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2012年8月29日 (水)

神道(しんとう、民俗神道、神社神道、教派神道)、鎮守社(仏寺・神宮寺の鎮守、神仏分離で廃絶あるいは独立!)、鎮守の森(神木、植生遷移の極相!)、とは(2012.8.29)

   神道(しんとう)とは広辞苑によれば、もと、自然の理法、神のはたらきの意。古来、わが国固有の民族信仰。祖先神への尊崇(そんすう)を中心とする。これは家庭や個人によって営まれる民俗神道のことです。古来、人の心のよりどころ、神道、鎮守の森について、改めて調べて見ました。

 古来、人々は、山や海、川から恵みを得て生活していく中で、災害もある自然を畏怖(いふ)し、自然そのものを神(山の神、海の神、田の神など)として崇拝(すうはい)していました(自然崇拝)。その後、田畑の開墾(かいこん)が広がると、祖先霊を水をもたらす山の神、イネ(稲)の豊作をもたらす田の神と信じました(祖先崇拝)。氏神(うじがみ)は、本来は氏族の祖先の霊を神として祀(まつ)りましたが、現在では土地守護神として祀られていて、産土(うぶすな)鎮守(ちんじゅ)とも呼ばれています。

 また、古来の民族信仰が外来思想である仏教・儒教の影響を受けつつ成立し理論化されたものに、神社を中心とする神社神道(神社中心に構成。宗教法人の神社約8万。祭神は八百万神と多彩、神宮と呼ばれる神社のほとんどは、皇室に縁の深い天つ神を祀る)があります。

 神社(じんじゃ)とは、日本固有の民族的信仰に基づき、神(天神地祇、祖神、崇敬神、天皇、皇族、その他の人霊、人格神)をまつる一定の様式を持った建築物(拝殿、本殿、幣殿など)と、それを中心とする祭祀(さいし)、儀礼、信仰の組織を言います。

 その他、幕末以降創設された教派(きょうは)神道(明治時代に公認宗教神道教派とされた13派とその系譜を引く教派神道系教団、新教派、教派神道系には、富士山、木曽御嶽山などの霊峰を信仰する諸集団の山岳信仰系、黒住教、金光教などの純教祖系、禊ぎ系、儒教系、復古神道系など)があります。

○ 鎮守の社、鎮守社

 鎮守(ちんじゅ)とは、広辞苑によれば、そのを鎮(しず)め守る、また、その(やしろ)のことです。 鎮守の神(ちんじゅのかみ)は、一国・王城・院・城内・土地・寺院・邸宅・氏などを鎮護(ちんご)するのことです。鎮守の社(ちんじゅのやしろ)は、土地の鎮守の神を祀(まつ)った社です。

 なお、鎮守社(ちんじゅしゃ)は、仏寺の鎮守のために建てた神社のことです。仏寺・神宮寺(じんぐうじ)は、奈良時代、気比神宮寺、伊勢大神宮寺、多度神宮寺など、神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏習合とも、わが国固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和すること)のあらわれとして、神社に付属して置かれた寺院の称です。

 平安時代には神仏習合・本地垂迹(ほんじすいじゃく)があらわれ、両部神道・山王一実神道が成立、中世には伊勢神道・吉田神道などが起り、江戸時代には垂加神道・吉田神道などが流行しました。明治維新以後神仏分離によって廃絶(はいぜつ)あるいは独立した、宮寺、神供寺、神護寺、神宮院、神願寺、別当寺などの寺院です。

 神仏分離は、明治時代、1868年(慶応4年)3月、維新政府(いしんせいふ)が祭政一致(政教一致とも、神祇の祭祀と国家の政治とが一致するという思想並びに政治形態)の方針に基づき、神仏習合を廃止した政策です。神社の社僧・別当は還俗し、権現(ごんげん)・明神(みょうじん)・菩薩(ぼさつ)などの神号は廃せられ、神社から仏像・僧像・経巻などが取り払われました。さらにこの政策は過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動へと展開しました。

 神社神道は、太平洋戦争終了まで政府の大きな保護を受けましたが、戦後、国家の保護を離れ民族的信仰を基盤に存続しています。

○ 鎮守の森 

 神木(しんぼく、勧請木、神依木とも)とは、神社の境内にあって、その神社に縁故のあるものとして特に祭られる樹木。注連(しめ)を引き柵(さく)を設けなどする。あるいはこれを神体とするものもあります。また、広く、神社境内の樹木の総称のことです。普通は老齢の巨木に「注連(しめ)」を張り、また柵(さく)などをめぐらし、神の降臨する木と信じられています。熊野の竹柏(なぎ)、稲荷の験(しるし)の杉(すぎ)、太宰府天満宮の飛梅(とびうめ)、春日神社の榊(さかき)などがそれです。

 鎮守の森について、昔から日本の人々は新しい集落に必ず「土地本来のふるさとの木による、ふるさとの森」をつくってきた、という。おろか者に破壊させないために、神社や寺ををつくり、この森を切ったら罰があたる、というふうに守ってきました。それらの森は、地震、台風、火事などの災害の時には逃げ場所になりました。(宮脇昭、国際生態学センター研究所長、「都市の植生のゆくえ」、朝日新聞、天声人語、1993年(平成5年)4月30日、朝刊より)

 また、神社の本殿などを取り囲み「うっそうとした」「手つかずの」 と形容される鎮守の森の多くが、明治時代初期頃までは、常緑広葉樹ではなくマツやスギなど針葉樹中心だったことが明らかにされました。(小椋純一京都精華大教授(植生史)の調査、著書「森と草原の歴史」(古今書院)、朝日新聞、2012年(平成24年)4月19日、朝刊より)

 当時は、日常的に低木は伐採されたり、燃料に使う落ち葉がかき集められたりしていました。が、明治政府が境内の森林利用を厳しく制限すると、低木が生い茂り、徐々にシイカシなどの広葉樹置き換わったと見られています。小椋教授は「高度成長期に多くの自然が失われるなか「昔から手つかずだった」という誤解を生んだのではないか」と説明しています。

  社寺境内は、その性格上、伐採されず自然な状態で大事にされ、平地や低山地にあっては、比較的人手の加えられていない森です。この社寺林樹種を調べることで、ある程度その土地の植生遷移の最終段階である極相林構成樹種及び、その土地気候(特に気温と降水量)を知ることができます。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); (財)自然保護協会編集・監修: 指標生物 自然をみるものさし、p.68~70、社寺林の樹種と気候、平凡社(1994); 北陸中日新聞: 日本の神々、中日サンデー版、世界と日本 大図解シリーズ No.670、2005年(平成17年)2月13日(日)朝刊.

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