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2012年11月 5日 (月)

富山(越中)県名の由来、起源は富山鄕(外山鄕とも)ほか、立山山麓で国内初の氷河の発見、逆さ地図、,とは(2012.11.5)

   富山と言えば、立山(日本三名山)と雷鳥富山湾アマエビ、ホタルイカ埋没林(海底化石林)、富山売薬(配置家庭薬、先用後利)と反魂胆(腹痛薬)など思い浮かべます。 そこで、改めて、富山(越中)県名由来、氷河発見(立山山麓)などについて調べてみました。

○ 富山(越中)県名の由来

 富山(とやま)の県名は、はじめて室町時代中期の1430年(永享2年)、室町幕府第6代将軍、足利義教(1394~1441)の書状に地名として見られるという。金山久一氏は、富山城の起源において、富山起源富山鄕外山鄕とも)であったとしています。

 富山名義については、私は北アルプス立山連峰など、めるの意と思っていました。が、古谷常蔵氏は、神宿山(かみとめるやま)の意であるという説や、アイヌ語沼・河を意味するという説をあげています。 

 富山(越中)は、江戸時代(1603~1868)、加賀前田藩(藩祖、前田利家、1538~1599)の支藩でしたが、越中国が完全に前田支配となったのは1595年(文禄4年)、加賀藩第2代前田利長(1562~1614)の頃です。さらに、利長は関ヶ原の功により加越能(加賀、越中、能登)3ヵ国、120万石の大名となりました。

 利長は、1605年(慶長10年)、守山城(守護所、高岡、富山)から富山城(隠居城、富山)に移りましたが、1609年(慶長14年)、富山城の主要な建物を焼失したため、高岡城(隠居城、高岡、富山)に入城しました。

 加賀藩第3代前田利常(1594~1658)は金沢城(金沢、石川)に移り、高岡城を廃城としました。1639年(嘉永16年)6月、利常小松城(隠居城、小松、石川)に移り、嫡子光髙金沢城(金沢、石川)、加賀藩100万石をつがせたとき、次子利次富山藩10万石、三子利治大聖寺藩7万石を与え支藩(御三家!)としました。

 その時、富山藩富山城(富山)を修復して藩庁とし、1871年(明治4年)7月、廃藩置県により富山県となりました。同年11月、旧加賀藩領の砺波群と新川郡を併せて新川県となり、1872年(明治5年)9月、射水郡も編入して越中が一つの県となり、1876年(明治9年)4月に石川県に合併されます。 が、1883年(明治16年)5月、越中4郡を再び分ける分県運動により富山県を設置、現在の富山県の領域が確定しました。

富山城(越中、富山): http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/toyama.htm

○ 立山山麓で氷河の発見

御前沢雪渓の氷体状況  高精度GPSにより、氷体の移動量を観測

立山(たてやま、雄山の東面、左 御前沢雪渓の氷体状況、右 高精度GPSにより、氷体の移動量を観測、富山、google画像)

立山の雪(とやま雪の文化、氷河の発見!含む、 富山県): http://www.pref.toyama.jp/sections/1711/yuki/tateyama/tateyama.html

 2009年(平成21年)9月、立山(たてやま)の雄山(3003m)の東面御前沢(ごぜんざわ)雪渓で長さ700m、幅200m、厚さ30mに達する日本最大級の氷体がアイスレーダ(電波で氷の内部をスキャンする機材)探査により発見されました。これは、国内初の現存する氷河可能性があるという。

(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(1972); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 富山県歴史散歩研究会編(編集長 高井進): 富山県の歴史散歩、山川出版社(1995).

(追加説明) ○ 古来、北陸(ほくりく)は、北陸地方およびそれ以北日本海沿岸も含め、コシの国と総称し、これに越、高志、古志の字をあてました。が、飛鳥時代、701年(大宝元年)の令制(大宝律令)、国号制定のとき、都(みやこ、京都)からの遠近によって、越前(えちぜん、福井、能登、加賀、のち石川)、越中(えっちゅう、富山)、越後(えちご、新潟)の3つに分かれました。

○ 逆さ地図

逆さ地図キッズ日本海学富山市): http://www.nihonkaigaku.org/kids/about/index.html

環日本海・東アジア諸国図(通称:逆さ地図、富山県)http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1510/kj00000275.html

 1994年(平成6年)、富山県が作成した地図で、従来の視点を変えて、北と南を逆さにし、大陸から日本を見た地図としています。日本海において、中国、ロシア、北朝鮮、韓国等の対岸諸国に対し、日本の重心が富山県沖の日本海にあることを強調したという。

 日本海が大きな湖のように見え、昔から頻繁な文化、経済の交流があったこと、また、政治、軍事の複雑な問題も存在することが想像されます。

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