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2012年12月18日 (火)

力石と力餅にまつわる歴史伝承、神社や寺院での力比べ(信仰に通じた体力の養成)、尾山神社のさし石(金沢、石川)、兼仲公の力石、大山寺の力餅(上板、德島)、とは(2010.9.13)

  古代、村の神社(鎮守)や寺院には、力石(ちからいし)という大きな石があって、それを何回持って歩けるかという競技もありました。それは、農耕社会では力技(ちからわざ)が必要であり、石を持って長い距離を歩けることは、神や仏の加護(かご)が強いことだと祝って、それを奨励しました。つまり、力強い労働力を養うために、信仰に結びつけ、力比(ちからくら)べの技を競いました。また、新年には、鏡餅を持ち運ぶ「力餅(ちからもち)」の力比べもありました。

 力石 

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尾山神社のさし石(差しいし、力石とも、加賀藩主前田家より拝領、丸の内、尾山町、金沢、石川、google画像)、 力石は金沢城の石垣にも使われている戸室石(とむろいし)を加工したもので、手前の二つが赤戸室石、背後の二つが青戸室石のように見えます。 

(解説) 力石は日本各地の神社や寺院の境内などにあり、力比(ちからくら)べや力試(ちからだめ)しに用いる石のことです。5斗石、8斗石などと重量が定められています。差し上げれば千人力になるとか近親の病気が治(なお)ると言われています。また、肩上げ、両差し、片手差しなどといって力を競います。平安時代末期、源為朝(みなもとのためとも、1139~1170)や武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい、?~1189)が持ち上げたと伝える力石も日本各地にあります。 (全国の「力石」の研究(四日市大学健康科学研究室、体育史学の分野から調査、三重):http://www.za.ztv.ne.jp/takashim/chikara1.htm.)

 民族文化財としての「力石」(昔の農村の若者は、米俵を担ぐ力仕事が多く、その米俵一俵は16貫(60kg)を基準としていました。ということで、力自慢をするには16貫が最低基準であり、それ以上の重さを持ち上げなければならなかった、松原市、大阪): http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,145,51,259.html; 河内松原の「力石」(松原市、大阪): http://www.k3.dion.ne.jp/~kawatino/wark/pages/tikaraisi.htm.)

 私の故郷(上板、德島)には、室町時代、弘治・永禄年間(1555~1569)、阿波の七条城主、七条兼仲(しちじょうかねなか、けんちゅうとも)まつわる「兼仲公の力石」の伝説があります。七条兼仲は、若い頃から村の大山寺(たいさんじ)の観世音菩薩を厚く信奉し、すこぶる大力の武将であったという。

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兼仲公の力石(七条、上板町、德島、google画像)  力石(上板町七条、2002年1月、四国放送、德島):http://www.jrt.co.jp/tv/asa630/databank/roots/020124.htm

(解説) 上板町七条の仁界、上板勤労青少年の家の東約100mの田圃(たんぼ)の中に、一つの大きな石があります。高さ1.4m、周囲約3mもある大きなもので、とても大人一人の力で動かすことが出来るようなものではありません。この石は、兼中公が若い日、大山寺の観世音菩薩に大力を授かるよう祈願し、その結願の17日目の日に、力だめしのため、大山寺からここまで担(かつ)いで帰ったものだと伝えられています。

 昔は、この石を撫(な)でると力が強くなると信じられ、また、体のひ弱い子供は丈夫になると言われ、随分遠くからも、沢山の人がこの石を撫でに来たという。大山寺には、大力を授かったお礼に、七条兼仲(しちじょうかねなか、生没年未詳)が奉納したという七重の石塔が、今日も残っています。七条兼仲(しちじょうかねなか、七条城主、板野郡、德島):(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E6%9D%A1%E5%85%BC%E4%BB%B2(ウィキペディアより)

 力石は阿讃山脈の和泉砂岩層の和泉砂岩?で、その昔、大山寺の麓、泉谷川の氾濫により運ばれてきたものとも考えられます。また、1558年(永禄元年)、阿波の大旱魃(だいかんばつ)後、宮川内谷川の大洪水が起こり、濁流が七条村に押し寄せてきて、今までまっすぐ南に流れていた宮川内谷川は、この時から東に向きを変えて、七条村の方へ流れる今日の川筋に変わったと云われているので、力石はこの大洪水の時に上流から流れてきたものとも考えられます宮川内谷川は土成町(のち阿波市)北部の阿讃山脈を源流とし、吉野町(のち阿波市)、上板町を東西に流れ、上板町神宅で泉谷川と合流し、さらに板野町で吉野川と合流しています。その延長は19km、よく知られる暴れ川で、毎年のように大水害をもたらし、流域住民に莫大な被害を与えてきました。

○ 力餅

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大山寺の力餅(たいさんじのちからもち大山寺境内、2010年1月17日(日)、 大山寺の「力餅」は上板町のイベントで、本尊千手観音の初会式の法会にお供えした紅白の鏡餅を抱えて歩いた距離を競う伝統行事です。男性用169kg、女性用50kg、小学生用45kg、幼児用10kgとなっています、大山、神宅、上板、德島、google画像)

(解説) 力餅(ちからもち)と言えば、ふつう一種のねじ切り餅で、食べると力が強くなるというもので、各地に名物が出ています。昔は山越えするとき携(たずさ)えました。一方、石を運ぶ「力石」と同じように、鏡餅(かがみもち)を運ぶ「力餅」の力比べの競技が、毎年お正月に、今も各地の神社や寺院で行われています。 力もち大会薬王寺淡路島、兵庫、You Tube): http://www.youtube.com/watch?v=1t-6yaAWQfY.)

 私の故郷(上板、德島)の大山寺(たいさんじ)は、大山(おおやま)、標高691mの中腹にある弘法大師が開いた真言宗(醍醐派)のお寺で、本尊は千手千眼観世音菩薩、阿波西国25番札所、縁結びのご利益があるというので、遠近から参拝者が多い。麓の神宅から「大山寺参道」の道しるべを頼りに5km余りの山道を登ると、杉の木立の美しい霊気ただよう仁王門に着きます。急な石段を登り鐘楼を過ぎると、イチョウやカエデの老木がそびえる境内の正面に、千手観音像を祀る本堂が見えてきます。

 大山寺で毎年初会式(はつえしき)において行われている力餅(ちからもち)行事は、400年の伝統があります。1月の第3日曜日には、今も境内に腕に自信のある豪傑が集い、老若男女の鏡餅を運ぶ「力餅」が開催されています。

 今日では、働いたから休養する、それがレクリエーションですが、古代人は、まず休養して、再生産をしておいて働く、つまり、休養でした。そして、働くための体力をつける力石力餅のレクリエーションはすべて、信仰に通じていました。 

 私の故郷の家(引野、松島、のち上板、德島)の北東、大山(標高691m)の中腹、大山寺には、1962年(昭和37年)の頃、はじめて、松島中学(母校)の親友、川城毅、横田昂治の両君と徒歩でお参りしたことがあります。この大山の麓には、松島中学校の桃(?)の果樹園があり、泉谷川の渓谷に沿ってそこに行く途中、大小の和泉砂岩の中にアヤメ石(水生の藻植物、コダイアマモの化石)を見つけたことがあります。

(参考文献) 児島公一: 上板昔読本、教育出版センター(1979); 湯浅良幸(德島史学会)編: 徳島県の歴史散歩、山川出版社(1995); 樋口清之: 梅干と日本刀、日本人の知恵と独創の歴史、祥伝社黄金文庫(2005); 石川県の歴史散歩編集委員会(代表、木越隆三)編: 石川県の歴史散歩、山川出版社(2010).

(参考資料) ○ 日本各地の弁慶の力石」(google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%BC%81%E6%85%B6%E3%81%AE%E5%8A%9B%E7%9F%B3&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

○ 大山寺(ホームページ、力餅、2014年1月19日、上板町、板野郡、徳島県): http://taisanji.jp/?page_id=10.

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