、朝刊より.

(参考資料) ローマ字(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%AD%97

ローマ字のヘボン式、日本式、訓令式の違い(Nitta’sホームページ): http://www.tcct.zaq.ne.jp/nitta/monolog/028/hep_kun_jap.html

 

2012年5月 4日 (金)

異常気象(原因)、南米ペルー沖で海面水温が高くなるエルニーニョ現象、逆に海面水温が下がるラニーニャ現象、北極圏の寒気が周期的に放出される北極振動、とは(2012.5.4)

   異常気象(いじょうきしょう)とは、広辞苑によれば、まれに発生する気象。多くは災害を伴う。気象学上は、気温・降水量などの気象要素が過去30年以上にわたって観測されなかったほどの値を示す場合、また、集中豪雨・竜巻などの突発的な現象や同じ気象が農作物などに被害がでるほど長期間続く場合です。

 近年、異常気象により、世界各地で大災害が起きています。その原因となる、南米ペルー沖で海面温度が高くなるエルニーニョ現象、逆に海面温度が下がるラニーニャ現象、北半球で気圧の高低が繰り返される北極振動(ほっきょくしんどう)などについて、改めて調べてみました。

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エルニーニョ/ラニーニャ現象による太平洋赤道域の海面水温の変化、エルニーニョ現象、1997年(平成9年)11月 ラニーニャ現象、1988年(昭和63年)12月、平年に比べて高温の場合は赤(暖色系)、低温の場合は寒色系(青)で表示、出典:気象庁 気象統計情報「エルニーニョ/ラニーニャ現象とは」、google画像.

環境展望台(地球の成り立ちと気候変動、エルニーニョ/ラニーニャ現象、国立環境研究所、つくば市、茨城県):http://tenbou.nies.go.jp/learning/note/theme1_3.html

○ エルニーニョ現象

 エル・ニーニョは、スペイン語で「男の子、幼な子イエスとも」の意味で、ペルーでは昔から、数年に一度、クリスマス前後にペルー沖の海水温が2~3℃急上昇する状況が知られていました。これをキリストにちなみ「神の子」をも意味する「エルニーニョ」と言っていました。ペルーで不魚・集中豪雨などが生じるほか、世界各地にさまざまな異常気象をもたらします。

 1970年(昭和45年)年代以降、ペルー沖を含む太平洋赤道域の広い範囲の水温変動が世界の異常気象の原因になっていることが分かってきて、研究が急速に進みました。地域の用語だった「エルニーニョ」が気象用語として使われるようになりました。

 エルニーニョ現象は、太平洋中部から東部の赤道域の水温が0.5℃以上高い状態です。日本では暖冬、冷夏になる傾向があります。太平洋の海水温の変化は、東アジア以外にも、北アメリカやインド洋、アフリカなどにも玉突きのように影響を及ぼし、各地の雨の量や気温を大きく左右します。世界各地で水不足や高温、洪水などを起こし、食糧危機や戦争につながるなど、世界の歴史の転換点にもなってきました。

 ○ ラニーニャ現象  

 ラニーニャは、スペイン語で「女の子、の意味で、南米ペルー沖の暖かい海水が強い東風で西に吹き寄せられることで、太平洋中部から東部の赤道域で海面水温がいつもの年より0.5℃以上低い状態が6ヵ月程度以上続く現象です。

 気象庁の観測では、この62年間でラニーニャ現象は14回起きました。ひとたび起きると1年ほど続くことが多く、世界各地に異常な気象を巻き起こします。

 日本大雪に見舞われた1年前、オーストラリアでは大洪水が起きましたが、これは2010年((平成22年)夏から昨年春まで続いたラニーニャ現象が原因であると日本大学(地球システム科学科)の山川修治教授は指摘しています。

 太平洋は地球表面の3分の1を占める広大な海です。赤道周辺では貿易風(ぼうえきふう)と呼ばれる東風が常に吹いています。南アメリカのペルー沖では、風で海水が西へ流されるため、冷たい海水が南極海からと南アメリカ西岸沖の深い層から入ってきます。この東風が普段より強まり、太平洋東部から中部が冷たい水で覆われるのがラニーニャ現象です。

 インドネシア近海では、表層の暖かい水がたっぷり運び込まれ、大量の水蒸気が立ち上がり入道雲が次々に生まれます。は、東南アジアで大気の対流活動が活発化した影響で、その北側の偏西風(へんせいふう)を蛇行させ、日本に寒気を呼び込みます。は、太平洋高気圧の勢力が強まり、日本は暑くなる傾向があります。

○ 北極振動

Ao1

北極振動(AO)がプラスの時とマイナスの時の偏西風ジエット気流(矢印)と各地の気温偏差(暖冷)および気圧偏差(高低)の分布北極振動と世界の異常気象、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC):http://www.jamstec.go.jp/frcgc/jp/report/2004/jan/tanaka.html 、google画像.

(解説) 北極圏の気圧が高く、日本列島や北米、欧州など中緯度帯の気圧が低いと、寒気が中緯度帯に放出され南下しやすくなります。逆に北極圏の気圧が低いと、寒気が蓄積され南下しにくくなります。こうした北半球の大気現象が繰り返されることを北極振動と呼んでいます。

 その詳しい発生原因は分かっていません。寒気の蓄積と放出の周期も複雑で、数週間から数十年程度のさまざまな周期が重なっていると考えられています。1998年(平成10年)に米国の気象学者、デヴィッド・トンプソン(David W. J. Thompson)とジョン・ウォーレス(John M. Wallace)が提唱した、比較的新しい概念の大気現象です。 

 北極からの冷たい空気の出方が変わる北極振動でも、天候が変わり、冬がとても寒くなることや、逆に冷たい空気が来ずに暖冬になることがあります。

 最近の異常気象に関係した現象としては、2009年(平成21年)7月、日本海側で日照不足、中国・九州地方で豪雨は、エルニーニョ現象、2009年(平成21年)12月~2010年(平成22年)2月、ヨーロッパ、ロシア西部などの大寒波は、北極の寒気の流れ込み、偏西風の大きなうねりなどが原因とされています。

 2010年(平成22年)7月、ヨーロッパ、ロシア、中国北部、米国東部で異常高温は、偏西風の大きなうねり、エルニーニョ現象の終息など、2010年(平成22年)夏、日本各地で異常高温は、エルニーニョ現象の終息、ラニーニャ現象などが原因とのことです。

 異常現象は、ここで説明したような現象がいくつも合わさって起きることがほとんどで、根本の原因となると、まだまだ解明できていないこともたくさんあるとのことです。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991); 朝日新聞: 小坪遊、異常気象 どうして起きるの? 朝日NIEスクール、ののちゃんの自由研究、2011年(平成23年)12月22日(木)朝刊より; 北陸中日新聞: 西に偏る冬将軍、冷気「北極振動」、ラニーニャ現象、2011年(平成23年)1月8日(土)夕刊より; 北陸中日新聞: 「ラニーニャ」で日本ブルブル、なるほどランド、2012年(平成24年)2月5日(日)朝刊より.

(参考資料) 気象庁(エルニーニョ/ラニーニャ現象、最新情報、国土交通省、東京): http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/elnino/

(追加説明) 国連の機関「気候変動に関する政府間パネル」は報告書で、地球温暖化が進むと異常現象が起きやすくなると予測しています。

 が、2012年(平成24年)4月19日(木)、国立天文台などのチームが太陽の北極で磁石のS極とN極がひっくりかえるような地場の反転が起きつつあることを観測したと発表しました。通常は同時に反転する南極の地場に、変化の兆しはなく、過去に地球が寒冷化した時期の太陽の状況に似てくる可能性があるという。国立天文台(自然科学研究機構、本部、三鷹、東京): http://www.nao.ac.jp/

 常田佐久・同天文台教授は「地球の温暖化が抑制される可能性もあり、推移を見守りたい」と話しています。太陽の磁場は約11年周期で反転し、次の反転は2013年(平成25年)ごろと考えられていました。(北陸中日新聞、2012年(平成24年)4月20日(金)、朝刊より)

〇 北極の氷 6番目の小ささ 年最小面積を分析、減少ペースは鈍化  国立極地研究所は2017年9月9日、447.2万㎡となり、今年最少になったと発表した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の観測衛星「しずく」のデータを分析した。本格的な衛生観測が始まった1979年以降、年最小面積としては6番目の小ささ。

 観測史上の最小面積は2012年に記録。過去最少を更新しない期間が5年を超えるのは初めて。12年までのデータによる海氷の減少予測に対し、その後のデータも加えた解析では、減り方が鈍っているという。

 猪上淳・極地研準教授は「地球温暖化は止まっていないが、北極圏では長周期の自然変動の中で海氷が減りにくい時期に差し掛かっている可能性がある」と話している。(朝日新聞、2017.9.16、朝刊)

2012年5月 1日 (火)

サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題(2012.5.1.歩道沿いの平戸躑躅の花)

科学風土記(人文、社会、自然)

T. HONJO
金沢
 サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題を、科学風土記(人文、社会、自然)として、四季折々、徒然なるままに紹介しています。
 時折、説明、資料、画像など追加、修正し、タイトル、話題の内容などアレンジしたものもあります。 デジカメ写真 、google検索画像は、マウスで左クイックすると、写真や資料の画像が拡大するものもあります。
 興味: 生涯学習(ブログ!),サイエンス(科学、人文、社会、自然),歴史散歩(温故知新!),インターネット(IT),スクラップ(新聞),囲碁(棋話、棋戦!)
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ヒラドツツジ平戸躑躅、ツツジ科、桜田、金沢、石川、2012年5月1日(火)撮影)
 

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