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2012年8月23日 (木)

本妙寺(本郷丸山、のち豊島巣鴨へ)、江戸最大の火災(明暦の大火)の火元、江戸の町の大改造(延焼を防ぐ広小路!)、本因坊家(囲碁家元)の菩提寺、とは(2012.8.23)

  江戸時代、焼失面積の大きな火災は、江戸では30回以上、なかでも、第4代将軍、徳川家綱(1641~1680)のとき、1657年(明暦3年)、本郷丸山本妙寺(ほんみょうじ、法華宗)から出火した明暦の大火江戸時代最大の火災で、江戸の町を大改造するきっかけとなりました。 また、本郷丸山本妙寺は、囲碁の名門、本因坊家の菩提寺でもあり、1908年(明治41年)、豊島巣鴨に移り再建されたということで、改めてその遺跡を調べて見ました。

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○ 明暦の大火

本妙寺跡・明暦の大火(本郷丸山、本郷5-16,17、郷土愛をはぐくむ文化財、文京区教育委員会、1979年(昭和54年)3月、立札設置、1999(平成11年)年4月25日、撮影)

(解説) 1657年(明暦3年)1月18日に江戸の本郷丸山本妙寺(ほんみょうじ、法華宗)の失火から発し、翌日まで続いた大火です。振袖火事・丸山火事。丁酉火事とも。1月18日は、冬の季節風で、空気が乾燥し、北西風が強いときで、北は柳原から、南は京橋、東は佃島・深川・牛島新田まで延焼しました。このとき吉原も全焼しました。1月19日には、小石川鷹匠町から出火し、大名屋敷などを焼き、ついで江戸城本丸・二丸・三丸もも炎上しました。

 さらに麹町からも出火し、桜田一帯を焼き、火はそれから二手に分かれ、一手は通町に、一手は愛宕下を経て芝浦に至りました。これによって江戸の町の60%が灰となり、大名屋敷160、旗本屋敷770余、寺社350余、橋60,町屋は両町で400町が焼失し、5~10万人が死亡したという。 明暦の大火(google画像検索): https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=hts&oq=&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLG_jaJP443JP443&q=%E6%98%8E%E6%9A%A6%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB

 本郷丸山町本妙寺施餓鬼(せがき、飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会。今日では盂蘭盆会と混同。))に焼いた振り袖が空中に舞い上がって大火の因をなしたといわれ、俗に振袖火事と称されました。火災後、本所に回向院(えこういん、浄土宗、無縁寺とも)を建てて死者の霊を祀りました。なお、この火災については放火説もあるが、真偽は不明です。 回向院(えこういん、ホームページ): http://www.ekoin.or.jp/

 幕府は明暦の大火の復興に際し、一部の武家屋敷や寺社を郊外に移し、延焼防止のために火除地(ひよけち)や広小路(ひろこうじ)を設け道幅を広げるなど、江戸の町を大きく改造し、家屋の規模を定めるなどの措置をとりました。その後、広小路と名のつく街路は、延焼を防ぐ目的で全国各地に広まりました。明暦の大火による江戸の大改造(江戸建設開府400年、菊岡倶也): http://token.or.jp/magazine/g200309/g200309_1.htm

○ 本因坊家の菩提寺

 本因坊家の菩提寺の墓地、京都の寂光寺(じゃっこうじ、法華宗、左京、東山仁王門)には、初代算砂(さんさ)から第3世道悦(どうえつ)まであります。 

 また、東京の本妙寺(ほんみょうじ、法華宗、明暦の大火で本郷丸山は焼失、6年後本堂復興、のち豊島、巣鴨へ移転)には、第4世道策(どうさく)から第15世秀悦(しゅうえつ)までは本郷丸山本妙寺の墓地、第16世秀元(しゅうげん)から第21世秀哉(しゅうさい)まで巣鴨本妙寺の墓地において歴代本因坊が永遠の眠りについています。なお1910年(明治43年)本郷丸山本妙寺は豊島、巣鴨に移転しています。 その頃、本郷丸山本妙寺の本因坊家の墓地も2,3年かけて巣鴨本妙寺に移されたと言われています。本妙寺(ホームページ、法華宗、巣鴨、豊島区、東京): http://www6.ocn.ne.jp/~honmyoji/index.html.

 日本棋院は、1924年(大正13年)4月に創立され、秀哉名人は、300年伝承の本因坊の名称を日本棋院に提供することによって引退しました。その後、新たな実力棋戦、本因坊戦(毎日新聞社支援)が出来上がり、そのタイトル獲得者に本因坊名が与えられ、現在に至っています。本因坊家(google画像、丈和含む): http://www.hudong.com/wiki/%E6%9C%AC%E5%9B%A0%E5%9D%8A%E5%AE%B6. 日本棋院(ホ-ムページ、市ヶ谷、千代田区、東京): http://www.nihonkiin.or.jp/

 私は、本因坊ゆかりの寂光寺(京都)と本妙寺(東京)、日本棋院(高輪、のち市ヶ谷)など何度か訪れたことがあります。特に、本妙寺と本因坊の歴史伝承については、1999年(平成11年)の頃、日本棋院棋道編集部の方から囲碁史研究をされている堀越輝登氏(川崎市、神奈川)を紹介され、いろいろご教示いただきました。

(参考文献) 井口昭夫; 本因坊名勝負物語、三一書房(1955); 安藤如意(改補社者渡辺英夫): 坐隠談叢(新編増補、囲碁全史、新樹社(1955); 堀越輝登: 渡辺英夫先生を偲んで、棋道、日本棋院(1998)、特別寄稿、秀哉忌と本因坊の法名、棋道、日本棋院(1999); 永原慶二監修: 日本史辞典(初版)、岩波書店(1999); 竹内誠監修・市川寛明編: 地図・グラフ・図解でみる 一目でわかる江戸時代、小学館(2004).

(参考資料) 囲碁と歴史(烏鷺光一、菩提寺、墓地含む): http://uro.blog.ocn.ne.jp/blog/cat11529563/

(追加説明) ○ 江戸時代の消火活動は、風下の家屋を壊して燃え広がらないようにする破壊消防が中心でした。竜吐水(りゅうとすい)と呼ばれた放水ポンプは、火災を消すというよりは、消火活動にあたる火消しに水をかけてその身を守るものでした。

 火消し整備されても1657年(明暦3年)1月18~20日、明暦の大火後に、1772年(安永元年)2月29日、行人坂(ぎょうにんざか)の大火、また1806年(文化3年)3月4日、丙寅(へいいん)の大火が発生しており、焼失面積や死者の数が少なくなっているものの、大火をなくすことは不可能でした。

○ 1612年(慶長17年)、徳川家康(1542~1616)は本因坊算砂(1558~1623、加納算砂、日海とも)に50石5人扶持の俸禄を与えました。のち、徳川幕府は棋士の入段・昇段、御城碁の運営などのための役職を設置し碁所(ごどころ)と呼び、歴代の名人が就任、江戸時代を通じて、本因坊、安井、井上、林4家元の争奪の的になりました。碁所(ごどころ、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%81%E6%89%80

 

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