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2012年10月の5件の記事

2012年10月24日 (水)

福井(越前)県名の由来、北庄城(のち福井城)天守台跡「古井戸」の「福の井」でなく、幕府御内書「福居」の「福井」への記載ミス、水月湖の5万年刻む「砂時計」、とは(2012.10.24)

   福井(越前)県名の由来は、北庄城(のち福井城)の天守台跡古井戸」には、「福井名の由来とあり、豊かな湧水の井戸の意と思っていました。が、これは徳川幕府による御内書(ごないしょ、公文書)「福居」の「福井」への記載ミスであったという。そこで、改めて、福井(越前)由来などについて調べてみました。

 越前国名蹟考(井上翼章著)によれば、福井の名は、もと足羽神社(あすわじんじゃ)の五座の神の一座、福井神(サクイノカミ)の名であって、福井の字の古訓はサクキで、栄(サク)井神とも書かれたが、俗間には詠みやすく福井(フクイ)と呼ぶようになったという。そして、福井城の築城以前に、そこにあった四個の名井、四つの井の一つの福井の名は、 この足羽神社の神名に因んだものであろうという。 足羽神社(ホームページ、足羽神社社務所、福井): http://www.asuwajinja.jp/. ふくいのおいしい水(ホームページ、認定、福井県): http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/kankyou/water/tasty.html

  ところで、福井(越前)の地は、中世以来「北庄」(北ノ庄とも)が城名で地名でした。江戸初期、1600年(慶長5年)、徳川家康(1542~1616)の次男・結城秀康(1574~1607)が越前国に転封された際も、城名は北庄城でした。 翌年、城の大改築に着手して、本丸を四個の名井のあった四つの地に移しました。

 福井藩第3代藩主・松平忠昌(1598~1645)は、北庄は敗北につながり、柴田勝家(1522?~1583)ら非業の最期を遂げた城主も多いとして、名井の福井という好名をとって改名したといわれています。 福井藩(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E8%97%A9

 一般に、この説がよく知られていますが、江戸時代の初期、貞享年間(1684~1687)までの文書には、福居と書かれ、福井の字が見えなく、それ以降は福井とされていることから、福井市史(福井市役所編)の著者は、この挿話(そうわ)に不審を抱いていました。 また、もと県立高校教諭で歴史研究家の松原伸之さん(78才)は、1970年(昭和45年)、県地域史研究に「福井地名考」を発表し、「古井戸」の「福の井」などが地名の起源とされていた伝承否定しました。

 松原さんの研究は、「福居」から「福井」の改称は、1686年(卓享3年)の卓享の半知(68万石から25万国へ)がきっかけとする。幕府が越前松平家の石高を半減して家格を下げた事件ですが、このとき将軍家からの御内書福井侍従(じじゅう、君主のそば近くに仕える人)と書かれていました。

 以降、幕府側は福井を使い続け、藩は異議を唱えることもできなかった。1701年(元禄14年)、幕府から国図絵に鄕村帳の提出を求められた際、正式に福井と統一したらしく、藩名すら幕府に逆らえなかったという。

(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(1972); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 朝日新聞朝刊: 週刊まちぶら、第150号、福井城趾周辺(福井市)、江戸がつまった「福居県」、2011年(平成23年)3月13日(日).

(追加説明) ○ 古来、北陸(ほくりく)は、北陸地方およびそれ以北日本海沿岸も含め、コシの国と総称し、これに越、高志、古志の字をあてました。が、飛鳥時代、701年(大宝元年)の令制(大宝律令)、国号制定のとき、都(みやこ、京都)からの遠近によって、越前(えちぜん、福井、能登、加賀、のち石川)、越中(えっちゅう、富山)、越後(えちご、新潟)の3つに分かれました。

○ 水月湖の5万年刻む「砂時計」

水月湖の年縞(日本地球惑星科学連合): http://www2.jpgu.org/publication/jgl/JGL-Vol6-4.pdf.

水月湖の年縞(連載.jp): http://rensai.jp/?p=41808.

 2006年(平成18年)の夏、福井県の水月湖(三方五湖)のほぼ真ん中で4ヵ所、直径7.5cm、最長2mの筒状のパイプを湖底に差し込み、70mの堆積物を引き揚げました。

 その土の断面(年縞、ねんこう)は、数万年前から四季ごとに湖底に沈みこんだ黄砂やプランクトンの死骸、土などで、黒や白、中間色などの層がきめ細かく並んでいました。

 これら堆積物に含まれる植物の葉などの化石に取り込まれた放射性炭素の量(濃度)を、中川毅教授(英ニューカッスル大、古気候学)はじめ、日独英の研究チームが顕微鏡やX線スキャナーで調べた結果、水月湖の堆積物は5万2800年分の年縞までほぼ正確にさかのぼる、世界標準時計になることが、2012年(平成24年)夏開かれたIntCal国際会議で合意されました。

朝日新聞5万年刻む「砂時計」、福井の水月湖 70メートルの堆積物、2013年(平成25年)1月7日(月)朝刊より

 

2012年10月19日 (金)

心に残る歌(平和と夢!アメリカ)、小さな世界(シャーマン兄弟、ディズニーランド、カリフォルニア)、夢みる人(夢路より、フォスター)、おお!スザンナとジョン万次郎、とは(2012.10.19)

   ディズニーランドといえば、ミッキー・マウス、ドナルド・ダッグ小さな世界(平和!)の歌を思い出します。アメリカに留学していた、1975年(昭和50年)6月頃、ディズニーランドを家内(尊子)とはじめて訪れ、どこともなく聞こえてくる心地よい歌を聴きながら、同郷(徳島)の英語の女教師とご一緒したことを覚えています。

 アリゾナ大学の研究室でその曲を口ずさんでいると、大学院生のエド(エドワード アチェソン)さんが、それは、It's a Small World、という歌だと教えてくれました。その後、日本では、小さな世界、というタイトルで歌われていることを知りました。 

 この歌は、1962年(昭和37年)、R.B.シャーマン(1925~2012)、R.M.シャーマン(1928~ )の兄弟が作り、のち陽気でテンポの速い歌に編曲し、1964年(昭和39年)、アトラクション開演で演奏されました。小さな世界(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E4%B8%96%E7%95%8C

 ディズニーランド(Disneyland)は米国、カリフォルニア州ロスアンジェルス郊外にある遊園地。1955年(昭和30年)、ディズニー(Walt Disney、1901~1966、米国の漫画家、映画製作者)が、ミッキー・マウス、白雪姫、ファンタジアなど、常に童話的世界を目ざして建設、世界有数の規模を誇り、1965年(昭和40年)の年間入場者数は5000万人に達したという。

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It's a Small World(カルフォルニア、アメリカ合衆国、google画像) Disneyland(公式ホームページ、カルフォルニア): http://disneyparks.disney.go.com/dpj/ja_JP/index?name=DisneylandHomePage

It's a Small World(小さな世界)

英語版

It's a world of laughter  A world of tears
It's a world of hopes  And a world of fears
There's so much that we share
That it's time we're aware
It's a small world after all

There is just one moon And one golden sun
And a smile means  Friendship to ev'ryone
Though the mountains divide
And the oceans are wide
It's a small world after all

日本語版

世界中どこだって 笑いあり涙あり
みんなそれぞれ助け合う 小さな世界
世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ

世界中誰だって 微笑みあえば仲良しさ
みんな輪になり手をつなごう 小さな世界
世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ

世界中どこだって 笑いあり涙あり
限りない空と海 星影のうつくしさ
それは一人語りかける 小さな世界
世界はせまい 世界は同じ 世界はまるい ただひとつ

It's a Small World(小さな世界、歌詞、だいさくの呟き、小さな世界): http://daisyaku.blog56.fc2.com/blog-entry-115.html

○ It's a Small World(小さな世界、無料試聴、投稿型着メロ研): http://j-ken.com/category/all/song/102595_103753/

 アメリカの作曲家といえば、有名なフォスター(1826~1864、Stephen Foster)を思い出します。正規の音楽教育は受けませんでしたが、1844年(弘化元年)、最初の歌曲集を出版、最後には、ニューヨークのマンハッタンの安宿で飲酒におぼれ、貧困のうちに37才で事故死するまでに188曲の歌曲を残しました。亡くなった後には、Beautiful  Dreamer夢みる人、夢路よりとも、夢!)という美しい曲が残されていました。この時のフォスターの所持品はわずか38セントの小銭と、「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけであったという。

Beautiful dreamer, wake unto me   Straight  and dewdrops are waiting for thee   Sounds  of the rude world heard in the day   Lull'd by the moonlight have all pass'd away

美しき夢見る人よ 我が為に目覚めよ  星の光と露の雫が 汝を待つ  粗暴な俗世の喧噪は  月の光に優しく照らされ すべて去りぬ

○ 夢路より夢見る人とも、歌詞、試聴、世界の民謡、童謡): http://www.worldfolksong.com/foster/song/beautiful.htm

 フォスターの歌は、おお!スザンナ、草競馬、ケンタッキーのわが家、オールド・ブラック・ジョーなど、いずれも民族色が強くアメリカ民謡として愛唱されています。

スティーブン フォスター(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC

 アメリカ民謡、おお!スザンナは、1848年(嘉永元年)、S.C.フォスターが作詞作曲した歌です。日本に紹介された最初のアメリカ民謡ですが、この歌を伝えたのがジョン万次郎こと、中浜万次郎(1827~1898)であったという。歌の主人公は黒人で、差別的な内容が含まれる。白人労働者向けの娯楽である、白人が顔を黒く塗って黒人に扮する歌喜劇「ミンストレルショー」でうたわれました。

 中浜万次郎(なかはままんじろう、1827~1898)は、幕末・明治の語学者。土佐国の漁夫の次男。1841年(天保12年)出漁中に漂流、米捕鯨船に救われ米国で教育を受け、1951年(嘉永4年)帰国。土佐藩、ついで幕府に仕え、翻訳・航海・測量・英語の教授に当たる。1860年(万延元年)遺米使節に随行し再度渡米。のち維新後開成学校英語教授。ジョン万次郎とも。 ジョン万次郎(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%B8%87%E6%AC%A1%E9%83%8E

2007年(平成19年)、万次郎にとって大恩あるホイットフィールド船長の自宅が競売に出されていることを知った、日野原重明氏のご尽力により、2009年5月7日(HINOHARA Day!)、家屋を修復、万次郎少年が滞在した当時の面影をそのまま見事に再現した家屋が記念館とし完成し、日米の国旗が掲げられ、国歌が奏でられる中、フェアヘーブン(マサチューセッツ州南部)の町に引き渡されました。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 朝日新聞朝刊: be on Saturday、うたの旅人、中浜万次郎、帰郷の道中に響く歌声、アメリカ民謡「おお!スザンナ」、高知・土佐清水、2010年(平成22年)6月26日(土).

○ コメント バーバリーブラックレーベル (nvnputmey@gmail.com nvnputmey@gmail.com, 2012/11/14) : 今日は よろしくお願いしますね^^すごいですね^^

2012年10月15日 (月)

若山牧水(日向市、宮崎県)、旅と酒をこよなく愛した歌人(九州から北海道まで、幾山河こえさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく、歌碑13基)、種田山頭火、島崎藤村、とは(2012.10.15)

   日向(ひゅうが、ひむかとも)といえば、古事記・日本書紀に記されている有名な「神武東征(じんむとうせい、日向(宮崎)から大和(奈良)へ)」の神話、伝説など、また日向産のサトウキビという阿波和三盆糖(徳島)の伝承、日向(お倉ヶ浜、宮崎)産の(はまぐり)碁石のほか、「幾山河こえさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」と歌った、旅と酒をこよなく愛した若山牧水(わかやまぼくすい、日向市、宮崎県)などを思い浮かべます。ここでは、若山牧水について、改めて調べて見ました。

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旅ゆく牧水の像(生家近くの牧水公園、日向市、宮崎県、google画像) 若山牧水(九州の文学、webM旅、東郷町、日向市、宮崎県): http://www.webmtabi.jp/200809/tanka/bokusui_wakayama.html

(解説) 若山牧水(わかやまぼくすい、1885~1928、歌人、宮崎県生れ)は、尾上紫舟(おのえさいしゅう、1876~1957、歌人・書家・国文学者、岡山県生れ)の門下、平易純情な浪漫的な作風で、旅と酒の歌が多い

 1908年(明治41年)に歌集海の声」を刊行、自然の大胆なとらえかたに加えて、旅・酒・恋を抒情(じょじょう)豊かに詠う歌風は、1910年(明治43年)の「別離」において一気に開花しました。同年3月に主宰誌「創作」を創刊。「みなかみ紀行」など優れた紀行文も数多い。全集・14巻(1992~1993)があります。 

若山牧水記念文学館(公式ホームページ、日向市、宮崎県): http://www.bokusui.jp/

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歌碑(若山牧水の筆跡、揮毫旅行、幾山川 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ國ぞ けふも旅ゆく、歌集では幾山河と表記、北上、岩手、google画像) 若山牧水の歌碑(きたかみ魅力辞典、きたかみ観光協会、北上、岩手): http://www.kitakami-kanko.jp/kanko.php?itemid=215歌の意味は、「いったいどれだけの山や川を越え去ってゆけば、この寂しさが終わる国にたどり着けるのであろうか。行けども尽きない寂しさの国を 今日も私は旅している」。

(解説) 全国を旅した歌人らしく、歌碑は九州から北海道まで280基もあります。生涯につくった8800の短歌のうち、最も多く碑に刻まれているのは「幾山河 こえさりゆかば寂しさの はてなむ」国ぞ 今日も旅行く」(歌集、海の声、別離)で13基あります。 

 酒好きにはたまらない「白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」(歌集、路上、讃酒歌)は8基、次いで、「白鳥は かなしからずや空の青 海のあをにも 染まずただよふ」(ふる郷旅の歌) は7基あり、汽笛を友とし、酒に沈潜する孤愁の人のイメージという。

 晩年は、富士山の見える沼津の千本松原で過ごしました。臨終の枕元にあった短歌雑誌の裏表紙には、赤いペンで「酒ほしさ まぎらはすとて 庭に出でつ 庭草をぬく この庭草を」の絶筆が残されていて、やはり酒が命を縮めたのかと哀れを誘います。

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室生犀星(1889-1962、石川県)   

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高村光太郎(1883-1956、東京都)

 室生犀星(むろうさいせい、1889~1962、詩人、小説家、石川県生れ)は「朗読をするにふさわし」と牧水の声を絶賛し、高村光太郎(たかむらこうたろう、1883~1956、詩人、彫刻家、東京生れ)は「彫刻のモデルになってほしかった」と顔かたちをほめています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 永原慶二監修: 日本史辞典(第1刷)、岩波書店(1999); 北陸中日新聞(夕刊): 旅、日向市、宮崎県、牧水の生命力の原点、2011年1月14日(金). 

(追加説明) ○ 若山牧水の歌、「幾山河 こえさりゆかば寂しさの はてなむ」国ぞ 今日も旅行く」(歌集、海の声、別離)の歌は、上田敏の訳詩集(海潮音)、1905年(明治38年)にあるカール・ブッセの詩「山のあなたの空遠く 幸住むと人のいふ」 の抒情にも通じるという。

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若山牧水(1883-1928、宮崎県)

○ 酒と旅の漂泊の歌人として、種田山頭火(たねださんとうか、1882~1940、俳人、山口県生れ)があります。荻原井泉水(おぎわらせんせいすい、1884~1976、俳人、東京生れ)に師事。荻原は俳誌「層雲」主宰、季題無用の新傾向句を提唱、印象的・象徴的な自由律の句をつくり、句集「湧出るもの」「原泉」などを発表しています。種田はその影響を受け、のち出家して全国を漂泊、自由律の句を詠み、句集「草木塔」など発表しました。 種田山頭火の生涯(文芸ジャンキー・パラダイス、http://kajipon.com): http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic41.html.

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種田山頭火(1882-1940、山口県)

○ 島崎藤村(1872~1943、詩人、作家、長野県生れ)の千曲川旅情の歌~「小諸なる古城のほとり」の詩の中で、旅と酒について、(http://www.komorebi.org/book/)、「濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」と詠われています。

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島崎藤村(1872-1943、岐阜県)

2012年10月13日 (土)

サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題(2012.10.13.玉簾、神子清水の風景)

  サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題を、科学風土記(人文、社会、自然)として、四季折々、徒然なるままに紹介しています。 

 
 ブログ(タイトル、内容、解説、資料、画像など)は、時折修正してアレンジしたものもあります。 画像(デジカメ写真、検索画像など)は、マウスで左クイックすると拡大するものもあります。
                                   T.HONJO  金沢   
 
 
  
四季折々の風景
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秋の野草と名水(上 タマスダレ(玉簾、ヒガンバナ科タマスダレ属、湧水近くの道沿い  下 神子清水(みこしみず、白山市、石川県、2012年10月13日)                                   

2012年10月 7日 (日)

歌詞のメッセージ(人の幸せとは)、太陽と土と水を(人様は、力があれば幸福が?)、手のひらを太陽に(僕らはみんな生きている!)、花は咲く(東日本大震災復興支援ソング)、とは(2012.10.7)

   最近注目されている歌、「太陽と土と水を」の歌詞には、「人が力や金でなく、知恵や自然との調和に幸せを求める!」というメッセージが込められており、東日本大震災と原発事故を経て、人々が求め始めた社会のありようと重なるという。 人間も自然の一部であり、日本の童謡、「手のひらを太陽に」とも相通ずるものがあるように感じられました。

○ 太陽と土と水を

 太陽と土と水を(たいようとつちとみずを)は、中村八大(なかむらはちだい、1931~1992)さんが高度経済成長期の40年前、唯一作詞作曲した歌ですが、レコードは売れず、忘れ去られていた曲という。 太陽と土と水を(中村さんゆかりの東京都世田谷区、保坂展人区長の公式ブログ、どこどこ日記): http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/8002b8393c19050538740ac0c52a95c6

 人様は 力があれば幸福(しあわせ)が つかまえられると 考えた 力をたくわえた 人様は 力があれば幸福(しあわせ)が つかまえられると  やってみた 力は 消え失せた 力は 知恵に負けた 力は 消えた 力は 知恵に負けた 力は消えた

 人様は お金があれば幸福(しあわせ)が つかまえられると 考えた お金をたくわえた 人様は お金があれば幸せを つかまえられると やってみた お金は 消え失せた お金は 知恵に負けた お金は消えた お金は 知恵に負けた お金は 消えた 

 人様は 知恵があれば幸福(しあわせ)を つかまえられると 考える 知恵を働かす 人様は 知恵があれば幸福(しあわせ)を つかまえられると やってみる 知恵は ただひとつ 太陽と 土と 水を この手でさがそう 太陽と 土と 水を この手で さがそう 太陽と 土と 水を この手で もとう 太陽と 土と 水を この手に もとう

(解説) 1971年(昭和46年)、高度経済成長期の40年前、中村さんは寝る間もないほどの売れっ子であったが、逃れるようにネパールへ向かいました。当時40才、「やわらかく締(し)めつけられていた文明社会の掟(おきて)の息苦しさの中から、ほっとはい出た感じ」と著書に記しています。そして、「帰国後の同年秋、太陽と土と水をの歌を作った」と述懐(じゅっかい)しています。

○ 手のひらを太陽に

 手のひらを太陽に(てのひらをたいように)は、日本の童謡(子どもの歌)で、作詞はやなせたかし(1919~ )さん、作曲はいずみたく(1930~1992)さんです。1962年(昭和37年)にNHKみんなのうた」で放送されました。手のひらを太陽に(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%82%89%E3%82%92%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AB. 

○ 手のひらを太陽に(作詞曲、演奏、google検索):http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/tenohirawo.html

 ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしんだ

 手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお) ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きている 友だちなんだ

 ぼくらはみんな 生きている 生きているから 笑うんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから うれしんだ

 手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお) トンボだって カエルだって ミツバチだって みんな みんな生きている 友だちなんだ

 ぼくらはみんな 生きている 生きているから おどるんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから 愛するんだ

 手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお) スズメだって イナゴだって カゲロウだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ

(解説) 作詞者のやなせさんは、「厭世的(えんせいてき、世の中をいやなものと思うこと)な気分になって追い込まれていた時のことです。暗いところで自分の手を懐中電灯(かいちゅうでんとう)で冷たい手を暖めながら仕事をしていた時に、ふと手を見ると真っ赤な血が見える。自分は生きているんだという再発見と、その喜びを謳歌(おうか、声をそろえてほめたたえること)して頑張らなくちゃと、自分を励ますためにこの詞を作った」と述懐(じゅっかい、心中のおもいを述べること)しています。 

 もともとは童謡ではなく、ホームソングを作るつもりで書き、歌詞の中に出てくるアメンボについては、当初はナメクジであったという。 

 中村八大さんの40年前の伝言、「太陽と土と水を この手に戻そう」の歌は、2012年(平成24年)10月7日(日)、中村さんが早稲田大学3年から作曲家として独り立ちするまでの数年間暮らしたことのある東京都世田谷区、「世田谷区政80周年記念コンサート」において、子どもらのの歌声に乗ってよみがえるとのことです。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991); 北陸中日新聞(夕刊): 太陽と土と水を この手に持とう、 中村八大さん 40年前の伝言、唯一の作詞作曲 東京で合唱へ、2012年(平成24年)10月2日.

(参考資料) ○ 太陽と土と水を、YouTube(google検索): https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLG_jaJP443JP443&q=%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%A8%E5%9C%9F%E3%81%A8%E6%B0%B4%E3%82%92

○ 手のひらに太陽を<YouTube(google検索): https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLG_jaJP443JP443&q=%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%82%89%E3%82%92%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AB

(追加説明)  東日本大震災復興支援ソングとして、作詞 岩井俊二(1963~ )、作曲 菅野よう子(1964~ )の「花は咲く」の歌があります。 

○ 花は咲く,YouTube(google検索): https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLG_jaJP443JP443&q=%E8%8A%B1%E3%81%AF%E5%92%B2%E3%81%8F

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