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2012年12月18日 (火)

昭和の碁聖(呉清源)にまつわる歴史実話、十番碁(打ち込み手合い)では敵なし、囲碁とは調和(易経、陰陽のバランス)、とは(2010.9.28)

   江戸時代、囲碁の歴代四家元(本因坊、安井、井上、林)の間で何か問題が起きると、打ち込み手合い、すなわち十番とか二十番の争碁によって、黒白を決める習わしがありました。 このシステムは、昭和の中頃まで続いていました。

 昭和時代、1927年(昭和2年)3月、初の十番碁は、読売新聞社主催の院社(日本棋院と棋正社)対抗戦の別企画、鈴木為次郎(1883~1960)七段と野沢竹朝(1881~1931)七段の十番碁でした。この十番碁は、野沢の体調不良(肺病)もあって、3年余かかり、鈴木の5勝2敗2ジゴで終わりました。

 その後、読売新聞社は、昭和十番碁シリーズの第二弾として、1939年(昭和14年)~1941年(昭和16年)、木谷実(1909~1975)七段と呉清源(1914~ )七段との打ち込み十番碁を企画、囲碁史をかざる激闘と言われました。この十番碁は、新布石の新風を巻き起こした同士の対決となり人気を呼びましたが、木谷は病気などもあり、6局目で先相先に打ち込まれてしまいました。 新布石(ウィキペデイア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B8%83%E7%9F%B3

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呉清源(ごせいげん、86才、国際親善を説く囲碁界の哲人、福建省、中国、2000年(平成12年)7月17日(月)、北陸中日新聞、朝刊より)  

(解説) 呉清源(1914~ )は、中国の生んだ天才棋士ですが、1928年(昭和3年)10月18日、15才の時来日しました。瀬越憲作(1889~1972)に入門、翌年飛付三段を許され、プロ棋士への道を歩み、1930年(昭和5年)に四段、7年に五段、1939年(昭和14年)に七段となり、有名な木谷実との打ち込み十番碁を開始、1941年(昭和16年)、6勝4敗で先相先に打ち込みました。1950年(昭和25年)、日本棋院から九段に推挙されました。1979年(昭和54年)、日本国籍を取得し、1983年(昭和58年)、現役を引退しました。 呉清源(日本棋院ホームページ): http://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki001001.htm

 呉清源は、1939年(昭和14)~1956年(昭和31)まで、十番碁において、日本の棋士の強豪たちを次々と打ち込みました。各々の対局者との戦績は以下の通りで、呉清源七段は、向かうところ敵なしの感があり、昭和の碁聖と称賛されました。 呉清源十番碁、木石庵): http://mignon.ddo.jp/assembly/mignon/go_kisi/meikan_seigen.html

①.昭14~16、木谷実七段、4勝6敗、6局で先相先に打ち込まれる ②.昭16~17、雁金準一八段、1勝4敗、カド番のまま中止、③.昭18~19、藤沢庫之助六段、6勝4敗、5局で定先に打ち込まれる、④.昭21~22、橋本宇太郎八段、3勝6敗1ジゴ、8局で先相先に打ち込まれる、⑤.昭23~24、岩本薫八段、2勝7敗1ジゴ、6局で先相先に打ち込まれる、⑥.昭25~26、橋本宇太郎本因坊(2次)、3勝5敗2ジゴ、先相先の手合い、⑦.昭26~27、藤沢庫之助九段(2次)、2勝7敗1ジゴ、9局で先相先に打ち込まれる、⑧.昭27~28、藤沢庫之助(3次)、1勝5敗、6局で定先、以下は中止、⑨.昭28~29、坂田栄男八段、2勝6敗、坂田の先相先、8局で定先となる、⑩.昭30~31、高川格本因坊、4勝6敗、8局で先相先に打ち込まれる。

 呉清源九段は、戦中戦後の「打ち込み十番碁」では、日本の一流棋士をことごとく破り、不敗でした。そして、昭和囲碁最強の棋士と言われ、「囲碁の理想は調和、共存共栄!」と説きました。

 囲碁ではどんなことが大切なんですか。この問いには、「調和です。囲碁はもともと易経から来ているんですね。陰と陽のバランス。だから、碁盤の中では、片方が強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。携わる人間がお互い最善の手を尽くすと、立派な局になる。それは政治でも経済でも言えることだと思いますね。勝ち負けは、自然に決まるもの。その場で最善を尽くせば、自然に結果もよくなるはずです」

 世界選手権などで、日本人棋士がなかなか勝てずにいますが、原因はどこにあるのでしょうか。この問いには、「定石中毒のせいですよ。昔は定石以外の手を打ったら、破門されたほどですからね。しかし、定石とはいわば素人を教える方便です。日本人はひたすらそれを守るだけだから、新しい発想が生まれないんですよ。私はいつも、定石は忘れろ。そしたら強くなる、と言っています」「碁の考え方が悪いんです。勝てば官軍という考え方、すべて力ずくという考え方。そんな考えがはびこっているんじゃないかな。日本のレベルは一流ですが、わずか十年で中国が追い抜きましたね」

 親交のあった作家の川端康成(1899~1972)は、「呉清源棋談」の中で、呉さんのことを「ただ一人の碁打ちが、中日親善、敬愛の美しい橋をかけている」と書きました。  (2000年(平成12年)7月17日(月)、北陸中日新聞、朝刊より) 

(参考文献) 林裕: 囲碁百科事典、p.215、中国の天才呉清源の来日、金圓社(1965); 菊池達也: 木谷實とその時代、p.65~71、昭和十番碁、機苑図書(2000); 水口藤雄: 囲碁の文化誌、起源伝説からヒカルの碁まで、p.188~189、呉清源、十番碁で敵なし、日本棋院(2002).

(参考資料) 呉清源(極みの棋譜、原作、中の精神、呉清源の伝記の映画化、google動画、2007):http://www.google.co.jp/search?q=%E5%91%89%E6%B8%85%E6%BA%90+%E6%A5%B5%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%A3%8B%E8%AD%9C&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&source=univ&tbs=vid:1&tbo=u&ei=NGeiTIvBDsikcfj93IAB&sa=X&oi=video_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBMQqwQwAA

「昭和の碁聖」96歳の呉九段、囲碁名人戦に現る、2010年10月6日(水): http://www.asahi.com/igo/news/TKY201010060335.html.

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