三重(伊勢、津)名の由来、伊勢は五十瀬なり、五十鈴川より出づる名なり、とは(2012.11.30)
三重(伊勢、津)といえば、伊勢神宮(皇祖神と五穀の神を祀る)、伊賀者(伊賀衆、忍者)、英虞湾(あごわん、真珠イカダ)、御木本幸吉(みきもとこうきち、1854~1954、養殖真珠の創始者)、鳥羽水族館などが思い浮かびます。そこで、改めて、三重(伊勢)名の由来について調べてみました。
○ 三重(伊勢、津)名の由来
三重(みえ、伊勢、津)の名は、もとの三重郡三重村(のち四日市市)が三重の名称の起源とされています。古事記に、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、三重の村に至った時、わが足は三重の勾(みえのまがり)のごとくして、いと疲れたり、といわれたのでその地を三重と名づけた、とあります。
この話はいわゆる地名起源説話ですが、地名には道の曲がりにもとづく七曲(ななまがり)とか、九十九折(つずらおり)などがあるので、それと同型の地名ではないかという。
津(つ)については、昔、安濃津(あのつ)といったが、安濃が略されて津だけになったのである。津というのは、港の意味である。明人(中国)は日本の三津として、博多の津、坊の津、安濃津をあげたほど賑わった港であった。
安濃の名義については、吉田東伍は、明(中国)の武備志に洞津と記されているように、もとここの港湾が洞穴(あな)の状にたとえられたことに由来する、と推論された。
五十鈴川と御手洗場(いすずがわとみたらし、伊勢神宮、皇大神宮(内宮)、伊勢市、三重県、google画像) 伊勢神宮(ホームページ、皇大神宮(内宮)、伊勢市、三重県): http://www.isejingu.or.jp/naiku/naiku.htm.
(解説) 伊勢(いせ)の名義については、釈日本記および仙覚律師(せんがくりっし、1203~ ?、鎌倉時代初期の天台宗の僧、万葉学者)の万葉集註釈の引く伊勢の国の風土記に、初代天皇、神武天皇(じんむてんのう、生没未詳)が天日別命(あまひわけのみこと)をして、この国の伊勢津彦(いせつひこのみこと)を征服された時、国はよろしく国つ神の名をとって伊勢と名づけよといわれたとある。
日本書記通証によれば、山崎闇斎(やまざきあんさい、1619~1682、江戸時代前期の儒学者、神道家)は、伊勢は五十瀬なり、五十鈴川(いすずがわ)より出づる名なり、と解し、また和訓栞にも、いせは五十瀬の義なりともいえり、川瀬の多きよりの名なるべし、とあるが、これは藤原清輔(ふじわらのきよすけ、平安時代後期の公家、歌人)の奥儀抄の説を承けているものと見られる。また、鈴は瀬々であり、伊勢は磯で、この国が海に臨んでいるので名づけられたという。
伊勢神宮(いせじんぐう)は、伊勢市(三重県)にあり、皇大神宮(内宮、祭神、天照大神、皇祖神)と豊受神宮(外宮、祭神、豊受大神、五穀の神)を合わせて神宮という。第40代天武天皇(631?~686)の奈良朝以来、社殿を20年ごとに造りかえる式年造替の制を残し、正殿の様式は唯一神明造(ゆいつしんめいづくり)と呼ばれています。
私は、京都大学の近く、銀閣寺手前の下別当町(北白川、左京区、京都)で、経済学部の学生、下出敏幸君(三重県出身)と二人で、大工さんの村井良治宅(2階)で下宿していました。1969年(昭和44年)3月、下出君のご家族のお招きで三重県久居警察署、嬉野町豊田警察官駐在所におじゃまし、はじめて伊勢神宮を参拝、また真珠王と呼ばれた御木本幸吉の記念館を訪ねたことを懐かしく思い出します。
(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(1972); 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991).
(追加説明) 古事記と日本書紀(記紀とも)は、681年(天武10年)、飛鳥時代、第40代天武天皇(631?~686)が編纂を命じた、現存する日本最古の歴史書です。記紀には、天上の高天原(たかまがはら)から地上に降臨(こうりん)し、天皇家の先祖となる天つ神(あまつかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、国つ神(くにつかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)から地上の支配権を譲られた話をはじめ、天皇家を中心とする日本統一の由来が書かれています。神社の多くは、記紀に登場する神々を祀っています。
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