福井(越前)県名の由来、北庄城(のち福井城)天守台跡「古井戸」の「福の井」でなく、幕府御内書「福居」の「福井」への記載ミス、水月湖の5万年刻む「砂時計」、とは(2012.10.24)
福井(越前)県名の由来は、北庄城(のち福井城)の天守台跡「古井戸」には、「福井」名の由来とあり、豊かな湧水の井戸の意と思っていました。が、これは徳川幕府による御内書(ごないしょ、公文書)「福居」の「福井」への記載ミスであったという。そこで、改めて、福井(越前)の名の由来などについて調べてみました。
越前国名蹟考(井上翼章著)によれば、福井の名は、もと足羽神社(あすわじんじゃ)の五座の神の一座、福井神(サクイノカミ)の名であって、福井の字の古訓はサクキで、栄(サク)井神とも書かれたが、俗間には詠みやすく福井(フクイ)と呼ぶようになったという。そして、福井城の築城以前に、そこにあった四個の名井、四つの井の一つの福井の名は、 この足羽神社の神名に因んだものであろうという。 足羽神社(ホームページ、足羽神社社務所、福井): http://www.asuwajinja.jp/. ふくいのおいしい水(ホームページ、認定、福井県): http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/kankyou/water/tasty.html.
ところで、福井(越前)の地は、中世以来「北庄」(北ノ庄とも)が城名で地名でした。江戸初期、1600年(慶長5年)、徳川家康(1542~1616)の次男・結城秀康(1574~1607)が越前国に転封された際も、城名は北庄城でした。 翌年、城の大改築に着手して、本丸を四個の名井のあった四つの地に移しました。
福井藩第3代藩主・松平忠昌(1598~1645)は、北庄は敗北につながり、柴田勝家(1522?~1583)ら非業の最期を遂げた城主も多いとして、名井の福井という好名をとって改名したといわれています。 福井藩(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E8%97%A9.
一般に、この説がよく知られていますが、江戸時代の初期、貞享年間(1684~1687)までの文書には、福居と書かれ、福井の字が見えなく、それ以降は福井とされていることから、福井市史(福井市役所編)の著者は、この挿話(そうわ)に不審を抱いていました。 また、もと県立高校教諭で歴史研究家の松原伸之さん(78才)は、1970年(昭和45年)、県地域史研究に「福井地名考」を発表し、「古井戸」の「福の井」などが地名の起源とされていた伝承を否定しました。
松原さんの研究は、「福居」から「福井」の改称は、1686年(卓享3年)の卓享の半知(68万石から25万国へ)がきっかけとする。幕府が越前松平家の石高を半減して家格を下げた事件ですが、このとき将軍家からの御内書に福井侍従(じじゅう、君主のそば近くに仕える人)と書かれていました。
以降、幕府側は福井を使い続け、藩は異議を唱えることもできなかった。1701年(元禄14年)、幕府から国図絵に鄕村帳の提出を求められた際、正式に福井と統一したらしく、藩名すら幕府に逆らえなかったという。
(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(1972); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 朝日新聞朝刊: 週刊まちぶら、第150号、福井城趾周辺(福井市)、江戸がつまった「福居県」、2011年(平成23年)3月13日(日).
(追加説明) ○ 古来、北陸(ほくりく)は、北陸地方およびそれ以北の日本海沿岸も含め、コシの国と総称し、これに越、高志、古志の字をあてました。が、飛鳥時代、701年(大宝元年)の令制(大宝律令)、国号制定のとき、都(みやこ、京都)からの遠近によって、越前(えちぜん、福井、能登、加賀、のち石川)、越中(えっちゅう、富山)、越後(えちご、新潟)の3つに分かれました。
○ 水月湖の5万年刻む「砂時計」
水月湖の年縞(日本地球惑星科学連合): http://www2.jpgu.org/publication/jgl/JGL-Vol6-4.pdf.
水月湖の年縞(連載.jp): http://rensai.jp/?p=41808.
2006年(平成18年)の夏、福井県の水月湖(三方五湖)のほぼ真ん中で4ヵ所、直径7.5cm、最長2mの筒状のパイプを湖底に差し込み、70mの堆積物を引き揚げました。
その土の断面(年縞、ねんこう)は、数万年前から四季ごとに湖底に沈みこんだ黄砂やプランクトンの死骸、土などで、黒や白、中間色などの層がきめ細かく並んでいました。
これら堆積物に含まれる植物の葉などの化石に取り込まれた放射性炭素の量(濃度)を、中川毅教授(英ニューカッスル大、古気候学)はじめ、日独英の研究チームが顕微鏡やX線スキャナーで調べた結果、水月湖の堆積物は5万2800年分の年縞までほぼ正確にさかのぼる、世界標準時計になることが、2012年(平成24年)夏開かれたIntCal国際会議で合意されました。
(朝日新聞:5万年刻む「砂時計」、福井の水月湖 70メートルの堆積物、2013年(平成25年)1月7日(月)朝刊より)