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2012年12月18日 (火)

日本国名と貨幣にまつわる歴史伝承、国名の由来(大和、倭、日本など)、貨幣の単位(両、分、朱、貫、文、円、践など)、建国記念の日(2月11日)、とは(2010.10.15)

  日本(にほん、にっぽんとも)は、わが国の国号で、初代、神武天皇(じんむてんのう、生没年未詳)の建国の地とする大和(やまと)を国号とし、「やまと」、「おほやまと」と言い、古く中国では、「(わ)」と呼びました。大化改新の頃も、東方、すなわち日の本の意から「日本」と書いて、「やまと」と読み、奈良時代以降は、「にほん、または、にっぽん」と音読するようになりました。現在でも、日本の読み方については、法的な根拠はなく、どのように読んでも問題ないようです。

 貨幣(かへい)は、本来はそれ自身が交換されるものと等価の商品で、昔は貝殻、獣皮、宝石、布、農産物など、のち貨幣商品として最も適した金、銀のような貴金属、また銅などが次第に用いられるようになりました。江戸時代、金貨、銀貨などの鋳造、鑑定、発行は、江戸幕府直轄の、金座(きんざ)、銀座(ぎんざ)で行いました。

 中国では、おもに貨幣として銀貨を用いていたので、それを扱う金融機関を銀行(ぎんこう)と呼びました。中国の銀については、ポルトガルが、日本から安く買い入れた銀(石見銀山産など!)を中国に高く売りつけ、一方、中国から生糸、絹織物、金などを安く買い入れ、また日本に渡り、これらの品物を日本に高く売りつけ、銀を安く買い入れるなどの貿易により、大きな利益をあげました。

○ 日本の国名の由来

 飛鳥、白鳳時代(592~710)、701年(大宝元年)、「日本」という国号が、対外的な国号として定められました。そのことが、翌年施行された「大宝律令(たいほうりつりょう)」に、正式な国号として記録されています。

 古くは、「日本」は、「大八州(おおやしま)」、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」などの名で呼ばれていたことが、古事記と日本書紀に記録されています。その後、大和朝廷の勢力が広まるに伴い、大八州の政治的な中心地の地方名、「大和(やまと)」が、そのまま総名とされるに至りました。一方、中国ではわが国のことを、「(わ)」と呼んでいました。

 大宝律令にある「日本」は、はじめの頃は「やまと」とか「ひのもと」とか読まれていましたが、漢字の知識が広まっていくにつれて、字音で読むようになり、奈良時代(710~794)以降は、「にほむ」と発音されていました。室町時代(1338~1573)に入り、「にほむ」は、「にほん」あるいは「にっぽん」の読み方となり、これは東国的な発音の影響と言われています。

 昭和時代(1926~1989)初期以来、しばしば「にっぽん」という読み方に統一しようとする運動があり、1934高治年(昭和9年)、文部省の臨時国語調査会で「にっぽん」を正式名称とする決議がなされましたが、国家的制定まで至らず、今日に及んでいます。

○ 日本の貨幣の単位

 日本は、708年(和銅元年)、中国の貨幣をまねて、「和同開珎(わどうかいちん)と呼ばれる貨幣をつくりました。和同開珎には、の2種があり、銀1文(もん)が銅4文に相当し、この頃は、銅貨が銀貨より高かったらしい? とのことです。

 「(もん)」という通貨単位は、中国の重量単位から来ています。また、「(りょう)」という重さの単位も、中国では周(紀元前1046~256)の頃からありました。1両は10文にあたります。日本でも、平安時代(794~1192)、すでに砂金を紙に包んで、「金何両(きんなんりょう)」と目方を表示し、1両は12グラムほどでした。それゆえ、武田信玄(1521~1573、甲斐、山梨)の甲州金、豊臣秀吉(1537~1598)の天正大判、小判、徳川家康(1543~1616)など、正式の金貨が鋳造された時には、そのまま「」が貨幣の単位とされました。「両」の4分の1を「分(ぶ)」、そのまた4分の1を「朱(しゅ)」としました。また、「貫(かん)」は「分」と同じで、「文」の千分の1は、「貫」または「分」となります。

 明治時代(1868~1912)、1871年(明治4年)、新政府は、幕府の「両」をきらって「」という単位を決めました。財務担当参議、大隈重信(1838~1922、肥前、佐賀)が、欧米流に、金貨円形にすること(それまでの金貨、大判、小判などは楕円形でした)、十進法に改めることを主張しました。この時、大隈は、「元(げん)」という名を提案しましたが、衆議で「円(えん)」に修正したとも、彼自身が、「みんな指で輪(わ)を作って、金(かね)を表しているじゃないか」と衆議に押しつけたとも言われています。また、この時、「円」の百分の1を「践(せん)」としました。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 樋口清之(監修): 生活歳時記、p.87、「日本」という国名、p.201、貨幣の単位の歴史、三宝出版(1994).

(参考資料) 日本の国名の由来(黒門アカデミー): http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/nihon.htm

貨幣(通貨)の単位(コインの散歩道、しらかわただひこ): http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A014.htm

(追加説明) ○ 神武天皇(じんむてんおう、生没年未詳)は、記紀伝承によれば、初代(第一代)の天皇で、名は神日本盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と呼ばれています。伝承では、高天原(たかまがはら)から降臨(こうりん)した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫で、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと、彦火火出見尊、ひこほほでみのみこと、の子)の第4子で、母は玉依り姫命(たまよりひめのみこと、海神の娘)です。

 日向国(ひゅうがのくに、宮崎)の高千穂宮(たかちほのみや)を出て、瀬戸内海を経て、紀伊国(きいのくに、和歌山)に上陸、霊剣「韴霊(ふつのみたま)」と道案内の「八咫烏(やたがらす)」の導きで土豪(どごう)の長髄彦(ながすねびこ)らを平定して辛酉の年(かのとのとりのとし、前660年)大和国(やまとのくに、奈良)畝傍(うねび)の橿原宮(かしはらのみや)で即位したという。

 日本書紀の紀年に従って、明治以降、この年を紀元元年としました。畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)はその陵墓としています。

 ○ 建国記念の日(けんこくきねんおひ)は、国民の祝日の一つで、2月11日です。この日は、旧紀元節にあたり、1872年(明治5年)、神武天皇即位の日を設定して祝日としたもので、第2次大戦後に廃止されましたが、1966年(昭和41年)、「建国記念の日」という名で復活し、翌年から実施されました。

 現在世界的には、キリスト誕生の日を元年とする(紀元前4年を誕生ともいう)西暦紀元が使われていますが、日本では、1872年(明治5年)、神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めて、これを皇紀元年(こうきがんねん)と呼びましたが、今は普通用いない。1940年(昭和15年)11月10日、紀元2600年記念式典挙行され、奉祝の提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)、もち米の特配などがありました。

○ 四大節(しだいせつ)は、旧制の祝祭日とされた、三大節(さんだいせつ)の新年(しんねん、天皇の四方拝、1月1日)、紀元節(きげんせつ、神武天皇即位の日、2月11日)、天長節(天皇誕生の祝日)に、のちに明治節(明治天皇の誕生日、11月23日、、この日は国民の祝日の文化の日で、意義を異にしています)を加えた総称です。(広辞苑(岩波書店)、歴代天皇事典(PHP文庫)、より)

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