香川(讃岐、高松)名の由来、さぬきとは小平野の多い狭野の国、水城の高松城(玉藻城とも)、とは(2012.11.19)
香川(かがわ、讃岐、高松)といえば、金刀比羅宮、屋島源平合戦の古戦場、栗林公園、空海(弘法大師)の生まれ故郷、善通寺、満濃池、サヌカイト(讃岐岩、カンカン石)などを思い浮かべます。私の郷里(徳島)の北方、阿讃山脈(あさんさんみゃく)の峠を越えると香川(讃岐)に入ることができます。そこで、改めて、香川(讃岐、高松)名の由来について調べてみました。
香川(かがわ)名については、奈良時代、郡鄕制であったので、和名抄の中に香河郡香川鄕の地名として出ています。また、地方の神名、五十香河彦の一部の香河(かがわ)から出たものと推論された説もあります。中山城山(なかやまじょうざん、1763~1837、江戸後期の儒者)の全讃志に、香川郡、北都の山奥に樺河(かがわ)という里あり、上古古木の樺ありて異香芬々(ふんふん)たり、其樹下より出る水かほりありて大河に落ちて、中央を流れて海に注ぐ郡中馥郁(ふくいく)として匂(にお)ひ渡れり、因って香河(かがわ)郡といへり、とあり、香川(かがわ)の字と結びつけた説が古くからありました。
○ 香川(讃岐、高松)名の由来
奈良時代、万葉集に、玉藻(たまも)よし讃岐(さぬき)の国は、国がらか見れども飽(あ)かぬ、と詠われています。
讃岐(さぬき)名の由来については、古事記伝に、古語拾遺(こごしゅうい)の記事の中に、手置帆負命(たおきほおひのみこと)の孫、矛竿(ほこさを)をつくる、その子孫、今分かれて讃岐の国に住み、毎年調庸(ちょうよう)の外、八百竿をたてまつる、の文を引き、讃岐の語は竿調(さをのつぎ)の意、あるいは竿木(さをのき)を約(つづ)めた言葉ではないかという。
また、福家惣衛(ふけそうえ、1884~1971、大正、昭和期の教育者、郷土史家)は、さぬきとは狭野の国、小平野の多い地形を示す狭野国であろうという。その他、讃岐の語は、真麦(さむぎ、早麦とも)、狭貫(さぬき)、狭之城(さのき)などに由来する多くの説があります。
高松城(たかまつじょう、玉藻城とも、旧東の丸の艮櫓(うしとらやぐら、南東の隅、もと城の東北(うしとら)の隅にあったのを現在地に移築、海水を堀に引き入れた水城、高松、香川、google画像) 高松城(たかまつじょう、玉藻公園公式ウェブサイト、高松、香川): http://www.tamamokoen.com/.
高松(たかまつ)の地は、もと八輪島という州(す)の島で、香東川の堆積による三角州(さんかくす)の一部でした。1588年(天正16年)、生駒親正(いこまちかまさ、1526~1603、江戸初期の武将)がここに高松城(玉藻城とも)を築城し、東方の山田郡高松(古高松とも)の嘉名(かめい)をとって名としたと伝えられています。
和名抄に、山田郡高松鄕(のち高松市)があり、新修高松市史(高松市史編集室編)によると、当時、この地方に高い松の木がそびえ立っていて、朝日夕日に照らされた影の長さが6町(約654m)に及んだという。
高松という地名は全国に数多く、その命名は、平凡な普通に見られる自然の松の木の景相に由来する場合が多く、たとえば人々の目印(めじるし)になるような松の大木があれば、それが地名になりやすいようです。
1890年(明治23年)、高松に市制が敷かれ、次第に市域を拡げ、1988年(昭和63年)に瀬戸大橋が開通するまでは、宇高連絡船(岡山県宇野~香川県高松)が本州と四国を結び、高松は四国の玄関口でした。
(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(1972); 山本大、田中歳雄: 四国の風土と歴史、山川出版社(1977); 香川県の歴史散歩編集委員会編: 香川県の歴史散歩、山川出版社(1996); 永原慶二: 日本史辞典、岩波書店(1999).
(追加説明) 古事記と日本書紀(記紀とも)は、681年(天武10年)、飛鳥時代、第40代天武天皇(631?~686)が編纂を命じた、現存する日本最古の歴史書です。記紀には、天上の高天原(たかまがはら)から地上に降臨(こうりん)し、天皇家の先祖となる天つ神(あまつかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、国つ神(くにつかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)から地上の支配権を譲られた話をはじめ、天皇家を中心とする日本統一の由来が書かれています。神社の多くは、記紀に登場する神々を祀っています。
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